まこ亜美HP『もくもく亭』33335踏んじゃった記念
&森山悠生さん『まこ亜美フィギュア』発売記念 進呈ストーリー



美少女戦士セーラームーン後日話
稼げ!セーラーレーサーズ?!


act.3 Touch yourself

 夏の日差しが突き刺すように痛い。ピピッっと腕時計のタイマーが所定の時
間になったことを伝えた。
「ふぁあ。ひとやすみぃ…。どうせなら、これをパスしてくれりゃいいのに」
 エメラルドグリーンに白いラインがあしらわれたトレーニングウェア姿のま
ことは、ランニングを切り上げ木陰のベンチにドサッと座り込んだ。左手首の
捻挫のために、はるかが作ったトレーニングのいくつかが中断された。だが、
持久力アップを図る日中のランニングには大きな支障がないので、そのまま続
けられていた。
 まことは近くの都立公園をランニング・コースにしていた。ここは都心にし
ては大きな公園で、アップダウンもあり走るには格好な場所だった。しかも木
々の緑も豊かなので、まことのお気に入り場所でもある。
 そして、その広い敷地内には都立図書館もあった。まことは、その白い建物
を見上げて、ひとりの少女の顔を思い浮かべた。
「どうしてるかなぁ、亜美ちゃん…」
 あれから、4日間が経った。病院で別れてから、会っていなかった。何度か
電話をしようと受話器を持ったのだが、なんと話を切り出して良いのか分から
なくて、結局掛けられなかった。
 一方、亜美は夏期講習の集中授業があるということで、この数日いつもの時
間のパーラー・クラウンにも現れなかった。
「ドジだなぁ、あたしって…。亜美ちゃんに無理ばっかさせてさ」
 亜美に謝らなければいけない。そう思うのだが、そう思うことがまことの行
動を重くする。あたしらしくないな、と思いながらそのためらいを踏ん切るこ
とがなかなか出来なかった。ふと、左手の白いサポーターに目がいく。

「こんにちは、まこおねぃちゃん」
 下を向いていたまことに、かわいらしい声が掛けられた。
「あれ、ほたるちゃん。ひとりでお散歩かい?」
「ううん。これからね。みちるママをお迎えに行くの。それでね、新しいブラ
ウスを買ってもらうのよ。おねえちゃんも、一緒に行かない?」
「そうだね。ランニングも終わったし、みちるさんのとこまでつき合おうかな」
 みちるはここからそう遠くない所にあるスタジオでよくバイオリンの練習を
しているという。小さな女の子をひとりで行かすのも、気になるところだ。そ
う、まことは思った。いや、本当は今部屋へ戻っても、また亜美への気まずさ
を考えてしまう。そのことから逃げたかったのだった。

「こんにちは、おじさん!」
 そこは下町的な十番商店街とは違い、小洒落た店が建ち並ぶ街だった。その
商店街の奥まった円柱風のビル、1階には『もくもく亭』というレストランが
あった。その店の脇の階段を上がった2階にスタジオはある。ほたるはまこと
の手を引き、かって知ったる様子で管理人にあいさつする。そして紺色のワン
ピースにあしらわれたレースの裾を翻してカウンターの前を抜けていった。

「ここなの。うーんっ!」
 ほたるは、丸く厚いガラスの入ったドアを開こうとした。彼女は身体全体で
引っ張っていたが、遮音性を高めたドアは重く、わずかに動いただけだった。
まことも手伝って大きなノブに手を掛け、引く。ズポッと空気が引き込まれる
ような音と共にドアが開いた。
 その途端だった。激しい音楽がまことの耳と身体を襲った。
 八畳ほどの広さのスタジオでは、みちるがただひとりバイオリンを弾いてい
た。アンプも何もないそのただ1丁のバイオリンが、とてつもなく大きく豊か
な音で旋律を奏でている。2人が入ってきても、みちるは見向きもせずに弾き
続けていた。
「…」
 その強さと美しさに、まことは圧倒されていた。クラシックであろうとは思
うものの、何という曲かは、まことにはまったく分からなかった。時に速く、
時にゆっくりと、1つしかないはずのバイオリンがいくつも在るかのように様
々な表情で歌っていた。

「…ヨハン・セバスチャン・バッハ、作品番号1006。ソロ・バイオリンのため
のパルティータ3番ホ長調からプレリュード…。ダメね、まったく…」
 最後の一音を弾き終えると、2人の方を見ずにみちるは静かに言った。
「は、はい…。いえ、ダメなんて! すごいです。あたし音楽のこととかよく
分からないですけど、なんか…。そう、感動しちゃいました」
 確かに、涙が出そうだったし、身体も痺れているような感覚にまことは掴ま
れていた。その感動を当たり前な言葉にしか出来ない自分が情けなかった。
「ありがとう。でも、まだまだなのよね。バイオリンに負けてるのよ。ほたる、
ちょっと一休みさせてね。まことも椅子を出して座りなさいな」
 みちるは、スタジオにぽつんと置かれたパイプ椅子に腰を掛けて、魔法瓶か
ら水を注いでのどを潤した。
「バイオリンに負けてるって? だって、あんなに大きな音も出てたし、きれ
いだったし…」
「まこと。このバイオリンのブランド名がわかって?」
 みちるは手に抱えていたバイオリンを、まことに預けた。
「え? いえ…、うーん。あ、ストラデザウルスとか!?」
 もちろん、亜美ならともかく、まことにバイオリンの知識など皆無である。
偶然、先日見たTVのお宝鑑定番組に登場した高価なバイオリンの名を思い出
しただけだ。しかも、間違ってる…。
「残念、ストラディバディじゃあないわ。それはね、グァルネリよ」
「ガルネリですか…」。もちろん、そう言われてもどういうものかは全く分か
らない。
「ストラディバディもグァルネリも、230年以上も前のイタリアはクレモナと
いう街にいた職人の名前なの。今でもその2人の作ったものを超えるバイオリ
ンは現れていないわ」
「そんなすごいものなんですか…」
「バイオリニストもある程度レベルが上がるとね、壁に当たるものなのよ。あ
るバイオリニストはね、国際コンクールでいつも2位ばかりで悩んでいたのよ。
それが、使っているバイオリンを代えただけで、大絶賛を受けて優勝したのよ。
そのバイオリンがストラディバディ」
「へぇ…」
「ある程度弾けるようになったバイオリニストなら、ストラディバディかグァ
ルネリを使えばもう1段も2段もレベルの高い音が出せるようになる。そんな
魔法のバイオリンなのよ。だから、世界中のバイオリニストとって憧れの的な
のよ。
 中でもストラディバディが70歳を過ぎて作ったバイオリンは、高音域から低
音域まで音量が豊かで素晴らしいものなのよ。皆が欲しがるのは無理もないの。
『弘法、筆を選ばず』なんて大間違い。バイオリニストは必死でバイオリンを
選ぶわ。でもね…」
 みちるは座り直して、改めてまことの方を見た。
「完璧すぎるのよ。多少のミスはストラディバディが補ってくれる。ある意味
で奏者に忠実でない。私にはそれが許せないのよ」
「なんで…」
「私は弾いている時に、バイオリンと対話、いえ格闘するの。そして、バイオ
リンの持つ力を引き出してあげる。その時、バイオリンも私の持てるすべてを
要求してくるわ。この格闘をした上で、バイオリンに勝ちたい。そうすれば、
聴衆にもその感動が伝わると思うの。私にとってコンクールは技能競争ではな
く、曲の意思を私が読みとり、バイオリンの持つ言葉によって伝えるという作
業なの。
 バイオリン職人、グァルネリウス・デル・ジェスことジュゼッペ・バルトロ
メオ・グァルネリウス2世は、波乱の職人でね。ロクに仕事もしないで事件沙
汰まで起こすような人だったのよ。そして、40代という若さで夭逝したわ。だ
から、一途な職人であり90歳まで生きたアントニオ・ストラディバディオスの
バイオリンのような円熟味のある音、許容性はない。でも、その音の若々しさ、
激しさ、再現性は高いの。だからこそ、私はこのグァルネリを弾きこなしたい、
これで挑戦したいの。もちろん、基本的に低音の歯切れの良さが、私が主に弾
く曲に向いている、というのもあるのだけれどね」
「そうなんですか…」と、まことは答え、手に持ったバイオリンを見た。

「ところで、まこと?」
「は、はぃ」。突然の問いかけに思わずうわずった。
「あなた、この前カートで走っていたとき、窮屈ではなかったの?」
「え…。なんでそんなこと…」
 これまた突然の話題だった。だが、それは確かに、まことがその時に感じて
いたことだった。
「そう、リズムがおかしかったのよ。私にはカートのことは分からないわ。で
もね、以前はるかと話していたとき、音楽との共通点もあると思ったわ。それ
がリズムね。他のバイオリニストと組んで協奏曲を弾くときや、オーケストラ
と合わせるとき。ソロのバイオリニストは、いかに自分のリズムに相手を巻き
込むかが勝負なのよ。そうでないと、調和のとれた人を魅了する音楽は奏でら
れない。そのためには、緻密な調整も必要だし、時にはけんか腰の自己主張を
してお互いを自分の流れに引き込むのよ。それが出来ないと、音楽にはなって
いても聴衆の心に音を響かせることはできない。はるかと話していてね、カー
トとドライバーの関係と似ているなって、思ったのよ」
「でも…。あたし初心者だし。自分でリズムを作るなんて…」
「初心者でもベテランでも走ることは変わりなくってよ。ソロ・バイオリニス
トは、ステージに上がったら最後、誰も助けてはくれない。カートも同じでは
なくって? コースに出たら誰にも頼れない。そして、はるかも、あなたも、
そして亜美もそれぞれ別な人でしょ。あなたにワールド・シェイキングが放て
て? 亜美がシュープリーム・サンダーを使えて? あなたにはあなただけの
リズム、鼓動があるはずじゃなくって? それを殺すことは優しさではないわ、
罪よ」
「あたし自身のリズム…、鼓動…」


 みちるは、左手の腕時計に目をやった。
「あら、長々とつまらないお話をしちゃったわね。ほたるが待ちくたびれてる
わ。この後、ほたるとお買い物をして、お茶をしようと思っているのよ。どう、
まこともつき合あわないこと?」
「いえ。ごめんなさい、みちるさん。こんな格好だし、ちょっと思い出したこ
とがあるんで。…失礼します!」
 そう言うとまことは、走るようにスタジオを後にした。

「まあ、せっかちな子ね。ふふ。さて、ほたる。お待たせ。行きましょうか?」
「みちるママ?」
「大丈夫よ。まことお姉ちゃんは分かってくれたみたいだから。ほたるには、
ご褒美をあげなくちゃね。新しいブラウス、どこのが良いかしら」
「あのね、みちるママ?」
 ほたるは心配げに、みちるの顔を覗き込むように尋ねた。
「どうしたの? おなかでも痛いの?」
「あのね。ごほうびね。明治屋の2階にあった、おっっきいパディントン・ベ
ァじゃ、…だめ?」


 まことは、スタジオを出ると公衆電話に飛び込み、亜美の電話番号を叩いた。
残念ながら、20数回コールを鳴らしても出る気配はなかった。チームの無線機
を使えば、連絡は取れるはずだったが、さすがに緊急事態でもない今は使いに
くい。もどかしい気持ちを抱きながら、まことは取りあえず家路についた。



 その頃、亜美はというと。前日までは集中夏期講習でターミナル駅前にある
予備校で勉強漬けの日々だった。と言うより、勉強にのめり込んでいないと、
ついつい考えてしまうのだった。それから逃げるための勉強だった。
『私。まこちゃんの役に立っているのかしら…。邪魔になっているだけじゃ…』
 この日の講習は昼過ぎには終わった。自習室に篭もろうかと思ったが、さす
がに外の風が恋しくなって、外に出た。
 だが、待っていたのは残念ながらワンピースの裾を翻すさわやかな風ではな
く、きつい日差しだった。目を細めて白いつば広帽を被ると、亜美はバス停に
向かう。歩いているだけで、じっとりと汗ばんで不快な気持ちになる。そんな
とき、目の前にバスが滑り込んできた。バスの側面は、排気ガスのせいかひど
く煤で汚れたいた。
『そういえば、まこちゃんのカート。掃除してなかったな…』
 はるかに叱咤されて、慌ただしく帰り支度をしたためだった。なにか妙にや
り残した気がして落ち着かない。ふと気が付くと、目の前からバスは走り去っ
ていた。
 そして亜美はきびすを返すと、駅へと向かった。

 湾岸線の終着である新東京湾岸駅からさらにバスで15分。亜美はカート・サ
ーキットのゲート前に立っていた。いつもははるかやみちるに車で連れて来て
もらっていただけに、ずいぶん遠くに来た感じがした。そこから、さらに3分
ほど歩くと、カートを預けているショップのショールームが見えた。

「いらっしゃい。あれ、亜美さん…でしたよね。今日は練習の予定だっけ?」
 若い店員が、入ってきた亜美に声を掛けた。
「あ、いえ、違います。ちょっとカートが気になって見に来ただけ…なんです
けど…」
「そうなの。あ、カートは奥のガレージにあるから自由にしていいけど…。洋
服汚れちゃいそうだなぁ。こっちへ持ってこようか?」
「あ! いえっ、大丈夫ですから」
 ほとんど思い付きだけで来た亜美だった。だから、自分が真っ白いワンピー
スであることをすっかり失念していた。多少下心もあったのか、熱心に話しか
ける店員に断りを入れると、亜美は店の奥へと足を進めた。

 ガレージでは、親父"オヤジ"さんと呼ばれている店長ひとりが、作業台の上
にあるカートを整備していた。
「こんにちは…」
「ああ…」
 若いわりに"オヤジ"と呼ばれる店長なだけに、店員とは違い職人気質で無愛
想だった。亜美はまことが使っているカートの置かれた作業台の前まで行った。
本当はワックス掛けをしたいところだったが、さすがにこの格好では、少々た
めらわれた。
「エプロンなら、後ろの棚に在るぞ…」
「あ、はい!」
 後ろを見ると、少々くたびれた作業用のエプロンがあった。これもそれなり
に汚いが、無いよりはマシだし、ここまで来て何もしないで帰るのもシャクだ
と思い、亜美はそれを身につけてカートを磨きだした。

「それをいじってるのはあんたかい?」
「あ、はい! …変なところ在りましたか?」
 また、店長は唐突に話しかけてきた。文句を言われると思い、亜美の声は控
えめになる。
「なかなか、いい仕事してるよ」
「あ、はい! ありがとうございます」
 はるかとの一件からてっきり文句が付くものだと思っていた亜美は、意表を
突かれた。
「あんた、数学は得意かい?」
「えっ? は、はい…、いや得意というか、好きですけど…」
 元々無口な感じの店長とはあまり話したことがなかった。それにしてもこう
話が飛ぶと、亜美はどう受け答えをするか迷ってしまう。とりあえずは、素直
に答えた。
「そんな感じだな、この整備の仕方。カートに限らず機械はな、いじるヤツの
性格が反映されるんだよ。そのカートは非常にまじめできっちりしてる」
「はぁ…」。誉められてるんだか、皮肉られているんだか、亜美は理解に苦し
む。
「はるかにどやされたんだって?」
「は、はい…」。やはり文句が付くのかと、亜美はしょげる。
「アイツも偉くなったもんだな、はは。面白い話をしてやろうか。…2年前、
はるかが第3新東京サーキットでシリーズ・チャンピオンを決めるレースに出
たときだ…」
 亜美の返事も待たずに、店長は勝手に話し出した。
「ライバルが出したタイムに、どうしてもあとコンマ2秒届かないんだ。練習
時間も無くなり、予選となった。そこで、あいつ、はるかが言ったんだよ。フ
ロントにバラスト(オモリ)を500g積めってさ」
「500gもですか」
 グラム単位でセッティングをするカートで、しかもすでに煮詰まっているセ
ッティングにおいて、突然そんな重量を使うのは、確かに無謀なことだった。
「そうそう、コイツだ。よっと…」
 店長は傍らのパーツボックスから、鈍い光を放つ金属片をぐっと握り、取り
出した。
「もっとフロントに加重が欲しいってな。もちろん、オレは反対したさ。自分
のセッティングには自信があったし、時間がない中でアイツが無理をして事故
ったら元も子もないしな。でも、アイツは強行に言い張ったんだ」
「それで?」
「そう、走るのはドライバーだ。だから、オレはアイツの言う通りにしたんだ
よ。そしたら、予選であのコースレコードを叩き出しやがったんだ。参っちゃ
うよ。それで、決勝も勝って。…チャンピオンさ」
「凄い…」。亜美は改めて、はるかに感心していた。
「すごかぁ、ないさ」
「えっ?!」。きょとんとする亜美。
 店長の右腕がゆっくりと下がり、手にした金属片をアンダースローの要領で
亜美に向かって放り投げた。
「!」
 目の前に一掴みもある金属の固まりが飛んでくる。500gといったらかなりな
ものだ。避けようとも考えたが、背後にあるまことのカートに当たっても困る。
亜美は、意を決っして手を出して受け止めた。
「!?」
 金属片は、ペシッと軽い音を立てて亜美の手の平に着地した。ずっしりとし
た反動を覚悟していたが、それはまったく意に反したものだった。亜美はじっ
と金属片を見つめた。
「これって? アルミ合金じゃ…」
「ははっ! そうさ。鉛だと思ったろう。重さはどのくらいだと思う?」
「3、いや200gくらいかしら…」
「そうだ。200gだよ」
「じゃあ…。まさか!」
「そう。ご想像通りだ。はるかは、今でも500gのウエイトだと思てるだろうさ。
これが高性能センサーの実力さ。でもな、間違ってもらっちゃ困る。はるかが
間違っていたわけではない。確かにフロントに加重は必要だった。問題はそれ
を追求している時間がなかった。ドライバー自身も追いつめられていた。だか
ら、心理面も含めたチューニングをしたってわけだ」
「心のチューニング…」
「ああ。メカニックなんて無力なもんさ。カートがコースに出てしまえば、あ
とはドライバーに託すだけ。何にも出来やしない。だからこそ、コースに出る
まではドライバーのために出来る限るのことをしてやらにゃイカン。かと言っ
て、自分の技術に溺れてもダメだ。どんな緻密な技術でも、それをドライバー
が操作できなければ意味はないんだ。それはタイムを出すためでもなく、勝つ
ためのものでもない。ドライバーのために使うものなんだ」
「…」
 亜美にはいつもコンプレックスがあった。敵と戦うとき。攻撃力の弱いマー
キュリーは後方支援、参謀役に回ることが多い。そして、時にジュピターやマ
ーズに助けられてしまうこともあった。もちろん、みんなはその役割分担を十
分承知しているし、亜美も分かっているつもりだった。でも…。
 だから、亜美は自分の出来ることを見つけると、ついそれにのめり込んでし
まいがちだった。
『タイムを出すことばかり考えていたのね、私。乗る人のこと、まこちゃんの
事考えてなかったんだ…』

「店長さん。お願いがあります」
 亜美は鞄の中から1冊のノートを取りだした。カートに触らない日も持ち歩
いてたノート。これまでカートを整備したときの記録とデータだった。
 そして、亜美の頭の中では、1人の少女の走る姿が、克明に再現されていた。



act.4 Just be conscious

『ねぇ、みつかった?』
「ううん…」
『そう…』

 通信機の向こうから、落胆したまことの声が聞こえた。
 まことは、あれから何度か亜美の部屋に電話を入れたのだが、まったく繋が
らなかった。亜美が居留守を使うとも思えない。もう時間は夜9時を回ってい
た。
 今、彼女の母親は学会でアメリカに長期主張中。予備校も覗いてみたが居な
かった。彼女の行方は、ようとしてしれなかった。
 心配になったまことは、うさぎたちの所にいないかと確認したのだがやはり
居ない。そこで、彼女たちも一緒になって心当たりを探すことにしたのだった。

「まったく。通信機を忘れるなんて、亜美ちゃん、ちょっとどうかしてるんじ
ゃない!?」
「まこちゃんがケガして、はるかさんに怒られて落ち込んでたからさ、しょう
がないよ、レイちゃん…」
 予備校をのぞきに行った帰り道、心配から憤慨するレイをうさぎがなだめて
いた。

「ねえ、ひょっとしたら、まこちゃんちに行ってるとかないかな?」
「そうね。待ち合わせの公園行くのに、どうせ近くを通るから寄ってみましょ
うか?」
 うさぎの提案に、2人は足を早めた。

「あっ!」
 まことの部屋の前に、人影を見つけた2人は走って近づいた。

「亜美ちゃん!」
 が、残念ながらそれは亜美ではなかった。

「あみ…、じゃなかった。す、すいません!人違いです」
「あの…。木野さんのお友達の方ですか?」
「あ、はい。そうですが、なにか…」
 その人影は、まことの隣の部屋に住む母子だった。
「今日は、木野さん、お出かけなんでしょうか?」
「いえ、いまちょっと出かけてますけど、この後、私たち彼女と会いますよ」
「そうですか。じゃこれ、田舎のおみやげなんですが、木野さんに渡してくだ
さい。大変お世話になりました、おかげで大変助かりましたって、お伝えくだ
さい」
「は、はい」
「本当は私がちゃんとお渡ししなくては行けないんですけど、これからまたす
ぐ勤めに出なくてはならなくて、必ずお金返しますからって。じゃ、急ぎます
んで…」
「あ、あの…。行っちゃった…」
「レイちゃん。お金返しますって…、それってひょっとしたら…」
「うん。うさぎもそう思った?」

 ふたりは、小さくうなずくと、待ち合わせの公園に走った。


 公園には既にまことと美奈子が来ていた。4人はブランコの前でひとかたま
りになる。それぞれ顔を見合わせたことで、お互い成果のないことが分かった。

「あのね。まこちゃん…」

 うさぎが話を切り出そうとした、その時だった。
「あ〜っ! 亜美ちゃん、みっけ!」
 美奈子が声を挙げて、公園の入り口近く指さした。
 その声にびくりと人影が振り向く。それを合図に4人は駆け出した。
「あら、みんな…。どうしたのいったい?」
「どうしたのじゃないわよっ! ちゃんと通信機ぐらい持って歩きなさい。そ
れにそんなに服汚して、いったい何があったのよっ!」
 一気にまくし立てるレイに亜美どころかみんなが気圧された。
「ま、まあ、無事だったことだし、ね、レイちゃん。でも、どうしたんだい?
 こんなに遅くまで?」

 まことの取りなしに、レイは気を落ち着け、亜美は事態を察した。
「ご、ごめんなさい。通信機は…。あれ? あ、今日お洋服着替えたときに忘
れたみたい。実は…」

 今日の突然の行動を、亜美はみんなに説明した。
「そっか。ごめんな、亜美ちゃん、あたしのせいで。なのにこんなにあわてち
ゃって。はは…」
「ううん。みんなに連絡しなかった私もうっかりしてたわ。本当にごめんなさ
い」
 苦笑いして頭を掻くまことと笑いの戻った仲間たちに、亜美はそう言って頭
を下げた。
「ま。これにて一件落着ってとこじゃない。あれ? うさぎちゃん、それなに?」
 美奈子がめざとくうさぎの手にあった包み紙を見つけた。
「あ、そうだ! まこちゃん。これお隣のおばさんがおみやげだって。それと
ありがとう、お金必ず返しますから、って」
「えっ! あ、あ、そう。はは、どもありがと」
 イタズラを見つかった子供のように、まことは思わず動転した。
「まこちゃん。そのお金って。無理にとは言わないけど、よかったら話してよ。
別に黙ってたことをどうこういう気はないけど、もし私たちが何か手伝えるん
だったら…」
「あ、ああ」
 レイが問うと、まことはうつむき加減になる。亜美が心配そうに彼女の脇に
回った。そして、うさぎがまことの手を取った。
「そだよ、まこちゃん。あたしたち仲間じゃない。もちろん、プライベートな
ことは秘密もあるだろうけど、苦しいときは言ってね」

「うさぎちゃん…、みんな。うん。実は…」
 まことは、事のあらましを説明した。

「そうか、そういうことだったんだ。まこちゃんがお金をなくすなんて、変だ
と思ったんだよね」
「あれ、レイちゃぁん。一番突っ込んでたのレイちゃんじゃなかったけ、ふふ」
「やだなぁ。美奈子ちゃん、人聞きの悪い…、あはは」
「「あ、ははは」」
 女の子5人の明るい笑い声が、夜の公園に響く。ああ、近所迷惑だ。




「いよいよだね」
「うん」

 予選開始30分前。まことと亜美は、はるかが借りてきてワンボックス・カー
の中で準備を始めていた。
「あっと、亜美ちゃん、背中のファスナー開けてもらえるかなぁ?」
「ええ、ちょっと待って…」
 ワンボックスといっても狭い車内だ。こういうところで着替え慣れないまこ
とが、亜美に助けを求める。
 まことの淡い緑のワンピースの背中にあるファスナーを、亜美は開いていく。
 夏場ゆえか、ワンピースのすぐ下から、白い肌が現れる。あらかじめ家から
着てきたスポーツ・ブラの白も眩しく、亜美は一瞬ぞくりとしてしまう。
 その時、クルマのドアを叩く者がいた。その音に亜美は、ハッと我に返る。
「誰?」
「亜美ちゃぁん、まこちゃぁん!あたし、うさぎ! 開けていい?」
「あ、ちょっと待ってね」
 2人は大急ぎで着替えて、外で待っていたうさぎ、レイ、美奈子を迎え入れ
た。

 まことははるかから借りたレーシングウェアを身につけていた。革製のツナ
ギである。要所に赤のラインが配されている。背中には今回のために亜美が縫
いつけた"MAKOTO"の文字がグリーンである。右肩には、はるかのトレードマー
クであった天王星をあしらった縦にリングの入った惑星が付けられていたのだ
が、亜美が気を利かせてリングの部分を外したので、なんとなく木星に見えな
いこともない。
 一方、亜美はシンプルな綿の作業用つなぎである。ただ淡いブルーのピン・
ストライプが縦に入っているところが、ちょっとおしゃれではある。


「まこちゃん、亜美ちゃん、これウチのお札。気休めだけど、クルマに張って
おいてね」
 レイが手渡したお札は火川神社の護符だった。大きく『交通安全・大願成就』
と書かれている。
「レイちゃんは昨日一晩中、ご祈祷したんだよ。きっと役に立つよっ」
「うさぎ! 余計なことは言わないでよろしい!」
「ありがとう、レイちゃん。亜美ちゃん、カートに張っておいてよ」
「ええ」
 まことはレイからお札を受け取り、亜美に手渡した。
「それと…。これ。あたしと美奈子ちゃんで作ったの。でも下手くそでごめん
ね。あんまりかっこよくないから…」
 それは、ツナギに付けるワッペンだった。真ん中にジュピターとマーキュリ
ーのマークをあしらい、その下には"Sailer Racers"とそれぞれまことと亜美
の名前の縫い取りがあった。まあ、その文字が少々踊っているのは愛嬌という
ものだろう。
「ありがとう、うさぎちゃん」
 亜美は両面テープでまことと自分のつなぎの胸にワッペンを張り付けた。

 そんな作業の合間に話題は、それぞれが挑戦したコンテストの結末のことと
なった。
「そう言えば、美奈子ちゃん。脚線美コンテスト2次審査ダメだったんだって?
 美奈子ちゃんならって思ってたんだけど…」
「もうぅ、だって聞いてよねっ。1次審査は楽々通って2次審査に行ったら、
あのコンテストって脚線美は脚線美でも"ミス練馬大根"のクィーンなのよっ!
 あたし以外はみぃ〜んっな、りっぱな太さの足ばっかりでさっ…」
「で、どうだったのよ…」
「だから…、だから…。落ちたわよ。ん〜もう!恥を忍んで2次審査受けたの
にぃ! で、そう言うレイちゃんはどうなのよっ? ラーメン5杯大食いコン
テストは?」
「うっ。やっぱ私は…。2杯と3口でリタイアで…。うさぎは惜しかったんだ
けどねぇ。最後にあれがなきゃぁ…」
「うぅ〜っ…。ごめんなさ〜いぃ…」
 うさぎがどういうドジを踏んだかは、お食事中の人もいるかもしれないので、
省略させてもらう。


「さあ、もう時間だわ」
 亜美の言葉に、まことが腰を浮かす。その時、うさぎがまことの右手を取っ
た。
「まこちゃん、レースを走れるのはまこちゃんだけだけど、あたしもみんなも
一緒に走ってるつもりだからねっ。そう思って応援するからね。結果はいいか
らがんばってねっ」
「うん…」
 まことはうさぎの目を見返してうなずく。すると握りあった2人の手に、レ
イが右手を重ねる。そして、美奈子が。最後に亜美も手を置き、5人の手が一
つに集まった。
「セーラー・チームっ! ファイツッ!!」
 美奈子が、エールの音頭を取った。
「「「「「オッ〜ッ!」」」」」


*続く

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