平成11年度神社庁祭式指導者養成研修会 (於 東京)

H11指養研 於本廳
・この年は直前に大雨洪水。三日目には全日空機ハイジャックなどで混乱しました。
1240 長谷先生 御講義開始
 今年は乙となっております。
 通則・行事は詳しくやれば八時間かかる。時間がないから私の本(『神社祭式行事作法沿革史』H11/4/20発行。今回テキストになり、受付で8000円で販売。以下、新沿革史と表記(S42発行の仝著『神社祭式沿革史』と区別のため))で見てください。

 しょっちゅう見るんです。来年でまででよいですわ。ま〜だ一年あるから。
本を持たんでワカルという人は結構です。押し売りはせんから。
私はネ。神社本庁設立以来、初代祭式講師の唯一の生残りですぅ。何やかや云われても、生きとるのはありがたいですわ。
 全国に祭式講師 98名 大正生れ7名 昭和が91名(中、終戦までの生れが52名。戦後が39名) 祭式助教が144名 全員昭和生れ(終戦までが19名。戦後が125名)
若い人が増えて栄えて嬉しいです。それは良いのやけどね。改正の変遷をしらへん。この本(指導要綱)ね。皆持っていますかぁ。アンタ(目の前の人)のなんやそれ。今は赤色ですわ。古い、色の濃い要綱はダメですよ〜。紙くずや。

※以下、この要項がご自身の資料であることを例によって一通り。今回は時間の関係から、ほぼこの新沿革史にそって講義が進む。従って、ノートに記録は少ない。本中に書込みをしてある。(主なものは抜粋)

  尚、冒頭に事務局(本庁)から説明されたが、講義は全て長谷先生がご担当となり張切って居られる。時間も30分繰上げ。正副班長は慌てて20分で食事を済ませて、今年から始った班長会議に1230から出席。(昼休にソファーで喫煙して休憩していたら岐阜の四班班長谷田氏が来られ、「いや〜、よく降りますねぇ(新宿の地下で溺死事故もあった)」と煙草に火を。雑談の途中で気がついて「あの〜谷田さん、班長会議じゃ?」「あれっ、私班長でしたっけ?」と慌てて地下に降りて行かれた。その後「副班長も会議に出席してください」との呼集があり、内容は研修中の一通りの確認(神拝行事の所役決めなど)であったそう。因みに谷田班長は遅れてきた副班長を寛大に迎えられたご様子)

講義の範囲
 『新沿革史』32〜91頁までで時間切れ(修祓と手水を残す)
 本書の特徴
 ・過去四回の変遷を上下四段で一目瞭然に対比してある(指導要項の完成版)
 ・改正と制定 規定と規程を明示
1.通則
35頁 S17(下から二段目)附記中「特例を」の語句
 後に批判続出。曖昧な記述だった

 変ってきたことを知っていてください。
 執持は「しつじ」と訓む。「とりもち」ではない。それは虫やっ!
 のちに執方・持方、さらに仝仝扱方ですわ。
 通則も笏法も、全て神宮祭式を参考にした
 (いらんこと...)今回も初参加の方はぴりぴりされていた。
 過去に(長谷先生)「そんな(作法)ん、あるかっ! 帰れっ!!」事件の噂が伝えられて
 いた(らしい)。
  今回の懇親会でも年の順に「長谷先生からこんなんされて怖かった」
 「まぁだエエやん。わたしら(もっと)こんなやったんやでぇ」が連発。
 上になるにつれて過激な内容に若くて良かったと、つくづく...
 ご本人(長谷先生ご自身)はお怒りになられず、目を細め(微笑)て
 「そ〜か、そ〜か」...(閑話休題)

  この間不謹慎にも睡魔との戦い。私の前は愛知の方。長谷先生がとにかく
 よく話しかけられる→私も睨まれている、と思ったら、私の後の方(某名)が
 やがて大鼾〜。(心中祈念「先生、私まだ寝ていませんよ〜」)お陰で
 目が覚めました。後の方に感謝(?)

 所役は例えば昔は「大祓司(おおはらへづかさ)」と云った。後は後取やね。
 これが所役の狭義。広義は配役の表を指します
41頁 (注意:この「配役」という語句も昔は使ったらしいが、S17の際に
 「演劇用語」であるという理由で禁句とされた。指導上留意のこと)
42頁 末席が膳部だったこと
 「かげの役」次席随員が辛櫃の蓋を支えること

2.行事 (今回、甲乙丙の乙すなわちこの頁)
 (来年もこの本がテキストならむ 忘れぬやう)
50頁 開扉後、閉扉前に「再拝拍手」だった 拜揖から一拝へ

51頁 敷物を用ひないのを本義
 (いらんこと)最終日の総合祭典実習で昨年は長谷先生は見学組のご指導
 だったのが、テストの影響で二年前と同様に二組の奉仕で左側をご担当に
 なることが急遽判明。院館の○いを改正するヒマもなく、唯一駆寄って
 「先生、(本座に)円座を敷きましょう!!」といったら
 「ここで敷いたら、(ほかの先生に)怒られるからナ(笑)」
 祗候の座などは「秘中の秘(敷中の敷?)」

 警蹕変遷の問題点
 「神がお出ましになられるのではない」について
 「お出ましになられる!」と当時主張(○清水八幡宮宮司)
 「二の字型」の神座や。動座です。特例となる。

 「御開帳」の影響

54頁 S17「社司(社掌)」の記述の理由
 招魂社ですワ。今の護国神社は府県社以下神社扱で県社待遇やったでね。

 降神は神社での規程です。降神に対して「昇神」がないやて、あったら
 大変です。神社造って、五年でやめた! では困るからね。永久に御鎮り
 いただくわけですから。終戦の頃、爆撃があるいうて朝鮮神宮で神職が
 昇神したんは「おまもり」するため。こういうときです。
 古くは「神降(かみおろし)」。
 神籬祭祀は別ですよ。昇神しないと大変です。あたりまえや。終ったから
 いうて焼いてしもうたら、神サン焼いてしまうがな。えらいこっちゃ。

55頁 降神詞(S46以前は単に祝詞と称した)は御神名を記した神秘的なもの
 であるから「微音」にて奏上です。後取に持たせず、自らが懐中します。

 祝詞(ここでは降神詞)奏上の間、菅掻。楽師は主典クラスで伶人より上。
 鋪設の場合と持ち出した場合(56頁に図)がある。琴をもつから「みこともち」
 (S46菅掻は奏楽にかわり消えるが復活の装)
 S46は(他所もそうだが)女子神職の作法が付け加えられた点も留意

 現行の不足二点
 ・「畢りて宮司本座に復し、降神詞を懐中す」
   →大祭では「祗候の座」に復している現状
 ・鎮座祭、合祀祭で、直接本殿ではなく従来の形態(仮殿)に復すということ

65頁 神饌受渡しの際の揖
 M40 人に対する揖と解し、常に下位の者のみ
 S17 神饌に対する揖 上臈も行うようになった

66頁 神饌について
 M8式部寮達で、原則として「生饌」となって以来。
 野鳥と水鳥の区別、どこで捕まえますかやて、どこにでも居る。
 水掻の有無で判断してください。議論しとったってしょうがない。
 「姿美しく(うるわしくと御発音。麗しく?)して供すればよい」
 海の魚、川の魚、いろいろ云うやつがおるで「そんなら先生(関西弁
 がまた楽しい)海ぃ行って川ぁ戻ってくる魚はどうですかぁ」やて。
 ややこしいな。私はこう云います。
 「魚に聞けっ!」
 そんなもん供える必要は無いでしょうが〜。そんならアンタぁ
 チリメンジャコやとどうしますぅ? 頭、あっちぃこっちぃ〜体も
 曲っとるがな。はよせんと祭典始るでぇ〜、いうてな(笑)。
 (今年の総合祭典は「本物志向」ということで実物が用意され辨備
 も大変とのことでしたが...魚は当にこの小魚で、榊は柴でと困惑)

67頁 一方並列になったこと
 「供す」「奠す」「奉奠」等、不統一であった用語を「供す」にしたこと
 (指摘されなかったがS46には神饌案・同薦の鋪設、撤却の事項が削除
 されている。相当問題があったものと思われる。例えば今回「検討中」に
 なったのが、一の手長が大床に候した場合(解説にも「〜する場合もある」
 と認めているが、作法は示されていない)最初と最後に階での深揖を行うか
 否かが問題になった。その際
 後取が大床に神饌案を鋪設撤却する作法(開扉後閉扉前←邪魔になると判断)
 を質問に附したが(略))

71頁 属は「随員」
 上席随員の判別 辛櫃の横(向う側)に円座
 (次席が蓋を支える際に踏んでしまうことについて鴨角氏より質問)
 御幣物通過の際の浅い平伏
 (一考 浅い平伏(磬折)を行う機会)
 ・祓を受ける間
 ・祭詞奏上の間、宮司が祗候の座にて行う
 だけで、かつての「通過の際、諸員浅い平伏又は磬折」を加えたのみ
 (神社祭式基本として)と思われる。

72頁 上席随員が仮案に御幣物を置いたとき、既に其れが「献じた」状態に
 なっている(前後の問題)。よってそれより上位にいた宮司(神官の長官)は
 「の」の字形にまわして献じていた こと

74頁(82頁拝禮参看)
 戦前、国家祭祀で祭祀執行者の規定が定めてあったこと

 M40文中、次の表記の違いについて説明。
 祝詞 「地方長官」(のみ)
 拝禮 「地方長官(又は次官)」
 
 M8『神社祭式』式部寮達 中、国幣社と官幣社の執行者の違い
 次官は祝詞奏上の規定なし が表記差の原因。
 S17に幣帛供進使と統一された。

79頁〜 祝詞奏上前後の作法の変遷
 拍手と押合わせの削除まで

 「拝禮」を削除した結果、全国から「朝夕拝時に玉串を奉れと云うのか」等
 と批判が続出。そこでS17年に神祇院通牒「日拜・祈願・祈祷等ニ当リ祭典
 執行ノ場合ニ於ケル作法ニ関スル件」が出たのである。
 (私見)略

 献幣秘話
  戦後、(国家からの)供進が削除された。ところが一時期「献幣」が祭式
 規程には所謂式次第として示されながら、上記項目ごと削除したために
 祭詞奏上は祝詞に準じても、行事に示されていない不備があった。

  私はおかしいと思うとったが、他の講師からは全然質問もナシ。意見も
 なかった。そこで担当地区(当時中国・九州)では「式」でやったんですわ。
 行事だと「存在しない」ことになり、やらんようになるからね。其の頃は
 八坂に居りまして、京都の祇園やね。ご奉仕しとったんです。
  ところが近畿の担当の講師が、この「行事」でやってしまい、翌日が
 総合祭典やいうて所役があたってしもうたんですわ。そ〜ら困るわ。
 「行事」にないんで教わっとらへん。教えとらへん! あたったもんは、
 「困った困った」いうて八坂に電話してきてやねぇ。
 「先生、来てください」
 いうけど行けんでね。その講師にも悪いしやね。ん〜で
 「そんなら八坂の社務所で教えますから」いうて、やったった。
 次の日、スイスイとやって、不思議がられたそうや(笑)。
 そういうことがあります。それではダメッ!

※修祓以下は時間切れだったが、実習中に質問(後述)
途中1430 休憩
再開1455

1600 衣紋 長谷先生
 袍の名所の説明
 蟻先は「あまりさき」の略です。蟻はあて字で「虫のアリではない」

 幻の藤色の袍 事件
 ・並べてある装束を見渡されて、突然!
 「ホ〜〜ウ〜〜、まだ残っとったんか。よう本庁にとってありましたなぁ」
 (一同、訳が分らない)

 これは二級上用の袍にどや、いうて創ってみたんです。藤色やったらエエ
 やろいうことで試作してみたんですが、出来てきたら「貧相(ひんそ と
 発音)や」いうて検討段階で潰れたんですワ。

 貫白の袴いうんも見たことはありますが、評判が悪く無くなりました。
 ここんとこ(指貫)の括紐も、私が神主になった頃は「紐」でしたわ。
 今は装束屋が勝手なモンにしとりますが、認めた神職もイカン。

 一級 故実あり
 特級 故実なし

 帖(紙)は白の檀紙 金箔は皇族関係のみ。装束屋のワナ。

 沓敷は、特級一級の神職は紋を入れます。二級以下はない。ただし
 下のモンほど入れたがる。

 服装はスタイルやな。和装洋装です。神職では正礼常装の三つ。
 服制は別ですよ。この二つの語をごちゃ混ぜにしとる
 立夏に衣替えするんです。今年は5/5やったかな。調べてください。
 長谷が言うとったて言わんといてな。毎年変りますから暦でな。
 立夏・立冬(の当日)から夏冬の服装です。その制が服制。

 一社の故実は100年以上、明治から理由があって残ったもの。
 お父さんが間違って...は、「一社のこ・じ・つ・け」

(質問)神饌の特例
 春日大社 献饌は前もって 社の数が多いから が理由
 出雲大社 左右分候 階での安全を期す

(懇親会秘話)
 女性陣から「今年は長谷先生の白衣袴が違うようですけど」
 長谷先生「(ニャッとされて)よ〜う見とるなぁ。流石や〜。あれな、
      実は安川先生からニセモノはアカン言われて急遽絹を
      注文しとったんや。ところが間に合わへんだで、木綿で
      勘弁してもらっとるんや(笑)」

三日目 実習
0920 なんとなく受講生が彼方此方で先生方と話をしていた。そのとき
 長谷先生「はい、1番〇〇さんか。はい、こっちぃ〜(例の出欠表を見ながら
 座を指さされる)。次ぃ〜、はい、此処。こういう風に坐ってくださいよ〜。
 時間の不経済やわ!」受験生ばたばた著座。
 「朝拝、始めぇ〜!」
0950 研修開始
 楽でいいです。その代り、良く聞いてください。(するする伸びるムチ登場)
 タイピン型マイク下向き。出欠(例によって)とられず。が、出欠表は手から
 離されず(後に助教などのデータが記されていることが判明)。

  作法は全員一斉にやれるが、行事は役に当った人のみ。他は見学者。それを
 先に言うてください。初めに見学者の心構えを言い渡してください。
 当てられた人は任務を遂行する訳や。「見学」は「休憩」ではない。「一服」
 ではない。
 「あの人がやっている」ではなく、自分もやっているんだと。注意を受け
 とるのも、自分が注意を受けとるんだと。直接受けとるんではありませんよ。
 んなことはそうです。心構えが足りないと、何度も同じ事を注意せなならん。
 ロスがなくなるためです。
  私は先に祭場内(宮司一拝〜宮司一拝まで)をやって、祭場外(手水、列立
 など)をやるというのを従来とっとりますので。

  鋪設というのは祭具を並べるだけではナイ。正しく弁備する位置に置かね
 ばナラン。それは鋪設ではない。弁備するべきところに正しく置くのが鋪設
 ですワ。完了したら責任者が神前から順にくまなく点検をするという事です。
 点検を怠ったら、取返しのつかない事が起きます。

  私は権宮司になっても祭儀担当やったんでな。儀式の最高責任者は宮司や
 けど祭儀は権宮司が責任もたなならん。小中祭は、ま、簡単言うたらなんや
 けどそれでも点検せなならん。中祭以上は御殿の所から「漏れ落つる事無く」
 正す、直す、完了せなバツです。

  祭祀を厳修するのが神職の使命。その通りやけど、うたい文句ばかりでは
 ダメ! 要件があんのや。完了して漏れ落つる事なくやらな、只のうたい文句
 ね。

・宮司一拝
 宮司が足を間違え、長谷先生「ウオッ!」
 「階から離れる(本座が近い場合)ため、下位で行う事はあるです。けど、
 こっちぃ(本座から上位を両手を広げて押しながら示し)出てこんで下さい。
 間違いのモトになります。来る必要ないですワ」
 (諸員の作法)斜めに神前に向うタイミング「宮司の少し進み出る頃」
 女子の向わせ方
 二名以上が同時に作法を行う場合...必ず上位に倣う
 最後の一拝も同様。

  一拝の経緯について説明。
 本座(参進後祭場内から出るまで)・所定の座(参進の目的の座)の説明
 (特例)合祀祭(合併)の場合
 1本殿→2仮殿へ移動→3本殿で、一旦2へ1より退出したら、1の本座は
 なくなり、3の為1と同じ本殿内の同じ場所へ著くまでは「所定の座」。
 但し、祗候で残っている人(禰宜)のみは「本座」の侭(退出していないから)
 ※S46改正で、上記の場合でも「宮司一拝」は祭典の始めと終りのみとなる

 「供進使ニ白ス」とは、口で言ったのではない。深揖をして示した。
 もともと揖なのだから、一拝であっても「揖的な拝」。
 であるから(拝禮の如き)前後の揖はない。
 拝禮でもないので、拍手もなし。

(宮司一拝の秘話)
 S23 長谷事務総長。私の親父やね。今やったら単に「総長」です。
 新しい宮司一拝の説明について他の講師と一緒に説明を受けた。膝進膝退
 もナシ。何もナシ。ナシナシや。私はメモをして、担当は中国九州やったで
 山口は赤間神宮で、佐賀は祐徳稲荷でそう(上記)教えたんですわ。そうしたら
 報告会で他の講師は膝進膝退をするで教えてきたていう。私は「そうやない」
 て、講師の沽券に拘るでね。うそぉ教えたいうてね。そしたら親父から
 「おまえが悪い」て、「間違って教えてきた」いわれたが。親子やでね、言え
 た思うんですワ。そやけどこっちも「まってください!」ちゅ〜もんや。「メモ
 がありますから見てください。ここに書いたるやんか!」
 立つ瀬ないでな。他の先生も「そういや、なしやて聞いた思います」
 思いますて、ないわなあ。31歳やったでねぇ。他の先生は皆20歳上やで。
 小野先生のお父さんと一緒やで〜。で、徹底的にしおうた秘話があるんです。


・開扉
 「他の人はよ〜く観察しとってください」
 御匙御鑰の作法
 (稍斜となり、宮司と正対しなかった。また、稍下位過ぎたため)
 M40には斜もあったがS17の神祇院改正では「宮司の下位の膝を(後取の左右の
 膝が)はさむ様に突く」

 今回初登場の練習用の御扉は枢の横木が無かったため、
 「枢、節約しとんのや」
 宮司役は三沢さん。緊急鋪設のシーツの上で膝進膝退が困難な様子。
 やはり、手を打つことを決心。三沢さんの「犠牲」を心中祈念(作法に出さな
 い)で詫びながら...三沢さんは額に油汗、唇の箸をキュッと引締めて。
 終って、「おおむね宜しい〜。おおむねですぅ。あんまりほめるとナ(笑)」
 (解決策)
  昼食後、早速実施。髪をとく為のシリコン(高分子ポリマー)をDDTの如く
 散布。足袋での感触は良。山本さん(出席番号から次の行事に当るのが必至
 昼休みに練習中だった)「すっごー、全然違う! 」よしよし。
 三沢さんに「さっきとどうですか?」「滑る滑る。あ、もうこれくらいに
 しておかないと危ないかも。」そして「なんで、さっき私の時にしてくれ
 なかったの(怒)」すみません宮司さん...私が悪うございました?
 騒ぎに三木先生・本沢先生に発見されて
 「何してるんですか?」
 「はい、少々アップ・グレードを」
 「袴にはシミなんか付かないの?」
 「水は弾きますが透明なので大丈夫です」 「ふ〜ん」
 「足袋に付いて、下でも滑りますね」
 「時間が経つと効き目が無くなるとか」「それは大丈夫でしょう」
 やってきた受講生も集って「何なに?」
 「長屋さんが、スプレーをまいて下さったんですよ」
 面白かったのは、この答えを女性がやって下さったこと。男性は
 「そのスプレーは御扉専用ですか」「どこの神具店の製品?」
 (流石にアップルだとかマイクロソフトだとか言われない)
 女性陣「美容室とか、大きな薬局にありますよ」
 「は?」(なんで神具をそんな店で...という思考の戸惑い)
 プロ用の美容品は少し、くすんだと云うか、昔っぽい色のスプレー管が多く
 井筒やなんかで扱っている鏡磨き等の手合の色に似ている。
 「高分子ポリマーなんです」「...??」
 圧倒的に女性用が多い美容品を男性が知っている訳がない。私も知らなかっ
 た方だが、頭に振りかけると足下がつるつるしたのを覚えていたので...

・献饌
 手長の位置を打ち合せ。相談して確認してから。祭典を始めるように言って
 下さい。

 所役を坐らせて長谷先生「あんたぁ! 陪膳」(と順々に指名!)と、
 次の中森さん(膳部)に「手長いちっ!」。中森さん長谷先生に必死に手を振って
 「ちっちっちっ、違いますぅ〜」「なんやっ!」「私、膳部です(弱く)」

 雁行と神饌所下位の場合の手長の起つ時機(タイミング)の説明

 伝供中、止むを得ず俟つ時は跪居で。ノロノロ歩かない。
 「候する時、手は前にやると「コマ犬」ね」

 「手長が階下で揖を行うか否かについては検討中ですわ」
 作法比較 一の手長が大床に候する場合
 国大 階の下と大床に著いた時は小揖
 皇大 いづれもナシ

・祝詞奏上
 事前に確認
  軾を敷く位置
  祝詞の授受の位置
 タイミング
  軾鋪設の頃、宮司は祗候を解く
 中田宮司に長谷先生「一旦起きませんよ(意味不明)」
 安江先生が宮司の側に行かれてひそひそ注意。と突然、何と笑いながら
「こんなんね」(恰もソフトボールでサウスポーがボールを放る如)何だったのか?

 再拝連続動作で
  新作やらんようにな。新しい作法を考案(時間的に無理だったと思うが)せん
  ようにな。
 拍手 シナつくらんようにナ。手首から先だけでやらんようにな。こんなや
  鳥が羽ばたきよる。およそ肩幅ですぅ。
 御鑰は身に引きつけ
 祝詞は身に引きつけ 持つ
 授受後後取は(退く起座で起つため、進行の回転後進む起座で起つ)宮司を
 見下ろさんようにして下さい。(小揖後、持笏跪居の侭、少し宮司を俟つ)

中冨氏再度(解説中の献幣の図で、正中を挟み稍上下が見て取れること)質問。
 ・図が斜めに見える。
 ・三つ子の魂...最後のあがき(一度の質問で納得いかないから)
 (・助教として嘘を教えたと言われたくないという心理)
 とことん氏と話し合いました。そして出陣!
 中「質問がありますっ!」
 長谷先生「ん?」
 中「献幣使随員と禰宜の位置は稍禰宜の方が上位の斜ではないでしょうか」
 長「なんやてぇ〜!!」    →カウントする私の指(単位は秒)     「1」
  ああ、これは先生が聞き取れなかっただけだと
  私たち館友は微妙なニュアンスから
  読み取りましたが、あるいは別の効果(恫喝)も...            「2」
 中「左右分候は斜ですか」(中冨氏かなり怯む)
 長「そんなことは、ナイ。無いですよ(手を振られながら)」        「3」
 中(怯まず!)「しかしっ!」
 長「あんたんとこは、こうやないんかっ!」                 「4」
 中「いえ、その通りですが」(心中祈念「おわった...」)
 長「な〜ら、ええやんか」                 「5」
 私としてはジャッジは3秒でしたが、中冨氏の名誉のために5秒で
 一刀両断だと... →私も祝詞袋の質問で同じ切られ方でしたので。

 禰宜(献幣後)階を降り深揖後、斜めに逆行して宮司に近づいてしまった。
 長「そっちいったらダメっ! 真っ直ぐ退んのや。宮司慌てて円座持って
   跳びのかなアカン」

 長谷先生「何か質問ないですか」に、私「はい」
 「拝禮後、女子が男子を待つタイミングが生じますが、其の時は把扇
 でしょうか、指尖礼(某先生御説)でしょうか」
 これは午前中の休憩時に女子の方々に聞いたところ前者だったが。
 「ほう、ほう。安江先生、どうや」
 示範されながら「こう(指尖礼)です」
 私「わかりました(一刀両断されたくない)」
 安江先生「最近はどうなの?」
 私「は? いえ、福岡で問題が出たもので。かなり細かいことですが
 お陰で判りました」
 某先生、失礼しました...この場を借りて陳謝します。が、
 他の女子は「へ〜」。男子は概ね「????何の話?」

後の休憩時(1400〜)、先生が追ってこられ、「あれね。」私「ハイ」
 「決ってしまったものだから...」「わかりました」そういうことです。

 中冨氏に山本さんがお茶を渡されながら「お疲れさまでした。もう
 (質問は)終りですか?」「いや、まだまだします。気が済むまでします!
 これこれ(と、次の質問の話)」ムキになってはる。

・玉串拝礼
 後取は本座へ復さずに座後の所定の座へ移動するはずだった。
 本座へ向う玉串後取に長谷先生
 「ウォラァ!! 帰らんのやっ!」捕まってしまう。他の祭員も
 「ハイ、行って行ってぇ〜〜」追立てられる...

(秘話ご紹介)
本庁祭式講師に(緊急)電話の件
・熱田でナ。会合中やったんや。
 「権宮司さん。電話ですぅ」て、某県講師からや。
  某講師「今、研修やっとるんですけど、手と足の位置がなんたら...」
  長谷先生「それはこうこう」と、説明後、
  講「大体わかりましたけど、一辺やってみせてください」
  長「やって、て...やってもいいけど、見えるかっ!?」
  講「見えませんワ」
 今、困っとるんですが、言われてもな。テレビ電話ならよかったワ(笑)

・真夜中の電話
 夜中に電話かけてきよる。一体、何事かと聞いたら
 某神職「明日、神葬祭ですわ。先生、祓はどうしたらエエんでしょうな?」
 こんな時間に、でも、しゃぁない思うて、
 長谷先生「それはご苦労さんですなぁ。愛知では云々」
 と懇々と伝えたら、
 某「あ〜、そうですかぁ。こっちでは修祓ですませてますワ」
  でガチャッ!!
  ツーツーツーツー.....(電話の切れた音)

 長(受話器を持ったままで...)「電話してくるなっ!!」

 本庁講師には、いろんな電話がかかってくるんですワ!
 むこう、困って慌てとるでね。

・閉扉
(警蹕窒息事件)
 長谷先生が山本さんを「やりたそうな顔しとる(笑)。」とご指名。ご本人は
 「なんでまた私や〜」と完全に嫌がって。閉扉に至るまでを事細かに
 指導してあった。結構ややこしい為、警蹕所役は省みられず。
 二段の揖こと昇階後の著座深揖に合わせて警蹕所役の深揖は促された時の事...

 閉扉の瞬間、所役は警蹕を(確かに)かけようとしていた。が、山本さんの
 手の幅が狭いと注意。続けて「こう、こう」と付きっきりで指導。警蹕
 所役は浅い平伏の侭、大床上を見ていた。
 「そろそろかけないと...」と思いつつ、所役の役の方にとっても閉扉の勉強
 とも思われ(受講生は全員閉扉に注目していたから).....

 と、突然長谷先生が振り返られ、警蹕を指さして罵らんばかりに!
 長「オーやっ! オー言わんかいっ!!」全員(見学の受講生も)ビックリ!!!
 「どおりで、え〜らい静かや! ホレ、はよやれっ」
 警「ハイッ!! やります」「やるて言わんでいいから、はよ、やれっ!!」
※ここより二次元中継で表記します
    ↓階下の状態            ↓御扉前の状態
 「お〜〜〜              再び山本さんが捕まる
   〜〜〜             長「それ、そうやない」
   ........(待っている)←長谷先生、警蹕を一瞥(ジロッ!)
 (再び慌てて)お〜〜〜(段々弱くなっていく...)・・・
  〜〜〜警蹕、(息が続かず)途切れだす(悲) ←長谷先生「やれやっ!(怒)」
                    宮司、雄扉が閉るのを指導される
 無事閉扉(御錠などは未だ)終了。と、長谷先生、警蹕所役に、
  長「三度(警蹕三声の意)やったか?」
  警「ハイ(弱々しく)」←ハアハアと顔色は真っ赤。
 長谷先生、受講生を見渡され再び、「ちゃんと三度やったか?」
 受講生一同、頭を こくこく させ、肯定。
  長「やったんか!?」
 ギャラリー(ジャッジ?)「ハイ、ヤリマシタ」と大祓の如く奉唱!!
  長「味〜方しとる(笑)。楽しいナァ〜。」そして警蹕所役に「たのむよっ」。

終って
 宮司も警蹕も、肩で息をしている...
 長「大体、上手ですぅ。上手に、上手にしとけよ〜」

1405休憩
1430再開

・二つの物品
 (トラブル発生) 御錠の胴と差の説明時に、
 長「コレ、ハマっとる。アカンわ」三木先生が御匙を持ってこられる間
 最前列の受講生と目が合われて...「あんたがはめとったって、言わんでぇ〜」

       御錠   御匙御鑰   塩湯    祝詞と笏(本来逆)
 本体    胴     御鑰    塩湯器   笏
 添えるもの 差     御匙    榊葉    祝詞
 ※最後のは、作法上から言うと「笏の内側に添える」ことによるもの

これ等の執方
 本体を(先に)執って、添えるものを次に。此の時、
  1. 両手が空いているときは両手で執る
  2.(既に本体を持っていて)片手の時
   右手 とる手
   左手 たくし手
(私見) それでも執手はあるのでは?
 細かく言えば、例えば塩湯器は 先づ左手→一旦、左手
    大麻・笏・扇・薦軾など
 両手では(受けるものが多い)
    祝詞・案・玉串など
 分類が難解な物としては、執る時と置く(この表現は未だない)時
  御錠(解いた後執る時は差を添える手つき。執る時は一旦右手でだが、
    胴を置く時は両手で等) 御鑰(御匙との時)も同様
  玉串を後取が執るときは大麻同様僅かに右手でつまむのが先か。
  但し、左手が直ぐはいるので、ほぼ同時である。
  祝詞後取も左手で袋の処理がある

よって、1.は「置く」を規程し、その逆説に執るを説明した方が判りやすい。

(瓶子の蓋)
皇大 一応、両手の指先とも蓋に触れている。(執ったら直ぐにひっくり返す)
国大 添え手は最初触れず、手首辺りに。(やがて返すときに添える)

(水器の蓋) →前述(612行で)岸本先生の説明との比較
皇大 案上に蓋した時と同じ容で置く。なるべく三方にのせない
   (前提として、水器の蓋は神饌所までであり、後は不要)
国大 三方上に裏返しの容で置く

・献撤饌
 伝供道に横向に著く理由
 伝供を知るため。察知。第六感ですわ(??)。でないと、
 「おいっ! 持って来たよ(こっちむけ!)」では困るから

恐惶...
 中冨氏から再び質問が出て「警蹕ですが、一人奉仕では...」
 長「そういう小さなお宮のことは(いつもの話を一通り)、ここでは議論できんワ!
  私のは、正規のことですぅ」
 受講生から笑いが出る
 「しかし...」
 「大きな神社なら良いけど、弱小神社はなア...」
 (笑いが引きつり、少なくなる。受講生(殆ど一人奉仕)からオーラが出たのか)
 「大きな神社にしなさいっ! そうや、それがいいワ。そうしなさいっ!」
 流石である。

1515休憩
 中冨氏(班長)に「もう(質問は)終りですか?」
 「も〜気が済みました」なんだか憑物が落ちたような晴晴れとした表情。

1525再開
・修祓 第二次質問大戦と化す
 祓戸に列立の時、
 長谷先生「宮司みたいな顔した人、そこへ立ってぇ〜」
 大麻所役が幣帛辛櫃の祓を忘れて、
 長「ウオー、オー、ウオイ〜」(としか、どうしても聞えなかった)
 長「昨日もやったんやろ?」

 祓主と大麻は、行事の区切りをつける。
 大麻と塩湯は元は別(の行事)。同一の対象を同時に祓うのはダメ。
 大麻は祓。塩湯は禊で、諾尊の日向での故事によるもの。
 長「先づ祓。次に身滌をされたんです。」
 私見「しかし祓に該当する記述は...?」
(祓主が祓戸で祓を受けるか の問題について)
 祓所役の三名は、祓戸では別になり列立したほうが本義。
 此の時は大麻・塩湯は、一人でいる祓主を祓に行かない。

 同一に列立の時は、祓主は祓を何度受けてもよいから、祭員と共に祓を
 受ける。「一人だけ低頭せんかったら目立ちますぅ」
(自祓とは)
 斎館で祓詞を小声で唱え、小麻(串)で祓ふ。
 事情により出来ないときは、祓主は祓詞を白すことによって自ら祓われて
 いる。以下の大麻・塩湯もおなじ。
 大麻と切麻について。例の「祓の重複を避ける」話の後、

質問がでる
 中冨氏「切麻が全員に到った場合は、大麻は要らないのか?」リターンマッチ
 長「そもそも故実では五位上までが名前を呼ばれ切麻を戴いた。あとは纏めて
  大麻ですわ。但し、切麻が行き渡ってもやね、大麻は「天下の祓」なので、
  (代表以外)しますワ」

これを契機に各助教が申し合せたか(してませんが)のように質問の火蓋を切り、
久しぶりに楽しかったです(長谷先生すみませんでした)。

 大阪→三重と続き(まるで米騒動か?)、これは乗遅れぬようにと
 福岡「先ほどの先生のご説明では大麻と塩湯の本義は別とのご説明でした。
    私もそう思いますが...」
ここで長谷先生は随分近くにお立ちになられ(約一尺の距離)、じっと私を見下ろ
されている。流石にものすごい迫力。だが案ずるに声がよく聞える位置にお立ちに
なっているだけと「自分に言い聞かせて」、
 「然るに本庁の解説には、大麻にて祓う、塩湯にて祓う。また、大麻・塩湯
 共に祓うと、塩湯についても祓うの表記で統一してあります」
「うん、うん」と聞いていただいている。
 「私案ですが、大麻は良いとして、塩湯はミソグや灑ぐ、大麻塩湯並記の場合
  は、清むなどに改めては如何なものでしょうか」

 めずらしく時間が止ったように「う〜む」。受講生もシ〜ン。
 一旦、安江先生たちの方をご覧になり
 長「禊やでな。あれは...あれは、判ったっ! アンタの言いたいんは灑ぐやな。
   検討させていただきます。次っ!」
 ああ、この勝利の瞬間を(特に祝詞袋被一刀両断事件以来)どれほど待望んだ
 ことか.....追撃すべく、聞耳をたてる。
 伊藤氏「切麻で祓うというお話でしたが、四方祓のときは」
 長「なんやて?」
 伊「四方を祓うアレは、四方祓では」
 長「真中があるでねぇ」
 別の方「清祓では如何ですか」
 長「んまぁ、そんで?」
  「あの切麻は祓なら、大麻も使いますけど」
 長「あれは散供神饌いうて神饌ですワ」
  「....」いかん。ここで手を緩めてはと思い、
 福岡「その時の切麻は、神職宝鑑を始め、明治時代の作法書には殆ど「祓具」
   として出ています。常々不思議だったのですが、いつからどういう理由で
   神饌となったのでしょうか」
 長「そういう本があるの?」
 福岡「はい。京都の半井真澄著や長野の何とか言う(不覚! 勝山健雄著)が。」
堪りかねたのか助教の三木先生・本沢先生も参加。長谷先生のご講義で、初めて
発言されるのを見る。しかし、和やかなムード。
 「あれは今はやはり散供でしょう」
わいわい言った後で、御老公(スミマセン)の鶴の一声。
長谷先生「時間もないでな。以上、質問打切りぃ〜〜!」

他の先生が長谷先生に耳打ち「明日のテストで....」「ふんふんそ〜か〜」
 え〜、明日な。なんやらあるらしいで(受講生爆笑)三方な。
 ここが....なんやったかな。え、安江先生?
 安「面です。面又は鏡(板)」
 長「だそうです。教えてもろうたワ(笑)」
 で、ここが「ちり」(そこまでテストには出ないと思います...心中祈念)
 ここが胴ですわ。

 某県でネ。講習会をしたんじゃ! 地方には珍しいものがありますなぁ。
 「コレが折敷でこれが胴」言おうと思うて折敷をひょいと執ったら、軽い。
 (え〜らい、軽いなぁ)思うとったら胴が無いんですわ。机の上を見たら置い
 たる。残ったるがな。胴と折敷が離れとったんです。フッ。軽い。そしたら
 受講生の一人「先生、これ胴です。ドウぞ」ワシ、
 長「...ドウもすんません」いうてな(受講生に大受け)
 そんなん見た事ないわ〜。ここいらはそうです。面白いで! 地方行くと。
 (後にどこの県かが暴露される....)

 続いて三重での「男が廃る」事件
 バージョンアップしていて、変更点は以下の通り。
 ・名が廃る ← 男が廃るより
 ・名刺を出す手つきが、すっかり水戸黄門の印籠を出す手つきで完成形。

 随分昔。ある神社庁での話
 開講式の時間もぼちぼち近づいたので
 長谷先生「そろそろどうですか」いうたら
 庁の人「まだ長谷(外余男先生を予想)先生が見えていない」いうから
 長「私が長谷です」
 庁「あんたが講師かぁああ?」
 一年で三年歳とりたかったワ。今は十年で一年分でいいけどな(笑)

・手水
 勅使は必ず別に弁備のこと。
 献幣使には祭員と二組用意する方が望ましいです。
 斎館玄関側を上位とする(水桶の蓋は所役から見て縦に、柄杓は蓋執りの木と
 平行にその上位側に置いてあった)。
 諸員の小揖 所役に対して、ではない。手水や祓の行為に対しての揖。

ある講習会で感想文を書かせたんや。そうしたら
「長谷講師がこう言った」やて間違いを書いとる。
「こうではない!」て、言うたんや。そんなもん不可にしとったらよかった。

 拭紙の折り方
 「ここ、ここのコーナーをマーク」は、長谷先生、外人みたいに流ちょうです。

 半折で「そやけど先生、こっちぃでもこっちぃでも同じやないですか」やて。
 こっからやでぇ〜。よう見とけよ〜(楽しんで居られる。マジシャンみたいに)
 山折ですぅ。どや、マークしとらんだら折れんやろ。これでワカランもんは、
 ワカランもんが悪いです。これ以上の説明はナイッ!!(自信満々)

 鎮子(ちんす)について
 風があると飛んでいきますから、重しを置く訳や。
 「子」の字(じぃ)は、そえ字ですぅ。
 そんなモン、帽子や言うて、帽の子供やあらへん。金子(きんす)・提子て
 いいますわ。
 これネ。熱○は金持やで白木の中に鉛入りのですわ。裸ではダメ。
 (と、紙でゴボ!グシャッと)包みますぅ。
 ところが田舎はなぁ〜。その辺の石ころ。拾うて泥ついとんのに拭紙の上ぇ
 置きよる。
 「どうぞ」やて。そんなんで口拭けるかぁ!

 田舎は困るっ! (絶好調!)
 献幣使で行っとるんに鋪設もせぇへん。
 「宮司さん、そろそろ」て言うたら、
 「長谷先生、イッペンやってきて下さい」やて、口の訊き方が悪い〜。
 だ〜れや思うとんのやっ!!

・昔の祝詞の授受の作法 (笏を倒す方法)
 奏上後は祝詞を渡す手つきで、再び笏ごと上部を横からひいている
 このとき、「祭文や御祭文の確認を」といわれたのをすかさずチェック。
 「さいもん」「ごさいもん」と確かに発音されました。
 →『神道大辞典』第二巻92頁
「さいもん 祭文 神祭に当って神に告げ奉る文詞。漢読してサイブン。古くは宣命をも称し、転じて後代には民間雑祭に於ける陰陽師・修験者等の神祇礼読文をも祭文と呼んだ。歌祭文・説経祭文は更に其の俗化されたものであって、所謂祭文語(がたり)が錫杖を振り、或は法螺貝を吹いて祭文口説(くどき)をする風は明治時代まで残ってゐた。」
H12.7.16追記 祝文(しゅくもん)の例も

(最後に)
 講師としての信条
 人間は一生勉強。終着駅はない
 知っている事は、全部教える
 教えた事については、責任を持つ
 職人気質では、道は栄えないっ!
 そして大事なことは、著書を残す
  名を残す。私は恐らく「悪名」ですワ。
  82歳ですけどね。隠居やいうたら、すぐぼけてしまう。ボケ防止です。
  一日に5〜6枚は必ず原稿書くんですワ。やるべきことは、いっぱいある。
  なんちゅうか、ファイトですな。プラス指向ですワ。
  以上、をはりっ!

 全員で、有難うございましたの礼。

(此の後の状況については、二日目冒頭に記した通り。→571行〜)
因みに懇親会後、例の作業のためにコンビニに出撃のためロビーにいた処、
各先生方のお部屋の灯の状況に気が付いた。
 長谷先生 →(一番遅くまで)点灯
       櫻井氏「灯がないと眠られないんじゃないかって(笑)」
       しかしコンビニから帰る(0230頃)と、消えていた。
       あれは次の御執筆のためとみました。
 Y先生  御加減が悪く、消灯
 MO先生 ずっと消灯(出陣のご様子....)
 MI先生 最初点灯。やがて消灯

・懇親会
O先生から長谷先生が聞かれた話
 ある社で宮司が祝詞を奏上していら、宮司の奥さんが出てきて袖を引張った。
 「なんや(怒)」と宮司が、奏上の途中でふりかえったら
 「この(祭典)後、献幣使さんを、どこへお通ししたらよいのですか?」
 「これこれ、ああや」
 で、奏上を再開しようとしたら
 「それでは、お酒はどうしますか?」
 「献幣使かぁ〜、二級酒でええわ」
 それを聞いた献幣使は平伏から頭をあげて
 「二級でええてかぁ〜?」

 ある社で宮司の膝行が変だった。注視していたらちらっと、足下が見えたが
それが、白い靴下でカラフルなカサのワンポイントが着いていた。
 「あ、傘や(補足:アーノルド・○ーマー)」だったと。

上記、三方の折敷・胴分離事件は福岡県(暴露By長谷先生)。
(追記:H11年度中に、全て新品正式なもので取揃えました)
 神饌について
 魚が暴れて米につっこみ、笏で片づけた件
 鶏が生返って(?)祭典中に本殿から社殿中を走り回った件
最後に長谷先生から更に一言。
 学校(大学生)はラクやわ。そのかわり「めいかい」は米にしんにょう(=迷)や!

最終(第四)日
0830 予定より30分早く神社会館3Fの会場に集合
    今年は筆記試験と総合演習(実地)で「評価」とのこと。
  本庁「不可の方は、再び(乙)を受講していただきます」
  (心中祈念)すると来年も大手を振って来られる?
0842 松宮先生のペーパーテスト開始
  本庁「出来た方から試験会場を出てください。3回目以上の方は国大会場
     へ祭具を運んでください」
  鴨角氏と協議して「辛櫃」に決定。二人掛りで荷物も入れられると。
  筆記具を横に置くのを退出のサインとした。

0910 記入終了(諦め?)
  打ち合せどおりに筆記具を置く...鴨角氏、まだ解いておられる。
  三々五々受講生が出ていく(一番手は谷田氏→もう一つの唐櫃)。
  大体、みなさん軽い物(薦→玉串など)
  テストを裏返して再び筆記具で退出のサイン。(関ヶ原で家康が小早川に
  打込んだ心境の如)しかし鴨角氏動ぜず。感服し私は俯せて寝る(ここいら
  勤務した学校で生徒のまねをしている妙な心地)。荷物が少なくなり心配
  したが、よく考えてみれば皆一人づつ出ていくので朸付の辛櫃なんか
  無くなるはずがない...安心。
0920 鴨角氏動く(テスト用紙を裏返しに)。私はもう一度点検。鴨角氏も
  点検。終って信玄の如く提出。鴨角氏筆記具等を後へ持ち行く間、私は
  手前の大案を除け、辛櫃の後で叉手のまま止立。
  (他の受験生「またあの人たち、何かやるつもりだな」)
  鴨角氏と正確な白丁の作法で運ぶ。試験中の受講生から微笑が漏れる。
  名張の中森さんと目礼。視線を感じる。ふと見ると、目の前で椅子に
  坐られた長谷先生「へっへっへっ」と微笑していただく。
  会場を出て辛櫃の紐を解こうとしたが結びが固い。面倒なのでその侭
  祭式教室へ運ぶ(此の時の作法は「お猿の篭屋」)。先行した谷田氏も
  辛櫃(朸無し)だったが、「いや〜。教科書なんかも入れられるかと。
  でも、持った瞬間に後悔した」程、中に祭具が詰めてあったらしい。
  流石本庁(?かもしれない)と感心

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