『思いのままに』



「……」
 呼び鈴を押そうとして伸ばした指先が、あと数センチで目標に達しようとし
たところでその動きを止める。201というプレートが貼られたまことの部屋
の前で亜美は、彼女にしては珍しくこの部屋に入ることを少しためらっていた。
 一度伸ばした手を口元に戻し、うつむきかげんに何やら考えること数秒。再
び顔をあげると今度は意を決したように呼び鈴を押す。
「はーい」
 ドア越しに声が聞こえ、待つほどもなくガチャリとロックが外れてまことが
顔を覗かせる。呼び鈴を押してからの一連の動きの素早さに、亜美はまことが
部屋の窓から自分が来るのを見つけ、あらかじめ玄関前で待っていたのだと察
し、入るのをためらっていた事を少し恥ずかしく思った。
「いらっしゃい亜美ちゃん」
 亜美のそんな一瞬の葛藤に気付くふうでもなく、まことはにっこりと笑うと
亜美を玄関内に迎え入れた。
「こ、こんにちは、まこちゃん」
「そと寒かったろ?」
「うん、少し。考えてみれば今年もあとちょっとで終わりだもの。これでもい
つもの年に比べればまだ暖かい方だと思うわ。…それよりまこちゃんの方こそ
Tシャツだけで寒くないの?」
 首にかけた白いマフラーを外しながら、亜美は改めてまことの姿を眺めて不
思議そうに尋ねた。
「ああこれ? さっきまでちょっと片づけものをしてたんだ。そんなことより、
さぁあがってあがって。今ちょうどお茶にしようと思ってたとこなんだ」
「あ、うん。それじゃお邪魔します」
 まことの説明に一応納得した亜美は、後ろ手にドアを閉じると靴を脱いだ。
「部屋で待ってて。すぐに持ってくるから」
 まことはそう言い残すとぱたぱたとスリッパを鳴らしながらキッチンに入っ
ていった。それを見送った亜美は、いつもと変わらないまことの様子に内心ほ
っと胸をなでおろし脱いだ靴を並べ直した。
「…でも良かったよ。亜美ちゃんが来てくれて」
 キッチンからカチャカチャと食器の音に混じってまことの声。亜美はその声
は応えずまことの部屋に入ると持ってきた大きめのバッグを床に置いた。そう
していつものように、亜美が気に入っているまことお手製のクッションの一つ
を部屋の隅から持ってきて腰をおろす。
「さっきまで…よっ…もしかすると今日は来ないんじゃないかな、なんて思っ
てたんだ」
 お盆を持つため両手がふさがっていたまことは、肘で部屋のドアを開けて入
るとテーブルの上に二人分のティーカップとクッキーを並べた。
「どうして?」
 クッキーを一つつまんだ亜美が心なしか沈んだ声で聞き返す。
「だって、昨日なんとなく…その、困ってたみたいだったから」
 まことはテーブルを挟んで亜美の向かいに座ると、ティーポットから二つの
カップに紅茶を注ぎ亜美に薦めた。
「行くって約束したでしょう」
 カップに角砂糖を1つ入れ、スプーンでくるくるとかき混ぜる亜美の指先を
見つめていたまことは、その言葉にふっと視線をおとした。
「…約束だから、来てくれたの?」
 スプーンを回す手を止めた亜美は、少し驚いたようにまことの顔を見つめた。
「嫌ならその場で断ってるわ」
「じゃあ…いいの? きのう美奈子ちゃんが言ったこと。あたし勢いもあって
ああ言ちゃったけど、無理強いする気なんて全然ないから。本当だよ」
「ええ」
 亜美はまことを安心させるように微笑んだ。 
「…亜美ちゃんのこと、ほんとに自由にしていいんだね」
 念を押すようにまことが尋ねる。
「……」
 亜美は黙ったままこくりと頷いた。

       ☆         ☆         ☆

 事の起こりは昨日のこと。レイの家でのクリスマスパーティで遊んでいたゲ
ームがきっかけだった。
「せっかくだから何か賭けない?」
 そう言ったのは美奈子。
「賭けるって何をよ。お金ってのは今回はパスよ。今月は金欠なんだから」
 レイはそう言ったが、実のところ金銭が絡むと異様に勝負強くなる美奈子に
あらかじめクギを刺すためだったりする。
 案の上美奈子は「ちっ」と舌打ちせんばかりの表情でレイを見たが、急に何
か他にいいことを思いついたらしく悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「それじゃあ自分自身てのはどう? 一位になった人がビリの人を一日自由に
できるの」
『「一日自由に?」』
 その場にいた全員が美奈子に聞き返す。
「そそ」
 一同の視線を浴びた美奈子は鷹揚に頷き返した。
「例えばうさぎちゃんが一位になって亜美ちゃんがビリになれば、うさぎちゃ
んの冬休みの宿題を亜美ちゃんにやらせちゃうってのもOK」
「ほんと!」「うさぎちゃん、宿題っていうのは────」
 目を輝かせて喜ぶうさぎとそのうさぎに宿題の意義を説明しだす亜美。
「まぁまぁまぁ、いいじゃない亜美ちゃん。全部代わりにやってあげるんじゃ
なくて、うさぎちゃん専属の一日家庭教師くらいだったらいいでしょう。休み
明け直前に呼び出されるよりは、ね」
 二人の間にやんわり割って入った美奈子は、そう言って亜美の様子を伺う。
「まぁ…そういう事なら」「えー」
「まこちゃんが負ければケーキお菓子作らせほうだい。レイちゃんが負ければ
一日奴隷としてコキ使っても大丈夫!」
 不満そうなうさぎに美奈子は畳みかけるように説得を試みる。
「うんうん」「あんたが勝てればの話よ」
 ころっと表情を変えたうさぎにレイがしれっと言い放つ。
「美奈子ちゃんがビリになれば、美奈子ちゃんをコキ使ってもいいのよね」
「ええそうよ。勝てればね」
 挑戦的なレイの視線を美奈子は真正面から受け止めた。
「まこちゃんはどう?」
 レイから暗黙的にOKを取り付けた美奈子は、今度はまことの方に向き直っ
た。
「んー、そうだなぁ」
 あまり興味なさそうな感じでまことが首をひねる。
「考えてみてまこちゃん。勝てばビリの人を思いのままに出来るのよ、思いの
まま。あーんな事とかこーんな事とかしていいのよ。ねー亜美ちゃん」
「思いのまま…ねぇ」「ちょ、ちょっと美奈子ちゃん!」
 美奈子の説得にまことは思案顔。一方急に話題を振られた亜美はと言えば、
美奈子の言葉に何を考えたのか一瞬のうちに顔を赤く染めた。
「あぁ、そういうのもアリなのね。じゃ私も本気で頑張っちゃおうかしら」
 亜美の慌てる様子を見て、レイは口元に思わせぶりな微笑を浮かべる。
「おっ、レイちゃんもノってきたわね。さっすが学園の女王さま」「レイちゃ
んまで……」「え? なに、何の話だよ?」
 呆れとも諦めともつかない口調で亜美が呟く。まことはまだ分かっていない
らしく、?を浮かべた顔で美奈子と亜美の様子を見比べた。
「とにかく、これでいいと思う人、はーい」「っはーい」「OKよ」
「……」「なんか分かんないけど、楽しそうだからいいや」
 かくして俄然やる気の美奈子、うさぎ、レイと、半ば巻き込まれた感じの亜
美とまことによる自分自身を賭けたゲームは、美奈子の押し切りによりなし崩
し的に始まったのだった。
 それから小一時間後。
「いっちばーん!」「…納得いかないわ」
 美奈子が高らかに勝利宣言をした。さすがにモノが賭かった時の勝負強さは
並ではない。一方ビリになった亜美にしてもチェスやオセロ、あるいはビデオ
ゲームの類なら負けはしなかっただろうが、「運」の要素が多いゲームではそ
うもいかなかったようだ。
「ふっふっふっふっ、これで亜美ちゃんはあたしのモノね」
「美奈子ちゃん、目が怖いわ」
 右手でぐっと握り拳をつくり不気味に笑う美奈子の姿に、亜美の背筋を冷た
ーいものが走る。
「ほれほれ、良いではないか良いではないか」「ちょ、ちょっと…」
「待ちなよ美奈子ちゃん」
 にじり寄る美奈子。その迫力に思わず亜美の目がまことに助けを求めようと
するよりも早く、まことの体が美奈子の行く手を遮った。
「どいてまこちゃん。これは勝者の権利なのよ」
「遊びだろ。いくら好きにしていいって言ったって、相手の嫌がるような事し
ちゃ駄目だよ」
 対峙する美奈子とまこと。その様子をまことの背後から不安そうに見守る亜
美。レイとうさぎはむしろ楽しそうに事態の推移を眺めている。
「あ、そう、ふーん。分かったわ」
 時間にしてわずか数秒。意外なほどあっさりと美奈子は引き下がった。
「亜美ちゃんが嫌なことじゃなきゃいいのね」
「まぁそうだね」
 美奈子の言葉にまことはほっと緊張を解いて、元いた場所に体を戻した。
「それじゃあ……亜美ちゃんには私が今から言うことを明日一日実行してもら
うわ。もちろん嫌なら嫌って言ってね」
「ええ」
 不安な表情を残しつつも亜美が頷く。したり、とばかり美奈子が微笑んだ。
「それでは発表しまーす。亜美ちゃんは、明日一日まこちゃんのものになるこ
と。いいわね」
「えっ!」
「いや?」
「え…………あ」
 一瞬言葉に詰まった亜美だったが、そこはそれ嫌ではあろう筈もないのでふ
るふると首を左右に振る。それを確認して美奈子は今度はまことの方に向き直
った。
「さてまこちゃん。遊びは遊びだけど賭けは賭けだからね。『何もしないでい
い』ってのはなしよ。あたしが許す! 明日一日亜美ちゃんを自由にしちゃっ
てちょうだい」
「いーなー、まこちゃん」「あのねぇ」
「一日自由にかぁ。うーん」
 あくまで脳天気なうさぎとレイの小声のツッコミをよそに、まことは真面目
な様子で考え込んだ。
「さあどうするの、まこちゃん?」
「そうだなぁ…あ、それじゃ亜美ちゃん明日うちに来てくれる」
「え、えぇ」
 亜美が頷いたのを見てまことはうれしそうに言葉を続ける。
「で、来るときに着替え持ってきてね。あとなるべく汚れちゃってもいいよう
な服装で。きっといっぱい汗かいちゃうだろうし」
「! ………………わ、分かったわ」
 思わず絶句した亜美は、しかし再び顔をまっ赤にしながらもまことの申し出
を承諾した。
「……ま、まこちゃんとは思えぬ大胆な発言ね」「美奈子ちゃんがたきつけた
んでしょ。私は知らないわよ」
 固い笑顔の美奈子に少し呆れながら、レイはうれしそうなまことと恥ずかし
そうな亜美の様子を見比べたのだった。

        ☆         ☆         ☆

「じゃ早速で悪いんだけど、お茶飲んだら寝室に行こうか。着替えは持ってき
たよね」
 ごくり。
 表情にはださないつもりだったが、喉を通る紅茶が思いの外大きな音をたて
たので、亜美は慌ててまことから視線をそらし傍らにあったバッグを引き寄せ
た。
「えぇ、用意はしてきたわ。でもまこちゃん…その、こんな明るいうちから…
…寝室に行くの?」
 亜美のことばにまことは不思議そうに首をかしげた。
「そうだよ。夜になってからドタバタしちゃご近所に迷惑だろ」
「そ、そうね」
 そういう考え方もあるのだろうと、亜美は無理矢理自分を納得させた。とは
いえそれでも気にならない事がないわけでもない。
「やっぱり隣近所には聞こえちゃうのかしら…」
「うーん、実はよく分からないんだ。あたしがここに住むようになってから、
特に隣や上の人の物音が聞こえたりする事って無かったし、夜に洗濯機回して
も苦情はこないから防音は十分なんだろうけど、それでも普段生活してる時よ
りは大きな音でちゃうだろうしねぇ」
「うん…」
 そうまで言われては仕方ない。それに何より、賭けに負けたとはいえ今この
場にいるのは自らも望んだ事。今さら状況を気にしてどうなるというのだろう。
自分がいてまことがいる。今はそのことだけを考えようと亜美は思った。
「散らかっているから足下に気をつけてね」
「そんなこと…」
 まことが先にたって寝室に入る。まことに続いて寝室に足を踏み入れた亜美
は、まことの言葉どうりの部屋の状況に驚いた。
「整理しだしたら止まらなくなっちゃてね。このままだと不便だし先に片づけ
ちゃうね」
「私も手伝うわ」
 亜美が来るという事で寝室を掃除していたのだろう。最初に訪れた時に言っ
ていた「片づけもの」とはこの事だったのかと亜美は思った。
「ありがとう。じゃあそこらへんの小物をそこの箱にいれといて」
 そう言いながらまことはベッドの上に広げてあった洋服をたたんでいく。
 えぇ、と頷いて亜美は改めて部屋を見回した。寝室の床にはCDや使い捨て
カメラやフォトスタンドやらが、おもちゃ箱をひっくり返したように散らばっ
ている。
「1人暮らししてると以外にものが溜まっちゃてねぇ。今度フリーマーケット
でも出そうかと思ってるんだ」
「これも?」
 亜美の声に振り向いたまことは、その手に持たれていたフォトスタンドに気
付いて顔を赤らめた。
「そ、それは駄目だよ。それはベッドの枕元に置くんだから」
 その言葉に亜美もつられて赤くなる。フォトスタンドの中の写真は夏に美奈
子が撮った亜美とまことの『せくしぃツーショット(by美奈子)』が収められ
ていたのだ。
「あ、でも枕の下でもいいかな。そしたらいつも亜美ちゃんと一緒にいる夢を
見られるかもしれないね。よし、こっちはおしまいっと。亜美ちゃんの方は?」
「私の方も終わったわ」
 なんとなく気恥ずかしさを感じながら、亜美は小物を詰めた箱の蓋を閉める
とその上にフォトスタンドを置いた。
「それじゃ亜美ちゃん、こっちに来て」
 ベッドの傍らでまことが手招きをする。
 ついにその時が来たのだと亜美はきゅっと拳を握りしめた。鼓動が早くなっ
ていくのがはっきりと分かる。震えださないように1歩1歩ゆっくりと…そう
言い聞かせている自分と、それを冷静に見ている自分がいる。どちらの自分も
止めることはしない。何があっても後悔しないと亜美は決めていた。
「まこちゃん…」
 目の前で立ち止まった亜美をみてまことは頷いた。
「じゃぁあたしはあっちを持つから、亜美ちゃんはここを持ってね。せーの、
で動かすよ」
「………え?」
「はい持って。せーのっ、よっ! で、こっちに動かすよ」
「あ……と」
 亜美に片側を持たせてまことはベッドを移動させた。
「やっぱベッドの下って汚いねぇ。あたしは掃除機かけるから、亜美ちゃんは
シーツを取り替えてくれる? 換えはそこに出してあるから」
「あ…うん」
 一体なにがどうなっているのか分からないまま、亜美はまことに言われた通
りシーツを取り替えた。
「布団はベランダに干して埃をはたいてね。それから窓と床を拭こうか。全部
終わったらベッドを元の位置に戻すからね。上着は脱いでおいた方がいいよ。
すぐ暑くなっちゃうからさ。いやぁ、ほんと亜美ちゃんいてくれて助かったよ。
いくら私が力持ちって言っても、1人じゃベッド動かせないからねぇ。引きず
って床を傷つけちゃってもまずいし。今まで大掃除の時は一度分解してから動
かしてたんだよ。はい、ふとんたたき」
「おおそうじ……」
 まことに手渡されたふとんたたきを持ったまま亜美は力なく呟いた。

       ・          ・         ・

「はぁ…さすがにちょっと疲れたなぁ」
 シャワーを止めバスタオルで髪の水気を拭きながら、まことはもう一方の手
で首の根本を揉んだ。
 結局あれから2時間ばかりの間、亜美を部屋の大掃除につきあわさせた事に
なる。人手があるのをこれ幸いと、普段は重くて動かさないようなものを動か
したため体のあちこちが筋肉痛を訴えている。鍛えている自分ですらこうなの
だから亜美にはさぞかし辛かっただろうと考えると、なんだかひどく悪い事を
したように思えてくる。
 その亜美はまことより先にシャワーを浴び、今は奇麗になった部屋でくつろ
いでいる筈だった。
(晩御飯は腕によりをかけなくちゃね)
 亜美の好きそうな献立を考えながら新しい部屋着に袖を通す。そうして部屋
に戻ってみると、亜美はクッションを枕にすぅすぅと寝息をたてていた。
(髪もまだちゃんと乾いてないのに。やっぱり疲れたんだろうなぁ。でもこの
まま寝てたら寝グセついちゃうだろうし、起こしてあげたほうがいいかな)
 まことは亜美に近寄ると身をかがめ、肩をゆすろうと手をのばした。
「ん…まこちゃん」
 夢を見ているのか亜美がそう呟き頭を動かす。
(あ…)
 ふっと亜美の髪の匂いがまことの鼻をくすぐる。真正面から亜美と向き合う
形になったまことの目に、いま自分の名を呟いた唇が写った。
「…………」
 亜美にそっと顔を近づけるまこと。一度躊躇するように止まり、それから思
い切って唇を重ねた。
「うん……」
 唇の感触に亜美がうっすらと目を開ける。まことは慌てて亜美から体を離し
た。
「お、おはよう亜美ちゃん」
「……御免なさい。ちょっと眠っちゃったみたい」
 まことの笑顔のぎこちなさには気付かず、亜美はゆっくりと体を起こすとま
だ眠そうに目をこすった。そしてふと先程の感触を思い出したかのように指で
そっと自分の唇に触れる。
「あ、亜美ちゃん。あの……」
「夢を見たわ…」
 まことが寝込みの亜美の唇を奪った弁解をしようとするのにも気付かず、亜
美は言葉を続ける。
「まこちゃんが着替えを持って部屋に来てって言うから私「今日はお泊まりな
んだなぁ」って、結構ドキドキしてまこちゃんの部屋に行ったのね。そしたら
まこちゃん、昼間なのに寝室に行こうって、ベッドの側でこっちに来てなんて
言うの。私どうしようかって迷ったんだけど、まこちゃんとなら何があっても
構わないって、後悔しないってそう思ったの」
「う……ん」
「そしたらね、まこちゃんいきなり大掃除始めちゃって」
 亜美はそう言ってくすくす笑った。
「そ、そうなんだ……はは」
 まことは亜美に何と言っていいか分からず中途半端な笑みを浮かべた。こと
ここに至ってようやくまことは昨日からの亜美の様子、その他みんなの様子か
ら自分の言葉がみんなにどう取られていたのかを理解したのだ。亜美の方はま
だ頭がはっきりしないらしくもう一度目をこすると、今が何時か確認しようと
時計のある方向へ体をひねった。
「いたっ…」
 その亜美の体ににぶい痛みが走る。
「どうしたの亜美ちゃん?」
「うん、なんだか体が……筋肉通かしら? 重いものを運んだのは久しぶりで
……」
 まことに答えかけた亜美は何かに気付いたようにハッと顔をあげた。やがて
少しずつ眠る前の記憶が蘇ってくる。
「亜美ちゃん?」
 まことの見ている前で亜美の顔色がすーっと青くなり、次に熟したトマトの
ように真っ赤になった。
「あ、ま、まこちゃん、あの、わたっ、わたしっ、ゆ、ゆ、ゆ、夢でねっ、そ
の、まこちゃんがっ、あのっ、だから」
「亜美ちゃんっ」
「ご、ごめんなさいっ!」
 亜美ははじかれたように立ち上がると玄関の方へ駆けだそうとした。けれど
もすぐにまことに腕を掴まれて、そして強く引き寄せられた。
「あっ」
 バランスを崩してまことの体に倒れかかる亜美。まことは亜美の体を受け止
めるとその頭を胸にかき抱くようにして体をぎゅっと抱きしめた。わたわたと、
亜美の両手が突然の事に驚いたように二、三度宙をつかみ、そしてゆっくりと
下ろされる。
「どうして謝るのさ?」
「………」
 まことの体に身をあずけたまま、亜美は肩を震わせて一言も話そうとはしな
い。まことは亜美を抱く力を少しだけ緩めた。
「あたしの方こそごめんね……昨日の美奈子ちゃんの言った「思いのまま」っ
てこと、そんなふうに考えてなかった」
 抱きしめられた亜美の体が一瞬びくっと強く震える。
「なんか罰ゲームっぽい事しなくちゃいけないってずっと思いこんでたし、亜
美ちゃんを呼べるってだけで嬉しかったんだ。それに亜美ちゃん、その、Hな
話ってきっと嫌いだろうって思ってたし…」
「だから今ね……亜美ちゃんがあたしの事をそんなに想ってくれたって分かっ
て凄く嬉しい。あたしも今このまま押し倒しちゃいたいくらい亜美ちゃんのこ
と好きなんだ。身勝手かもしれないけど、亜美ちゃんのことほんとに思いのま
まにしたいって思ってる。眠ってる亜美ちゃんにキスしたのも、多分そんな気
持ちが心にあったからなんだ……でも……でも、ごめんね」
 まことの腕の中で亜美はふるふると首を左右に振った。そして顔をあげ、ま
ことの目をじっと見つめる。
「あれが夢じゃなくて嬉しいわ。……いいよ。まこちゃんなら何しても」
「…………亜美ちゃんのこと、ほんとに自由にしていいんだね」
 念を押すようにまことが尋ねる。
「……」
 亜美は黙ったままこくりと頷いた。
 まことが亜美を抱く腕に力をこめた。それに応えるように亜美もまたまこと
の体を抱きしめる。二人の唇の距離がしだいにゼロへと近づいていき────
 ピンポーン!
 ドアチャイムが鳴った。
「まこちゃーーん、いるーーっ?」「亜美ちゃーんっ」「いるのー?」
「みっ、美奈子ちゃんだ」「レイちゃんとうさぎちゃんもいるわ」
 玄関の外からの声に2人は思わず飛びずさった。
「い、いま開けるよー」
 まことがそう応えて立ち上がった。亜美も立ち上がり深呼吸をして気持ちを
落ち着かせる。やがて美奈子を先頭にレイとうさぎがぞろぞろと部屋に入って
きた。
「どうしたの? みんな揃って」
「あー、いや、二人ともどうしてるかなーと思って。あははは」
 乾いた笑いの美奈子の背中をレイが肘でどつく。亜美は三人が自分とまこと
をたきつけた事を気にして様子を見に来たのだと察した。
「亜美ちゃんのこと一日自由にしていいって言っても遊びなんだからね。何な
らもうナシにしてもいいのよ。」
「え、ええ」
 三人にどう説明していいか分からず、亜美はまことの方を見た。もっともそ
れはまことにしても同じで、困ったように亜美を見返す。
「あれぇ? 二人ともお風呂入ったの? 髪が濡れてるよ」
 不意にうさぎがその事実に気付き声をあげる。その瞬間美奈子とレイの体が
ぴくっと反応を示した。
「まこちゃん。まさかとは思うけど、もうその……しちゃったの? こんな明
るい時間から」
「えーと…」
「ええそうよ」
 困っているまことの視線を受けて亜美は大きく頷いた。美奈子とレイがぎこ
ちない動作で亜美の方を振り返る。
「だって夜にドタバタすると隣近所に御迷惑でしょう」
「!」
 絶句する美奈子とレイ。亜美とまことは目を合わせると、この三人にこれか
らどこまで本当の事を話せばいいものだろうかと苦笑した。

                                 終

感想などありましたらこちらまで heyan@po2.nsknet.or.jp

作品リストに戻る