第四次ハリコフ戦ゲーム

Ukraine'43 [GMT]


GMT Games' Ukraine' 43

( Paper Wars #40 )

 

Ukraine'43 の箱絵タイトルをアップで撮影。サブタイトルを見よ!

GMT Games' Ukraine '43
( Paper Wars #40 )


reviewed by Henry Lowood




あまり深く考えずに 『 Ukraine'43 』 というタイトルを読むと、スターリングラードでのドイツ第6軍壊滅後に東部戦線を安定させた、フォン・マンシュタイン元帥の有名な “バックハンド・ブロウ” を扱う他のゲームを依然として思い浮かべるかもしれない。

でも、焦らずにサブタイトルを読んでみよう。

このゲームはマンシュタインの反攻を扱うものではないし、もちろん、それに関する他のゲームとは全く異なっている。
Ukraine'43 は第2次世界大戦でのドイツ南方軍集団に対するソ連軍初の主要な夏季攻勢を扱う。 ドイツ軍のクルスク攻略 ・ シタデレ(城塞)作戦が徐々に勢いを失って尽きてしまった少し後、8月初旬の暑い最中に、ソ連軍の攻勢は始まった。ゲオルギ・ジューコフ元帥麾下のソ連軍は、おおよそドネツ川に沿う 約400マイルの線上で大規模反攻を始めようとしていたのだ。 ドイツ軍占領下の全ウクライナの解放のみが、まさしく彼らの目標である。
フル・キャンペーン・シナリオ終了時の11月15日、史実でのソ連軍は既にドニエプル川の向こう岸へ橋頭堡を広げることに成功し、キエフを奪還して市街の南西方向彼方へと進出していたのである。 彼らの成功は、東部戦線でそれから2年間続く西方への移動の口火を切ったのだ。



Ukraine'43 を出版したのは GMT Games なのだが、Rhino社の隠れた痕跡はハッキリ見える。
Rhino は多分に “ワンマンショー” 的な会社で、マーク・シモニッチ その人こそが 主(あるじ)だった。

《 否、:マークが Rhino で活動している間、私はプレイテスターやリサーチャーとしてマークを手助けした。しかし Ukraine'43 に関しては、このレビュー原稿を書く時分まで私は何もしていない。 》

マークは、Ukraine'43 のゲーム・デザイン、マップ・グラフィック、カウンター・アート、そして事実上 トニー・カーティスがGMT のために処理したディベロップメント以外の全作業に責任を負っていた。けれども、このゲームの創作は “ワンマンショー” ではなかった。
今日、GMT はヒストリカル・ウォーゲーム企業の中で最も優れた集団 (デザイナー、ディベロッパー、製造技術) を抱えていると言ってよい。Ukraine'43 は、この会社が継続実施している製品改良の努力を良く示している。



第2次世界大戦ゲームのデザイナーとしてマーク・シモニッチが選ぶ範囲と規模は一貫しているし、彼が成し遂げようと努力している事柄の将来性は明確に立証されている。
CMJ誌の付録にもなった "Decision in France" 。シモニッチのゲームが主として扱うのは、クライマックスを迎えた戦闘や戦術的なバトルよりも、むしろ非常に長期間の “戦役” である。 Rhino を経営してた頃に出版した "The Legend Begins"、"Campaign to Stalingrad"、それに "Decision in France" といった作品が確かにそうだった。これらのゲームと同様、"Ukraine'43" は戦域内で既に優勢に立っている軍隊の大攻勢で始まる戦役を探求している。;
その目標は窮地に陥っている敵対者を壊滅すること、及び領土の獲得を積み重ねることである。戦略的守勢に立つプレイヤーは敵の足留め ・ 後退 ・ 適切な反撃、そして戦線を維持するための部隊集結の要領といった技術を習得しなければならない。
シモニッチは、例えばアバロンヒルに在籍していた頃は様々な種類のゲームをデザインしていたが、第二次大戦ゲームをデザインする際には上記のテーマを共有している。彼は意識して自分自身を一つの型に填め込んではいないと思う。
彼のゲームの範囲や広がりは砂漠であれウクライナの大草原であれ何でも通り抜け、川筋から川筋へと横断する戦闘の干満の足跡をたどるマップ製作者としての眼識に従っている、と言えばほぼ間違いないだろう。



マーク・シモニッチ の名前が付くゲームに対して優れたグラフィック・デザインやコンポーネントを期待するのは、とくにアート・ディレクターとしてロジャー・マクゴワンが制作チームに参加してそのゲームが GMT から出版されるなら、至極もっともなことである。
この才能の組み合わせは(棒高跳びの)バーを高い位置にセットした。けれども、 "Ukraine'43" は隙間を残しつつ軽々とそのバーを跳び越えている。

ゲーム・マップは非難を浴びる唯一の内容物だ。
ディケンズの言葉を言い換えるなら、 「最良のマップであり、最悪のマップでもある」※1
視認性とプレイのしやすさの観点から見ると、このマップはシモニッチのマップ製作スタイルの進化における水準の高さを示している。このスケールで彼よりも上手くロシア戦線の広々とした空間を描く者はいない。
Ukraine'43 のマップ。細長い部分は確かに使い難い。マップは、左上にあるチェルノブイリから右下のタガンログまで、それに西端近くにソ連軍の明確な勝利目標であるキエフを含む地域をカヴァーしている。軍事行動上の制限 ("Ukraine'43" の中でそのように見なされているような) をもたらす地形は、一目で見分けられる。 欠点は、遺憾なことに GMT がマップを不揃いに2分割して出版したことだ。
一方は 22インチ x 29インチ、他方の細長いのは 5インチ x 29インチである。
これは、印刷するシートの枚数を減らすことができるコスト抑制のための寸法と思われる。27インチ x 29インチというのはゲームマップとしては明らかに異色なのだが、もし 34インチ x 29インチの広いマップが印刷できたなら、29インチ x 34インチの1枚マップのシートが最善の解決策だったのではないだろうか?
これは恐らく馬鹿げた疑問だろう。でも、私はこの細長い1片にイラつくのである。マップの底辺(南端)にそれを置く際、両方のマップの上にアクリル樹脂板もしくは類似の物を被せないと、長時間きちんと置き続けることがほとんど不可能なのだ。
そんな事で困っている者にとって、マップの端に沿って並べられている記録トラックやユニット保管エリアがマップのヘクス部分にはみ出ているのは、ゲーム・プレイ中に少々鬱陶しくて目障りである。

※1 ・訳註 : チャールズ・ディケンズ:1812-1870、イギリスの小説家。
     『二都物語』の有名な書き出し 「最良の時代であり、最悪の時代でもある」 が元ネタ )




疑問の余地のあるこのマップ以外のゲーム内容物は、現在入手可能なゲームの中でも最良のものの一つであることに異論は無い。
GMT はカウンター・シートやルールブック、それにプレイ補助カードの中のあらゆる微細な欠陥をも取り除いたのである。そのプレイ補助カードは、ひょっとすると今まで作製された同種のものの中で最もカラフルで機能的、しかも有用な一品なのかもしれない。
これらのチャート類には初期配置表、増援スケジュール、ルールの要約、地形効果表及び戦闘結果表、そして手の込んだフルカラーのプレイ例が含まれる。プレイ手順表の裏面に用意されているヒストリカル・セットアップ表には好感を抱く。
このような情報を補助カード類の中に詰め込んだり、見やすく配列しようとするならば、その努力を硬いカード用紙(さらにラミネート加工を施す)を用いることや、1部ずつしかない二つ折りの冊子を2部ずつ用意して使い勝手を良くすることに注ぎ込むべきだったのでは、というのが正直な感想だ。最近ではカラーコピーや自力でのラミネート加工は簡単に行えるので、これらは単なる屁理屈に過ぎないが。
ユニット・カウンターはカラフルで文字が読み取りやすいし、ルールブックは明解で読みやすいレイアウトになっている。



両陣営の “混成” 歩兵(狙撃兵)ユニットの例。Ukraine'43 のゲーム規模は、適当な専門用語が無いので 「会戦級」 とでも呼ぶのかもしれない。
ユニットには複数師団の混成、軍団、それに特殊ユニットがある。ソ連軍の狙撃兵ユニット駒は師団の分類で表示されているが、実際には2個師団による臨時の集積部隊である。北部から登場する幾つかのドイツ軍ユニットも同様な形式になっている。そのような場合、臨時ユニットを構成する両師団の歴史名称(師団番号)が全てのユニット上に記載されている。 ;
したがって、その組み合わせが多少恣意的であっても、歴史的情報は失われていない。これは Ukraine'43 での歴史的価値に関しての妥協案なのだろうか?
シモニッチはデザイナーズ・ノートの中で、想定する軍事行動モデルに合致した妥当な戦力比と戦力密度を保つためのユニット・カウンター総数を 280個に制限する意識的且つ明確な計画決定だった、と説明している。



シモニッチは普段、適度な難易度のゲームをデザインする。
( GMTは、このゲームを9段階の難易度で6段階目と評価している。まぁ、そんなものだと思う。)
彼の歴史キャンペーン・シミュレーション作品はいつも纏まっているし、きちんと道理に適った核心メカニズムの集合体は入念に微調整されている。
革新的なルールの数は大概少ないのだが、彼のゲームデザインの中でそれらが果たす役割は重要になることが多い。これを別の言葉で表現するなら、彼のゲームデザインにおける長所は自動車のボンネットのクロムメッキやピカピカに輝く薄い表面層などではなく、むしろ苦労の末に造り上げられた 滑らかに作動するエンジンの中に見出されるのである。

史実に基づく修正をシステムに調和させる作業が済むまでに、しばらく時間が掛かったようだ。( Ukraine'43 を長期間いじくり回していたことを彼は認めている。) しかし一旦それが形になると、その概念はあっさりとプレイヤーに理解された。
シモニッチの、特に Rhino 時代のゲーム・デザインに問題があるとしたら、それはゲームを出版した後、シモニッチやプレイテスター達が予期しなかった方法で一般プレイヤーがプレイすることにより、バランスの欠如や特異性を発見されてしまったことである。
シモニッチのもう一つの特質は、ルールの変更やエラッタを提示してくれといった類の批判に素早く応じていることなのだが、時としてこのような改訂は、入念に作り上げたゲーム・システムを台無しにしたり曖昧にしてしまうことがある。そういう意味では、あるいは彼は少し性急過ぎるのかもしれない。



Ukraine'43 に手を加える必要は あまりなさそうだ。
このゲームはシモニッチの作品としては通常よりも少し複雑なのだが、バグは取り尽くされてしまっている。 (訳註:その後、いくつかのエラッタが公開されている。)

彼の初期の頃の新機軸、ZOCボンドやマグニチュードを使用した戦闘処理、それに多少の追加要素等々を、全てプレイできる範囲の限度内で採り入れている。
このゲームにおける学習曲線は第2〜3ターンの間が険しく、その後はかなり速いスピードでプレイすることができる。
2つ目と4つ目のシナリオは、ゲームの修得および 6〜7ターンのシナリオを最後までプレイする機会を与えてくれている。けれども、これらのシナリオはマップの狭い範囲を部分的に使用し、少数のユニットを参戦させるような ミニ・シナリオでは無い。
キャンペーン・ゲームのセットアップは他のシナリオのそれよりも作業量がそれほど多いワケではないことを考慮すると、初めにフル・キャンペーンの予行演習を 3ターンだけプレイしてゲームを修得し、それから本格的に最後までプレイする為にセットアップをやり直したほうが良い。
この方法を用いるのには、もう一つ理由がある。
キャンペーン・ゲームでは、序盤のソ連軍の強襲とドイツ軍の対応の結果次第でゲーム中盤が消耗戦になるか機動戦になるかが決まってしまう。ソ連軍プレイヤーが慎重過ぎたり、ドイツ軍プレイヤーが多くの箇所で反撃し過ぎる、といった酷いミスを序盤のターンでやってしまう可能性がある。
簡潔に言うと、キャンペーン・ゲームのニュアンスというのは2回目くらいのプレイから格段に容易く理解できるようになるので、21ターンのキャンペーン・シナリオにフル参戦する前に策を練っておくのは案外良いアイディアなのだ。



ゲーム・システムを特徴付けているのは、通常よりも数の多い独特なターンの細分化である。
移動フェイズと戦闘フェイズの組み合わせが2組あり、その間に防御側の対応フェイズを挟む形になっている。Ukraine'43 で目に付く特色はこれらのフェイズで実施できる活動の性質にあり、各ターンは両陣営が同じ形式のフェイズを同じ順序で行うという意味で対称的になっている。

第1移動フェイズでは、全ユニットが全許容移動力を使って移動し、戦闘位置に着かせることができる。
このフェイスで両陣営には大きな違いが一つ存在する。
大河川に隣接し、他の幾つかの条件を満たす限られた数のソ連軍ユニットは、このフェイズで強襲マーカーをその上に置くことができる。ユニットはこのようにして大河川渡河攻撃部隊に指定されるのだ。
ソ連軍プレイヤーは渡河攻撃の成功に続く舟橋建設の可能性に備え、架橋段列マーカーも配置する。

第1戦闘フェイズで両プレイヤーは戦闘を解決し、その後ソ連軍プレイヤーは(自身の手番ターンのみ)舟橋建設のためにダイスを振る。
どこかで見たような光景? 渡河攻撃は、このゲームの華かもしれない。このゲームの数あるシステム・メカニズムの中で最も難しいのは、恐らく渡河強襲の複雑な行程と、強襲が成功した後にどのユニットが前進可能なのかを理解することである。その複雑さの度合は、強襲任務を成功させる為にスタックを大量投入することによって、さらに増大する。
ヘクスとユニットのサイズが小さいので、強襲マーカーや架橋段列マーカーを含むスタックを上手く取り扱うにはちょっとしたコツがいる。
強襲マーカーの枚数に制限があるのは先述のマップの問題とは違い、コスト削減の手段とは思えない。;
そうでは無く、この戦役の期間中に両陣営、特に赤軍を苦しめた兵站上の問題と特殊装備の不足を上手く再現しているのである。

戦闘後、防御側(非手番側の)プレイヤーは3スタックまでのユニットを全力で動かすことが可能な、短い対応フェイズを楽しむことになる。
この対応移動には、防御ライン上の陣地を支援するために最大限の機動力を持たせる目的で前線の背後にいくつかの機械化ユニットを待機するように促す多少の制約が存在する。

1ターン中には、まだ攻撃側の2つのフェイズが残っていることを忘れないで欲しい。

第2移動フェイズ別名・突破フェイズでは機械化ユニットは制約なしに移動可能、しかも伝統的に 「オーバーラン」 として知られる機動強襲を実行することもできる。
歩兵ユニットは1ヘクスだけ移動できる。
表と裏に別種のマーカーを相乗りさせている為に枚数が制限されている強襲マーカーは、この時点では第2戦闘フェイズで戦闘を実施するユニットを指定するために使われる。

第2戦闘フェイズでは、強襲マーカーを置かれたユニットだけが敵と交戦する。

混乱マーカーを取り除き、次に補給状態を確認したら、イニシアティブ(手番)は相手プレイヤーに渡る。
もう一度言うと、ドイツ軍ターンとソ連軍ターンは、渡河攻撃と橋梁建設という大きな例外を除き、ほとんど同一なのである。



フェイズのシークエンスを一旦理解すると、ゲームのメカニズムは型どおりの手順 (ルーチン・ワーク) となる。 ZOCボンドやマグニチュードといった新機軸は必ずしも目新しいものではなく、とにかく楽に修得できるのである。

ソ連軍の砲撃と空挺降下能力、空軍力、特殊ユニット、リーダー(マンシュタインとジューコフ)と彼らが持つ能力、ユニットの可変防御戦力に関するオプション・ルール、陣地、それにその他の事項といった追加要素は、基本テーマにバリエーションを与えている。これら追加要素の効果や選択の全てがゲームの本質的な面に与える影響は、わりあいに小さい。にもかかわらず、それらはゲームのヒストリカルな趣を高め、様々な面での価値を上昇させるのだ。
特にドイツ軍プレイヤーは、前線を無傷に保つため、部隊を鼓舞する(壊滅させない)ため、あるいは可能な限り全戦線を安定させるため、戦術的に耐えきれずギリギリの状態にある全ての箇所を無意識のうちに捜し回っている、なんて事がしょっちゅうある。
ソ連軍プレイヤーにとっては、これらの特殊ルールはドイツ軍プレイヤーほど決定的なものではない。けれども、自軍部隊を多少犠牲にして戦闘でのマグニチュードを増大させるジューコフの能力を適切に使用することは、消耗戦略における重要な要素となりうる。

システムの詳細部分は興味深いのだが、Ukraine'43 の最も爽快で面白い特色は、プレイヤーの意識がゲームの修得から上手にプレイする事へと変化するスピードだ。 陳腐な決まり文句にもあるように、このゲームは修得する事よりも熟達する事の方が困難なのである。



先に言及したように、大多数のプレイヤーはソ連軍が蓄積した勝利ポイント数で勝敗が決まるキャンペーン・ゲームに専念することだろう。 キャンペーン・ゲームは、ソ連軍の4個方面軍がドイツ軍の弱体化した5個軍と対峙した状態で 1943年8月3日に始まる。 両プレイヤーには初期配置のオプションが3つ用意されている。:

キャンペーン・ルールに記述された史実に基づく制限の範囲内で、自由な配置が許される標準セットアップ

軍や方面軍レベルでの史実上の戦力は保持されるものの、ユニット個々の識別は無視されるクイック・セットアップ (このオプションは全シナリオで使用可);

別紙のカードに印刷されているヒストリカル・セットアップ

ゲームの開始方法を3通り用意するという細やかな配慮は賞賛に値する。けれども、対人プレイをする人達は たぶん標準セットアップを用いると思うが、ソロプレイでキャンペーン・ゲームを学習する大多数のプレイヤーは、ヒストリカル・セットアップを使用すると思われる。
クイック・セットアップはトーナメント・プレイで使うのに申し分ないのだが、このような規模と範囲のゲームを3時間のトーナメント戦でプレイする機会は、さほど多くはなさそうだ。



マップ上でゲームを開始するほとんどの部隊駒は、ハリコフの東と南東を進み、それから南東へとドネツ川沿い、そして最後にミウス川沿いにタガンログへと南へ下る線上に配置される。
写真中央からアゾフ海に面するタガンローグの街へと注ぐ地味な川こそが、高名なミウス川である。Ukraine'43 のマップ上のミウス川は、戦史の中での役割から期待しうるほどの特徴があるわけでは無い。その代わり、ミウス防衛線の陣地によってこの川の重要性が表現されている。
1943年、ソビエト陸軍の経験・編成・補給システムは戦力思考を広正面攻勢の概念へと強化した。にもかかわらず、装甲突破の概念は単体の強襲または二重包囲の形で間違いなく生き残っていたのだ。
ハリコフ北方に配置されるヴォロネジ方面軍は薄く守られたドイツ軍戦線を突破してハリコフの北へ、そしてゆくゆくは西へと侵攻できるほど強力な戦力でキャンペーンを開始する。その他の場所でもソ連軍プレイヤーは、ドネツ川やミウス川沿いの陣地線でゲームを開始するドイツ軍歩兵部隊を撃破できるだろう。



キャンペーン・ゲームではターン毎に勝利ポイントの基準点が設定されていて、ソ連軍プレイヤーだけが勝利ポイントを獲得する(または失う)。ターン終了時に基準点を6ポイント以上 上回っていると、ゲーム・オーバーになる。
通常、ソ連軍プレイヤーはドイツ軍プレイヤーによって支配されている都市を占領することで、これらの貴重な勝利ポイントを獲得する。 サポロジェ・ダムの占領あるいは破壊のように例外的な勝利得点源もある。キエフは5ポイントの価値があり、ハリコフは3ポイント、タガンログは1ポイント、・・・ などなど。
おおよそで 40ポイント分の目標がマップ上には存在する。これにはダムの分をカウントし、プレイヤーの行動によって生じる比較的稀な出来事に起因する勝利ポイントはカウントしていない。
ところで、ソ連軍プレイヤーが6ポイントだけ基準点に不足していると、ドイツ軍プレイヤーが勝利する。例えば、第5ターンでのマジック・ナンバーは4であり、これは赤軍が 10勝利ポイントを稼いでいると勝利し、ポイント合計が理論上は有り得る −2 だと敗北する。
キャンペーン・ゲームの最終ターンでは、基準点だけで勝利が確定する。ソ連軍プレイヤーが基準点 ( 26 VPs ) に到達していれば勝ち、達していなければ負ける。



このシステムでの一つの逃げ口は、第 20ターンでソ連軍が勝つには 30ポイントが必要であるのに、最終ターンの第 21ターンでは 26ポイントだけで十分だということである。これは理論上、ドイツ軍が勝つためには最終ターンに反撃しなければならないのかも、といういくぶん不自然な事態を意味する。おそらくこの粗は微妙な部分なのだろうが、枢軸軍プレイヤーにとってこの事態に直面することは、それ以外での良いプレイを台無しにしかねない。



この勝利条件の最も良い面はゲームの流れを良く映し出すことだ。;
ソビエトに課せられる勝利ポイントが緩やかに増加する様は、最終目標がちょうど手の届かない所に有るが故に、しょっちゅうフラストレーションが溜まる状況を表現している。そのため、多数の目標に向かって突進するのに丁度必要なだけの戦力を掻き集めなければならない、という恒久的な問題を彼は抱えている。
このゲームでのドイツ軍プレイヤーは兵力不足を補い、過度の消耗を避け、適時反撃し、そして本質的には頑張り通すことをまさに実行しようとしている。
通常、特定のターンにおける重要な勝利ポイント目標は両プレイヤーに明確に認識され、故に彼らは低下した戦力で情勢を安定させる方法を見つけ出そうと絶えず努力する。



序盤の数ターンを経てキャンペーンゲームが進行するにつれ、ハリコフの北と北西、とりわけヴォロネジ方面軍のエリア内でソ連軍の突破が必然的に生じる。史実ではベルゴロドやタガンログといった街がすぐに陥落した。
ドイツ軍は少数の強力な機械化師団を有し、さらにそれらは近郊の領域を安定させるために別々に使用できる。しかし、防御陣地内で敵の策略にハマらないように用心しなければならない。
マップ左上にあるドイツ装甲軍団ボックス。“踊り子達” をここに陳列し、優雅な舞を踊らせるのだ。マップ上の他地域からの戦力抽出という犠牲を伴うのだが、装甲師団を装甲軍団に編入させることにより、どんなソ連軍スタックにも強打を与えられることが可能になる。
結果として、ドイツ軍プレイヤーは初めの5〜6ターンあるいはそれ以降のターンを、戦線の裂け目を塞ぐ、時間を稼ぐ、時々反撃する、そしてその期間の大部分は打破されないように努力して過ごすことになる。
ドイツ軍の残存戦力の大小は重要な要素だ。;
第4、もしくは第5ターンまでには歩兵の多くは磨り減らされ、装甲ユニットのいくつかは減少戦力面に裏返っていることだろう。(しかも、キャンペーン・ゲームでは4個装甲師団が減少戦力面に裏返った状態でゲームを開始する。)
消耗を要因とする “戦力の下方スパイラル (螺旋降下)” を回避するため、後方地区に可能な限り数多く造った陣地への時宜を得た撤退が、ゆくゆくは必要になるだろう。
ソ連軍プレイヤーが自動的勝利を達成する絶好のチャンスは第5ターン頃から始まり、おそらく第9ターンまでは増大する。ドイツ軍プレイヤーは自動的勝利の数ポイント手前という状況で赤軍の大潮流を支えきるために、さらに十分な数のユニットを掻き集めようとするだろう。



中盤は最も予測が困難だ。
ゲームの趨勢は、時としてソ連軍の初期攻勢後に残存している戦力比率によって変動する。と同時に、ゲーム中盤というのは本来、詳細には記述しきれないものである。
ドイツ軍プレイヤーは時としてヤケっぱちになり、すべてのソ連軍突破部隊に対してピリ辛な反撃を手早く実施する。そのため両陣営が被る重大損害は、ゲームを激烈な強襲重視から機動戦重視へとさらに変化させるだろう、と私は思う。
特にドイツ軍にとって、乏しい増援と補充という流れに逆らいながら損害のバランスを均衡に保つことは重要である。加えて、戦術的撤退または戦略的撤退さえも回避できないだろう。
ソ連軍プレイヤーは、劇的に突破するか、または単にドイツ軍に休む暇を与えないようにするかのどちらかの方法でドイツ軍を毎ターン混乱させるために、2〜3個の比較的完全状態の戦車部隊の維持に努めなければならない。
私の経験から言うと、ドイツ軍プレイヤーが第15ターン頃以前に自動的勝利を達成するのは殆ど不可能で、それ以降でもその見込みは無い。こうした意味では、キャンペーン・ゲームはソ連軍側が有利だ。
ドイツ軍の勝利への唯一の希望は、最前線の惨めな兵士が1943年まではそう思っていた(に違いない)ように、基準点の近辺にしがみついていることである。けれども、ドイツ軍が上手くプレイして最終ターンまで達した場合、たとえソ連軍プレイヤーが先述した勝利条件上の逃げ口を存分に活用したとしても、まだ両者に勝つ可能性がある。
勝利条件から見ると、決して圧倒的ではないアドバンテージがソ連軍プレイヤー側にあることを私は認める。 それでも、Ukraine'43 には再度プレイする真の価値を保証するに十二分な多様性と、腰を据えて研究を続ける多くの理由がある。



マーク・シモニッチと GMT ゲームズの Ukraine'43 は、両者が作製したこれまでで最高の製品である。このチームが得た経験はなんと特異で、彼らの細やかな配慮はなんと良心的で、しかも史実的な詳細さとプレイのしやすさの融合をなんと適切に成し得たのであろう!
Ukraine'43 の製作事情の中で述べられた才能の結合は、快適なプレイと何度もプレイする価値とを持ち合わせる優れた歴史シミュレーション・ゲームを産み出したのだ。

 

Fin

Translated by T.Yoshida


本記事掲載誌の Paper Wars 40号は、2001年5月に発行されました。
この非公式和訳文は、Omega Games の許可を得た上で公開しています。

Copyright © 2001 - 2004 Omega Games.
Copyright © 2004 T.Yoshida.


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