ずっと傍にいるから……


 神秘の輝きを放つ銀水晶に守られた『シルバーミレニアム』と、緑豊
かな大地に育まれた『地球国』−−−決して交わる事のない二つの国の
歴史は、ひとつの出会いによって悲劇へと化した。
 それは逃れえぬ運命だったのか。その二人の出会いは双方をつなぐ架
け橋になる可能性もあったが、うねる時代の波の前には抗う術もなく、
忍び寄る負の力の前には全くの無力だった。
 千年もの寿命を持つ月人と、遙かに短い寿命を持つ地球人。似て非な
る二つの世界は、しかし似ている部分が多いがゆえ、その差異は大きな
きしみとなり、やがて全ての歯車が合わなくなった………


「何言ってるんだよ、今更」
 セーラージュピターは、思わず声を荒げた。
「………ごめんなさい。こうなることを予想できなかったのは私のミス
だわ」
 答えたのはセーラーマーキュリー。知の戦士としてシルバーミレニア
ムの市政、外交、その他を一手に引き受けているため、彼女の判断は国
の運営という意味において重要な役割を持つ。
 地球国のクイン・ベリルを中心として不穏な動きがある事は、しばら
く前から判っていたが、そのことで彼女を責めるのは間違いだという事
くらいジュピターにも判っていた。自分達が仕えるプリンセス・セレニ
ティが地球国のプリンス、エンディミオンに会いに行くのを許したのは、
自分も同じだったのだから。
 しかし、考えてもしかたない事をうじうじと悩んでしまうのは、マー
キュリーの悪い癖だと知っていたから、ジュピターはわざと強い口調で
言ったのだ。
 だがその結果、二人の間に訪れたのは気まずい沈黙。
「外へ行こうか」
 ジュピターはそれだけ言って、くるりと背を向けた。
 ピシャリとドアが閉められた。
 マーキュリーはほんの一瞬躊躇し、そして慌てて後を追いかけた。


 オレンジの光に照らし出される人工の池。きらきら光りながら風に揺
れる湖面。シルバーキャッスルの中でも比較的ひと気の少ない庭園の中
を、二人は歩いていた。
「………久しぶりだね。並んで歩くのは」
「そうね」
 マーキュリーは短く答え、そしてまた黙り込んだ。
 ここ数週間、マーキュリーは睡眠もろくに取らない日が続いていた。
 戦いを司る戦士セーラーマーズの予言は、プリンセス・セレニティを
守護するマーキュリー達四人の戦士の中に、抜けない棘のように突き刺
さっている。
 もちろんそれはジュピターにも変わりはなく、本当はのんびりしてい
る場合じゃない事も承知だった。しかし、彼女はそれをあえて考えない
ようにして、できるだけマーキュリーの負担にならないようにと、どう
でも良さそうな事を手当たり次第に喋っていた。とにかく今はマーキュ
リーを休ませてあげるのが一番だと思ったからだ。
 歩きながら話をしているうち、暗い顔をしていたマーキュリーにも少
しずつ、元の明るい笑顔が見えるようになっていった。
 ……やがて、会話がとぎれた。
 備え付けられたベンチに座り、二人はしばらく無言で人工的池を眺め
ていた。
 みずみずしく咲き誇る花の色は色鮮やかな故に、散った後は虚しさが
残る。それは今の自分達だ、とジュピターは思った。
「………怖い」
 不意にマーキュリーが呟いた。二人でいる事の安心感からか、抑えて
いた感情が吹き出したのかもしれない。
 ジュピターは、マーキュリーの体をぐっと抱き寄せた。
 一見華奢に見えるが、マーキュリーの芯の強さは他のどの守護戦士と
比べてもひけをとらない。もちろん、彼女は決して自分から弱音を吐く
ような事はしなかった。
 裏返して言うなら、マーキュリーが自ら心情を吐露するというのは、
それだけ精神的に追いつめられているという事でもある。
 ジュピターは、全てを自分で背負い込むそんなマーキュリーに、かね
てから内心苛立たしい物を感じていた。せめて自分といる間くらいは、
何もかも忘れて頼ってほしい。と、
「大丈夫。あたしはいつもここにいる……」
 しかし、その言葉はただの気休めにしかならないことくらい、ジュピ
ターにも判っていた。不安な気持ちは同じだったのだから。
「あたしは、ずっと傍にいる………何があっても、ずっと………」
 少しでも長くその姿を見ていたい。いつまでも傍にいたい。
 気持ちを紛らわすように、ジュピターは抱きしめた手に力をこめた。


   ☆     ☆     ☆


「それじゃあ、買い出し係は亜美ちゃんとまこちゃんに決定ね」
 夏休みを利用して遊びに来た避暑地の高原。
 くじ引きの結果、片道十五分の道を往復する難を逃れたせいか、美奈
子は嬉しそうだったが、まことは別に苦にしていなかった。ここには大
好きな花や草がある。力強く空にのびる大きな木もある。それに隣には
亜美もいる。
 時々暑苦しい声を出す蝉の声も聞こえたが、湖畔を回り込むように作
られた散策路は、湖の上を撫でて通る涼風のせいか、不快感を感じる事
はなかった。
「………久しぶりね。二人だけなんて」
「最近、みんなと一緒の事、多かったからね」
 言って、まことはほんのちょっとだけ昨日までの事を思い返した。
 夏休みに入ってからというもの、毎日勉強づくめだった。といっても
別に補修授業があったわけではない。この旅行の為に連日火川神社にみ
んな集まって、宿題を片づけていただけの事だけれど。
「なんだか、不思議」
 亜美が言った。
「不思議って、何が?」
「あ、ごめんなさい。唐突だったかしら………」
 亜美は頬をうっすら赤くした。
「ただ私、前にもまこちゃんとここで一緒に歩いたような気がするのよ。
既視感(デジャ・ヴュ)かしら?」
「………え?」
 まことは小さく声をあげた。何故なら自分も同じ気分だったから。
 ふと空を見上げる。日差しはふんわりとやわらかく暖かい。遠い昔か
ら続いているような懐かしい感覚。
「………それはきっと、本当にあった事かもしれないよ。例えば、あた
し達が月の世界にいた頃とかさ−−−」
「そうかもしれないわね」
 涼やかな風が頬をなでる。さわさわと音を立てて草木が揺れた。
 つと、二人は立ち止まった。
 湖の脇にひっそりたたずむように、像があった。
 一見すると人魚姫の像と間違えられそうな感じだったが、女性の像で
あるという共通点を除けば、まるっきり別の物だった。湖面に反射した
木漏れ日が、きらりと眩しく像を照らしていた。
 その台座には湖に伝わる悲恋物語が記されている。


『昔、一組の男女が恋におちた。男の名はヘイジ。女をサキ。
 二人には身分の差があったが、互いに愛し合い、将来を誓っていた。
 ある時、ヘイジに見合い話が持ち上がった。
 ヘイジにはそんなつもりはなかったが、相手は彼を気にいってしまっ
た。
 相手の方が良い家柄。親の決めた事に逆らう事などできない時代。
 ヘイジとサキは駆け落ちを計画した。
 だが、約束の日、約束の場所に、しかしヘイジは姿を現さなかった。
 サキは待った。来る日も来る日も、ヘイジを待った。
 だが、数日後、彼女の元に悪い知らせが届いた。ヘイジは見合いの相
手との結婚を選んだのだ。心変わりがあったのか、それはサキにも判ら
ない。失意に沈んだ彼女は湖に身を投げた』


「………哀しい話ね」
 正直どこにでも転がっていそうな民話だったが、亜美は素直に思った
事を口にした。
「もし亜美ちゃんだったら、やっぱり同じようにする?」
「………それは」
 言いかけて、彼女は逡巡した。
 好き、という感情がどういう物なのか、まだよく分からなかった。も
ちろん言葉の意味は判るけれど、それはうさぎやレイ達に対する好きと
いう感情とは違う。
「わからない」
 そんな言葉が口をついて出た。
「わからない………けど、やっぱりひとりぼっちは嫌」
「亜美ちゃん」
 まことは亜美の顔をそっとのぞき込んだ。
 だけど、その表情はいつもと変わりない。
「−−−そろそろ行こうか。みんなが待ってる」
 亜美はうなずいた。二人は再び並木道を歩き出した。
 日差しが眩しい。
 木の陰からさしこむ光に、まことは思わず目を細めた。
 空を仰ぐと、降り注ぐ光線を遮るように、木の枝がみずみずしく芽吹
いていた。
 ん?
 不意にまことは背中に視線を感じた。
 立ち止まり、周囲を見回す。
「どうしたの?」
「………いや、何でもないんだ」
 多分、気のせいだ。誰もいる筈なんかない。
「あら………うさぎ」
 ふいに、亜美が言った。
「え、うさぎちゃん?」
 そう言ってから、それは違うなと思い直した。亜美は決して人を呼び
捨てにするような事はしない。
「違うわ、あれよ」
 案の定、亜美は笑って前方を指さした。
「あれ、野ウサギかしら?」
「どれ?」
 差し示された方を見て、まことは首をひねった。
 確かにウサギはいた。だけど、何か奇妙な気がした。どこがどうとは
いえないけれど、近づいてはいけないような、そんな雰囲気があったの
だ。
 ウサギはじっと二人をみた。途端、陽炎のように空気が揺れた。
 ふわりっと、何かにはじかれたように亜美が足を踏み出した。
「………え?」
 まことはぎょっとした。突然、亜美の体が宙に浮き上がったのだ。
 そして、彼女の体は滑るようにまことから遠ざかる。
「あ、亜美ちゃん」
 何が起こったかは判らない。ただ、何か異常な事が起きていることは
確かだ。
 慌てて後を追いかける−−−が、
 おかしい。
 いくら足を進めても、二人の距離は接近するどころか、逆にずんずん
と離れていく。
 パチャン
 どこかで水音がした。同時に霧が発生した。
 ドライアイスを焚いたかのように、立ちこめる白い靄は、瞬きほどの
時間の間に亜美の躰を隠し尽くした。
「亜美ちゃん!」
 何だ、何が起こってる?
 ここにレイがいれば、その理由を探し当てられたかもしれないが、そ
んな力など、まことにはない。深まる霧に、視界が白く染まる。
「亜美ちゃん!」
 ………どこだ。どこにいるっ!
 目は開いているのに、何も見えない。まるで闇の中にいるよう。
『………か………え………』
 かすかに声が聞こえた。しかし、それは亜美のものではなかった。
「誰っ!?」
 目を向けると、靄の向こうにぼんやり浮かぶ影。
「誰だっ!」
 反射的に身構えるまこと。不思議と恐怖心はなかった。
 霧の向こうの影は、次第に大きくその輪郭を整えていく。
「あ………亜美ちゃん!?」
 まことは大きく息を吐いた。
 良かった。無事だった。
 胸が、頬が、体中が熱くなっていく。
 先刻からのことは自分の錯覚で、彼女はずっとそばに居たのかもしれ
ない。
 本当はそのまま抱きついてみたかったが、変に思われそうだったので
思いとどまった。
『………あの人を………返し………て………』
 だが亜美の発した声は、彼女のものではなかった。
 よく見ると、その手の中には一本のナイフ。
『………ワタシヲ………ひとりに………し………で………』
 無機質な表情。無機質な声。
 その目は何かが抜け落ちたような色をしていた。
 ゆらりっと、何かに操られるように、その体が動きだす。
 シュッ!
 亜美はいきなり、ナイフを突きだした。
 まことは、咄嗟に体をひねって避けた。普段から鍛えてるだけあって
怪我をするような事はない。
 反射的に変身ペンに手をかけ、そして踏みとどまる。目の前にいるの
は亜美だ。戦うわけにはいかない。
「誰に乗っ取られてるかは知らないけれど………」
 そう言って、相手をにらみつける。
「今すぐ、亜美ちゃんを返せっ!」
『………亜美………?』
 亜美は言った。死んだような瞳に、まことの姿は映っていない。
『ワタシは………サキ………』
 まことは全てを理解した。湖の伝説は、現実の事だったのだ。
 愛おしい人に会いたいと思う気持ちと、ひとり取り残された悲しみ。
 湖に生きるサキの心は、ふと覗かせた亜美の心に共鳴して、彼女の中
に入り込んだのだ。
『死ねっ!』
 亜美が再びナイフを繰り出した。
 横に飛びすさりながらこれをかわすと、そのまま亜美の手をはたく。
「ぐっ!」
 くぐもった声がした。だけど、亜美はナイフを落とさなかった。中身
はどうであれ外見が亜美だったのが災いしたのか、どこかに力を出しき
れないまことがいた。
 亜美は一度まことから離れると、にやりと笑った。
 ………どうすればいい、どうすれば………
 ずい、と亜美が足を踏み出す。
 気圧されたように後ろに退くまこと。
 ごくりと、咽喉がなる。でも目は離さない。
 さらにもう一歩、亜美が足を踏み出す。
 まことの背中を伝う、冷たい汗。
「−−−!」
 亜美がナイフを振り上げた。
 心臓がどくん、と鳴った。
 一筋の閃光とともにそれが振り下ろされる。
 まことは反射的に後ろに跳んでこれを避けると、一度身を沈め、反動
で伸び上がるように手を伸ばす。
 そのまま亜美の腕を取り、そして抱きしめた。
「亜美ちゃん、目を覚ませええええええええっ!!」
 パチン!
 瞬間、まことの頭の中に閃光が走った。時間と空間がねじれた。
 遠い過去の記憶が蘇る。
 それは遠い昔の記憶、セーラージュピターとして戦った世界、シルバ
ーミレニアムで生きた証。そして、転生。
 ただ仲の良い友達という間柄から、亜美を欠けがえのない存在と意識
し始めたのはいつからだろう。
 初めて会ったゲームセンター『クラウン』
 あの時の事は今でも覚えている。
 ほんの一瞬だったけど、何故か少し懐かしいと思った。
 その時は他に興味のある事もあったから、それほど深くは考えなかっ
た、だけどあれも既視感(デジャ・ヴュ)だったのかもしれない。
 それは過去からの約束、再会を誓った絆。永遠の奇跡。
 あたしは、亜美ちゃんが好き。
 お互いに使命という繋がりもあったけれど、それだけでは言い表せな
い大きな絆。


 あたしは、ずっと傍にいるから!


 遠く誓った言葉が、頭の中でフラッシュした。
 ぱきぃぃぃぃぃん
 次の瞬間、ガラスが割れるような透き通った音とともに、全ての意識
が流転した。
「………まこちゃん………」
 聞こえたのは、紛れもなく亜美の声。
 彼女の瞳には、漆黒の光が戻っていた。
「………あ、亜美ちゃ………良かった、無事だっ………」
 がくんっ。
 まことは地面に片膝をついて、大きく肩を震わせた。
「まこちゃんっ!」
 慌てて駆け寄る亜美。
『………くっ、どこまでも邪魔をする気かっ!』
 地の底からこみ上げてくるような憎悪の声があがった。
『何故だ。何故、あの人は来ない』
 いつの間に現れたのか、ゆらゆらと揺れた空気の向こうに、ぽうっと
光が浮かぶ。
 亜美はまことを庇うように、間に割って入った。
 まだ少し意識が朦朧としているが、何が起こったかはほぼ理解してい
た。自分があの光に捕らわれたことも、敵の放つ殺意の矛先がまことに
ある事も。
 亜美の手が変身ペンに伸びた。
「マーキュリースターパワー・メイクアップ!!」
 青い水のリボンを纏って、亜美が変身する。
「シャボーーーーン。スプレーーーーーーっ!」
 今度は自分が霧を作り出す番だった。マーキュリーは腕をクロスさせ、
水の幕を作り出した。
「さ、今のうちよ、まこちゃん、立てる?」
 マーキュリーは、まことの腕を自分の肩にかけた。
「ごめん」
 短く言って、まことは体を預ける。
『許さん………許さん………許さん!!』
 びゅごおおおおっ
 大きな風が二人に襲いかかる。
「−−−くっ」
 マーキュリーは、ぐっと足を踏みしめて、まことの暴風壁となった。
『………何故みんな私の邪魔をする………』
 風は一層強く巻き起こった。
 膨れ上がる負の感情は、激しさを増して二人を蹂躙しようとする。
 と、その時、
「ムーンヒーリングぅぅぅぅ・エスカレイション」
 二人の背後から声がした。
 そこには、ムーン、マーズ、ヴィーナスの姿があった。
 ムーンの放った浄化の力は、きらきらした光の渦となって、マーキュ
リーたちの向こうに降り注ぐ。
「リフレーッシュ!」
 闇の魂の存在は、声と共に消えてゆく。
 だがまことは、それとは違う哀しい叫びを聞いた。それは言葉ではな
く、感覚に響く哀しい声。
 やがて訪れるかもしれない、失った恋人との再会を願い、そしてつい
に愛憎に変わってしまった切望。最後まで叶えられなかった想いの奥に、
彼女は一体何を見ていたのだろうか。


「………レイちゃんがね。不吉な予感がするって言ったから………」
 うさぎは、そう言って二人に笑いかけた。
「ごめん、ありがとう」
 まことはみんなに礼を言うと、今度は亜美の方を向いた。
「なんだか最後は、亜美ちゃんに助けられちゃったね」
「そんな、私なんか全然………うさぎちゃんがいなければ、どうなって
たかも判らないもの」
 亜美は少し、はにかんだように答えた。
「助けてもらったのは、むしろ私のほう。私、あの時、まこちゃんの想
いを感じたの。帰ってきてっていう、まこちゃんの想いを」
 その言葉に、まことは照れくさそうに顔を赤くして、空を仰いだ。
 いつの間にかまた太陽が姿を現していたが、その光は少し優しくなっ
たようだ。
 亜美は、まことの耳元でそっと囁いた。
「大丈夫、安心して。私はずっと傍にいるから」


                             終わり


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           あとがき


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