島田美術(古美術)
・銘文「相州鎌倉住正宗」の短刀です。
・正宗と聞けば、日本で最も有名であり相州伝を完成した名工です。京都の粟田口吉光、富山県の郷義弘を含めて天下三作と呼ばれています。
・出展品は前の持ち主の説明では、昔から大名家や豪族には、正宗と伝わる作品が有ったと伝えられ、本品も出筋は良い物と推察されるとの事です。但し真贋は保証されるものでは有りません。
・江戸時代には正宗を所持していない大名は家の格が落ちるとされ、各大名は正宗と伝わる刀をそれぞれ所持していたと言う説も有ります。
・昭和26年から刀剣を所持するには文化財保護委員会に届け出て、銃砲刀剣類登録証を発行して貰い一緒に管理する事が必要となりました。昭和26年届け出の1000番までの届け出は旧大名関係者所持の刀剣登録が多いとして「大名登録」と呼ばれています。
・出展品は「大名登録」から1年後の昭和27年に文化財保護委員会に届け出されているので古い登録です。
・研磨した人の話では、硬度が柔らかく、かなり古い古刀との事です。
・ハバキは柄と一体型の木ハバキです。
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◎詳しい情報
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・銘文「吉光」の短刀です。(売却されました。)
・吉光と聞けば、国宝4点、重要文化財9点、御物(皇室の私有品)、徳川美術館、東京国立博物館、石川県の白山比盗_社(しらやまひめじんじゃ)等そうそうたるイメージを持つかも知れません。これらは粟田口吉光と呼ばれる吉光です。
・吉光と二字銘が彫られた刀剣にはもう一つ土佐吉光(高知県)と呼ばれるものがあります。刀剣には「吉光」としか彫られていないので、粟田口吉光か土佐吉光か分りにくい面があります。
・粟田口吉光は古来より蒐集されて、足利将軍家、時の権力者である織田信長、豊臣秀吉が蒐集しました。そのため、本能寺の変や大阪夏の陣に巻き込まれ火事により焼け身になったものもあります。
・徳川家康は焼けた吉光等の名刀を焼き直させ、現代に至っているものもあります。以上のような経過より粟田口吉光は徳川美術館、東京国立博物館、石川県の白山比盗_社(しらやまひめじんじゃ)等、美術館や博物館や神社に既に収まっていると思われ、一般市場に出回っているとは思われません。
・粟田口吉光の生まれについては、諸説ありなにぶん鎌倉時代中期の事なので、勿論戸籍らしきものもなく、伝承の類となり通称藤四郎と呼ばれています。一説では福井県吉田郡松岡町の椎前しいさき神社(志比前しいさき神社)あたりの領民との事です。山城国(京都府の南部地域)の粟田口派の刀工として活躍しました。
・粟田口吉光の作風は平肉が豊で重ねが厚くなっています。呼び名「厚藤四郎」は「鎧通し」呼ばれる特に厚い重ねの短刀で、柄の方の元重ねは11mmもあります。無名の名物、無名藤四郎の短刀では元重ねが7mmです。しかし、「鎧通し」はこの2点のみなので、「鎧通し」を見れば「土佐吉光」と見るのが自然のようです。
・粟田口吉光の焼きの入っていない鉄の部分の地鉄は梨地肌であり小板目肌の詰んだ素晴らしい地鉄です。一般刀剣ファンは博物館や美術館でガラス越しに鑑賞できますが、滅多に粟田口吉光を手に取って鑑賞する事は出来ません。私の場合は鑑賞会で知らされずに他の10本程の刀剣と一緒に鑑賞しました。凄く良い短刀が1本入っているなと思っていましたが後で粟田口吉光だと知らされました。
・土佐吉光は大和国(奈良県)の手掻派の流れを汲み、文献資料においても確認出来る土佐国(高知県)最古の刀工です。 長尺の作例は殆ど見られず、現存作例の大半が二字銘を伴う短刀です。(九州国立博物館の説明)
・土佐の古刀匠として文献にあらわれた最古の刀匠でありますが、作品が完璧に保存されたものは皆無に近いです。古書には時代を観応〜文和(1350〜56)としてありますが、作品はおおむね応永(1394〜1428)から室町時代の末期にかけてのもので大和手掻の鍛冶です。
・出展品は100パーセントとは言えませんが、土佐吉光ではないかと思います。
・出展品には歯切れ、刃欠けは有りません。(売却されました。)
・日本刀の一流ブランド「備前国長船祐定」の脇差です。
・備前の国(びぜんのくに・岡山県)は日本刀の質・量共に全国1位であり、その中でも長船派(おさふねは)は高く評価されています。
・長船派からは国宝6振。 重要文化財28振。 重要美術品36振が選定されています。
・室町時代初期から同時代末期まで、複数の刀匠が「祐定(すけさだ)」を称して、作刀にあたりました。
・「祐定」銘は多数の刀工が使用しており、ブランド名として用いられており、個人を表す名前では有りません。
・祐定名を用いた刀工は一説には60名を超えると言います。
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・大和手掻派(やまとてがいは) 包元(かねもと)の脇指です。
・大和の国(やまとの国は東大寺のある現在の奈良県です。)
・一派は鎌倉時代末期の正応頃(1288年頃)から室町時代中期末の寛正頃(1460年頃)に活躍しました。
・開祖の「手掻包永」(てがいかねなが)は鎌倉時代の正応(1288〜93)頃に活躍し、国宝である手掻包永太刀や名物の「児手柏」(このてがしわ)を制作しました。
・大和手掻派派は東大寺に従属して「輾磑門」(てんがいもん)という境内門前に居を構え、鎌倉末期から室町中期末頃まで活躍しました。
・包元(かねもと)は、川口陟 著、飯田一雄 校訂 の刀工総覧では文明(1469年〜1487年)頃となっています。
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