平成10年度神社庁祭式指導者養成研修会

H10年分 於本廳
(本庁からの説明)
講義の録音は事務局と講師の許可を。但し耳が不自由であるなど
「やむを得ぬ事情に限って」事務局は許可することとする。との事。
→講師側(伺った範囲)勉強になるんであれば、そう限らずともよろしい
 資料としてもっと許可をお願いしたい。

(ご講義)抄録
 (というより、かなり欠落しています。本当は受講しながらマックに打込みたかったのです)
・長谷先生
 参考文献の紹介
『神道指令と戦後の神道』神社新報社編
『神祇院終戦始末』(?)先生著
『祭式制度五十年史』長谷先生著

 今日は話だけ。面白いですよ。終戦の秘話。そういうことです。
焦点は二つ。
1 終戦直後 GHQによる危機に対し
  当時の機関 (公)内務省 (民)皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉賛会など
 「外余男というのですが、私の親父やね。会う度に聞かされとった。」
2 上記から五ヶ月半後の2/3神社本庁設立
  神道指令によって破壊された、明治以降の神社制度の保護
 「私はね。24歳の時から祭式50年(!)当事者ですね。」

・占領政策について GHQの中に、終戦連絡事務局を置き通達
 戦犯38名逮捕。其の中に梨元(?)神宮斎主も居られた。
 一番恐れていた武装解除の対応。困ったのが神社→御神宝の刀を奪われた。

 (例) 御神体草薙剣の保護
  当時、名古屋の師団長はかがみの宮。ご配慮により岐阜の水無神社に移動(奉遷)して難を逃れた。
 結果的に熱田にGHQの影響は無し。
 「あんまり言わんのってください。まぁ、もう時効やけど。」

 神社の本義に反する。伊勢を本総に。過去の一時期のように仮に荒れても忘れずに続けていく
 宗教法人令で神社は上に記してあった。これが秘話のその二

 12/25三回目のGHQとの会合
 何か指令を出すときは必ず知らせる・・・はずだったが
 会合後突然指令が出された。これが神道指令。
 第59回神宮式年遷宮の中止→存続の危機
 その見解「神社は国家管理を離れ国体の変革を計る」
 今は法人法がある。当時は先が見えず、先人がこうやって苦労してこられた
 例 三斎(祭) 伝統による祭 復興を願うも許可が出ず。
 進駐軍がいつまでいるか。焦り。
 長谷外余男氏「そのうち帰っていく。慌てるな。」
 S24 石清水 
 S25 春日  
 S28 賀茂  と「祭」の復興
 あとは神社に於ける皇霊祭がまだ。

 本庁幣献幣の変遷
 氏子の参加
 「この為に、九州のある祭に指導で行った。31歳の時やで。行事表に明記されていなかった。不測の事態。明日やらんならんで特訓。儀註ができる。」
 S46年 本庁幣献撤を規程。

 祭の主旨の誤解 祝日と祭日の違い
 敬老→長生きさせていただいたと大神に感謝が本当。
 本庁よりまわってきた祝詞。「敬老」に迷って老人を崇めとる。なんやこれ!?
 老人を押込めたら本殿一杯になってしまうわ!
 体育の日・憲法記念日やて。祭に出来るか?

 祭式規程の改正について
 本庁講師が本庁の規程を批判したらおかしいか?
 だいたい最初に決めるときにワシに一言いうてくれたら良かった。
 第一条からおかしい。祭祀は大中小...なら良い。S46に修正。旗頭がワシ。
 ある人が「お前の親父の作った規程を変えるとは、親不孝や!」
 そうやない。占領中でやむを得ずだった。聞いとるでなワシは。
 本来の姿に戻さなあかん。ま、これはS46年に解決した。
 あと残っとるのが本殿遷座祭。明くる日に何の奉祝行事もないとは変。
 昔(戦後)はむり。何もないでね。やむを得ずです。一晩の祭式。
 場合によっては引続き行う例があった。
 来年五月に幣帛供進を復活します。
 大祓はともかく、遥拝を復活せにゃ。みどりの日を昭和祭とは本庁では出来ない。
 勝手にでは無理。

二日目(7/23)
今年から午前と午後とでの教室の入替えが無くなる。
板の間(祭式教室)は少々辛い(しかも今年は甲(作法)の年)が、以外と早く感じられた。
三回目受講生一同で絨毯を寄贈の話。「嫌みに取られる」と中止。

・長谷先生
 まず話聞いてぇ〜、足は然るべき(この表現に感心)で良いです。
 学科も重視する。ボクはね、24の時から本庁講師やでね、番号書いた笏もたされてイキナリではイカン。笏の話からするんです。祭祀はどういうふうに執行されるか仕組を教えてから実習に入る。
(この間、説明されながら全く体が止らない。ボディランゲージ並。迫力。熱意が伝わる)
 姿勢の項はS46から。正坐・直立に三つ(跪居、蹲踞、祗候)を加えた。これらはすがたかたち(姿勢)やでね。(ここで何か鞄をごそごそ...例の延びるモノが登場。後に「鞭」とご自身でお呼びになられる)
 座(M40の教科書類は未だ此の字)と坐(S17改正)の話。後で気が付いたが板書はあまり書かれていない(この二字と位次説明の縦棒が三本)。所定の座と本座の説明(円座に鞭を振られ乍)。所定の座は本殿から出入りしてからですよ。例、神社合併による合祀祭では、禰宜が本殿に残り守り、その他は一旦祭場を出るわけや。又所定の座です。宮司が祗候の座行ったからいうても出てったわけやないからね。本座へ戻るんですわ。(この説明に感心していたところ...)
 尺度が違うんや。モノサシやね。君らは、30センチ。ボクのは100メートルの...(ここで少し間)ま、巻尺や。(後に受講生間で話題に。そんな長さのモノサシ尺は無いと瞬間思われたのでは...と。しかし、全員が傾聴していたという事実は流石)(持笏の位置)腿の付け根から稍離した所。神宮祭式では腿の中程です。(翌日の某先生は、腿の1/3程付け根から離すとの説明)
 著装中左手は手ハイ(要するに握様。字は不明。杯の様にて此の字か盃か?)
 まがり笏・にない笏は「笏の病気」です。(またまた説明に感服)
 懐笏は斜めに笏頭稍下を執るんや。規程では「よくよく(注意をして)懐中」とあるけれども、これは落ちないようにの意。縦に入れるために真直ぐ執る意ではない。あっち(もう一つの大学を指さし)やな。斜でええんです。そら帖紙では真直ぐで仕方ないですわ。
 本なんかもって教えてはダメ。頭に入れるんですわ。本は忘れるかもしれんからね。そやけど「頭忘れて来ました」いう事ない。あの、カード(英語単語に良く使った)に書いて集めるんです。資料化して頭にいれるんですわ。どや、ワシのこと素晴しい先生やと思っとるやろ。思っとるか?
 騙さ...イヤ、ホントや。ホントの事や! ボクは見た!! (年々表現がバージョンアップされている。
 昨年までは「騙された思うて覚えとけ。あ〜れ〜は〜覚えとって損したわいうこと無いでね。」
 ますますお元気なのが嬉しいです。で、続く)
 ボクは神職しとったんやけど(! 言われて気付いた)、食うか食われるかやでね。大体食っとるワ(大爆笑が起る)。
  把笏ですけど、昔、出笏いうのがおってな、なら入笏か?そんなんナイワ。

 大体11時半前までこのペース。で突然「跪居して〜」ずっと正坐していた我々は出来ない...
 なんや足痺れたか。そろそろ休憩か。痺れるのは生きとる証拠! 痛いのも生きとる証拠!(笑)
 足揉んで直せ。私は整形外科医の先生やないでな。
 (跪居に二種類の話)
  次の左方に移るためには、臀を踵につけない。
  献饌などで安定させる必要があるときは臀に著けます。
 (歩幅)
  幅は大股はイカン。宮司も所役も幅は大体同じ。速度が違う。
 (屈行)
  3〜5歩。こちら(良く言う下位)の足からという事はナイ。
 昔、ある社で、ワシがあんまりうるさいんでな、宮司が「先生の様に言われると頭きますわ」て。
 アタマきとんのは、こっちや! 装束作っとん仕方ない。(ここで例の鞭が落ち、左の腰当にキャップを上に差込まれる癖を発見する。後にこのキャップが落ち、「どっか行ってもうたワ」多賀先輩(熱○より参加)が拾い渡され「あったか」熱○祭式?メモに図を残す)
  拜時は手首の稍内側(かつ肘側)を膝に摺る程がよい。浮かせないように。
 (警蹕の高低)大体、開扉時は低から高へ。閉扉時は高から低へ。きまりは無かったがこの様に広まっていったらしい。
 本座に於いて(揖ができずに)物品をもつのは祝詞後取だけ。

 (今年の失敗...)
 ・実習で祝詞後取が私(宮司役)に祝詞を進めた後、笏を持って来ていないことが判明(!)
  後取が小揖せず、持った状態から始めたのが原因だったのだが
 長谷先生「そこまで講師が言わなあかんか?」
 私も(講習会でサッと貸す)癖で、宮司役なのに笏を渡してしまった。ら、
 「こんなん初めてや(ということは60年に一回?)。後取が宮司の笏を取ってくか?(大爆笑)」私が祝詞だけを立てているのを見られて「宮司、笏あらへん〜。取って行くなよ。あんた(後取の事)明日、神社クビや。失業ですわ。」
 上のモンは下の作法に気を使うことはありませんよ。よう見るんが宮司が慌てて懐笏して「頂戴!」やて、祝詞後取も「受取るモンなら受取れ!」てな。まず、プロは絶対に間違えない。けどねぇ、間違えても反省はすること。ええな。わかったか? わかったな。わかった事にしとこ。
  絹垣は絹布を隔てて串を取る。滑りやすいから注意。(再び板書)
 (質問事項) なんかないか?ないんか。講師が優秀ちゅうこっちゃな。そやろ!(絶好調)
 (だからという訳ではありませんが)ぞろぞろ質問が出て少し慌てられて...
 ・著床 著床中はいかなる作法もしないなら、足をひらけないのでは?
 →→そんな細かい(前述参看)ことはない。別にどちらでも良い。蹲踞程決っていない。
  (某先生)手を下すことについて。著床は 1腰を折る 2著く の二つに分けて動作するのであって、一度に著こうとして手を下すから斜めになっちゃう。目立たないようにします。
 ・男子(中啓:中位に開いている名)扇法(女子に準ずとある)と女子(雪洞:ほのかに開いている名)扇法との相違。→→置扇・(置扇よりの)把扇・判扇(?)のみ。
 ・大祓 解説には「三方を用ふることができる」と明記。では、高さは目高か?
 →→そういうことはない。胸の高さでしょうな。
その他質問
 S46改正で祭場が左右変った理由
 →→幣帛を進める者の座を配慮。これが本義であるから。
  但し、空いているからといって総代などを坐らせないように。
 狩衣。後は纔著、では前は地に著くのか著けないのか
 →→ぎりぎりですわ。どっちか言うたら著かんね。ひたひた。
 斎館前。浅沓を並べる順序は如何。
 →→その社の例による。ここで決められない。
・最後に長谷先生 「この辺で手を打たんか?」
 講師の研修会もある。講師でなくとも熱心ならば参加して良いんですわ。
 今回も不参加の県が15もある。長谷がやかましく言うとったと隣(県)に伝えとってくれ!

(懇親会)
九時から長谷先生を前導申上げて皇學館側へ(やはり懐かしい...ところが!)
 覆隠のために不謹慎ながら天下の長谷先生の御前でバンダナをしていました。「怒られるかナァ」と内心ビクビク。しかし話の方が楽しくて、つい忘れていました。マックも持込んでいました。多賀先輩(祭式研究部の先輩)と二人で長谷先生にお話を伺っていた時「先輩が祭式の委員長で、私が後輩ですが副委員長でした」といった途端、私に
 長谷先生「そうですかぁ。うんっ? あんたぁ!」
 私「はいっ!(あ、バンダナなんで怒られてしまう...)」
 「あんたぁ、皇學館大學の出身?」
 「は?」
 「なんや。卒業生かいな」
 (私ずるずる。多賀先輩に「ははは、しっかりしろ」と支えられ、やっと...)
 「こ、国史でしたが、先生に有職をご指導いただきました...」
 「ほぅかぁ〜。てっきり國學院大學の出身かとおもうとったワ。おらへん(タイプ?)やでな」

最終日(四日目7/25)
 朝、モバイルで本ホームページ(当時分)をダウンロード。
安江先生・三木先生にご覧いただきました。安江先生「みんな最新式で頑張っているんだね。私はそういう「宇宙」の事はわかりませんので。」ご覧戴けましたでしょうか?

 この年の総合祭典では笏の代りに扇を持って宮司に挑戦しました。膝頭を閉じるというのはやってみないと解りませんが、実に大変です。
 安江先生「(女子の作法をしていたことについて)最初、扇を間違って持っているんじゃないかと思いましたよ。よかった。」ありがとうございました。

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