『微熱』



 「それじゃまこちゃん、亜美ちゃんの事よろしくね」
  誕生パーティがお開きになった亜美の家の玄関先で、レイはそう言うと少し
 心配気に廊下の奥の方を覗き見た。
  今日は亜美の誕生日。だが当の亜美の姿はこの場にはない。
 「うん、そっちこそうさぎちゃんを頼んだよ」
 「らのんらよ〜」
 「…ったく。本当に世話がかかるんだから(^^;)」
  まことの声に無意識に応えるうさぎ。レイははるかの背におぶわれたうさぎ
 の気持ち良さそうな寝顔に苦笑した。
 「あー、レイひゃんそれあらひのケーキぃ…」
 「おまけに寝てても意地汚いし」
  どうやらうさぎは夢の中でパーティ続行中らしい。
 「子猫ちゃんには少し刺激が強すぎたかな」
 「自業自得ですっ」
  パーティにはるかが持ってきたシャンペン。おまけに美奈子が父親の部屋か
 らくすねてきたブランデーが、うさぎがこーなってしまった原因なのだがレイ
 はにべもない。
 「フッ。という訳でこっちの心配はいらないよ。彼女は僕が家まで送っていく
 から」
 「そうそう。どっちかって言うと亜美ちゃんの方が心配よね」
 「2人きりだからって襲っちゃ駄目よまこちゃん。まぁ、"口移しでお薬"まで
 なら許してあげる」
 「レイちゃん! 美奈子ちゃん!!」
  うさぎ程ではないとはいえ、レイと美奈子も間違いなく酔っているのだろう。
 いつも以上に際どいツッコミに、まことは思わず声をあげた。
 「あら、木野さんははるかと違ってそんな事はしないわよね」「えーっ! は
 るかさん襲っちゃうんですかぁ? 美奈子不安〜」
  みちるが口元に手をあててくすりと笑う。
  無論酔っている美奈子と違い、こちらは完全にわざとからかっているのだか
 ら、ある意味でみちるは美奈子以上にタチが悪い。
 「ひどいなみちるは。冗談もほどほどにしておいてくれよ」
  とは言えはるかも、みちるの物言いには慣れているのかさらりと受け流す。
  結局のところはるかとみちるは他人の視線を気にする必要などない程に、お
 互いの"絆"とでも呼ぶべきものを築きあげていて、それがこういった言葉の端
 々にも表れているのだろう。
 (あたし達には当分真似できそうにないなぁ)
  そう思ったまことは次の瞬間、顔を赤らめて1人で首を左右に振った。
  一瞬とはいえ、はるかとみちるのように薔薇と音楽を背景にしょった自分と
 亜美の姿を想像してしまったのだ。
 (…ったく、何考えてんだろねあたしは…)
 「まこちゃん?」「ふふっ。それじゃあ後の事はよろしくね。さ、行きましょ
 うはるか」「そうだな」
  まことの様子に怪訝そうな表情のレイ。みちるは悪戯っぽく微笑むと、うさ
 ぎを背負ったはるかを促した。
 「おやすみ、子猫ちゃん」「おやすみ」「明日学校でねー」「ふにゃあー、す
 ぴすぴ…」
 「あ、はい、おやすみなさい。レイちゃんも美奈子ちゃんも気をつけてね」
  なんだかみちるに心の中を見透かされたような気がして、まことは頬を赤ら
 めたまま一行を送りだした。

         ★         ★         ★

 「はぁ」
  エレベーターの中に一行の姿が消えるのを待ってからドアを閉じ、まことは
 疲れたようにため息をついた。
  ようやく嵐が去った…などと言っては言葉が過ぎるかもしれないが、先ほど
 までの騒ぎを考えればあながち誇張でもないだろう。
  実際うさぎや美奈子にとっては亜美の誕生日そのものよりも、それに伴うパ
 ーティの方が楽しみだったのかもしれない。
 「誕生日…かぁ」
  1人きりになったところで誰に言うでもなく呟きが漏れる。
  亜美と出会ってからもう3年。途中で生まれ変わりすらしたから実際には4
 年近くを共に歩んできた事になる。無論前世の事を考えればそれ以上の付き合
 いになるのだが、"亜美"、"まこと"としてのこの4年間は、振り返ってみれば
 一瞬のようであり、その一方でまた随分長い間、という相反する感慨を抱かせ
 る。
  "自分と亜美との友情は、何年たっても変わる事がなかった"と、まことは言
 いきることができる。それでも、今年のこの日をいつもの時と変わらずに迎え
 られた事が嬉しい。
  来年も、そしてまた次の年も、このまま変わらずに迎える事ができたらいい
 のにな--------そうまことは思う。
  もっともそうだと思っているのはまことの感覚であり、美奈子あたりに言わ
 せれば「あの2人は年を重ねるごとに一緒にいる時間が増えている」との事な
 のだが、"変わっていない"と思っている当の両人には無論預かり知らぬ事。
  とは言うものの、まことが仲間の目をはばからず1人亜美の家に残るなんて
 事は2年前には考えられなかっただろうし、過日のダンスパーティで亜美の方
 からまことを誘うというのも、以前の彼女からは想像できない話。
  長い長い時間をかけて育まれた関係は、おそらくその長さ故に当事者の目に
 は"変化"とは写らないものなのだろう。
  今ではうさぎ達の間で"亜美の事はまことに"、"まことの事は亜美に"聞けば
 いいというのは、当人達以外では暗黙の了解となってすらいるのにである。
  まこと自身が無理だと否定した、はるかとみちるのような互いの"絆"。それ
 は本人達が気付かないだけで、既にそこに存在しているのかもしれない。

 「…まこちゃん?」
  不意に廊下の奥の部屋から聞こえた亜美の声に、まことはまたたく間に現実
 に引き戻された。
「ここにいるよ」
  自分の所在を確かめるような不安気な響きを感じたまことは、亜美を安心さ
 せるように少し大きめの声でそう応えると、部屋に戻る前に玄関の鍵をしっか
 りとロックした。
  亜美の母親は今日は夜勤で戻ってこない。それにそうでなければ亜美の家で
 パーティを開く事もできなかっただろう。
 (あのね、10日は母が留守なの。それで、もし良かったら家に来ない?)
  1週間前の亜美の台詞。
  とかく自分の事となると控えめを通り越して無頓着な亜美は、例年ならばう
 さぎ達が誘っても1度は遠慮する自分の誕生パーティを、今年は珍しくも話が
 でるや自分の方からそう言い出した。
  もちろんまこと達に断る理由は何もない。
  だが素直に喜んだうさぎと違い、まことは娘の誕生日すら仕事で埋める亜美
 の母親の事を考えて押し黙った。
  そんなまことの様子に気付いた亜美は、その日の帰り道すがら「母なりに気
 を使ってくれているのよ」と、くすりと笑った。
  聞けば、"みんなを呼んだ方が楽しいでしょう"と言ったのは、亜美ではなく
 彼女の母の方だという話。
 (お母さんが家をあける事なんてなかったのに…)
  今更ながらにそう思ったまことだったが、結局のところ今こうして亜美と2
 人きりでいられるのは嬉しい事であり、それを自覚している分、喜んでいる自
 分がやましくも思えた。
 (亜美ちゃん、お母さん似なのかな?)
  先ほどまで、うさぎ達の見送りに出れない事をしきりにすまながっていた亜
 美の姿を思い出し、ふいにそんな考えが頭をよぎる。
  人に対し気を使いすぎる。それは、まことが亜美に関して1番に何とかした
 いと思っている事柄だった。
 (と、それどころじゃなかったっけ…)
  考えごとなどしていると、また亜美が気にするだろう。
  まことは今考えていた事を頭の隅に押しやって部屋に戻った。

         ★         ★         ★

  綺麗だが以前はどこか冷えた感じのした亜美の部屋は、今ではまことの選ん
 だ観葉植物の鉢植えや、父親から送られた風景画などで飾りつけられている。
  加えて今日は先ほどまでのパーティの名残が、一応片づけられたとはいえ部
 屋のそこかしこに更なる彩りを添えていた。
  その部屋の中で、亜美は部屋着のままでベッドに横になっていた。
  悪寒がするのか顔色は青ざめていて、足には毛布もかけている。
 「どう? 具合は」
  部屋に入るなり、まことはベッドの脇にかがんでそう訊ねた。
  亜美がうさぎ達の見送りに出られなかった理由。それはうさぎと同じではる
 かのシャンペンと美奈子のブランデーだった。
  無論亜美とてアルコールの類をこれまで全く口にした事がない、などという
 事はなかったが、"飲める"という程に強い訳でもなかったのだ。
  それよりも、普段はみなの押さえに回る筈の亜美が酩酊する事じたいが珍し
 いと言えた。それはとりもなおさず、セルフコントロールを忘れるくらいにこ
 のパーティが、亜美にとって楽しいものだったという事だろう。
 「帰っちゃったのかと思った…」
  少し眠っていたのだろう。うさぎ達を見送るためにまことが部屋を出てから
 どれほどの時間もたっていないというのに、亜美は明らかにほっとした様子で
 ベッドの上に身を起こした。
 「あたしが? どうして?」
  亜美の体を支えてやりながら、まことはそう応えて微笑んだ。
  体調が悪いときの心細さは、まこと自身も身に染みて分かっている。こんな
 状態の亜美を1人置いて帰るなど考えられない事だった。
 (側にいるから。頼ってくれていいんだよ)
  言葉には出さなくとも瞳がそう告げている。
 「ううん、そんな気がしただけ」
  他の誰にでもない自分に向けられた優しさに、亜美は少し照れたように頬を
 染めた。
 「起きてて大丈夫? 休んでなよ。後かたづけはあたしがやるから」
  そう言ってまことはちらりと後ろに目をやった。
  いつもは勉強会の時にしか使われない折り畳みのテーブルの上に、さっきま
 でケーキが乗っていた皿とティーセットが置かれている。それ以外の食器は先
 にみちるとレイに手伝ってもらって既に片付け終わっていた。
 「私も手伝うわ。お薬飲んだから、気分もさっきよりは大分良くなったし…御
 免なさい。せっかく来てくれたのに…」
 「気にすることないって。楽しかったんだろ?」
  亜美の体を支えていた手を肩にまわし、まことはうつむき加減の顔をのぞき
 込むようにして訊ねる。
 「うん…」
  口元に手をあて困ったようにまことを見ながら、それでも亜美はこくりと小
 さく頷く。
 「だったらそれでいいじゃない。亜美ちゃんが満足してるんだったらあたしも
 そうだよ。さ、横になってて」
 「ええ…」
  意外なほど素直に、亜美はまことの言葉に従ってベッドに寝かしつけられた。
  まだかなり辛そうなその様子に、まことは先ほどの「大分良くなった」とい
 う言葉が自分を安心させるための嘘だと気付く。
 (もう、本当にこの娘は…)
  なんて不器用なんだろう、とまことは思う。
 (辛いなら辛いって言ってくれればいいのに。昨日今日の付き合いじゃないの
 だから友達には…せめて自分には気なんて使わないでほしい)
  それでもまことは昔よりも亜美の事を知っているから、自分の願いがとてつ
 もなく困難だという事も分かっている。
  −亜美のこの行動は多分無意識のうちのもの…
  −両親の離婚、自分がセーラー戦士であることの宿命…
  −彼女は自分が必要とされなくなる事をひどく恐れている…
 (いい子にしているから)
  −亜美の気遣いはその心の表れ…
  −彼女自身が本来持っている優しさ…
  −それに隠れるようにして、密かに発せられるメッセージ…
 (私をいらないなんて言わないで)
  そのメッセージに気付いた時に、だからまことは決めたのだった。
  亜美が我が侭を言えるようにしてあげようと。
  自分に気を使わなくて済むくらい、いつも亜美の側にいることを教えてあげ
 ようと。
  ここにいていいのだと、亜美自身が気付けるように。
  周囲の人に愛されているのだと、彼女自身が気付けるように。
 「どうしたの? まこちゃん」
 「え、ああ」
 (またやっちゃったなぁ)
  とはいえ、言葉で言うほどそれは簡単な事ではない。現に今も亜美はまこと
 の顔を不安そうにのぞき込んでいる。
  それでなくても察しのいい亜美だから、まことが自分の事を気にやんでいる
 などと知れば、また"私のせい"と自らを責めかねない。
 「亜美ちゃん今日はいっぱい食べてたからね。体重増えちゃったんじゃないか
 なって、そう思ってた(^^)」
  だからまことは務めて明るくそう返す。
 「な…」
  いきなりな内容に、亜美は一瞬惚けたようにまことの顔を見つめ、それから
 ぷうっと頬をふくらませた。
 「ひどーい。それってまこちゃんのせいじゃない。まこちゃんのお料理がおい
 しいのがいけないのよ」
 「本当にそれだけかなぁ? うさぎちゃんが"ケーキは入る場所が違う"って言
 ってた時に、亜美ちゃん"そうねー"なんて一緒になってケーキ食べてたじゃな
 い。あれ持ってきたの、みちるさんだよ」
 「そ、それはそれよ(^^;) それにケーキはあくまでデザート。メインディッシ
 ュじゃないわ」
 「てことは、やっぱりあたしのせい?」
 「そういうことになるかしら」
  2人は顔を見合わせ、そしてどちらからともなく笑いだした。
 (やっぱり亜美ちゃんは笑っているのが一番いいよ)
  いっしょになって笑いながらもまことはそう思う。
  "まこちゃんのせい"なんて、以前は間違っても言わなかったような台詞も耳
 に心地よかった。
  なによりもそれは、亜美がまことに心を開いているという証拠なのだから。

         ★         ★         ★

 「分かったよ。じゃお詫びに今夜は亜美ちゃんの言うこと、なんだって聞いて
 あげる」
  ひとしきり笑った後、まことは茶目っ気たっぷりにウインクを1つ。
 「ほんと?」
  そう聞き返した亜美の表情は、まるで小さな子供のようで。
  いつも遠慮がちの彼女のこれが素顔の表情なんだと、改めてまことの胸に思
 いださせる。
 「本当だよ。何でも言ってごらんよ」
  ずっと自分を殺し続けてきた亜美の願いを少しでも叶えられるのなら。
  少しずつでも、信じさせてあげる事ができるのなら。
  自分には何だってできる。
  まことにはそう思えるのだった。
 「それじゃあ………今日は帰らないで……ずっとここにいて」
 「いいよ。でも…んー、それ以外で何かない?」
 「え…」
  亜美の顔がさっと不安に曇る。その様子にまことは慌てて首を振った。
 「違う違う! そうじゃないんだ。その…今夜ずっと亜美ちゃんの側にいたい
 のはあたしの方なんだから」
 「まこちゃん…」
  まことの言葉に、亜美の瞳が驚いたように見開かれる。
 「たとえ亜美ちゃんが帰れって言ったって、今日は帰らない。それだけは本当
 に聞けないよ。だから"ずっといて"なんて、そんなこと亜美ちゃんが言う必要
 ないんだよ。分かった?」
 「………ウン」
  自分がこんなに優しくされていいのだろうかという戸惑い、そして嬉しさ。
 それにも増して何よりまことの与えてくれる安心感に、亜美は言葉少なに頷く
 ことしか出来なかった。
  彼女のそんな不器用なまでの感情表現に、けれどもまことは心の中に愛しさ
 が増すのを感じる。
 「と、ゆー事で他に何かない?」
 「ん……………………………………………………………………………………」
 (まーったく、亜美ちゃんてば(^^;))
  口元に手をあて、先ほどまでとは一転して真剣に考えこむ亜美に、まことは
 心の中で苦笑する。
  悩みごとでも何でも人に頼らず自分でなんとかしようと考える亜美は、だか
 らなのか願い事というのはなかなか思いつけない方なのだ。
  "結果は実力で決まるものだから"というのは、高校受験の合格祈願に訪れた
 神社での台詞。火川神社だけでは心細いと言う、うさぎや美奈子に付き合った
 際の呆れたような一言。
  だけどまことは知っている。亜美の奉納した絵馬にはうさぎとまこと、美奈
 子が合格できますようにと書いてあったのを。
 「………………………………………………………………………眠るまで……」
  たっぷり5分はたった後に、亜美はぽそりと言葉を漏らした。
 「ん? なぁに」
 「……私が眠るまで、手を握っててほしいの………駄目かしら?」
 「そんなのでいいの?」
 (手を握ってて、かぁ)
  なんだか亜美ちゃんらしいな、とまことは思う。
 「あたしなら"口移しで薬のませて"でも良かったんだけどな」
 「え…」
  ふと思い出した美奈子の冗談を口にしてみると、亜美はいきなりの事に驚い
 たように声を詰まらせた。
  それでもどこか、"そんなのでもいいの?"とでも言いたげに、きょろきょろ
 と様子を伺う視線を受けて、まことの表情もついつい緩む。
 「何ならそっちにする?」
 「ううん………いい。だってお酒臭いし…その…」
 「じゃお酒臭くなかったらいいんだ」
 「そ、そうじゃなくて……お薬はさっき飲んじゃったし、それに…」
 「分かった(^^)……これでいい?」
  戸惑う亜美をあまりからかいすぎてはと、まことは毛布の中から覗いていた
 彼女の手を両の掌でそっと包み込んだ。
 「あ…ありがとう」
  亜美はほっと息をつくと安心したように目をとじる。
  満ち足りた気持ちがもたらすしばしの沈黙。
 「……まこちゃんの手、ひんやりしてて気持ちいい…」
 「さっき洗い物してたからね。亜美ちゃんの手はあったかいよ」
 「………そう?」
 「……」
  再び口を閉ざした亜美の顔をまことはただじっと見つめ、重ねた手と手に互
 いの温もりを感じとる。
  言葉を閉ざせば耳に聞こえるのは2人の息使いだけで。
 (亜美ちゃんが聞こえる…)
  とくん、とくん、とくん、とくん…
  それでもまことは亜美に触れたその部分から、彼女の体温とともに鼓動が、
 心が伝わってくるような気がした。
  その鼓動を聞いているうちに、ずっと以前からこうして亜美の側にいたかの
 ような、そんな不思議な感覚がまことの身を包み込む。
  記憶にはない。
  けれども"ここ、がそうなんだ"という奇妙なまでに確かな安息感。
  何がそう思わせるのかは分からない。
  ただ、ずっと探し続けていた何かにようやく巡り会えたような。そんな気が
 して--------
 「…誕生日おめでとう」
  それを感じた時、自然に言葉が口をついて出た。
 (この時代に、あなたが生まれてきた奇跡に。あなたと出会えた奇跡に。あな
 たが今ここに在る、その奇跡を織りなした全てのものに…)
  ありったけの想いを込めて。
 「おめでとう…亜美」
 「まこちゃん…」
  目を閉じたまま、亜美はぽつりと呟いた。柔らかく包み込んだ手が少し熱を
 増す。
 「…やっぱり、こっちの方がいい」
 「ん?」
 「…なんでもない」
  一瞬のキスよりずっと触れていられる方がいい、とはさすがに口にだせない
 亜美だった。口にだせないどころか、そう思っただけで頬が熱くなる。
 「…あたしもだよ」
  つないだ手から想いが伝わる。亜美が口にだせなかった想い、でもまことは
 それが何か分かるような気がして目を閉じる。
  そうして目を閉じて、言葉を閉じて、互いの掌の微熱を感じながら心を満た
 す暖かなものに身をまかす。
  やがて2人の周りの全ての現実は色を失い、掌の温もりと柔らかな鼓動だけ
 が真実を伝えあう。
 (…今、この瞬間になら…)
  世界が終わってしまってもいい。
  まことはそう思った。
 「…ねぇ、まこちゃん…また会えるよね……まこちゃんに……みんなに…」
 「……もし…いま世界が終わっても……会えるよね…」
 「!」
 「……お願い……それにすれば……よかっ……」
  亜美の言葉に息をのみ。まことは思わず目を開ける。
  言葉が途切れると同時に、すぅすぅと小さな寝息。薬がようやく効いてきた
 のか、まことの目に写った亜美の寝顔はとても安らかで。
 「亜美……ちゃん。…眠ったの?」
  当然それに応える返事はなく、まことは軽くため息をついていつの間にか力
 を込めてしまっていた手を緩めた。
 「それは……聞けないよ。だって……亜美ちゃんのいるこの世界はあたしが、
 みんなが守るんだもの…終わらせやしない」
 (…また会えるよね……まこちゃんに……みんなに…)
  まことの想い。それを感じた亜美はその想いを受け入れた。
  だがまことは心を通わせたあの瞬間、亜美以外の全てを捨ててもいいと思っ
 た自分が恥ずかしかった。
  亜美の事を想っているのは自分だけではない。うさぎやレイ、美奈子、亜美
 の母、亜美の父、まことが知っている人、知らない人…。
  自分がみんなに愛されているという事を自覚できない亜美に、みんな亜美の
 事が好きなんだよと教えてあげたかった筈。
  だがあの瞬間、まことはその事を忘れた。
  そしてまことを受け入れた亜美の言葉に、みんなが亜美の事を好きなように
 亜美もまた、みんなが好きだという事を思い出させられたのだった。
 「教えてあげるよ…」
  自分1人が亜美を好きなんじゃない。
  その想いを噛みしめながら、まことは再び誓いをたてる。
 「亜美ちゃんが自分で気付くまで。いつでも側で教えてあげる。みんな亜美ち
 ゃんが好きだって。ずっとずっと好きだって…」
  いつの日か亜美がそれに気が付いて、その年も、その次の年も、いつもと同
 じように誕生日をお祝いして。そして月日を重ねて、やがてこの世界を去る時
 が来たならば…その時は、その時こそは…。
 「…また、みんなで会おうね」
 (生まれる前から出会ってたあたし達だもの。きっとまた巡り会えるよ。
  巡り会って、亜美ちゃんの事を好きになるよ。
  それは運命なんかじゃなくて、みんなの"願い"が起こす奇跡なんだから…)
  掌に亜美の鼓動と微熱を感じながら、まことは心の中でそう呟く。
  すぅすぅすぅ。
  亜美の寝顔はまことの想いが届いたかのように穏やかで。
  その寝顔を見ているうちに、いつしかまことも深い眠りへと誘われていった。

                                 Fin.

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