祭式とは....

 祭祀を行ふについての法式狭義には、単に祭典の順序次第を祭式と称してゐるが、その他、神饌、祝詞、祭員の進退作法等、廣く祭祀執行に闕する一切の標準となるべき法則を指していふ場合もある。
 祭祀の存するところ必ずその式が伴ふべきものであるから、祭式の起源も亦祭祀と共に、高天原時代に之を求むべきである。
 祭式の註記されたもののうち、最も古いものは、『貞観儀式』で、『延喜式』『北山抄』『江家次第』等これに次ぐ。
 中古以降は、白川、吉田の両家が、各々の家法によつて一般神職に伝授し多くの神社はこの両家の祭式作法によつて居つたが伊勢の神宮を始め賀茂、春日、出雲、宇佐等の大社にあつては各其の慣行の祭式が存して居た。
 明治維新の後、神社の制度が漸く整備せらるるに際し、祭式の制定をも必要とするに至り式部頭に命じて之が撰定を命ぜられた。
 此に於て、古を稽へ今を酌み其の虚飾を去り其の誠信に基き祭祀の恆式を定め明治八年三月に至つて上奏、四月十三日式部寮達を以て發布せられた。
 これが明治祭式である。
 即ち、官國幣社の祈年祭、新嘗祭、官幣社例祭、國幣社例祭の祭式、祝詞、神饌につき詳に規定し、又官國幣社通式として元始祭、後月輪東山陵(孝明天皇)遥拝、紀元節、畝傍山東北山陵(神武天皇)遥拝、大祓、神嘗祭遥拝、假殿遷座、本殿遷座を掲げ、之が次第、祝詞若は拝辞等に亘り詳細に定めて居る。
 なほ、同年八月十二日教部省達を以て、府縣社以下に於ても、右の官國幣社祭式を準據として各社適宜に祭典執行致すべき旨を達せられた。
 之より先、神宮に於ても、古今を折衷斟酌して、皇大神宮及豊受大神宮年中の諸祭式を編修し十年十二月祭主朝彦親王より上奏せられた。
 神宮明治祭式がこれである。
 又皇室に於ける諸祭祀は、維新以後其の式の行はるる毎に公示せられ、未だ諸祭に通ずる規定は無かつたが、明治四十一年九月、皇室令第一号を以て、皇室祭祀令が發布せられ、附式を以てその大祭小祭の祭式が定められた。
 而して大嘗祭を始め、御即位に關聨する諸祭は登極令に規定せられ、その他臨時の諸祭式は、皇室親族令、摂政令、立儲令、皇室成年式令等に規定せられてゐる。
 大正三年一月勅令第九号を以て、神宮祭祀令が、勅令第十号を以て官國幣社以下神社祭祀令が公布せられた。
 而して神宮祭祀令に於ては、祭式及斎戒に關する規定は内務大臣之を定むることになつて居るが、大正三年内務省令第三号を以て当分従前の例によることとして居る。
 即ち神宮の祭式は前記神宮明治祭式に基き、必要に応じ之に多少の改訂を加へつつ行はれて居るのである。
 官國幣社以下神社の祭式は斎戒に關する規定と共に、主務大臣之を定めることに規定せられて居る。
 之に基き、大正三年三月内務省令第四号を以て官國幣社以下神社祭式が制定せられ数度の改正を経て今日に至つて居る。
 同祭式は、第一官國幣社祭式、第二府縣社以下神社祭式の二より成り、官國幣社祭式は、更に一、大祭式、二、中祭式、三、小祭式、四、修祓、五、祝詞、六、雑則の各項に分れ、府縣社以下神社祭式は、祝詞のみを掲げ、他は官國幣社祭式に準ずることと規定して居る。
 尚ほ、官國幣社氷川神社、同熱田神宮、同出雲大社、同橿原神宮及同明治神宮の例祭については、昭和十二年二月内務省令第四号を以て、別に祭式及祝詞を規定せられ、官幣大社熱田神宮遷座祭並に同賀茂別雷神社、同賀茂御祖神社、同石清水八幡宮、同春日神社、同氷川神社、同出雲大社、同宇佐神宮、同香椎宮、同橿原神宮及同明治神宮の本殿遷座祭の祭式及祝詞はその都度之を定むる事になつて居る。
 又官幣大社にして特別の定例ある賀茂祭、石清水祭、春日祭等はこれらの規定の限でない。
 なほ、靖國神社祭式は、大正三年四月陸軍省令第二号を以て、規定せられて居る。

.....昭和十二年刊  「神道大辞典」より抜粋