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●No.0028 人間の誇りと羞恥心
もともと人間は、食べているところや、眠っているところ、排泄するところや性行為をしているところを見られると恥ずかしいと感じて生きてきました。
それは、それらの行為が動物的な本能に根ざした行為だからであり、そのことを人間として恥じる羞恥心があったからですが、その羞恥心がなくなりつつあることが問題といえます。
自分の中に、本能的な部分や動物的な部分、人間としての未熟な部分や非人間的な部分を発見したときに、とても恥ずかしさを感ずるのは、人間には動物とは違うのだという自負と、人間としての誇りがあったからであり、その誇りを取り戻すことが大切です。
「ヒトは動物である」が、「人間は動物ではない」という、動物でありながら動物であることを否定する一見矛盾するような論理から、人間としての誇りが生まれてくるのです。
確かに生まれたときヒトは、這って歩き、食べて、寝て、排泄するだけの存在で、まさしく本能で生きる動物以外の何ものでもありません。
その動物であるヒトも、やがて立って、歩くようになり、手を使い、知能が少しずつ芽生え、道具を用い、言葉を獲得し、周囲の人間(社会)から躾けられ、教育されて、社会の一員となり、一歩一歩人間の階段を上っていきます。
そうなった時、自分は動物ではないという人間としての誇りが生まれ、その誇りが、動物としての本能的な部分を恥じさせるのです。
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