『LEVEL UP』
                           ひーやん


 いつもと変わらない朝。いつもと変わらない登校風景。
 予鈴もまだ鳴らないこの時間、友達同士で喋りあいながら、あるいは一人で
黙々と、思い思いの足取りで学校へと向かう十番中学の生徒達。それとは少し
離れた場所で、人待ち気に立ち尽くしている小柄な少女が一人。
 その姿を見つけたまことは、足早に彼女に近づくといつものように明るく声
をかけた。
「おはよう、亜美ちゃん」
「おはよう、まこちゃん」
 まことに気づき、いつもと同じ笑顔で応える亜美。
 いつもと同じ、これまでと変わらない風景…の筈なのだけれど。
(…いつも先に声をかけられてたのは、あたしの方だったんだけどなぁ)
 亜美に向けた笑顔の裏で、まことは内心そう思う。
 傍目には誰も気付かないほどの、けれどもそれは確かな「変化」
 いつの間にか当たり前になっていた色々な事に、まことは改めてこれまで過
ごしてきた時間というものを感じていた。
 十番中学へ転校してきた当初、身に覚えのない噂のせいもあって、まことは
一人で登下校をしていた。けれどもうさぎ達に出会い、共に戦うようになって
から後は、彼女の姿を見つけた亜美が登校中に声をかけるようになってきて、
それから幾らもしないうちに、先にこの交差点に来た方がもう一方を待つよう
になっていた。
 時々は早起きしたうさぎも交えて一緒に登校。特に約束をした訳でもなかっ
たが、それはあの頃から一度転生を経た今でも変わらない朝の風景。
 ただ、まことが先に来て待っていようが後に来ようが、先に「おはよう」と
声をかけてくるのは、ほとんどの場合亜美の方だった。
 何と言ってもまことの制服は十番中学の生徒の中では格段に目立つし、同年
代の女子より一回りは大きい身長もそれに拍車をかけていたのだろう。
 ところがここ1週間ばかり、先に声をかけるのは何故かまことの方。
 そうなってみて初めてまことは、今まで亜美が自分に気付いて声をかけてき
たのではなく、自分を見つけようとしていたのだと理解した。
 この1週間というもの、まことが声をかけるまで、亜美は彼女が側に来てい
る事にまるで気付いていないような、むしろ気付かないようにしているかのよ
うで。
 それは、途中で偶然に出会ったら一緒に登校しようという話から、いつしか
暗黙の了解になっていた待ち合わせが、「一緒に登校しなくてはならない」と
いう決まり事と化してしまったかのような重苦しさを孕んでいた。
(あたしの事、好きって言ってくれたのにな)
 隣を歩く亜美の横顔を、見るともなしに見ながらまことは考えを巡らす。
 それは今から1週間前のこと。
 桜の花がまだ残る火川神社で新たな敵と、謎めいたセーラー戦士と遭遇した
あの日。2人きりのまことの部屋で、亜美はこれまで秘めていた想いをうち明
けた。
 ――――私は、あなたが好きです。
 突然の告白に驚きはしたものの、亜美の真摯な想いを受けとめたまことは、
自らも亜美に好きだと告げた。
 それから1週間。告白をしたからと言って、表向き亜美のまことへの接しか
たが変わる事は無かった。むしろ変わらなさすぎたと言ってもいいだろう。朝
の挨拶の微妙な変化さえなければ、告白そのものが夢だったのかも思えるくら
いに。
(あたしは、どうすればいいのかなぁ?)
 恋した相手に対しては、自分でもかなり積極的な方だとまことは思っている。
お弁当を作ったり相手の部屋を掃除しに行ったり、多少迷惑がられたとしても、
想いを伝える事こそが相手に自分の事を知ってもらう、それが自分の事を好き
になってもらう術だと信じていたからだ。
 だが亜美に対してはどうにも勝手が違っていた。
 いつもとは違ってなんとなく積極的になれないことに、自分自身でも戸惑い
を覚える。
(言葉ではああ言ったけど、やっぱり相手が女の子だから……ううん!)
 そう思いかけ、内心あわてて否定する。
 亜美のことは友達以上に好きだと思う。それは、あの場の雰囲気に流された
気持ちではなく本心だ。
 出会って以来、多くの時間を共有してきた。それは亜美だけでなく、うさぎ
やレイ、美奈子にしても同じこと。けれども亜美にだけは、他の3人に対して
とは違う気持ちを抱いていた。
 彼女を守りたい。
 プリンセスであるうさぎを守る。友達であるレイや美奈子を守る。それとは
また違った意味で、亜美の事を守りたい、失いたくないという強い思いが自分
の中にあることを、まことは以前から自覚していた。
 だからこそ亜美に告白されたあの夜、彼女が「自分はいつ死んでもいい」と
思っていることに対して怒りを感じたのだ。
 そして自分が同じ気持ちを抱いていた事にも気づかされた。
(「私達を残して先にいっちゃったのに!」)
 優しさだけではなく、芯の強い所もあると知ってはいたが、あんなに激しい
感情を持っているとは思ってもみなかった。そして、それほどまでに自分を想
っていてくれた事も。
 その時、彼女のことを愛しいと思った。それはこれまで憧れの先輩に抱いて
いたどんな気持ちとも違う、不思議な充足感だった。
(結局、それが違いなのかなぁ)
 今までの自分なら、恋する気持ちと積極性は一体のものだった。それは言っ
てみれば相手からの「好き」を得んが為の行為だったからだ。
 けれども今回は先に亜美から「好き」を与えられた。いや、むしろ「好き」
とは違う「愛しい」という感情を亜美に抱いてしまった。いつもと同じように
動けないのはむしろ当然のような気がする。
 それなら亜美のこの1週間の様子は何を意味するのだろう?
 自分を「好き」だと言ってくれた、それなのに。
 あと先考えずに行動してしまう自分と、沈着冷静な亜美を単純に置き換えて
はいけないのだろうが、今の彼女はむしろ告白前よりも言葉少なになったよう
にまことには思える。
 照れているのか、自分の返事に満足してしまったのか、それともあの告白そ
のものが一時の気の迷いで、いっそこのまま忘れてしまいたい事なのか?
(どう思っているんだろう……)
 まっすぐ前を見て歩く亜美の横顔からはその答えは得られそうになく、まこ
とはまるで自分が片思いをしているかのような気分になるのだった。

         ☆         ☆         ☆

 まことがそんな気分を味わっている一方で、亜美はと言えばこちらも初めて
の感覚に戸惑っていた。何のことはない、告白そのものが生まれて初めての事
だったので、その後何をどうしていいのか分からなかったのだ。
 教室の入り口でまことと別れ、自分の席に腰を下ろす。1時限目にはまだ少
し時間があるので鞄の中から読みかけの小説を取り出す。
 亜美の席の近くでは数人の女生徒が、昨晩のテレビドラマの話題で盛り上が
っていた。否応なしに耳に入ってくる言葉からは、主人公が道ならぬ恋をして
おり、来週の放映が最大のヤマ場らしいことが伝わってくる。
(……)
 亜美とてこれまで恋愛に全く興味が無かった訳ではない。どちらかと言えば
学術書などの硬い本が好きな彼女でも、時々は文学やライトノベルも読んだし、
今開いているのもそういった類の本だ。うさぎやレイのおかげで少女漫画を読
む機会も増えた。
 それらの中には恋愛をテーマに据えたものも多かったが、自分にあてはめて
考えた事は無かったし、そうする気にもなれなかった。
 物語の恋はあくまで物語の恋。私は、私の気持ちをまこちゃんに知ってもら
えればそれで良い。
 告白するまで亜美は確かにそう思っていた。だが思いもよらずまことからも
好きだと告げられたその翌日、いつもの待ち合わせの場所で遠くに彼女の姿を
見つけた時、不意に気持ちが乱れ視線をそらしてしまっていた。
 めでたしめでたしでもなく、ENDでもなくFinでもなく、告白で終わる
筈だったエピソードには「つづく」と後書きされていたのだと、亜美はこの日
初めて気づいたのだった。
(どうしよう……どうしよう……)
 ひどく動揺している自分自身に、さらに困惑が深まる。
 結局まことが声をかけてくるまで亜美は顔をあげる事すら出来なかった。そ
れは今日に至るまで続いている。
 一度顔を合わせてしまえば後は普通に話すことができた。それでも廊下で、
トイレで、合同授業で、亜美は不意にまことの姿を見かける度にどきりとした。
(どうしよう……)
 告白を決めた頃の何かに追い立てられるような気持ちとも、まことの事を意
識しだした頃のふわふわした感じとも違う、それは本当に「どうしよう」とし
か表現できない感情で。
 事が事だけに母親にも相談できず、まして相手が同じ仲間のまことなだけに、
うさぎやルナにも打ち明けられずにいた。
 話せば親身に聞いてくれるであろう事は分かっている。それでも亜美はそう
したくはなかった。
 あの日Dポイントで、プリンセスではなくまことの側にある事を選んだ自分。
その行為は転生したからと言って許されはしないだろう。
 そんな思い故に、亜美は自分の告白のせいで、まことにとっても何か取り返
しのつかない事をしてしまったのではないかという不安があった。むしろ戦士
としての使命を考えるならば、いつ告白を否定されてもおかしくはない。
 事実、翌日からまことは1度たりともその事を口にしてない。いつもと同じ
ように微笑んで、いつもと同じように言葉を交わす。まるで何事も無かったか
のように。
 あえて触れないようにしているのか。それとも一晩寝てしまったら、あれは
夢の事と忘れてしまったのだろうか?
(「一緒に生きていこう」)
 思い出すだけで胸の奥が熱くなる、忘れようもない言葉に亜美は本を閉じ、
そっと胸に手をあててみた。
 少し早くなった鼓動が掌に伝わってくる。
「どうしたの水野さん。顔が赤いけど、熱あるんじゃないの?」
「ううん」
 かけられた声に首を横に振って応えると、亜美は胸にあてていた手をきゅっ
と握りしめた。
 不安はある。でもそれを越える確かな思いがそこにはあった。

         ☆         ☆         ☆

「明日の授業は小テストを行う」
 数学教師の宣言に教室内がざわめく。
「範囲は先週から今日やった所までだ。ちゃんと授業を聞いていれば慌てる事
はないが、40点以下だった者には課題を出すので復習しておくように。以上」
「んーーーーーー」
 タイミングを計っていたかのように終業を知らせるチャイムが鳴り、教師が
教室を出ていくと、まことは思わず頭を抱えてうめいた。
「どーした? きのっち」
 そう声をかけてきたのは、隣の席の眼鏡をかけた友人だった。
「まずいよータケちゃん、あたし先週のノート取ってないんだ」
「先週って……あぁ、あの爆睡してた時か。きのっちにしては珍しかったよね。
さてはデートで朝帰りでもしたか?」
「はは…」
 まことは苦笑するしかなかった。普段は授業中に寝てしまうような事は無い
のだが、その日はちょうどあの亜美の告白の翌日。前の晩、亜美を見送った後
も、彼女の告白の言葉はずっとまことの頭の中に響き続ていけた。
 返事はしたものの、亜美の想いにちゃんと応えたことができたのか? そん
な事を考えながらまことは結局朝まで眠れず、午前中の授業はほとんど夢うつ
つのまま過ごしたのだった。
「ちなみに聞くが、ノートとってないのは先週だけ?」
「うっ」
 痛いところを突かれ、まことは机につっ伏す。
 亜美のいつもと変わらない、それでいて微妙な変化は、まことに未消化な想
いを抱えさせる事となった。そしてそれは、まことの授業態度にこれまた微妙
な副作用をもたらしていた。
「そーだろ、そーだろ。授業中に時々何か別のこと考えてぼーっとしてるもの」
「……」
 まことには返す言葉もない。授業中にも関わらずついつい考えてしまうのは
亜美のこと。
「きのっちさぁ、最近何かあったでしょ」
「……ないこともない」
「先輩に似た何とやら?」
 カマをかけるような問いかけに、まことはじろりと見返すことで答える。
「……違うか。じゃあ逆に恋愛対象外だった後輩に迫られてるとか」 
(恋愛対象外かぁ)
 不意の言葉に案外そうかもしれない、とまことは思う。自分が惚れてしまう
のはいつも先輩に似たところのある誰かで、亜美のことは好きだけど、彼女の
中にはその先輩を想起させるものはない。
 好きだけど、恋愛対象外。
 だとしたら、この胸のもやもやは何だというのだろう?
 そこまで考えて、まことはふと先ほどの言葉に引っかかりを覚えた。
「……あのねぇ、あたし別に年上趣味ってわけじゃないんだけど」
「へぇ」
 それは意外、とでも言いたげに目を丸くする友人に対し、まことは「これで
この話は打ち切り」とばかりに大きくパンッと音を立てて顔の前で合掌する。
「そんなことよりお願いタケちゃん、ノート貸して」
 深々と礼。
「あまーい。テスト明日だってのに貸せるわけないっしょ」
「あぅー」
 まことは再び頭を抱えてうめいた。
 数学教師の出す課題は教科書のそれよりも難しく、クリアしないと今度は放
課後居残りさせられると、生徒の間でもかなりの悪評がたっているのだ。
「ま、ノートに頼らず真面目に勉強するんだね。でなけりゃ他の組の誰かに…
5組の天才少女に借りるとかさ」
「え?」
 友人の口から思いもよらず聞き慣れた二つ名が出てきた事に、まことはちょ
っとびっくりして聞き返した。
「5組の水野さん。きのっち仲良しでしょ」
「あ、うん。そうだけど。……タケちゃん、ちょっと聞いてみるんだけど、あ
たしと5組の水野さんて、そんなに仲良さそうに見える?」
「今さら何を。いっつも一緒にいるでしょうに」
「そ、そうだっけ?」
 何故かは分からないまま、胸がどきりと音をたてる。
「私は覚えている。あれは去年、あんたは特に興味も無かったTVのオーディ
ションに、水野さんも行くみたいだからと参加したんじゃなかったのかね? 
かと思えばその翌日から一緒に登校。週に2、3度は一緒にお昼。彼女が塾で
ない日は一緒に下校、そこまでしといて仲良く見えるかと聞く?」
「あ、いや」
 そうだったのかと、まことは少し頬が熱くなるのを感じた。
 転生してから1年あまり、亜美といる時間は何かと多かったが、他人の目か
ら見てもそう写っているとまでは考えていなかったのだ。
 そんな事を考えもしないくらい、嬉しい時も悲しい時も、楽しい時も心細い
時も、いつだって亜美はまことの一番近くにいたし、まことも亜美の側にいた
いと思っていた。
 それは二人にとってごく自然で当たり前の事だったから。
(あ!)
 そこまで考えて、まことはふいに自分の気持ちに思い当たった。
「わざわざ聞くって事は喧嘩でもした? あぁ、もしかして最近――――」
「ううん」
 まことは大きく首を横に振ると、眼鏡の友人に向かってにかっと笑った。
「仲良く見えて当然。だって私達は仲良しなんだもん」
「……なんだそりゃ」
 あきれ顔を後目にまことは席を立つ。
『目から鱗』ならぬ『目から先輩』という名のフィルターが落ちた気がした。
(亜美ちゃんを守るためだけに彼女の側にいたんじゃない。私もずっと亜美ち
ゃんの側にいたかったんだ。そうだよそうだよ、何を難しく考えてたんだあた
しは。「好き」っていうのは、そーいう事じゃないか)
「きのっち、どこ行くの?」
「亜美ちゃんにノート借りてくるっ」
 そう言い置いてまことは教室を出た。
(なーんだ)
 明日のテストも先ほどまでの胸のもやもやも、今や夏の空のようにすっきり
爽快、雲一つ無い日本晴れ状態。
(あたし亜美ちゃんのこと、ずっと前から好きだったんじゃないか)
 恋をするのは先輩に似た人。
 心のどこかでそう思っていたから、亜美に向かう筈の気持ちが胸の中でわだ
かまっていた。
 でも自分は亜美を好きなのだ。それは昨日までの「好き」とは言葉が同じで
も意味が違う。「好き」であると同時に「愛しい」という気持ちが加わって。
(レベルアップした「好き」)
 我ながら変な表現だとまことは思う。けれども、亜美に一歩近づくごとに高
まる鼓動の理由は、これまでの「好き」では説明できなくて。ただ1つ、はっ
きりと理解できるのは――――
(あたし、亜美ちゃんに惚れちゃったんだなぁ)
 そうとなれば、あとは行動あるのみだった。

                              つづく
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感想などありましたらこちらまで MAIL to heyan@po2.nsknet.or.jp

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