『運命と呼ぶには辛すぎる、偶然と呼ぶには悲しいから』



 しあわせですか しあわせですか  あなた今
 なによりそれが なによりいちばん 気がかり


「ねぇ亜美ちゃん、あした亜美ちゃんの誕生日だよね。プレゼント何がいい?」
「え?」
 いつものレイの家での勉強会。突然そう切りだしたうさぎに、亜美は問題集を
解く手を休めて顔をあげた。
「そうだったね。明日はちょうど土曜日だし、この前みたいにみんなでパーティ
やろうか?」
 この前とはレイの誕生日のこと。結局あの後ファミリーレストランに行って、
誕生日サービスなぞで盛り上がったのも記憶に新しい。
「それだったらここでやっていいわよ。外だとお金かかっちゃうもんね。その分
プレゼントに回せばいーんだし」
「持ち込みOKね。そうだ、闇鍋しない? やみなべ」
「美奈子ちゃん、それ本気?」
「それでさ、亜美ちゃんは何がほしい?」
 好きかってに盛り上がる美奈子達をそのままに、うさぎはテーブルの上に身を
乗り出すようにして亜美の顔をのぞき込んだ。
「ううん、特にほしいものはないわ」
「遠慮することなんてないんだよ」
「そうよ。どうせ大したもの買える訳じゃないんだから」
 亜美が控えめに遠慮することくらい、とっくにお見通しのまこととレイはそう
言って笑ったが、亜美はかたくなに首を振った。
「本当にいいの。みんなが私の誕生日を覚えててくれただけで嬉しいから」
 本当は誕生日なんか祝ってほしくない。祝ってもらう資格なんかない。亜美は
そう思っていたが口には出さなかった。
 もともと誕生パーティというのは好きな方ではなかった。勿論、うさぎやレイ
の誕生日には素直におめでとうを言えるし、プレゼントを何にするかであれこれ
悩んだりもしたのだが、それと自分の誕生日とは全く別の物という気がしていた。
 いったい何が「おめでとう」だというのだろう。
 昔からそういう思いはあったが、今年は特にそうだった。
 そう思うのは、あの手紙のせいだという事は分かっていた。
(私が悪いの・・・・)
 うさぎ達と出会って以来、ずっと忘れていたその感覚。
「ほんとに欲がないと言うか・・・・」
「ねぇ」
 分かっていた事とはいえ、あまりに予想通りの反応に苦笑するレイとまこと。
「いーもんいーもん。それでもあげちゃうんだもんね。そーだなぁ、亜美ちゃん
には何がいいかな、ね」
 それでもこういう事になると頑として引かないうさぎは、さらに亜美の方へと
身を乗りだした。
 と、その時--------
「もうやめて!」
 悲鳴にも似た、それは亜美の声。
 しん、とその瞬間に全ての音が止まった。
 その中で鉛筆を持つ亜美の右手だけが小刻みに震えている。
「え!?」
「うそ・・・・」
「亜美ちゃん・・・・」
 レイも美奈子もまことも、今起こった事が信じられないような表情で亜美を見
つめた。
 誰の記憶の中にも、亜美がここまで声を荒げた事などなかったのだから。
「亜美ちゃん、もしかして私なにか悪いこと--------」
 おずおずと問いかけるうさぎ。
「あ、ご、ごめんなさい。そうじゃないの。私が悪いの」
 うさぎの視線に、はっと正気に戻った亜美は慌てて謝った。
「本当になんでもないの。ありがとう、うさぎちゃん。本当に私、その気持ちだ
けで十分嬉しいの」
 亜美のその言葉に嘘はなかった。
 それはみなにとって十分すぎるほどよく分かっていた。
 だから、それが故に誰もそれ以上亜美に声をかける事はできなかった。

         ・         ・         ・

「亜美ちゃん、何かあったのかなぁ?」
 亜美、まこと、美奈子が帰ったレイの部屋。
 途中まで一緒に帰るつもりがつい最後まで居残ってしまったうさぎは、ぽつり
とそう漏らした。
「何悩んでんのよ、うさぎらしくない」
 目に見えて落ち込んでいるうさぎに、レイはつとめて明るく声をかけた。
「どーせあたしは悩むのなんて似合いませんよーだ。でもね・・・・」
 レイの軽口にいつもの調子で言い返したうさぎだったが、やはり亜美のことが
心配なのかふっと声が小さくなる。
(うさぎ・・・・)
 そんな様子に心の中でため息をついたレイは、傍らにあった鞄を手に取るとう
さぎの目の前にどんっと置いた。
「明日、亜美ちゃんの誕生日のお祝いするんでしょ。早く帰って用意しとかない
と間に合わなくなるわよ」
「レイちゃん!」
 うさぎはハッと顔をあげるとレイを見た。
 レイがうなずきかえす。
「うさぎはうさぎの思った通りにすればいいのよ」
(それが今までも、そしてこれからも私達を救ってくれるから)
「うんっ、そうだよね。ありがとレイちゃん」
 うさぎはぱっと破顔すると鞄をつかみ、ばたばたと部屋を駆け出していった。
 やれやれといった顔でうさぎを見送ったレイは、お菓子の袋やジュースのコッ
プを片づけちらりと時計に目をやった。
 それからテーブルの上にひろげてあった自分のノートや参考書を取り、てきぱ
きとバッグに詰め込み始める。
「・・・・さて、私は私にできる事をしようかな」

         ・         ・         ・

 それから小1時間ほど後、レイは亜美の部屋の前に来ていた。
 コンコン。
 夜ももう遅いからと、チャイムを鳴らさずに軽くドアをノックする。
 BGMを流しながら勉強するような娘ではないことは分かっているから、これ
くらいそっと叩いても亜美には十分聞こえる筈だった。
 カチャ・・・・
 少しの間があってそっとドアが開かれた。
 しかしそこから顔を覗かせたのは亜美ではなくまことだった。
「レイちゃん!どうしたの?」
 突然の来訪者に驚いた様子のまこと。
「ちょっと宿題で分からないとこが残ってたのよ。亜美ちゃんは?」
 それとは対象的に、レイはまことが居ることを予想していたのか、ごく当たり
前の調子で応える。
「・・・・なんか疲れてるみたい。今は眠ってるよ」
 何か訊きたそうな表情をしたまことは、けれど亜美のことを尋ねられると視線
を奥の部屋へと漂わせた。
「そう・・・・あがっていい?」
「うん、亜美ちゃんのお母さん今日は夜勤なんだってさ」
 まことはそう答えると、慣れた様子でレイにスリッパをすすめた。
 亜美の母親はよほど忙しいのか、レイ達がこの家に訪ねても留守がちな事が多
い。たまにいたとしても、滅多に姿を現す事もない。
 普通だったら、夜遅くに押しかけたら何か言われそうなものだが、それだけ亜
美の事を信用しているのだろう。
「おじゃましまーす」
 なんとはなしに誰もいない空間に声をかけ、レイは靴を脱いだ。
 足音を忍ばせて廊下を歩き、そっと亜美の部屋に入る。
 薄い青で統一された飾り気のないシンプルな部屋。その部屋の真ん中に、勉強
会の時にだけ用意される小さなテーブルがあり、そこでまるで泣き伏しているか
のような格好で亜美が眠っている。
「ちょっと休もうかってキッチンに行って、戻ってきたらこの通り」
 まことが用意したのものだろう。テーブルの上には手つかずのアイスティーの
入ったグラスが2つ置かれている。
「ここんとこ大変だったもんね」
 レイはそう言うと、テーブルをはさんで亜美の真向かいに腰を降ろした。
「うん。だからさ、このまま寝かせといてあげようよ」
 レイが来るまでそうしていたように亜美の斜め前に座ったまことは、そう言う
と自分の参考書をぱらぱらとめくった。
「そうね」
 レイもバッグの中からノートを取りだすと、残っていた問題を解き始めた。
 しばらくはすぅすぅという亜美の寝息と、ペンの走る音だけの時間が過ぎる。
「ところで--------」
 だが先にしびれを切らしたのはまことの方だった。
「--------そろそろ、聞かせてくれないかな」
「気になるの?」
 レイはノートから顔をあげて髪をうしろに払った。
 まことを見る瞳が、いたずらっ子のような輝きを宿している。
「ちょっとね」
 レイの言葉に、まことは少しバツの悪そうな笑顔を浮かべた。
 いつもの勉強会のあと、レイが亜美の家を訪ねてきたことなどこれまで1度も
ない。勿論それはまことが知る範囲でという意味だが、それでもよく来ているの
ならそれなりに分かろうというものだ。現にレイはまことがここにいる事に対し、
まったく驚かなかったではないか。
「多分・・・・まこちゃんと同じ理由かな?」
 レイはそう言うと、今度は伺うような目付きでまことを見た。
「さっきの事だね」
 まことは軽くうなずいた。
「あんなこと言うような娘じゃないもの亜美ちゃんは。疲れてるだけじゃないと
感じたんだけど、どう?」
 最後の「どう?」は、まことが何を感じているか聞きたいというニュアンス。
「それとなく聞こうとは思ったんだけどね。なんか誕生日のことなんか切り出せ
る雰囲気じゃなくってさ」
 言外にレイと同意見だという風を漂わせ、まことはすっとテーブルを離れた。
 そして亜美の勉強机の上から1通の封筒を取るとレイの前に置く。
「さっき見つけたんだ。悪いと思って中は見てないんだけど、それって亜美ちゃ
のお父さんからじゃないのかな?」
 『水野亜美 様』と筆ペンらしきもので書かれた白い封筒。郵便局の消印は3
日前。レイの知らない町の名だった。
 手に取って裏を返すと差出し人は水野姓の男性名。住所は記されていない。
 几帳面な性格の亜美らしく封筒はペーパーナイフで綺麗に開けられていて、そ
の中には4つに折られた便箋が1枚だけ入っていた。
「届いたのは昨日・・・・か」
 レイは手紙の中を読んでみたい衝動にかられたが、亜美のことを思うとやはり
悪いような気がして、そっとまことの手に返した。
 レイもまことも亜美の父親のことについてはよく知らない。
 かなり有名な日本画家であること、亜美と同じようにチェスや水泳が好きらし
いという事くらいだ。
「両親とも水野姓ってことは、離婚したって訳じゃないんだろ?」
「さあ・・・・」
 レイは短く応えて思いを巡らせた。
 亜美から両親の話を聞かされたことはほとんどない。
 ただ2人が別居生活に入ったのは、亜美の中学入学以前からという事は、何か
のおりに聞いた覚えがある。
「そういえば・・・・」
 レイはふと思いだす事があって顔をあげた。
「何かあったの?」
 亜美の机の上に手紙を戻したまことは、テーブルの前に座りなおすとアイステ
ィーを手に取った。
「あのね、前に亜美ちゃんが言ってたんだけど--------」

         ・         ・         ・

「ただいまーっ!」
 学校から帰ってきた亜美は、玄関の戸を勢いよく開けると家の中に駆け込んだ。
 部屋に入ると赤いランドセルを降ろし、もどかしい手付きで蓋を開け、中から
全部まるのついた答案用紙をとりだす。
「お父さーん」
 画家の父親は出かけていていない時以外は大概アトリエに篭もっていた。
 そして、今もそこにいるであろうという事は、玄関にあった靴を見た瞬間から
幼い亜美には分かっている。
「また100点とったよーっ!」
 バタンと音を立ててアトリエの戸を開けた亜美は、いつもの位置に父親の背中
を見つけて飛びついた。
「そうか、それは良かったね」
 振り向いた父親はそう言って笑いかけると、その大きな手で亜美の頭をやさし
くなでた。
「水泳大会でもね、1等賞とったんだよ」
 満足そうに頭をなでられていた亜美は、目をキラキラ輝かせて父親の顔を見上
げる。
 頭脳明晰、成績優秀。
 容姿端麗、品行方正とは言われていなかったが、この頃すでに亜美は近所でも
評判の神童だった。
「亜美は勉強は好きかい?」
 娘を抱き上げてそう聞く父親に、亜美は大きく「うんっ!」とうなずいた。
「大きくなったらね、ママみたいなお医者さんになるの」
「それは凄いなぁ。じゃあ、勉強とお父さんだったらどっちが好きかな?」
「えーーーーーとぉ」
 その質問に亜美は少しのあいだ考え、そして顔をあげるとにっこりと笑った。
「お父さん!」

「転校だなんてとんでもない!」
 母親の声で亜美は目が覚めた。襖のあわせ目から隣の部屋の明かりがもれてい
る。
「地方じゃ私立の学校なんて、公立よりかえってレベルが低いのよ。それに塾だ
って。亜美だってあんなに私立に行きたがっているんだから、今さら転校なんて
かわいそうよ」
 お勉強するなら私立の方がいいな。確かに亜美はそう思っていた。
 今行っている幾つかの塾でも、周囲は全員私立の中学を目指している。
 みんなが行くから私も行くんだろう。そんな気持ちだった。
 だから母親が「あんなに行きたがっている」と言った事に対し、ちがう、とは
思ったけれど、それを言い出す気にはなれなかった。
「亜美のためを思うなら、考えなおして頂戴」
 父親の返事は低くて聞き取れなかった。

 別居が決まった日の事は、亜美はよく覚えていない。両親はそれぞれに説明し
てくれたが、その時ばかりは自慢の記憶力も働かなかったのだ。
「じゃあ行くよ」
 それだけ言って父親は家を出ていった。
 世間体もあったのか、その後すぐに亜美達もその家を払ってこの町に来た。母
親の働く病院のある十番町に。
 新しい学校でも亜美の噂はすぐに広まった。
 頭脳明晰、成績優秀に加え、亜美を語る大人達の言葉の中には「品行方正」と
いう語が追加された。
 だが亜美と同年代の子供達が、彼女を「勉強ができるのを鼻にかけてる」と言
い出したのもこの頃であった。
 「品行方正」も「鼻にかけてる」も、活発さを失った彼女に対するそれぞれの
評価ではあったが、当の本人は特に気にしたそぶりも見せず黙々と勉強に励んで
いた。
 結果としてますます成績はあがったが、友人と呼べる者は増えそうにもなかっ
た。

 やがて月日が過ぎた。
 亜美の成績は相変わらず全国トップクラスで、誰しもが彼女は都内の有名私立
中を受験するだろうと思っていた。
 だがその時すでに亜美は決めていた。私立には行かない事を。
 そして試験の当日。彼女は会場に現れなかった。

         ・         ・         ・

「それで公立の十番中に?」
「唯一の反抗だったらしいわよ。「今でも悪い事をしたと思ってる」って言って
たもの」
 話し終えたレイが、亜美の分として用意されていたアイスティーに口をつける。
「反抗!?」
 亜美とは縁のなさそうなその言葉に、まことは少なからず驚いた。
「う・・・・うン」
 その声に反応してか、亜美がくぐもった声をあげる。夢を見ているのだろう。
「亜美ちゃん、両親が別居したのは自分のせいだ、って思ってるらしいの。あの
時「私立には行かなくてもいい」って言えていたら・・・・って。だから、自分
が許せなかったんじゃないかしら」
「そんな・・・・親が勝手に決めた事じゃないか! なんで亜美ちゃんが気にし
なくちゃいけないんだよ」
 まことは腹立たしげに唸った。
 亜美が寝ていなければテーブルを力強く叩いていたことだろう。
「分かっているでしょ。そういう娘なのよ」
(でもね)
 あの後、亜美が続けて言った言葉が思い出される。
「それならせめて・・・・うさぎちゃんや私達とめぐり会った事が、亜美ちゃん
の気休めになっていてくれればいいんだけど」
(うさぎちゃんやレイちゃんと出会えたから、私ここに来てよかったと思えるの。
みんなと巡り会うために、ここに来たんだなって)
「そうね」
 まことの言葉があの時の亜美の台詞と重なる。レイは小さくうなずいた。
 だが2人の想いをよそに、今の亜美を苦しめているのはまさにその「運命的な
巡り会い」が原因だったのだ。

         ・         ・         ・

(ここはどこ?)
 亜美は暗闇の中にいた。さっきまでは確かに十番中学にいた筈なのに、気が付
いたら周囲は闇に包まれていた。
(誰かいるの?)
 闇の向こうに声をかけてみる。しかし返事はない。
 足元がたよりない。まるで宙に浮かんでいるような気がする。
 不思議な事に、明かりが全然ないのに自分の姿はよく見えた。
 いつの間にかセーラーマーキュリーの姿になっている。
(セーラームーン!)
(マーズ)
(ジュピター)
(ヴィーナス)
 仲間の名前を叫んでみる。だがやはり返事はない。
 と、不意に暗闇の中に人の姿が現れた。
(お母さん!)
 それは亜美の母親だった。
 突然の事に、亜美はセーラーマーキュリーでいる事も忘れて駆け寄ろうとした。
(お父さんとは別れることにしたわ)
 その亜美に、いきなり母親はそう言った。
(え?)
(あなたのせいよ。セーラーマーキュリー)
(!)
(あなたをこの世に送り出すためだけに、私達は出会ったの。だからあなたが覚
醒した今、もう私達は関係ないのよ)
(何を・・・・)
 何を言っているの。
 そう言おうとして、だが亜美は言葉を呑み込んだ。
 事実、それは亜美が最も気にしていた事だったからだ。
 現代に水野亜美として転生したシルバーミレニアムのセーラーマーキュリー。
 それはこの世界で再びプリンセスに、みんなに巡り会うために。
 みんなに巡り会う。
 それは運命? 
 私達の再会は決められていた事なの?
 私達がこの時代に生まれたのも、私がセーラーマーキュリーとして覚醒するこ
とも、はるかな昔に定められた事だったの?
 父と母が出会った事も、そして2人が別れる事も。
(そうよ)
 口に出してはいない言葉を見透かしたかのように母親が応える。
(私と彼が出会ったのはあなたを生み出すため、私と彼が別れたのはあなたをこ
の町へつれてくるため)
(そんな・・・・)
(全てあなたのためよ。セーラーマーキュリー)
 その声はあの夜聞いた声。襖越しに聞いた父と母の会話。
(マーキュリー、あなたなんかいなければよかったのに・・・・)
(お母さん!)
 そう呼びかけた時にはもう母の姿はなく、あたりはまた元の闇に戻っていた。

         ・         ・         ・

「普段は気付かないけどさ。亜美ちゃんて小さいよね」
 話が途切れたせいでしんとしてしまった雰囲気を嫌ってか、まことが同意を求
める風でもなく呟いた。
「うん?」
 つられてレイも眠っている亜美の方に目をやる。
 身長という意味では、まこと以外はみんな似たようなものだ。
 それなのに亜美が小さく見えてしまうのは、やはり華奢な体付きのせいだろう。
(でもまこちゃんにとっては、それ以外にも理由がありそうね)
 レイの瞳がきらきらっと輝いた。
「まこちゃんは、亜美ちゃんのこと好きなんでしょ?」
「っぷ! あんらよ、やうからぼーに」
 やおら切りだしたレイに、アイスティーを飲んでいたまことは息を詰まらせた。
おまけに言い返そうにもろれつがまわらない。
「んっ・・・・はぁ、びっくりするじゃないか」
 なんとか口の中に残っていたアイスティーを飲み下してひと息つく。
「で、どうなの?」
 レイが興味深そうな面もちでまことの顔をのぞき込んだ。
「うーーーーん、もちろん好きだよ。嫌いなわけないじゃない」
 少しばかり唸ったあと、まことは割とあっさり言いきった。
 じっ・・・・とまことを見つめていたレイは、やがてにィっこりと笑った。
「分かってるくせに、私が聞きたいのはそーいう意味じゃないの」
 いたずらっ子を通り越し、小悪魔のような微笑。
「嫌いじゃないから好き、じゃなくて、まこちゃんが、亜美ちゃんの事をどう思
ってるか・・・・そうね、亜美ちゃんにどうしてあげたいかが聞きたいんだけど
なぁ」
「お誕生日のプレゼントのこと?」
「2度も言わせないで」
 はぐらかそうとしたまことに、レイがやんわり釘をさす。
「そうだ・・・・な」
 レイに正面から見つめられて、まことは照れくさそうに指で耳の裏をかき、そ
れからもう1度、寝ている亜美を見た。
 亜美の顔は腕に隠れていて全然見えないが、そこから規則正しい寝息が聞こえ
ている。
 レイには、その時まことの表情がふっとなごんだように見えた。
「--------守って、あげたいな」
 亜美が寝ているのを確かめて、まことがぽつりと呟く。
「どんなことがあっても守ってあげたい。悲しみや苦しみからかばってあげたい。
いつでも信じていてあげたい・・・・」
「言うわね」
 レイはくすっと笑った。
「ご、ご、ご、誤解するなよな--------」
 最初の一言を言ってしまった安心からか、つい心情を吐露してしまったまこと
はレイの言葉に顔を真っ赤にした。
「亜美ちゃんを好きっていうのは、そういう意味じゃなくて、その、なんて言う
か、同級生って言うより可愛い妹みたいな感じで、そりゃ亜美ちゃんは頭もいい
し冷静だし、あたしなんかよりよっぽど頼りになるけど--------」
「つまり恋愛感情という言葉だけじゃ言い表せないってこと? それってそっち
の方があぶなくない?」
「だからそうじゃなくって!」
「くす、分かるわよ。私もそうだもの」
 思わず立ち上がりかけたまこと動きを、レイの言葉が封じる。
「え!?」
 強烈な言葉のカウンターに、まことは中腰のまま固まった。
「座ったら? 亜美ちゃん起きちゃうわよ」
「あ、うん。・・・・ね、レイちゃん、私もそうって」
 言われるままに座りなおしたまことは、レイに聞き正した。
「私は妹みたいって感じたことはないけど・・・・、理由はどうあれ守ってあげ
たくなる娘よね。亜美ちゃんて」
「うん、・・・・そうだね」
「まこちゃんはさ--------」
 くすん、と亜美の鼻がなった気がして、まことは寝ているはずの亜美を見た。
 先ほどの騒ぎで起こしてしまったのかと思う。
 けれど顔を伏せたままの亜美はずっと変わらぬ様子で、起き出すような気配は
感じられなかった。
 まことはほっとした顔で視線をレイに戻す。
「まこちゃんは、亜美ちゃんが時々うさぎよりもずっと子供なんじゃないかって
思うことある?」
 レイの言葉にまことはこくりとうなずいた。
 それが何より彼女達をして、亜美を守ってあげたいう想いの源になっているか
らだ。
「うさぎはほら、なんでも顔にでちゃう娘だから何考えてるかすぐ分かっちゃう
でしょ。でもね、亜美ちゃんの場合まわりに気を使わせないようにしようとする
から、なかなか気付いてあげられないのよ」
 それは多分、自分に向けられた愛情に気が付いていないから、とレイは思う。
「まこちゃんになら分かるでしょ」
「うん」
 もう1度うなずく。
 レイが察した通り、まことにもそういう経験はあった。
 両親と死別し、その後親戚に引き取られた数年前。
 子供心に迷惑はかけないでおこう、いい子でいようと努力したものだ。
 ただまことの場合、だからと言って死んだ両親のことを悪く言う者や、弱い者
をいじめるような奴を許すような性格ではなかったから、結果として色々な噂が
たってしまった。
 レイにしても同様だった。
 幼い頃に母親を亡くし、男手ひとつで育てられてきた。
 だからこそ、自分がした事に対し「母親がいないから」とは絶対に言わせない
ように自分を強くしてきたのだ。
 亜美もそうなのだろう、とまことは視線を落とした。
(特に彼女は両親の別居は自分のせいだと思っているらしいから、なおさら自分
をしっかり支える意志が必要だったのかも)
「私も前はそうだったけど・・・・」
 レイは昔を思い出すかのように遠い目をした。
「『しっかりした子』を続けてるとね、自分に向けられた愛情になかなか気付か
なくなっちゃうのよ。さしのべられた手を知らないうちにふりほどいてしまうの」
 誰にも頼らないのが「強さ」だと信じていたあの頃・・・・。
「子供って本来わがままなもんじゃない? けどね、わがままを言わずに、うう
ん言えずに『いい子』でいるのって、やっぱり寂しいと思うの」
 今ではうさぎがいて、雄一郎がいて、肩肘張らずになんでも言える自分だけれ
ど、果たして亜美はどうなのだろうか? 
 あるいは今でも『いい子』でいる事を余儀なくされているのではないか?
   レイにはそう思えるのだ。
(それとも・・・・)
 さらにレイは思いを巡らせる。
 まことは知らない事だが、亜美はかつて1度だけわがままを言った事がある。
 北極点、Dポイント。
(「私はここに残るわ」)
 ジュピターを失い悲嘆にくれるセーラームーンの頬を打ち、クインベリルを倒
さねば彼女の死が無駄になる、と諭した直後の彼女の言葉。
 敵を引きつける囮の役目なら、攻撃力のないマーキュリーよりも敵を長く足留
めできるマーズかヴィーナスが適任であった筈。
 それ以前に、ジュピターの死と引きかえに得た数の優位を考えれば、この場合
戦力を分散する事はむしろ愚策と言えただろう。
 だから、レイには分かってしまった。
(まこちゃんのそばを離れたくない)
 プリンセスを守る筈の戦士の、それは死を覚悟した最初で最後のわがまま。
 それを望んだ亜美は、だがそれがもたらした結果を、自らに続いてヴィーナス、
マーズ、そしてセーラームーンの死を転生後にどう受けとめただろうか?
 あるいは彼女達の死を、自分のわがままのせいだと思ってはいないだろうか?
(あの時、生者としての最後の瞬間を、プリンセスでなくジュピターのそばで迎
える事を望んだ彼女。
 その気持ちに、私はかけてあげる言葉を見つけられなかった。
 その場から離れる事でしか、応えてあげられなかった。
 その事が今、彼女を苦しめているのだとしたら・・・・)
 今更ながらに何も言えなかった事が悔やまれる。
「--------だからね、そんなわがままを言えない子には誰かが
 『あなたの事を好きだよ』って、
 『見守っててあげるから、好きにしていいんだよ』って言ってあげなくちゃい
けないんだと思うの。態度で示すのもいいけど、たまにはハッキリとね」
(あの時言えなかったその言葉を--------)
「レイちゃんは・・・・誰かに言ってもらったのかい?」
 自分ではない、どこか遠くの誰かに語りかけるような口調のレイに、まことは
そっと言葉をかけてみる。
 レイは目を細めると、黙って少し微笑んだ。

         ・         ・         ・

(亜美ちゃん!)
(ドイツに行ったんじゃなかったのかい?)
(ううん。私は日本に残るわ)
 TOKYO国際空港。
 留学先であるドイツへの出発の日、亜美は飛行機には乗らなかった。
(だってそれは私が決めたこと)
 私には守りたいものがある。だからこれからもみんなと一緒に戦っていける。
(なんだぁ。別に行っちゃってもよかったのに)
 うさぎが無邪気に笑う。
(え?)
(そうよ。何も無理して残らなくてもいいのよ)
(亜美ちゃん1人くらいいなくたって大丈夫だってば)
 レイと美奈子がうなずく。
 2人に悪意が見えないだけに亜美はとまどった。
(うん、でももう決めたことだから)
(それにさ、もう亜美ちゃんの戻ってくる場所なんてないんだよ。ほら)
 まことが亜美の後ろを指さした。
(そう、君はもういらないよ)
(いても邪魔になるだけですわ)
(セーラーウラヌス、ネプチューン!)
(だからさ、もう安心してドイツに行っていいんだよ)
 ここにいては駄目なの?
 亜美は振り返って仲間を見た。
 ドイツ行きをあきらめたのは、何よりここが自分の居るべき場所だと感じてい
たから。守るべき大切なもののあるこの町に。
(ここにいては駄目なの? 私は・・・・私はここにいたいのに!)

         ・         ・         ・

「う・・・ん」
 低いうめき声をあげて亜美が頭を動かした。腕に隠れていた顔があらわになる。
「夢・・・・見てるんだね、多分」
 飽かずに亜美の顔を見ていたまことは、彼女の閉じられた瞳に光るものを見た。
「・・・・涙!?」
「悲しい夢・・・・なんでしょうね」
 まるで亜美の夢を一緒に見ているかのようなレイのか細い声。
「亜美ちゃん・・・・」
 さすがに相手が夢では、まことにもどうする事もできない。
「可愛そうな娘・・・・こんなに好きなのにね」
 レイが呟く。
「うさぎも、まこちゃんも、私や美奈子ちゃんも、みんな亜美ちゃんの事こんな
に好きなのに。まだこの娘の不安を取り除いてあげられないなんて・・・・気付
かせてあげられないなんてね」
「・・・・!」
 レイの言葉を背に、まことは何を思ったのか亜美の肩に手をかけた。
「亜美ちゃん起きなよ。こんなとこで寝てると風邪ひいちゃうぞ」
 そう言って亜美の肩をゆする。
 悲しい夢なら終わらせればいい。まことのその強引とも言えるやり方は、しか
しレイの目にはとても頼もしく写った。
「ほら、亜美ちゃん」
「ん・・・・うん、ん」
 さらに何度か肩をゆすったところで、亜美はむっくりと頭をもたげた。そのは
ずみで、瞼の裏に溜まっていた涙がつぅとこぼれ落ちる。
「・・・・まこちゃん・・・・レイちゃん?」
 焦点の定まっていない目で2人を見る。夢の途中で強引に起こしたのだから、
それも仕方ないだろう。
「わたし、ここにいちゃ駄目なの?」
 唐突に亜美がそう訊いた。
 起き抜けのせいか幾分舌足らずな声。意識はまだ夢の中なのだろう。
「・・・・」
 まこととレイは互いに顔を見合わせた。そうしてこくりと頷きあう。
 亜美の一言で、彼女がどんな夢を見ていたのかは想像がつく。
(まだこの娘の不安を取り除いてあげられないなんてね)
 先ほどのレイの言葉がまことの脳裏をよぎる。
「・・・・いいよ、ここにいて。いいんだよ」
「そうよ。いいに決まってるじゃない」
「・・・・ありがとう」
 そう言うと亜美は静かに涙をこぼし始めた。

         ・         ・         ・

 それからしばらくして、ようやく夢と現実の区別がつくようになった亜美から、
レイとまことは根気強く今回の不安の元凶を聞きだした。
 普段だったら「何でもないから」で済ませてしまう亜美も、さすがにあんな姿
を見られた後とあっては語らない訳にはいかないと悟り、ぽつりぽつりと、それ
こそレイとまことの根気を要するほどの時間をかけて事のあらましを話した。
「ふーん、運命ねぇ」
 亜美の話を聞き終えたまことは、やれやれといった感じで首を振った。
「あたし達が出会ったのが運命だって言うならね、あたしはここには来ていない
よ。だって運命ならさ、亜美ちゃんが何に悩んでいようが、心配したって無意味
なんだもの。どうなるか分からないから心配するんだよ」
「そうね、亜美ちゃんが生まれたのも、私達が出会ったのも、それを運命だと決
めつけちゃ駄目よ」
 レイは優しい口調でゆっくりと区切るように亜美に話しかけた。
「それはね、《奇跡》って言うの」
「奇跡・・・・」
「そう、生まれた奇跡、出会えた奇跡、今ここにいる奇跡」
 運命と呼ぶには辛すぎる、偶然と呼ぶには悲しい、だから奇跡。
「だったら、あたしは亜美ちゃんに出会えた奇跡に感謝したいな」
「まこちゃん・・・・」
「うさぎちゃんに出会ってあたしは変わったと思う。たぶん彼女に出会えなかっ
たら、今でもひとりぼっちだったろう。
 でもね、たとえうさぎちゃんに出会えたとしても亜美ちゃんがいなかったら、
今のあたしにはなってないんじゃないかな?
 あたしが本当に変わったのは、きっと亜美ちゃんに会えたから。
 水野亜美って娘はね、多分あたしの憧れなんだよ。亜美ちゃんといるとね、な
んだかこのあたしでもさ、人に対して優しくなれるんじゃないかなって気がする
んだ」
 あなたがいてくれたから。
 それは今の亜美にとって何にも増して嬉しい言葉。
「ありがとうまこちゃん、レイちゃん」
(誰かが『あなたのこと好きだよ』って言ってあげないとね)
 まことなりに先のレイの言葉を実行したのだろう。
 レイはそれを言うのが自分ではなかったのがちょっぴり残念だったが、そんな
事より亜美に笑顔が戻る方がずっと嬉しい。
「あ、もう12時まわっちゃったね。誕生日おめでとう」
 ふっと壁にかけられた時計を見たまことは、日が変わっている事に気付くとそ
う言って亜美に笑いかけた。
「あたしの方が年下になっちゃったね」
「15歳になったのね。おめでとう」
「ありがとう、レイちゃん、まこちゃん・・・・わたし」
(やっと分かったような気がする)
 それは奇跡。みんなに出会えた奇跡、今ここにいる奇跡、そしてその全てにつ
ながるこの時代に生まれてきたという奇跡。
 だから「おめでとう」 あなたと出会えた奇跡に「おめでとう」

 しあわせですか? あなたは今   しあわせでいますか?
 なによりもそれが なににもまして 気がかりです

 不意に亜美は父親の手紙のメッセージを思いだした。
 離ればなれに暮らしてはいるけれど、遠くから見守っていてくれている。それ
が分かる。伝わってくる。
 そしてみんなも。
 だから今ははっきり言うことが出来る。

 あなたに出会えて こころから しあわせです
                         Happy bitrthday AMI.


                      BGM 「しあわせについて」
                          「HAPPY BIRTHDAY」
                          「勇気をだして」
                            by MASASHI.SADA

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