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 小林さんからコースの説明がありました。
「バンクーバーまで9時間半飛行機にのります。そこはアメリカの西海岸。そこで空港の中に5時間半くらいいて、そしてまた飛行機にのって5時間くらいで、アメリカ大陸を横断して、東側にあるボストンにつきます」ということでした。9時間半と5時間半と5時間、あわせると20時間ということになります。やっぱりボストンはとても遠いです。それからアメリカ大陸を横断するだけで5時間もかかるから、アメリカはやっぱりとても広いです。
 中で退屈しないようにと本を何冊かと、スケッチブックと、それから筆記用具、そして今回は小さいパソコンも持ってきていたので、それを手荷物の中に入れました。それから飛行機の中で寒くないように上着も手荷物に入っていました。
 席は真ん中の列の真ん中あたりでした。景色も見えないところなので、本を読んだり、隣の席の大谷さんと少しおしゃべりしたり、少し眠ったり、そろそろ退屈していたときに、大谷さんがトイレから戻ってきました。
「韓国の小学生がね、修学旅行か何かで飛行機に乗っていて、女の子とお話ができるからきてごらん」
「女の子?」
「トイレに行ったら、僕のことを見て、何人かの子供たちが笑うから、何がおかしいの?って聞いたら、韓国には僕みたいな髪型をした人はいないんだって。小さいのに英語がとても上手だから、お友達になってもらって、おしゃべりしてみたら?」
 私は今度の旅行でいろんな人とお話したいなあと思っていました。いつもは初めての人とお話をするのが苦手で、臆病になってしまうけれど、この旅では積極的にいろんな人とお友達になれたらなあと思ったのです。大谷さんにもそのことをお話してあったので、さそってくれたのだと思います。
 ところで、大谷さんの髪型はどういうふうかというと、髪型の名前はわからないのだけど、えりあしは刈り上げてあって、頭の上の部分や前髪はずいぶんと長くて、パーマがかけてあります。去年の暮れに韓国に行ったとき、男の人の髪型は、真ん中わけか、7,3分けで、もみあげが短くて、上の部分が長くてストレートで、下が刈り上げている髪型が流行ってるのかなという印象がありました。確かに大谷さんがされてるような髪型の方はみかけなかったかもしれないなあと思いました。
 トイレの近くの席に、小学校の5,6年生くらいか、そうでなかったら、中学1年生くらいの子供たちが何人も座っていました。席の一番端の女の子に大谷さんが声をかけました。英語で「彼女は僕の友達で。君と話をしたがっているので、話してあげてね」たぶん大谷さんはそんなことを女の子に話してくれたのだと思います。私ときたら昔はそれでも高校を卒業したり、大学へ入れたりもしたから、なんとか少しの英語はできたと思うのに、今ではすっかりと忘れてしまって簡単な英語さえ聞き取ることができないし、お話することもできないのです。
 私はお話するきっかけがつかめないといけないと心配になって、いそいで、ちらしで「はばたく鳩」の折り紙を折りました。それは、鶴と似た折り方だけど、手で持って羽の下の部分をひっぱると羽をはばたかせるという折り紙なのです。
 可愛い女の子が人なつこそうな顔で、私を見上げてくれました。私は急に胸がどきどきして「ハロー」と言うことしかできませんでした。そしてなんとか鳩を渡すと、その女の子は「これはなあに?」と聞きました。鳩ってなんていうんだったかな・・・「ね、鳩ってなんて言うの?鶴でもいいから教えて」大谷さんも急だったからか、すぐには答えが出ないようだったので、「ジス イズ バード」だなんて言いました。私も本当に英語がもっとお話できたらこんなときどんなにうれしいのに。
 女の子が何か英語で言ってくれたのに、私はよくわからなくて、「アイ キャン ノット スピーク イングリッシュ。バット アイ ウオント トーク トゥ ユー」と言いました。考えたら、英語がしゃべれないけどお話したいなんて言われたら、とっても困ってしまいますよね。でもその女の子は、私の気持ちをよくわかってくれて、自分の胸を指差して、ゆっくりと
「アイ アム ジーヘー」と言いました。ジーヘーというのがその女の子の名前だということが私は最初わからなかったのです。「私は女の子です」とか「私は小学生」って言ってるのかな?(女の子だなんて見たらすぐにわかるし、考えたらそんなことは言わないよね」それとも「私はどこどこから来たんだよ」って教えてくれたのかなと思ったのです。でももう一度、その女の子が自分を指差して、「アイ アム ジーヘー」と言ったから、あ、名前なんだなってわかりました。それで持っていたスケッチブックに、書いてほしいとジェスチャーで伝えると、その女の子は、名前とE-Mailと住所を書いてくれました。
 うれしい・・・。「アイ アム カツコ」そう言って、私も、名前と住所とメールのアドレスをスケッチブックに書いて、それをスケッチブックからはずして渡しました。
 その女の子たちはどうやらアメリカに行くのだと話してくれているようでした。夏休みの旅行で、とても楽しみにしていたと。日本が好きとも言ってくれたように思いました。ほとんど手振りでのお話だったから、私にはそれがせいいっぱいだったけれど、でもニコニコ笑いながら、話してくれる女の子が、本当に可愛くて、そしてこうして飛行機に乗り合わせて、大谷さんの髪の毛の形がきっかけで、話をできるってなんてうれしいんだろうと思いました。
 それにしても、韓国の子供たちはどうして英語をとても上手にお話することができるのでしょうか?それは今回、その女の子に会って初めて気がついたことではありませんでした。韓国へ旅行するたびに、そう思ってきたし、日本に来られた韓国の方とお話してもそう思いました。ある韓国の人は、「日本は母音が5つしかないけれど、韓国では、もっともっとたくさんの母音があるから、英語が話しやすいのでしょう」って教えてくださったけれど、私はそれだけではない気がしました。その韓国の人は「日本は英語だけしか小さいときに勉強しないというのも、信じられない気がします。韓国では、日本語や、ドイツ語、フランス語など、いろいろな言葉から、選んで、少なくても2つの言葉を話せるように勉強します」と言っていました。そのお話を聞いたときに、韓国では、自分の国を大切にすることと一緒に、他の国の人とも交わっていくことを大切にしてきたということなのかなと思ったのを覚えています。
 飛行機が気流のある場所を通ったので、「席についてください」というアナウンスが流れ、女の子にお礼を言って席に戻りました。
「ちょっとだけどすごく楽しかった」と私が大谷さんに言うと、「大谷さんは写真を撮ったらよかったね、あとでメールで送れるかもしれないしね。あとで時間があったら頼んでみよう」と言ってくれました。
 でもそのうちに飛行機の明かりが消されました。みんなが眠れるように明かりが消されたのでした。私も少し眠って、それから明かりが消されるまえに飛行機のテレビに映されていた日付変更線ってすごく不思議だなあ・・って考えたりしていました。
 日付変更線はアメリカ大陸とユーラシア大陸のだいたい間にありました。私はぼおっと考えるのが好きだから、えーと地球一周を360度としたら、お日様の周りを一日一回まわるんだから、そして一日は24時間だから、360÷24=15だから、地球の中心から図って、15度ずれるたびに、一時間時差があるんだなあと思いました。それで、たとえば、日本からアメリカに近づいていくたびに、時差はどんどんマイナスになっていくわけだけど、どうして、そのままマイナスにしていくだけじゃなくて、日付を変更しなくてはならないのかな・・・ずれていった結果が前の日というのじゃどうしてだめなんだろうと考えていました。どう考えてもわからないから、あとで小林さんに聞いてみようと思っているうちに私もようやく眠くなってきたのでした。
 いったいどれほど眠ったのでしょう。一時間が2時間か・・・なんて考えていると、私はまた時間のことが気になりだしました。時差ができていくということは、そのあいだの時間ってどんななんだろう。きっと時間の長さは地上にいるときの長さが基準なんだろうけど、目的地についたら、時間がずれてるわけだから、やっぱりなんだかなっとくできないなあ・・・私もそうとうにしつこい性格らしくて、そんなことばかり暗い中で考えていました。
 そうしているうちに、スチュワーデスさんが行ったり来たりしだしました。そして明かりがつき、「あとこの飛行機は一時間半ほどで目的地に到着します。今からお食事を用意いたします」と放送が入りました。
 隣の大谷さんもいつのまにか起きていて、「女の子との写真撮れなかったね」と覚えていてくれて、残念そうに言いました。「うん、残念」
 食事も終わって、そろそろ降りる準備をしなくちゃと思っていたところに、突然、さっきの女の子が、私に、メモを持ってきてくれました。
「何?」
中をあけると、とても可愛いメモ紙に、ピンクの熊のスタンプが3つ押されていて、
「.....for you...... JEEHE」と書かれていました。ありがとう。私のこと、気にかけてくれていたんだ。私は胸がいっぱいになって、その女の子と握手をしました。女の子はニコニコしながら席に戻ってしまったけれど、私はベルトのサインがつく前に、お手紙のお返事を渡したくて、いそいで、手紙を書きました。
「アイ アム グラッド トウ スイ ユウ。アイ ウイル メイル トゥ ユウ」
 そして女の子のところに手紙を持っていったら、大谷さんも来てくれて写真を写してくれました。そんなにたくさんのお話ができたわけではないけれど、互いに、気にかけて、こうしてにっこり握手をしてお友達になれるって本当にうれしいことですよね。
 席に戻ってからも私はとてもうれしくてなりませんでした。
「いい旅になりそうだね」大谷さんの言葉に、うなづいて
「うん、帰ったらすぐにメールを送るし、それからこの旅でもっとたくさんお友達ができるといいな」と言いました。
 飛行機はバンクーバーに到着しました。女の子は私たちより前の席だったので、私たちが女の子の席をとおったときは、もうそこには女の子はいませんでした。なんだか少しさびしくなっていたのに、飛行機を降りたら、女の子がそこにいて、私に大きな声でバイバーイと手を振ってくれました、私はもう一度女の子と握手をしました。
 飛行機を降りると、ボストンへの乗り継ぎのグループと、他のところへ行くグループは道が分かれていました。
 ああ、これっきり会えないのかなと思ったら、とてもさびしい気持ちになったけれど、でも会えないかもしれないけれど、会えるかもしれない。だって私は女の子にメールを出せるし、手紙だって、出せる。もっともっと仲良しになったら、韓国は近いんだもの、会いにだっていけるとそう思ったのでした。

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