『Sunday Park −天使のいる場所−』



「よしっ。ちょうどいい時間かな…」
 お弁当の入ったバスケットを右手に持ち替え、腕時計に目を落としたまこと
は1人そう呟く。
 角を曲がれば待ち合わせの植物園の入り口まではすぐそこ。約束していた時
まであと15分という時間は、普段の自分にしてみれば少し早いくらいだと思
うと妙におかしさがこみあげてきた。
(なんだかデートの待ち合わせみたいだな。)
 そんなに多くはなかった男の子とのデートの時の気持ちを思いだし、なんだ
かなぁ(^^;)とまた苦笑。
 考えてみればデートの朝はいつでもドキドキしたものだったけれども、今の
気分は言葉にすれば「ドキドキ」よりも「ウキウキ」という感じ。
 だいたい植物園での待ち合わせということじたい、男の子とのデートでは1
回として無かったのだ。
 無論これまでの恋は、どちらかと言えばまことが一方的に好意を寄せたもの
であり、お互いの好みをよく分かり合うまで仲が進展したという試しは残念な
がら、ない。
 それは逆に、この場所を選んだ彼女 "水野亜美" が自分 "木野まこと" とい
う人物をよく分かってくれているという事であり、それはまことにとって何に
もまして嬉しく思えることであった。
 昨日の午後の「長く苦しい中間試験も終わった事だし、明日はぱーっと街に
繰り出しましょう」という美奈子の提案を受け入れて、今日は午後からみんな
でショッピングという予定。
 午後から、というのは朝に弱い誰かと、試験が終わった開放感からその日は
試験期間中に溜め取りしてあったビデオを、夜通し見まくるであろう誰かに配
慮しての事。
 それらを決めて別れたその夜に、まことの家に亜美からかかってきた電話。
 それは、明日は午後まで時間があるから、午前中に一緒に植物園に行かない
か? というお誘い。
『その…まこちゃんの都合がよかったらでいいんだけど…』
 相変わらず遠慮がちで控えめな物言いに、まことは1も2もなく「うん」と
答える。
『じゃあ明日、植物園の前でね』
 電話越しの亜美の声は誰にでもそうだと分かるくらい楽しげで、その声を聞
いただけでまことはウキウキと、今日の現在に至るまでずーっとウキウキして
いるのだった。

 角をまがったところで前方に植物園の入り口と、その側に立つ亜美の姿がま
ことの視界に入った。
 慌てて時計で時間を確かめる。
 待ち合わせの予定まではたしかにあと15分。が、まことはそこではたと気
がついた。亜美は学校でも始業の40分前には教室に来て、本を読んでいるよ
うな娘なのだ。
「まっずい…」
 自分が時間に遅れた訳ではないのだが、ずっと待たせていたのではないかと
いう思いに自然と急ぎ足になる。けれども亜美との距離が縮まるにつれ、まこ
との歩みは再びゆっくりしたものになっていった。
 それは、亜美から感じられる雰囲気が、いつもとは微妙に違うように思えた
から。
 植物園の入り口の壁にもたれながら、亜美はハンドバッグを小脇に本を読ん
でいる。足下に置いてあるのは、まことのものと同じような籐編みのバスケッ
ト。これといっておかしな光景ではない。
 ただ、いつもと違っているところと言えば…
(…歌?)
 フンフフンフン…まことの耳に聞こえてくるのは確かに亜美の声。なんだか
とても楽しげな表情でページをめくり、その間にも右足はトントンと軽くリズ
ムを刻んでいる。
(か……可愛い!)
 まことは思わず心の中でぐっと握り拳をつくった。
 亜美のそんな楽しげな表情は、仲間どうしでいる時ならまだしも1人で誰か
を待っているような時にはまずお目にかかれないようなもの。
 そんな滅多に見れないような場面に出会えて、まことはなんだか随分と得し
たような気分になった。
「あっ…まこちゃん」
 人の気配に気が付いて顔をあげた亜美は、相手がまことだと分かりにっこり
と微笑んだかと思うと、急に恥ずかしげに頬を染めた。
 その時になってようやくまことは、自分が声もかけずに亜美の表情を眺めて
いたことに気付いた。
「お、おはよう亜美ちゃん。待たせちゃった?」
「ううん、私もさっき来たところだから………」
「なに(^^)? あたしの顔に何かついてる?」
 気恥ずかしそうに言葉を濁し上目使いで自分を見る亜美に、まことはついつ
いからかってみたい衝動に駆られた。
「その…もしかして、ずっと見てた?」
 言うまでもなく、亜美が問うているのは先ほどまでの自分の姿。
「うん、亜美ちゃん凄く楽しそうだったから、あたし見とれちゃったよ」
 やはり亜美にしてみれば、鼻歌など歌っている姿を見られたのは恥ずかしか
ったのだろう。まことがそう言うと赤い顔をいっそう赤くしてそっぽを向く。
「ふふっ」
 その仕草がまたいじらしくて可愛いので、まことはどうにも頬がゆるむ。
「ね、何かいいことあったの?」
「え? そうね……どうしてかしら?」
 少し拗ねたような表情でまことの様子を盗み見ていた亜美は、その問いかけ
に不意に真顔になり口元に手をあてた。
 それは考え事をする時の亜美の癖。
(あちゃ(^^;) )
 まことの笑顔が一瞬固まる。
 どうやら亜美はまことの一言に、何故自分が楽しい気分だったかの分析に入
った様子。こうなってしまうと何か結論が出るまでは、こっちの世界には帰っ
てこなくなる。
「…そうね、要因は幾つか考えられるわ」
 ところが今回は意外と早くに答えがでた。
「1つ目は、今日はとっても空が青いこと。2つ目は、風が気持ちいいこと。
3つ目は気温も湿度もちょうど過ごしやすいくらいで…」
 理由の1つ1つを楽しそうに指折り数える亜美を、まことは少しあっけにと
られて見つめていた。
(なんか今日の亜美ちゃん、すごく楽しそうだな)
「…で、もうすぐまこちゃんが来るって思ってたから…かな。うん、まこちゃ
んと待ち合わせする時がね、こんな気持ちのいい日だったのが嬉しかったの」
「あ……」
 唐突にまことは1つの事に思い当たり、それと同時にとても嬉しくなった。
 まことが昨日の亜美の電話からこっちずっとウキウキしていたように、亜美
もまことと会うことを楽しみにしていてくれたのだ。
「あたしもだよ。そうだね、すごくいい日だよね」
 まことは、自分をとりまく世界が急に輝きを増したように感じられた。
「空がこぉーんなに青くってさ」
「うん!」
「緑がとーってもまぶしくて」
「ね、そうでしょ(^^) きっと天使の気持に感染するって、こういうことを言
うんだと思うわ」
「天使の気持ち?」
「あ、うん、昨日買った本にね、そういう事が書いてあったの。天使が近くに
来ているとね、あたりまえの事をあるがままに感じられるようになるんだって」
「あたりまえの事を、あるがままに…」
 まことには、亜美の言わんとしていることが分かるような気がした。
 世界が息づいている。そして自分がいて、亜美がいる。
「近くに天使がいるのかしら?」
 そう尋ねる亜美に、まことはそうかもしれないねと微笑み返した。


 日曜日の植物園は、まことが思っていた以上に多くの人でにぎわっていた。
 もともとが公園と一体になった場所という地理的条件もあるが、梅雨の前の
一番気候が穏やかな季節、そして色とりどりの花々が咲く季節でもあり、つま
るところ誰しもが外に出かけたくなる季節だからだろう。
「ね、それは何?」
「あぁ、これはね…」
 花をはじめ植物に関する知識は、さすがに亜美よりまことの方が一日の長が
あった。
 亜美は植物の生態などには詳しかったけれども、花の名前や花言葉、育て方
のコツに至っては、以前にまことに教わったこと以外はほとんど知らないと言
ってよかった。
「いつもと逆だね」
「ふふっ、そうね」
 緑を見て回りながら2人はそう言って互いに微笑を向ける。
 常ならば教えられる側はいつもまことの方。高校に入学できたのも、なんと
か赤点をとらずにこれまでこれたのも、亜美のおかげだとまことは思っている。
 もっともこの点については、相変わらず赤点常連のうさぎと美奈子に「みん
な同じように亜美に教わっている筈なのに、まことだけ成績がいい理由」につ
いて、さんざんからかわれていたりするのだが。
「でも良かった。お料理以外にも亜美ちゃんに教えられることがあって」
「あら、そんなことはないわ。私はまこちゃんにいつも多くの事を教えてもら
っているわよ。例えば…」
「そ、それはあたしだってそうだよ」
 1つ1つ実例をあげて説明しようとする亜美の言葉を、まことは照れくささ
もあって慌ててさえぎった。とはいえ勉強に限らずとも、教えられることが多
いと思うのはまことにしても同じ気持ちだった。
「そんなことよりさ、そろそろお昼にしない? 一応作ってきたんだけど」
 風にのって、どこからか昼を告げる鐘の音が聞こえてくる。
 腕時計をちらりと見たまことは、手に持っていたバスケットをちょっと掲げ
てみせた。
 街での待ち合わせは午後の、どちらかといえば夕刻に近い時間。だからきっ
とうさぎ達は自宅で済ませてくるだろうと思って用意したもの。
「そうね…」
 そう応えた亜美は、どことなくモジモジしている様子。
 どうかしたのかとまことが聞こうとした時、亜美は決心を固めたかのように
顔をあげ、同じく持っていたバスケットをまことの前に突き出した。
「わ、私も作ってきたの…お弁当」
 いきなり目の前に突き出されたバスケットにまことはちょっと驚いたけれど
も、亜美が自分と同じ事を考えていたと思うと自然と笑みがこぼれた。
「じゃあ、とりかえっこしながら食べようか(^^)」
 まことはそう応え、亜美からバスケットを受け取った。

「ここにしよう」
「うん」
 まことと亜美が持ってきたシートを広げたのは大きな木の木陰。この場所か
らは、公園の中にある噴水や花時計が一望することができる。
 さやさやと園内を吹き渡る風が、その噴水の水音と遠くで走り回っている子
供の歓声を運んでくる。あたりには同じようにお弁当を広げている親子連れや
カップルの姿があった。
「さぁどうぞ。まこちゃんの口にあえばいいんだけど」
 蓋を開けられた亜美の作ったお弁当には、大きな木から伸びた枝葉の間から
キラキラと輝く木漏れ日のトッピング。
「おいしい。上手じゃない亜美ちゃん」
「そりゃぁ、先生がいいもの(^^)」
 お弁当を食べたまことの賛辞に、亜美はにっこり笑ってそうかえす。
 亜美だけに限らず仲間内の家庭科一般の師匠はまことなのだが、亜美に勉強
を教わっているまことがうさぎや美奈子よりも成績がいいのと同様に、まこと
の教える料理においては亜美が一番のみこみが早かったりする。
「じゃ、次はあたしの番だね」
「…やっぱりまこちゃんのはおいしい(^^)」
 まことが作ってきたのは亜美の好物のサンドイッチ。
「食べながら、本を読んだりできるから…だっけ? 亜美ちゃんがサンドイッ
チを好きな理由って」
「う…ん。それもあるけど、それだけじゃないと思う」
 まことの作ったタマゴサンドを手にし、亜美はちょっと視線を落とす。
「私の母がね、よく作ってくれるの。サンドイッチ」
「お母さん?」
 問い返すまことに亜美はこくりと頷く。
「私の母ってほら、忙しい人でしょう。朝も早くて私が起きる頃にはもう出か
けているって事もしょっちゅう。でもね、忙しい時でもサンドイッチとサラダ
は必ず作っていってくれるの。だからかしら」
「そう…」
 まことは柔らかな視線を亜美に向けた。
「いっけなーい、飲み物を買ってくるのを忘れてた。あそこに自販機あるから、
ちょっと行ってくるわね。まこちゃんはお茶が良いんだっけ?」
「あ、うん…でもそれならあたしが…」
 行くよ、というよりも早く亜美は立ち上がって自動販売機の方へ駆けていっ
た。その姿をしばらく見送って、まことは噴水の方へと視線を戻す。
 白いベンチに座っているカップル。走り回る子供。自分達と同じようにシー
トを広げてお弁当を食べている親子連れ。寝転んでいるお父さん。その隣で赤
ちゃんをあやしているお母さん。
「いいなぁ…」
 悲しいというわけではなく、なんだか羨ましい気がしてそう呟く。そう思っ
たのは亜美の母親の事を聞いたからかもしれない。
 あまり用意するのに手間がかからないとはいえ、トーストなどに比べればサ
ンドイッチは手間がかかるものだ。いや、手間とかそんな事よりも、どんな形
であれ目が覚めれば自分の為の朝食が用意してあるというのは、まことにして
みれば何より羨ましいこと。
「……」
 子供達の歓声がなにかひどく遠いものに思えて、まことは視線を落とす。自
分がなんだか一人になってしまったような、そんな気すらしてくる。
 さわさわさわさわ。
 風が吹き渡り、まことの上にかかる木の葉が音をたてる。
「ん?」
 何かの気配を感じたような気がして、まことがそちらの方を見ようとした刹
那−−−−
 ふわっ。
「!」
 突然背後から抱きしめられて、まことは思わず息をのんだ。が、すぐそれが
亜美だと気づきほっとする。
「まこちゃん…」
(私がいるよ)
 言葉にこそださなかったが、亜美がそう思っていてくれるという事をまこと
には手に取るように分かった。
 亜美はと言えば、公園の人達を眺めるまことの寂しそうな後ろ姿につい衝動
的な行為に走ってしまったとはいえ、自分の大胆な行動に自分で驚いていた。
(まこちゃんびっくりしてる…そ、そうよね、いきなり女の子に抱きつかれた
りして…。やっぱり迷惑よね…私ったら…)
 亜美は今更ながらに自分の顔がほてってくるのが分かった。けれど、今まこ
とにこうしてあげられるのは自分だけなのだという思いの方が、気恥ずかしさ
を上回っていた。
(ねぇ分かってまこちゃん。まこちゃんは1人じゃない…)
「…そうだね」
 そんな言葉とともに、まことの指が亜美の手に触れられる。亜美にはそれで十分だった。
「……」
 抱きついた体の緊張をとき、亜美がゆっくりまことの肩に頭をあずける。
 亜美の確かな重みを感じながら、まことは胸を満たす幸福感に身をまかせていた。



「ねぇ、まこちゃん」
「ん?」
 お弁当を片づけて、缶のお茶を飲みながら空を行く雲を眺めていたまことは、
不意に何か思いだしたような亜美の声にそちらを振り向く。
「朝のこと、覚えてる?」
「朝のこと…あぁ、天使の話?」
 こくりと頷いた亜美は、ハンドバッグの中から濃い水色の本を取り出した。
「実はまこちゃんに渡そうと思ってたものがあるの…」
「それって亜美ちゃんが今朝読んでた本だね。『天使のみつけかた』?」
「昨日本屋さんでみつけたの。とても良いお話よ。それに…」
「これって…」
 "いちばん大切な人にあげてください"
 亜美から本を受け取ったまことは、帯に書かれている言葉と亜美の顔を交互
に見比べた。
「貰ってくれるかしら?」
「勿論だよ…ありがとう」
 自分は1人じゃない。
 まことはあらためて嬉しさがこみ上げてくるのを感じた。
「まこちゃんは、天使っていると思う?」
「亜美ちゃんはどう思うんだい?」
 亜美にそう問い返しながら、まことはパラパラと本のページをめくった。そ
の本によれば、世の中にはいろいろな天使がいるらしい。
「私はいると思うわ」
「…そうだね、あたしもいるような気がするな」
 亜美が抱きついてくる直前に感じた気配、もしかするとあれが天使だったの
かもしれないとまことは思う。
「だって現に、あたしにこの本をもってきてくれたもの」
 まことの言葉に亜美の頬が赤く染まる。
「そ、そうね。それはきっと昨日本屋さんで、私にその本を買いなさいって言
った天使がいたのよ。うん」
「そう(^^) それじゃ、あたしたちって天使に公認されてるのかな?」
「え!? そ、そ、そ、そうなのかしら?」
 亜美の手が、何か考えるように口元にあてられる。
(あ、まずっ)
「あ、亜美ちゃん。そろそろ行かないとみんなとの待ち合わせの時間に間にあ
わなくなっちゃうよ」
 こんなことを亜美が考えだすととことん長くなるような気がして、まことは
慌てて話題をそらす。
「え? あ、本当もうこんな時間」
 亜美が公園の花時計を見て立ち上がる。まことは手早くシートを畳むと自分
のバスケットに押し込んだ。
「行きましょう、まこちゃん」
 顔をあげると亜美が手を差し出していた。
「うん」
 まことは亜美の手を取る。
 自分をとりまく世界が、再びキラキラと輝きを増したように感じられた。

                               Fin.


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