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 ボストンの次には赤毛のアンのプリンスエドワード島に行くことになっていました。そこへはボストンから直接行くことはできないようで、いったん、カナダのハリファックスという海に近い街に飛行機で行き、そこで一晩泊まってから、小さい飛行機に乗ってプリンスエドワード島に行くのだということでした。
 ハリファックス空港についたのはもう真夜中に近いころだったと思います。私たちが乗っていた飛行機は最終便でした。乗っているお客さんも少なく、私たちの他には数人のお客さんが乗っていただけでした。入国審査はいつもどきどきするけれど、その空港はとても小さくて、入国審査のゲートも防弾ガラスのようなもので囲われていない簡単な形だったので、私たちはわりと軽い気持ちで、入国審査を受けようとしていたと思います。
 そして私たちは眠かったのです。飛行機の中でも眠っていたけれど、でもまだ真夜中で、時差の影響もあってか、本当にみんな眠い顔をしていました。


 いくつかのゲートにわかれて入国審査を受けることになりました。すぐに私の番がきて、「ここで何をするの?」と聞かれました。たぶん観光とか、仕事とかそういうことを言えばよかったのだと思います。私は「ウイ ウイル ゴー トゥ プリンスエドワードアイランド、トモロウ」と言いました。「ここのいろんなところは見ないの?」たぶんそんなふうに聞かれて、見ないから申し訳ないなあと思ったので、その質問には答えられなかったけれど、すぐに「通っていいよ」と言ってもらえました。けれど、どうしてだか私の隣で入国審査を受けている大谷さんはいろんな質問を受けていて、なかなか通してもらえないようでした。
 離れて見ていてはらはらしたけれど、大谷さんがこちら側にこれて、小林さんもゲートのこれてほっとしていました。大谷さんの後ろで、たかちゃんがとてもとても眠そうなのが、私たちにもわかりました。大谷さんのことがあったので、すごく心配でした。だって、大谷さんの通ったゲートのところの人はとても入国に厳しい人なんじゃないかなと思ったのです。心配したとおり、たかちゃんはなかなか通してもらえませんでした。たかちゃんは眠かったり、それからすごく早くしゃべっている英語がわからなかったということもあったそうで、質問にはほとんど答えていないように見えました。助けにいかなくちゃ・・・小林さんが飛んでいったのですが、それでもなかなか通してもらえません。しまいには、その入国審査の男の人は少し怖い顔をして、怒っているように見えました。何度も首を振っているし、どうなってしまうのだろう・・いったいどうしたんだろう・・と、そのほかの人はみんな審査を終えて、ゲートのこちら側にきていたので、集まって、心配そうにふたりと、審査の男の人とのやりとりを見ていました。小林さんのように英語ができる人が助けに行ったのにどうして通してもらえないのかな?何か問題が起きてしまったのだろうか?チケットがなくなっちゃうったとかそういうことかな・・・。ずいぶん時間がたって、小林さんが手を振って私を呼んでいるのが見えました。どういうことだろうと思ってあわてて飛んで行ったら、そのとたん、男の人はたかちゃんを通してくれました。


 「どういうことだったのですか?」と聞くと、最初はたかちゃんが眠かったり、不安げあまり答えられなかったので、女の子が一人でこんなところに来たのはどうしてなのか?大丈夫なのか?と思ったみたいだということでした。そして、小林さんが助けようと思っていったら、大人の男の人が、こんなに若い女の子をつれているのはおかしい、もしかしたら売り飛ばそうとしているんじゃないかなんて、審査官が思ったのじゃないかと小林さんが話していました。え!?売り飛ばす?小林さんのおだやかな顔から、そんなことは想像もつかないことだけれど、実際には、そんなふうに女の子を売ってしまうようなことが、世界のどこかには、いいえ、もしかしたら日本にだってあるのかもしれなくて、そんなことも、入国審査の人は、すごく心配して、ここで仕事をしておられたのだなあと思いました。小林さんは、たかちゃんと小林さんが二人でここに来たのではなくて、みんなできたんだ、ツアーなんだと説明しようと思って、私を呼んだら、やっと小林さんの言っていることが本当で、みんながグループだってわかったので通してくれたのだと思うということでした。


 こうして私たちはようやくゲートを通ることができたのでした。空港からホテルに行くときに、全員ひとつの大きなタクシーのバスに乗ってホテルまで行くと、ボストンのときのように、なかなか大きいタクシーがつかまらなかったりすると大変だから、小さいタクシー3台に分かれていこうということになりました。
「ひとつのタクシーは僕が責任者として乗って、もうひとつは大谷さんが乗って、もうひとつのところには、あいことえみと山もっちゃんとでしっかりしてね」と小林さんは言いました。ホテルの名前は”ホリディ イン ハーバービュー”だから、それだけしっかり覚えていてね」
 え?何?なんだって?なんていう名前のホテル?英語がにがてなので、一度聞いてもはっきりとわからなくて、えみちゃんに「なんてホテルだった?」と聞くと、えみちゃんは「ん?さあ、何かな?忘れちゃった・・・」と言いました。というのも、えみちゃんは入国審査ですっかり元気をなくして、「気持ち悪くなっちゃった・・・」と言っているたかちゃんのことを心配して、いろいろと話しかけて、元気づけようとしていたからです。
 ピンチです。何がピンチって、小林さんはいつも「えみは私に似ているところがあって、しっかりしているところもあるけれど、あいこは、僕がいないと何にもできない・・・山もっちゃんとおんなじでぼおっとしているからなあ」って口癖のように言ってるのです。えみちゃんが忘れたなら、もう誰もこのタクシーの人は知らないはずです。もう他の組はタクシーに乗り込んでいるし、どうなっちゃうんだろうと真剣に心配になりました。あいこさんに「どうしよう」と言おうとしたら、あいこさんが何かを口の中でつぶやいているのが聞こえました。”ホリディ イン ハーバービュー” ”ホリディ イン ハーバービュー”
 あいこさんは、きっと自分がしっかりしなくちゃ・・・ここには「おとうさん」(小林さん)もいないし、大谷さんもいないし、あとはえみちゃんと私だし、(あいこさんはえみちゃんのお母さんだから・・・お母さんというものはときどきすごい力が出るものだから・・)自分がしっかりしなくちゃってきっと思ったのです。そして、こんなふうにぶつぶつつぶやいていることを思うと、あいこさんもきっととてもどきどきしてるのです。私はやっぱり責任感が足りなくて、ボーっとしてしまっているなあと申し訳のない気持でした。そうだ・・・このあと、あいこさんがもし忘れたら、ちゃんと私が”ホリディ イン ハーバービュー”って言おうと思って、私も心の中で二度ほどつぶやいていました。
 でも、タクシーに分かれて乗ってすぐにあいこさんは”ホリディ イン ハーバービュー”って運転手さんに言って、運転手さんがOKと言ってくれたから、私はこれで心のそこからほっとして、きれいな夜景を見ていました。運転手さんの横に乗ったあいこさんはいろんなことを英語で運転手さんとお話していました。
「ここは、初めて?明日はどこを見るの?」
「いえ、明日はもうプリンスエドワード島に行くから、今日はここに泊まるだけなんです」
「え?そりゃあ、残念だなあ・・・とってもきれいな街なんだけどな」
と、英語がわからないので、想像なんですけれど、たぶんこんな感じで話していました。少しはあってると思うのです。ほんのときどきはわかる英語があるから・・・
 あいこさんはもしかしたらぼおっとしているところもあるかもしれなけれど、でもすごいよって小林さんにお話しなくちゃと思いました。でもお話しても、あいこさんのことを小林さんはすごく可愛いと思っておられるから、やっぱり「なんにもできないからなあ」って言うかもしれないなあと思ったのでした。


 外の景色は夜中だったけれど、月明かりに照らされて、とても美しく、白い花をつけた背の高い植物が一面に咲いていて、風に揺れているのが見えました。そんな景色をずいぶん走ると、そのうち大きな橋が見えてきました。それはマクドナルドブリッジというハンバーガーみたいな名前の橋で、そこを通り過ぎたところにそのホテルはありました。 
 チェックインをすませたら、大谷さんが
「明日は散歩するつもりなんだろう?何時に起きるの?」と声をかけてくれました。私は新しいこの町を何も知らないまま通り過ぎちゃうなんてもったいなすぎるから、絶対にお散歩したいと思っていたのだけど、もう真夜中だから、お散歩に行きたいけどむずかしいかなと思っていたので、すごくうれしくて、でも少し遠慮して、遅めに6時半と言いました。そうしたら大谷さんが「5時半か6時でもいいよ」と言ってくれたので、またうれしくなって、6時にと約束しました。
 お部屋に入って、窓にかかったカーテンを開けると、ホテルのあたりは、それほどたくさんの家並みがあるわけではないけれど、橋のたもとから、海へ向かう道の近くに小さい可愛い家が並んでいるのが見えました。壁が木でできていて、どの家も上品な色にペンキで塗って仕上げてあるのです。


 私の知らない初めての異国の町に明日の朝になったら会えるのだという気持ちでベッドに入るのはなんて幸せなことでしょう。ふと小林さんの言ったことを思い出しました。
「今回は手つくりの旅だから、朝ごはん、移動、どんなことも大変だけど、でもだからこそ、すごくおもしろいこともいっぱいあると思う。こんな旅はしたくてもそうできるものじゃないと思う」
 入国検査のこと、タクシーのこと、もし、ガイドさんがついておられたら、どのこともすんなりとすんでしまったことだったかもしれないけれど、でもそれじゃあやっぱり心に残ることは少なかっただろうと思うのです。たかちゃんは少し心細い思いをしたかもしれないけれど、たかちゃんにとっても、過ぎてしまえばどのこともきっと楽しいんじゃないかなと思いました。


 やがて朝がやってきました。まだ薄暗いうちにホテルを飛び出して、最初に見たかった海へ向かう道の近くの可愛い家を見に行きました。近くで見てもやっぱりとても可愛いつくりなのです。網やガラスの浮きが干してある家もあったので、ここはどうやら、漁師町のようでした。
 小さい船置き場のわきを通りかかったときに、葉っぱの上にあざやかなまっ黄色のかたつむりをみつけました。見たことのないあざやかな黄色で、そして、日本のかたつむりよりも、殻の形がこんもりと高いのです。場所が違えば、虫の種類も違っていて当たり前のことなのだけれど、なにげなくみつけた虫がおもちゃのように可愛いいのは新鮮な驚きでした。
 こんどはホテルの反対側にきました。そこには大きなショッピングセンターがありました。その中のスーパーマーケットはまだ6時半くらいなのに、もうすぐお店を開ける準備をしていました。看板を見たら、7時半にOPENと書いてあります。朝ごはんが7時からで、ホテルを出るのは9時半だから、ご飯を食べてからまたお買い物に来ようということになりました。アメリカもカナダも、平日はとても早く開くお店が多いように思います。でも日曜日は安息日ということなのでしょうか?お休みだったり、開く時間もその日ばかりはお昼過ぎだったりしてゆっくりです。
 ホテルの向かい側にあった、ガソリンスタンドの中の小さいコンビニのようなところで、同僚の宮本さんが好きと言っていたのを思い出して、大きなインスタントコーヒーのびんの大きさほどもあるピーナッツバターを買ってホテルにもどりました。
 ホテルのレストランで小林さんとあいこさんに会いました。
「昨日遅かったから、まだ眠っている人もいるよ。え?お散歩に行ってきたの?元気だね。大谷さんと山もっちゃんが一番元気だね」
 そうかもしれません。いつも元気だけど、旅になるといっそう元気になります。見たいものがいっぱいあって、知りたいこともいっぱいあって、時間がもったいなく思えて仕方がないのです。
 食事をしたあとレストランの入り口で出会った藤尾さんとよしみちゃんにも大きなスーパーが7時半に開くって書いてあったよと言って、私と大谷さんは、また外へ出ました。大きなスーパーにはもうたくさんのお客さんが来ていました。
「どうして男の人ばかりなんだろう。お買い物は男の人がするのかな?」大谷さんに言われて気がつくと、男の人がほとんどで、若い人も年配の人も来ていて、たまに女の人だと思うと、後ろには男の人がかごを持って歩いているのでした。
 大きなスーパーには本当にあふれるほどの食材が売られていました。どれもすごく大きなパッケージなので驚きます。
「あ、メイプルシロップ!!それにすごく安い!」
ひとつの列が全部シロップ類でしめられているのです。メイプルシロップはカナダの名産だから、これまでも空港でたくさん売られていました。でも手のひらにいくつも乗るくらいの小さいものが、5,6ドルだったのに、スーパーのシロップは一リットルも入っていて、1,5ドルしかしないのです。
「どうする?これたおみやげに買う?」「どうしよう・・・」
すごく安いけれど、でも1リットルはそれだけで1キロ以上はありそうです。迷って2つをかごに入れました。それから250ミリリットルというシロップはなんと10個もかごにいれました。
「あ、でもこっちのびんはくまの形がしていて、すごく可愛いから、私こっちにする」それを全部またもどして、くまのを10個入れました。かごはかなり重くなりました。お茶のコーナーに行ったら、またお茶だけですごくたくさんの種類があるのです。またいくつか入れていたら、大谷さんがあきれたように
「それ、これからずっともって歩かなくちゃいけないんだよ」と言いました。そうだよね。だって、もうかごの中はずいぶん重くて、やっと持って歩いているような状態だもの。あとは見るだけにしようっと。
そう思ったら、今度はハリーポッターのカードや100味ビーンズが売られているのです。
「きゃあ!!ハリーポッター!」私は魔女のお話が大好きだけど、このごろはとりわけハリー・ポッターに夢中です。そのころはまだ今ほどは日本でもたくさんの人に知られていなくて、大谷さんも今でこそ、本を「こんなにおもしろいって早く言ってよ」なんて言って読んでるけれど、そのときはいったい100味ビーンズがなにかもしらないころでした。
「ね、あの中に本当にはなくそ味とかげろ味ってあるのかな?怖くておもしろいね。買おうっと」
「だめ、何いってるの?はなくそ味?そんなもの買わなくていいよ。じゃあハリーポッターのカードだけにしたら・・・」
100味ビーンズはびんいりで見るからに重そうでした。あとの旅のことを考えると、そのときの大谷さんの決断は正しかったのだけど、あれから、本も第3巻まで出て、その3つの本を繰り返し読んで、映画も夢中になって見ている今の私は、(やっぱり買っとくんだったかなあ・・・100味ビーンズ)と思ったりもしています。
そのあとも、犬のおもちゃを3つ(いちじくと、大谷さんの犬さつきちゃんのと、小林さんのまろちゃんの)を買って、また「だって、みんなお留守番してるんだもの、おみやげぐらいあげなくちゃね」と言い訳をしてかごに入れたのでした。
 そしてレジのところで実はちょっとショックなことがありました。レジをしてもらっている途中で、10個も買ったくまのびんのおなかのところに、「honey」と書いてあるのが見えたのです。え?ハニー?ハニーって蜂蜜?
そうなのです。シロップが並んでいるところは確かにメイプルシロップだったのだと思うのだけど、「あ、くまのびん可愛い」と思って、その横の並びをみてしまったときには、そこにはきっとはちみつがいっぱい並んであったのです。考えたら、くまのびんですもの。くまの好きなものは蜂蜜ですよね。あーメイプルシロップだと思って10個も買ったのに、蜂蜜だったなんて・・・「もういいです」なんてレジをしてもらってる途中だからどうどうしようもできなくて、でもカナダの蜂蜜もおいしいよねきっと、と思い直したのだけど、ちょっとショックだったのでした。
 重いスーパーのふくろを結局は大谷さんに持ってもらいながら、ホテルに帰ってきました。
 ちょうどロビーにいた天明さんが「何そんなに買ってきたの?」と声をかけてくれました。シロップを見せると、「わあ、私もほしかったなあ」と天明さんが言いました。「いいですよ、また行って来るから」
それで、もう一度スーパーに行きました。行くとまたほしいものが見つかったのだけれど、さすがにもうここではこれ以上買わないと決めて、天明さんと小林さんのシロップをふたつ買って帰ってきました。でも帰ってからわかったのだけど、二度目に買いに行ったときに、どうやら、いそいでいて、たくさんの中から、また間違えて選んでしまったらしくて、シロップはシロップだったけれど、メイプルシロップではなかったそうで、私が重い思いをしてかばんを持って帰ったのは自分のせいだからしかたがないとしても、天明さんにも小林さんにも1キロのシロップで重い思いをさせてしまったのでした。
 

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