まこ亜美HP『もくもく亭』33335踏んじゃった記念
&森山悠生さん『まこ亜美フィギュア』発売記念 進呈ストーリー



美少女戦士セーラームーン後日話
稼げ!セーラーレーサーズ?!


act.5 RUN ALL THE WAY!

 ピットに行くとカートの前には、はるかたち3人が揃っていた。
 はるかは白いTシャツにベージュのコットンパンツ、緩やかな綿の紺ジャケ
ットを羽織っている。みちるは、淡いブルーのワンピース。胸元には大粒のス
ターサファイアがアクセントとなっている。手には白い日傘が握られていた。
 いつものようにユニセックスとフェミニンという感の2人の間にちょこんと
立っているほたるはと言うと。今日はいつもと違う出で立ちだった。ブカっと
したカーペンターのジーンズにTシャツ。胸当てに土星のアップリケが張られ
たジーンズの裾はいくつか折られて、そこから赤いスニーカーが覗く。頭の上
には黄色に赤いつばのついた野球帽が載っていた。


「準備はいいみたいだな」
「「はいっ」」
 はるかが切り出すと、まことと亜美の3人で予選に向けての打ち合わせが始
まった。残された面々は、自分たちの仕事である応援のためにスタンドの方へ
と足を向けた。



「思ったより参加者が多い。こうなると予選で下位に甘んじるとお終いだ。最
初っから気合い入れて行けよ」
「は、はいっ」
 ピットには所狭しとカートとドライバー達がひしめいていた。辺りには、カ
ートの2サイクル・エンジンが吐き出すオイル混じりの排気ガスがたなびき、
慣れたものには甘き香りに、そうでないものには車酔いを連想される異質の空
間となっていた。

 時計の長針が真上を指すと同時に、ファ〜ンとホーンが鳴り響き、ピット出
口脇の信号が赤から青へと変わった。
「よし、行け!」
 はるかと亜美に押されてまことの乗ったカートが走り出していく。はるかと
しては出来る限り早く出させたかったが、回りのライバルたちも考えることは
同じなようで、アッという間にコース上は多くのカートで埋まっていく。
「ちぇっ。マズったな…」
 はるかの不安は的中した。こんなに混雑した状況で、まことは走ったことが
なかったのだ。本当はこんな予選を想定して、最後に追い抜きの特訓をやるつ
もりだった。だが、まことのケガによるスケジュールの遅れで出来なかったの
だ。
 まことは、コーナーを抜ける度にペースの遅いカートにつっかえていた。そ
れが焦りにつながり、明らかにリズムを失っていた。
 亜美は、まことがメインストレートに戻る度にラップタイムを書き込んだサ
インボードを出し、まことの視線を捉えようとした。『落ち着いて』っという
メッセージを伝えたかった。
 このカート大会では、わずか15分の一発勝負で行われる予選となっている。
このクラスのレベルから言えば、まことがベストを出せばポールポジション、
つまり予選1位も不可能ではない。しかし、今の状況では予選落ちはないまで
も、後ろから数えた方が早い状況だ。すでに残り時間は半分を切っている。
「参ったな…」
「はるかさん、一回ピットに入れましょう。このままじゃ…」
 そう亜美に提案されたものの、はるかは迷った。予選の定石としてコースが
混んでいるときは、ピットで待機しタイミングを待つという手もある。しかし、
いかんせん残り時間が少なすぎる。
「よし。入れよう」
 亜美は大急ぎでピットインのボードをまことに向けて掲げた。程なくして、
まことがピットに戻ってきた。
 まことは肩を激しく上下させて息をしていた。ヘルメットの奥の目は潤んで
おり、その緊張状態はかわいそうに思えるくらいだった。
 戻ってきたまことに、はるかはなんと声を掛けるか、一瞬考え込んだ。だが、
彼女の出番はないようだった。
「まこちゃん! なにやってんの!」
 亜美が普段の彼女から想像できないほど大きな声でヘルメットに叫んだ。ヘ
ルメットのバイザーを跳ね上げ、まことが目を大きく見開いて亜美を見た。そ
の視線が亜美の目を捉えると亜美は今度はゆっくりと語りかけた。
「まこちゃん。大丈夫。あなたのテクニックははるかさん直伝なのよ。自信を
持って。練習の通りきっちとやれば、必ず予選は上手く行くわ。もう予選落ち
のタイムは十分クリアしたから、次の目標は、46秒後半よ。あとコンマ7秒詰
めましょう。無理にラインキープしようとしないで、リズムで走るの、できる
でしょ?」
 まだ息の整わないまことは、大きくうなずいた。それを合図に亜美は立ち上
がった。カートは再びコースへと旅立つ。
 残り時間はわずか3分少々。時計から視線を上げるとはるかはピットサイン
を出すコース際のフェンスに立つ亜美を見る。ストップウォッチを左手に握り、
右手にはサインボード。その表情は引き締まり、不安は微塵も感じさせない風
だった。
「まったく。見守るっていうのは僕の性分に合わないな…」
 独り呟くと、はるかは苦笑いした。


「はぁ、10位かぁ…」
 ただ独りワンボックス・カーのシートに沈み込みながらまことはため息を付
く。その右手には予選結果表が握られていた。
 参加37台で、予選落ちが7台。つまり決勝参加者では上位に入っているうち
だ。だが目標は決勝レースで3位以内。それに練習時のベストタイムを考えれ
ば、予選ではトップ5に入る。決勝レースはわずか15周の短いレースだから、
予選で上位に入ることは大事な目標であった。それがまこと、亜美、そしては
るかの予定だったのだ。そう考えると、とても及第点とは言えなかった。
 まさに赤点の解答用紙が帰ってきた気分だった。いや、赤点だったら自分だ
けで済むことだが、今回はみんなの期待も裏切ることになった。いや、まだ決
勝レースが残っているのだ。そこでがんばればいい。そうは思うものの、未来
のことより目の前の現実の方が重くのし掛かってきていた。


「美奈子ちゃぁん…」
「大丈夫。あたしに任せなさいって。こう言うときはね、みんなで押し掛けな
い方がいいの。ほら、あたしもバレーボールやってたから分かるのよ。自分の
ミスでみんなの足を引っ張ったときね、あんまり慰められるのもかえって気が
重いのよね」
 予選後にまことの様子を見に行こうと言ったのは、うさぎだった。クルマの
近くまでは、うさぎ、レイ、美奈子の3人で来た。だが、ドアの前で美奈子が
自分だけがまことに会うと言い出したのだった。
「うさぎ。ここは美奈子ちゃんに任せましょ…」
「うん…」


「お客さん、凝ってますねぇ〜」
「ん、ぷっ! もう、美奈子ちゃんたら…。でも、ホント楽になるね」
「もう任せてよ。バレー部では、引っ張りだこの八チャンだったんだから」

 ひとりクルマに乗り込んだ美奈子は、遠慮するまことを押し切ってマッサー
ジを始めた。そしてはじめこそ、そんな冗談を言ったのが、その後は黙々とマ
ッサージを続ける。上腕から肩にかけての筋肉が硬直しているのが分かった。
それは疲れというより、極度の緊張からくるものだと美奈子は思った。

 美奈子のマッサージを受けながら、まことは気が付いた。その手の温もりに。
『あたしもみんなも一緒に走ってるつもりだからねっ』。まことの胸の内に、
予選前のうさぎの言葉が蘇る。
『自信を持って…』。亜美の声が耳に響く。
 予選の時は、何が何でもやらなきゃという気持ちに押しつぶされ、多くのカ
ートで混雑するコース状況に慌てふためくだけだった。気分が落ち着いた今と
なっては、そんな自分が滑稽にさえ思えるようになってきた。
「ふふっ」
「あ、くすぐったかった?」
「え。あ、いや違うよ。ありがとう、美奈子ちゃん。ホント、すごく楽になっ
たよ」
「そおでしょう。…もう大丈夫みたいね」
「なんか心配掛けちゃったみたいで…。ゴメン」
「そんなこと言いこなしよ。ドアの向こうにも泣きそうな顔しているのが一人
いるから、その娘に早くその顔を見せて安心させてあげなきゃね」
「ああ!」


 そのころ、亜美ははるかとともにまことが乗るカートの最終調整を行ってい
た。
 最後のチェックをしながら亜美は考えていた。予選で出遅れたまことを少し
でも有利にする作戦が何かないかを。

「はるかさん。ちょっとやってみたいことがあるんです」
 逡巡がなかった訳ではなかった。以前、自分の無知な考えからまことにケガ
をさせ、はるかにこっぴどく怒られていた。だが、いまは違う。ハードだけの
理論ではない、まことのことを第一に考えているという気持ちが確かにあった。

 亜美の話をひとしきり聞くと、はるかは「ふん」と鼻を鳴らした。
 『また、怒られるかな…』。そう亜美は思った。
「ま、いいんじゃないかな。それでまことがどこまでやれるかは、わからない
けどね。このレースは君たちのレースだ。亜美の思うようにやればいい」
「いいん、ですか?」
「ああ。さて、時間がないから早くやっちまおう」
「はい!」

 はるかは、予選中の亜美の態度からもう自分がどうこう言うレベルからは脱
したと思っていた。専門技術に関することならともかく、戦い方に関してはも
うこの2人に任せて大丈夫だと。


「いい、まこちゃん。さっきはるかさんと相談して、エンジンのパワーを少し
上げたわ。ただ、その分、レスポンスがシビアになってるから注意してね」
「ああ、わかったよ」

 まことは思った。このカートのエンジンは亜美によってかなり限界までパワ
ーを絞り出していたはずだと。しかし、亜美がまだパワーを出せたというなら
間違えはないだろう。初心者の自分が評するのもなんだが、亜美がメンテナン
スしたカートはとても乗りやすく感じた。特にあのケガをした後は、それがは
っきりと分かるようになった。

「がんばってね、まこちゃん。……えっ!」
 まことは返事の代わりにヘルメットの中から、亜美にウインクを送ったのだ
った。ちょっとした茶目っ気だった。亜美は驚いたものの、それだけ落ち着き
を見せているまことに安心し、知らずに笑みがこぼれる。

 まことのカートがピットを離れコースに出る。まことはすでにコースに出て
いた他のカートとペースを合わせ、自分の予選ポジションへと進んでいく。
 カート・レースのスタートは、テレビでおなじみのF1レースのようにスタ
ートラインに止まってから一斉にスタートするのではない。クラッチのないカ
ートは止まることが出来ないから、走りながら予選順に2列縦隊を作り、隊列
が整い先頭車両がスタートラインを切ったら、シグナルが青になりスタートと
なる。
 まことは10番手、前から5列目の外側にいた。目の前にはライバルが9台。

「集中しろ。スタートダッシュするんだ…」
 まことの視線はコース脇のシグナルタワーに集中した。視界の片隅で先頭車
両がスタートラインに近づいたのが見える。その刹那。ライトがイエローから
ブルーへと変わった。スタートだ、15周先のゴールを目指した…。

「ん…」
 まことは歯を食いしばって、アクセルを全開にする。思った以上に素早くカ
ートが前に進んだ。隣にいた9番手のカートが視界から下がって消える。
「ほんとだ。パワーが出てる」
 予選7位のカートがダッシュに失敗し、それを取り戻そうと無理なハンドリ
ングした。まことはその隙を逃さずに、カートをその内側に潜り込ませた。
「やったぁ! 2台抜きよ!! まこちゃんすっごいっ!」
「いける!いける!」
 スタンドの最前列に陣取ったうさぎたちから歓声が挙がる。
 まことはスタート直後の1コーナーまでで2台を抜き8番手に上がった。す
ぐ目の前に7番手のカートを捉えている。だが、まだ抜くまでには至らない。
 2周目からまことはこの7番手へアタックをかけるがなかなか抜かせてもら
えない。コーナーで詰まるのだが、ストレートでわずかに離される。

「思いの外、ブロックの上手いヤツだな」
 サインボードに周回タイムと順位をセットしている亜美に、はるかが声を掛
ける。
「大丈夫です。まこちゃんの方が余裕あります。もうすぐ抜きます」
 まるで自分のことのように、自信たっぷりと返事が返ってきた。
「さて、じゃあジュピター・ストリームのお手並み拝見といくか…」
 はるかはそう切り返すとニヤリと笑った。

 まことが7番手に手こずっている間に、トップは2番手以降を離して独走状
態になっていた。一方、2番手から4番手の3台は一団となってバトルを展開。
少し間があって5、6番手が僅差で走行。そこからさらに間があってまことが
競り合う7,8番手だった。まこととしては、早く目の前のカートを片づけて、
前に追いつきたいところだった。

『あ! そうか。そういうことなんだ…』
 まことは目の前のカートを追いかけながら、亜美がスタート直前に行ったチ
ューニングのクセに気がついた。亜美はパワーが上がったと言った。だが、そ
れは絶対的なパワーではなくアクセルを踏んだときの加速パワーのアップなん
だ、とまことは思った。
 だから、直線で闇雲にチャレンジしてもダメ。それよりもコーナーからの出
口で早くカートをスピードに乗せる。それがこのカートを速く走らせるコツな
んだ、と。
 まことにとってツいていなかったのは、前を走るカートが最新型だったこと。
直線でのスピード勝負では勝ち目がない。しかも、乗っている少年もなかなか
スジが良かったことだ。コーナー勝負に持ち込みたかったが、なかなか彼は思
うようにさせてはくれなかった。

「へぇ。やるじゃん。カートの扱い方が変わってきた」
「…」
 亜美は、はるかの言葉に小さくうなずく。


「わぁ!もう追いついちゃったっ!行けぇ!まこちゃ〜ん!!」
 美奈子が歓声を挙げる。相変わらず7番手を抜きあぐねているまことだった
が、これまで開いていた5、6番手2台との差がわずか1周少々の間に一気に
詰まった。
「ドジなヤツ…」
 はるかには分かっていた。確かにまことたちのペースも速くはなっていた。
しかし、それ以上に5、6番手の2台がお互いに牽制しあってペースを落とし
過ぎたのだった。

 まことはコーナーで目の前に見えるカートが突然3台になって驚いた。だが、
もっと驚いたのは6番手のカート・ドライバーだった。これがレースになれて
いるドライバーだったら、まだ慌てる場面ではなかっただろう。しかし、彼は
前を抜けない焦りから、この追い上げに必要以上の恐怖を感じてしまった。
 その結果。彼は左ヘアピンコーナーで無理に5番手のインに飛び込んで強引
に抜きにかかった。そんな彼の気持ちを察するほど、5番手のドライバーも余
裕があったわけがない。突然のアタックに慌ててブロックをしようとしたため
に、2台のカートはコーナーの出口付近で接触してしまった。

 ウォーというどよめきがスタンドを包んだ。観客たちの視線は、ヘアピンで
接触し、絡むようにコースの真ん中で立ち往生した2台に注がれていた。後ろ
に付けていた7番手の少年はインにカートを振って、障害物となった2台をか
わしていった。
 当然まことも対応しなくてはならない。目前で起こったアクシデントに、ま
ことの心臓はドキリと一拍高くなった。しかし、身体は冷静に反射していた。
一瞬のフルブレーキで減速。ギリギリの間隙でブレーキをリリースし、ステア
リングを左に軽く振る。カートは弾かれたように2台の脇をすり抜けた。

「はぁ〜っ。もうビックリさせないでよぉ…」
 レイが一瞬止めていた息を大きく吐き出しつぶやく。そのレイの肩を思わず
掴んで美奈子がはしゃぐ。
「でもこれで6位よ、6位! あと3台抜けば賞金よ、賞金!」

「あの少年カーターもなかなかのもんだ。これからが、本当の勝負だな…」
 美奈子の興奮が聞こえたわけではないが、亜美の傍らではるかがつぶやく。
 亜美はこの周回のタイムをメモに移し、黙々とサインボードの準備を始める。
『まこちゃんは全力でがんばってる…。私は私の出来ることをやるしかない。
大して役には立たないかもしれないけど…』

「さあ、ビギナークラスの決勝レースは早くも折り返しの7周目を終了。現在、
トップと2番手は少しの差をもって単独走行状態。ともにペースもまずまずで、
このまま逃げ切りたいところでしょう。一方、3、4番手は時折順位を入れ替
えながら激しいバトルを展開中で、予断を許しません。さらにトップに負けな
いどころか時にはそれよりも速いペースで追い上げているのが、5、6番手で
す。5番手はこのクラス最年少12歳の少年レーサー。そして僅差で追いすがる
のが少女レーサーだ。この争いはハイレベル。このままのペースで行けば、こ
の2台が終盤で3番手争いに加わるのは必至でしょう…」
 決勝レースも中盤となって落ち着きを見せる。この一瞬の間、ここぞとばか
りに場内実況が観戦スタンドに響きわたる。

 まことは作戦を変えた。いや、元から作戦などあったわけではない。予選10
位では抜いて抜いて抜きまくるしかなかったわけだから。だが、ここで目の前
の少年を無理して攻めても、そこで生じる駆け引きでタイムをロスするだけだ。
なんとか彼を抜いてもその間に、3番手のカートにさらに離されてしまう。今
かわした選手たちもそうやって自分たちだけの勝負にこだわって、結局自滅し
たわけだ。幸い、彼のペースもまことのペースも同じくらい。競り合うよりま
ずは上位陣に追いつくこと、これが第一だ。
 まことの考えに賛同したわけでもないだろうが、前を行く少年も後ろを気に
するよりもとにかく速く走ることを考えているようだった。そのため、2台の
ペースはさらに加速していった。

 亜美はサインボードの上段に『L9』の、中段に『46.3』のカードを並べた。
『9周終了 タイムは46秒3』という意味だ。次にまことがメインストレート
に帰ってくれば、9周を終えたことになる。

『残り5周か…。思ったより周回タイムがいいな。亜美ちゃんのおかげだな。
ありがと…』
 ストレート駆け抜ける時。サインボードとともに亜美の横顔をまことは捉え
ていた。毎周回、ピット前に戻ってくればそこに亜美がいる。その表情はいつ
も引き締まっていて、弱気に飲まれそうな気持ちを支えてくれる。まことには
なによりのビタミンだった。そして、さすがにそこまでは見えないが亜美の向
こうには、はるかが、うさぎたちが居ることも感じられた。

「どうやら、完全にカートを自分のものにしたみたいだな」
「はい…」
 亜美はタイムをチャートに書き込みながら、
 返事をした。が、はるかの言ってることをしっかりと受け止めていたわけで
はなかった。亜美も不安に押し潰されそうだったのだ。ペースが上がればトラ
ブルの可能性だって上がる。自分の作業ミスでカートが壊れないか、そしてま
ことにケガをさせるのではないか…。考えまいとしても、時に真っ黒な不安が
心を染めていく。
 実は亜美がレース前にカートに施したチューンアップだが、大したものでは
なかった。エンジンは何も変わってはいない。ただ、アクセルペダルとエンジ
ンを繋ぐワイヤーをほんの少し強めに張って、ドライバーの操作に対して敏感
にしただけだった。こうするといつもよりほんの一瞬早くエンジンが吹き上が
るから、確かにわずかに速くはなる。これ自体それほど大きな効果ではない。
だが、その上でレース前にまことに暗示をかけることにより、彼女はより速く
なった気になるのだ。この前向きな気持ちがタイムアップに繋がっていた。
 しかし、エンジンが敏感になった分、操作もこれまでよりシビアになる。こ
の感覚の差にまことが気がつかなければかえって遅くなり、それどころかスピ
ンやクラッシュなどのトラブルにもつながりかねなかった。
 それなりの自信と、まことの能力への信頼があったから施したことだ。だが、
時間もなかっただけに、一抹の不安は拭えなかった。もちろん、それだけでは
ない。まことにとっても亜美にとっても初めてのレース、実戦だなのだ。不安
でない部分を見つけろと言うのがどだい無理な話だろう。
 だが、亜美はサインボードを持ってまことに出すときは、そんな気持ちは微
塵も見せないように努めたのだった。
『気持ちだけでもまこちゃんを支えるんだ…。私に出来ることはそれだけ…』


 11周が終わった。7周終了時点では2秒近くあった3位集団の2台とまこと
たち2台との差は、ついになくなった。3番手から5番手、つまりまことまで
のカートがきれいに縦一列に繋がって、ピット前を駆け抜けていった。
 残り3周。最後の勝負どころである。

 さすがに3、4番手を走っている連中なだけある。自滅した5、6番手のド
ライバーたちとは違い、追いつかれても大きく走りが変わることはなかった。
 変わったのは、ここまでまことの前を走っていた少年レーサーだった。これ
までの速く走るための走りから、少々強引なくらいに攻めて抜きにかかる走り
となっていた。攻める5番手、守る4番手と見るものとしてはなかなか見応え
のある攻防が続く。
 もちろん、まことは観客としてそれを見ていたわけではない。前を行く少年
の走りはもう10周も真後ろで見ているからおおよそのクセはつかめている。
『抜くことに集中しているから、付け入る隙はあるはず…』

 12周目に入るメインストレートでついに少年が勝負に出る。最終コーナーで
5番手の後ろにぴったりとくっつき、ストレートで一気に抜きにかかった。彼
のカートの強みである直線スピードを生かした戦法だった。

 うわぁーという歓声がスタンドに立ち昇る。それは少年にだけ送られたもの
ではなかった。その少年のカートにもう1台ぴったりとカートがくっついてい
たのだ。4番手のカートは観客の目の前で一気に2つ順位を落とすはめになっ
た。

『いける!』
 まことは思った。4番手を抜き、早くも3番手に意識を向けていた少年は、
まことが一緒に4番手を抜いて直後に付けていたことを気づいていなかったの
だ。それゆえ、1コーナーへのアプローチに隙が出た。コーナーのインがこれ
までより大きく空いていた。すかさず、まことはブレーキングを遅らせて、少
年に並び掛けた。
 ヘルメットの奥にある少年の目を覗いたわけではないが、彼が驚いているの
がまことには手に取るように理解できた。もっとも、少々無理につっこんだだ
けにオーバースピードで外に飛び出ようとするカートを必死で押さえつけるま
ことには、彼の心理分析の続きを考えている余裕はなかった。
 少年も抜かれまいとコーナースピードを落とすことをしなかった。内にまこ
と、外に少年と2台のカートが並んで1コーナーを駆け抜ける。少年がもっと
経験を積んでいたら、ここは無理をして並んではいなかっただろう。ここで無
理せず、いったん抜かれても次にコーナーではイン側の彼の方が有利になるの
だ。そこで抜き返すために、ここは自分の本来の走行ラインを守るべきだった。
 まこともオーバースピード気味だったために、次のコーナーへの走行ライン
を外したがアウト側にいた強みで、ロスは少なくてすんだ。だが、少年の方は、
完全にアプローチに失敗し、ブレーキを踏まざる終えなかった。
 13周終了。これで4番手。

「まこちゃん!いいぞぉ!イケイケぇ!あと1台!」
 うさぎと美奈子が思わず手を取り合って飛び上がる。レイはグッと唇を噛み
しめてコースを、まことの姿を追う。

 勢いに乗ったまことは、グッと3番手のカートに近づいていく。最終コーナ
ー前のヘアピンコーナーでほぼ真後ろについた。
『次の最終コーナーで勝負!』

 最終コーナーを抜けてメインストレートを抜ければ、もうラスト1周を残す
のみとなる。ここで抜かないともうチャンスはほとんどない。まことは歯を食
いしばった。

 2台のカートが自らの限界に挑戦するようなスピードで最終コーナーに入っ
ていた。
「まずいぞ…」
 はるかが言い切らないうちだった。まことのカートがクラッと揺れたようだ
った。

『くっっ!!』
「きゃぁ〜!まこちゃぁん!」
 前のカートを意識するあまりにベストラインを外してしまったまことのカー
トは、そのスピードが生み出す遠心力に負けそうになった。ハンドルを小刻み
に動かして修正を図るが、その姿勢は安定しない。
 観客席から間近に見える最終コーナーでの出来事にうさぎたちは目をつぶっ
て叫び声を挙げた。

『怖い…』。まことは恐怖からスピードを大きく落としたい衝動に駆られる。
『ダメ…』。その恐怖に必死に抗い、アクセルをキープする。そう、ここでア
クセルを戻したら、その反動でなおさら姿勢を崩し、カートはヒモの切れたヨ
ーヨーのように飛んでいってしまうのだ。

 ツキがあったのかもしれない。まことのカートはハーフスピン状態になった
ものの、なんとかコースアウトという最悪の事態は免れた。
 ホッとしたのもつかの間、後ろには先に抜いた少年が迫っていた。そして、
ハーフスピンによるタイムロスは、当然3番手との差を開いてしまった。

『…終わっちゃったな』

 メインストレートに入って、身体は無意識にアクセルを開いていたが、心に
はぽかりと穴が開いたようだった。残りはわずか1周。3番手に追いつくこと
は可能かもしれないがもう追い抜くチャンスはない…。

 ピット前を抜けるとき、視線は無意識にピットに居るはずの少女の顔を探す。
一緒にカートコースに来るようになってから、そして今日このレースで何度と
なく繰り返した習慣だった。

『!』

 少女の顔に諦めはなかった。そして、その手にはこれまで毎周必ず持ってい
たサインボードはなかった。彼女は右手を前にまっすぐ突き出していただけだ
った。握っている拳から細い人差し指がすっと伸びていた。

 あと1周という意味なのか?あと1台抜けというサインなのか? 最高速で
ピット前を駆け抜けた時間は1秒にも満たない。だが、まことにとって、この
レースでもっとも長い時間だった。
『なにやってんだ、まこと! まだ1周もあるじゃないか。諦めるにはまだ早
いぞ』

 不思議な気分だった。焦っているわけではない。諦めているわけでもない。
ゆっくりと風景が後ろへと流れていく。その中で見据えるのは、次の瞬間の自
分だけ。
 カートの姿勢の変化が、自分の身体のように分かる。自分の心臓のようにエ
ンジンの鼓動が感じられる。考えるのではなく、感じるままにまことはドライ
ブしていた。


 亜美は、知らず知らずのうちにコンクリート製のフェンスを握りしめていた。
最終ラップのサインボードは、用意されていた。だが、まことがハーフスピン
から立ち直った直後。彼女の落胆が、自分のことのように感じ取れた。『諦め
ちゃ、ダメ…』。そう思った時、彼女は手にしていたサインボードではなく、
右手だけを突き出していたのだった。
 それだけで分かってくれる。そう確信していた。そして、それが通じたのが
分かった今となっては、あとは本当に待つだけだった。彼女が無事ゴールに帰
ってくるまで…。


 1位のカートが最終コーナーに入ってきた。スタンドから観客の歓声が挙が
る。そして、一瞬の間ののち、その歓声がいっそう高くなる。1位のドライバ
ーはそれが自分への喝采と信じて疑わなかった。だが、実際はそうではなかっ
た。観客たちは気が付いたのだった。ただ1台、飛び抜けたペースで前に迫る
カートに。

「1位に続き2位もゴールイン! さあ熾烈な3位争いは、…おおぉ! 一時
は1秒近く開いた差が一気に詰まっているぅう!! さあ、2台はテール・トゥ
・ノーズで最終コーナーにさしかかったぞっ!!」

 実況アナウンスもボルテージが上がり、絶叫状態だ。
 最終コーナー手前で、まことは再び3番手に追いついていた。
 だが、先ほどのような高揚感はなかった。視界に前のカートを捉えているも
のの、見えるのは自分が採るべきラインのみだった。

「「「まこちゃ〜〜んん!」」」
 もう見ている誰もが言葉になっていなかった。うさぎなどはつぶってしまい
そうになる目を必死にこらえてまことの姿を見ていた。
 亜美とはるかもピット・ウォールに上半身を乗り出すように、最終コーナー
の方を見つめる。

 2台のカートは先ほどに負けない限界のスピードでコーナーを駆ける。まる
で見えない巨人の指で押されるのを耐えるように、どちらのカートも小刻みに
震える。
 そして、ついに耐えきれないようにカートが真横に滑り出す。

「「「!!!!」」」
 スタンドから歓声とも絶叫とも言えない叫びが湧き上がる。
 だが、まことは全く不安を感じていなかった。先ほどとは違う。自分のコン
トロール下にあるスライドだったから。コーナーエンドの外側の縁石に右タイ
ヤが当たると、まことのカートはピタリとスライドをやめる。一方、先行する
カートは未だ体勢を乱していた。そのまま、まことはスルリとカートを3番手
の内側に滑り込ませる。
 2台はまさに横1列に並んだ。ゴールラインまで残りは、直線約100m。
 ともに床が抜けるかというほどにアクセルペダルを踏む。まことは身体を前
に折り曲げるようにして、少しでも風の抵抗を減らそうとした。

 ヘルメットがハンドルにくっつくほどに屈み込んだため、まことの視界は極
端に狭くなった。ゴールのチェッカーフラッグも、ピットにいる亜美たちの顔
も一瞬見えただけで、視界から消えていった。
『ゴール……、したんだよな?』
 そう思っているうちに1コーナーがグッと迫ってきた。まことは慌ててブレ
ーキを踏み減速をする。その瞬間ヒュッと隣からカートが1台飛び出してまこ
とを追い越して行った。3位を争っていたカートだった。
『あれ、あたしって…』
 そうこうしているうちに、さらに後方から来たカートにどんどん抜かれる。
レース中盤、ずっと争った少年もいた。ふと気が付くとみな手を挙げて挨拶を
していた。ヘルメットの奥の目は皆微笑んでいるようだった。
「そか。終わったんだよね…」
 まこともゆっくりと右手を挙げて、挨拶を交わす。先ほどまでの緊張感から
解き放たれ、ランデブー走行のように数台でゆっくりとコースを回っていく。
毎周のように息を詰めて飛び込んだ最終コーナーも、こうして走ると妙に広く
感じられた。

 メインストレートに戻ってくると、係員が旗を振り、カートを所定の位置に
止めていた。まこともカートを止め、カートから降りた。
「あ、あれれ…」
 自分ではさっとシートから立ち上がったつもりだったが、膝が思うように動
かず、フラフラとよろめいてしまった。それでもなんとか踏ん張って立つと、
まだ痺れる手でヘルメットのストラップを外す。

「ふぁあぁぁ…。わぁ!」
 まことがヘルメットを脱いで、大きく息を付いたときだった。ドンと胸に何
かがぶつかってきた。正直、足腰がフラフラだったこともあり、その弾みで思
わず尻モチをつく。
 まことの鼻を甘い汗とシャンプーの香りがくすぐる。よく知っている香りだ
った。
「あ、亜美ちゃん…、あの…」
 感情を正直に表すうさぎにはよく飛びつかれたことがあったが、まさか亜美
がこんな行動をするとは思いもつかなかっただけにまことは少々面を食らって
いた。
 ゆっくりと顔を上げた亜美の目からは涙が溢れそうだった。
「おめでとう、まこちゃん。良かった…、ほんとに…」
「あたし、入賞したんだ?」
「そう。見事な3位入賞よ」
「そっか。うん。良かったな…」
 何となく他人事のようだった。もちろん、嬉しい。でも、自分だけのもので
はない。亜美がいたから、そして、はるかやみちる、うさぎたちがいてこその
入賞なんだ。まことはそう思えることが嬉しかった。

「あぁ!亜美ちゃん、ズルうぃ。あたしもぉ!」
 スタンドから降りてきた分、出遅れたうさぎは、まことに飛びついた亜美を
見て、当然のごとく自分も飛びつこうとしたのだった。
「だめよ。あんたは!」
「ふぎゃぁ…」
 だが、その寸でにレイに襟首を捕まれて目的は果たせなかった。
「ふふっ」
「あはは」
「えへへっ」
「「「「ははは……」」」」

 少女たちの屈託のない笑い声が、サーキットの上に広がる澄んだ青空にこだ
ましていた。




epilogue

「無駄になちゃったわね? それ」
 はるかは、歓喜に踊っている少女たちを、少し離れたところから見ていた。
知らずにニッコリとしている彼女の横に並んだみちるは、さりげなく切り出し
たのだった。
「えっ。な、何のことだい?」
 内心ドキリとしながらも、笑みを消し平静を装って答えるはるか。
「その内ポケットのお金よ。彼女が入賞できなかったら『僕からの賞金だ』と
か言って渡すつもりだったんでしょ」
「え、あ、そのいや…。はぁ、君には隠し事はできないなぁ…。って、何その
手?」
 みちるは、はるかの目の前に手の平を上にして右手を差し出した。
「カート・ショップとサーキットから請求書が来てるわよ。パーツ代にメンテ
ナンス費、コース走行料にガソリン代、その他もろもろ。うちだって決して家
計楽じゃないのよ。お分かりになって?」
 ちなみに、現在みちるもはるかも実家から出て経済的には独立して生活して
いる。だから、彼女たちの演奏料やレーサーとしての契約金が生活費となって
いる。しかも、2人ともああいう性格だから、当然月々の出費もデカイのだろ
う…。当然それを仕切るのはみちるである。

「……」
 渋々とはるかは、その手の上に懐から出した封筒を置いた。
「ほたる! 予算が確保できたから今晩は叙々園でまことの入賞記念焼き肉パ
ーティーよ! みんなを呼んでらっしゃい」
「はぁい!」
 ほたるは両手を挙げて、まことたちの輪に走っていく。
「あぁ、これだよ。まったく…、みちるって」

 翌年、英国F3シリーズに"Fast Lady"旋風を巻き起こすはずの新鋭レーサー、
天王はるかは、頭を抱えて顔をしかめ、そしてこの日最高の微笑を浮かべた…。


Finish




◎あとがきのようなもの
 あ。終わったぁ…。前編が掲載されてはや半年以上…。もうみなさんに忘れ
られているでしょう(^^;;。実はact.3とepilogueは夏頃には出来ていたんです
が、それからずっとお蔵入り状態。で、年が変わってからようやく残りを本格
的に書き出したという。
 なぜ書き出したかというと…。正月特番ドラマの「古畑任三郎 vs SMAP」
を見たからなんです(^^;。え、脈絡が分からないっすか。私はSMAPのファ
ンでもなんでもないんですが、あのドラマのSMAP5人が、それぞれいかに
もってキャラクタを演じてるような気がしまして、さすが三谷幸喜の脚本と感
心したわけで。まあ、ちょっと放送時間が長くて饒舌だったとか剛君情けなさ
過ぎとかはあったけど(^^;。
 で、ひるがえって。そういえば自分もキャラクタを書き分けようと必死にな
ってたような…。と、この話を思い出した次第(^^;。
 しかし、長くなってしまった…。きっと、誰もここまでたどり着いていない
んじゃないか(^^;。しかも、まこ亜美作品と称するわりには、2人があんまり
接近してないし(^^;。ま、いいか。わたしゃほたほたとはるかが書けたからそ
れで満足さ(^^;。
 いや、冗談さておき。ここまで読んでいただいた方に、心よりの感謝を。

じゃ出直してきます(^^;FunTom
13 Feb.1999



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