1年間を振り返って−基礎・基本とは何か
最後の「研究紀要」より
 
宝立小 尾形正宏


 
2001.2.24
●はじめに
「総合的な学習」が 教育界を席巻している。このような「流行物」の状況は,毎度のことだとつくづく思う。日本の教育改革は,明治以来,常に欧米の真似をしてきた。それは戦後も続いている。戦後のコア・カリキュラムは見事に失敗したが,誰が責任をとることもなく,次の教育改革へと突き進む。ボクが小学校の頃は「集合論」が初等教育の算数にまで持ち込まれたが,教師になってみるとそれは姿を消していた。その代わりに,「ゆとり」の時間とかで,教科の補充をやっていた。「ゆとりの時間の創設のお陰で学校にゆとりが出た」と思っている教職員は,ほとんどいないだろう。これもまた,見事に失敗である。そして,ここ数年,いよいよ教科そのものの改革と銘打って「生活科」が導入された。遊びとどこが違うのか? 子どもたちの理科離れがいわれて,高等教育界だけでなく経済界も心配する事態となっている。
 そんな流れの中で,「子どもたちの興味・関心に沿った学習を」と「総合的な学習」の導入が迫ってきた。コア・カリキュラムとどこが違うのか?「二の轍を踏まない」という保証はどこにもないと,ボクには思える。これまでがそうであったように,時の教育改革に振り回されるのは現場である。地に足が着いた実践をしていかないと,「かわいそうなのは実験台となった子どもたち」ということになりかねない。
 最近の報道をみると,「総合的な学習」が「生活科の延長」「活動していればいい」という流れになりかけていることを感じ取ったモンブショウ近辺は,昨年くらいから「基礎・基本があってこその総合です」と言い始めたらしい。誠にごもっともなことである。基礎・基本をいい加減にして,メダカの池を作ろうが,地域の歴史を調べようが,それはままごと遊びの延長でしかないだろう。
 先人から受け継いできた文化は系統立ててしっかり教える−このこと無しには,義務教育は成り立たない。


●基礎・基本の定着を図るために…読み・書き・計算・分子模型
 小学校の基本は,昔から言われている「読み・書き・計算」の定着であろう。それは今の5年生にとっても同じこと。そして,大切なことであればあるほど,それは学校の授業で取り上げるべきだ。宿題にするのは,すらすらできるようになってからでよい(本読みや漢字,計算を宿題にすると,やってくる子と来ない子の差がますます広がる)。そこで,以下のような取り組みをしてきた。
☆読む…とにかく国語の授業では,まず声を出して読むことを大切にしてきた。すらすら読めると言うことは内容をおおむね理解することに等しいと考えている。みんなで読み,ひとりで読み,またみんなで読む。目で読む,声を出して読む,立って読む,すわって読む,まちがえずに1ページを読む,一センテンスずつ読む,など,いろいろなパターンを取り入れた。
☆漢字の書き取り…漢字ミニテストを毎日繰り返してきた。やり方は,次の通りである。まず,漢字ドリル(1ページ20問)を4ブロックにわけ,一日5問ずつテストをする。テストをする前に,みんなで練習をする。3回ずつ書いて練習したあとすぐにミニテストをするのである。このときにしっかり集中して練習すれば,ほとんど満点を取れる(今までの積み残しがある子は,それでも満点を取ることはむずかしいが,3学期に入って,満点を取る回数が増えてきた)。5問テストをやっている人はたくさんいるだろうが,練習時間も授業で保証するのだ。これで,苦手な子も少しずつ自信を付けてくる。そして,5日後に20問テストをする。間違った漢字は,3回ずつ練習して,そのドリルは合格とする。また,学期の最後のテストに付いている50題テストも,問題を前もって知らせておく。それで,3日後くらいにテストをする。問題が分かっているので,勉強しやすい。「知らない問題をだすからテストなのだ」という発想では,「どうせわからない」と言う子にやる気を出すことは難しい。
☆計算…児童に「型分けによる計算問題集」(青葉出版)を持たせている。この問題集は,水道方式の型分けほどには細かくないが,それでも,多くの計算問題を型に分け,「自分が引っかかりやすい問題パターンはどれか」を探しやすくなっている。この問題集もなるべく授業中にやるようにしている。それだけ時間が必要だけれども,「書くことによってノーミソを鍛える」「ノートはノーミソを映し出す鏡である」との考えの下で,自信をつけさせることを最優先してきた。
☆乗除の意味の定着…四則演算での計算力の定着とともに,初等算数で大切なのは,文章題を読んで「式をたてる」ことである。図を書き,式をたて,その後に計算し,答えを出す−ということをやってきた。市販のテストは「式」と「答え」しかないが,それを,図→式→計算→答えの4つのステップに増やして文章題を解いていくのだ。こうすることで,どこまで自分が理解できているのかが明瞭になる。図も書けない子は,一あたり量(量の3用法)なり,割合(割合の3用法)がどれかを文章から見つけられない子であるから,そこを指導すべきだろう。単に「今,かけ算の勉強をしているからかけ算の式を立てて解く」ということを繰り返していたのでは,量の仕組みが理解できずに終わってしまう。シェーマとしての図が大切な理由はここにある。
☆分子模型で見る…読み・書き・計算までは,万人がその重要さを納得できるであろうが,なぜ,それに分子模型がついているのか,不思議に思うだろう。この言葉−「読み書き計算分子模型」は,以前『たのしい授業』(仮説社)誌上で板倉聖宣氏が提唱したものである。分子模型が,基礎・基本の中に入っているのは,決して個人的な趣味からではない。原子論的なものの見方考え方は,自然を科学的な目で見る上で,もっとも基本となる考え方である。例えば,理科の授業において「溶けたもののゆくえ」や「重さの保存」といったことは,現象を見るだけでは決して理解し得ないものである。「溶けて見えなくなったものは,なくなった」「溶けたものは甘さに変わった」などは,ごく自然に出てくる考え方である。「すべてのものは原子でできている」ということを知れば,それを使って考えることができる。「粒がどこかに出ていかない限りは,重さは保存される」「軽くなったと言うことは,何かが出ていったのだ」という考え方ができるようになる。また,公害問題や環境問題を考える上でも原子論は力を発揮する。「水に流しても,毒はなくならない」ことは,明瞭だからである。ダイオキシンを構成する原子が含まれているものを燃やすからこそ,ダイオキシンができるのである。社会科の教科書に「二酸化チッソ」「二酸化イオウ」「ダイオキシン」という言葉がでてくるが,原子分子を楽しく勉強した子たちは,違和感なく受け入れている。ボクは,今までも高学年では原子を教えてきたが,もし楽しく原子分子を教えることができるのなら,なるべく早い時期に教えてしまってもよいと考えるようになってきた。実際,小学校1年生でも,原子論的な考え方を使えるという実践例も発表されるようになってきている。

●総合的な学習で<もしも原子がみえたなら>を取り上げる

 そこで,今年度は,本校でも試行されている総合的な学習の時間を使って,原子論の授業を取り上げることにした。もっとも,今までも,何年生を担任しようが,必ず原子の勉強をしてきたのだが,今年は,もっと徹底的に,子どもたちがどこまで乗ってくるかを見てみようというのである。
☆その1…授業書<もしも原子が見えたなら>の授業
 『もしも原子が見えたなら』(国土社)という科学絵本が,本校の図書室にも2冊あった。この絵本をもとにして作られた授業プランが<もしも原子が見えたなら>である。これは,仮説実験授業の授業書であるが,仮説の授業書としては異質である。実験がないし予想を立てることもほとんどない。色塗りをしながら空気中の原子分子について楽しく学ぼうというのである。何度もこの授業をしているので,「子どもが楽しんでくれること」については自信がある教材である。
☆その2…分子模型を作る
 授業中に取り上げた分子模型を10種類作り,箱に入れて飾れるようにした。どの子も大切そうにもって帰った。科学者になった気分である。模型作りには2時間かかったが,それ以上の効果があると思う。
・私は原子の勉強をして,いろいろな原子があるんだなあと思いました。本当は色が付いていないけど,わかりやすく色をぬって,もけいを作りました。とてもたのしかったです。人間や動・植物に悪い空気の原子もありました。よく人が死ぬのは一酸化炭素の分子です。これはとっても悪いので私はこわいなあと思いました。先生が言っていたおもしろかった分子は,水の分子です。先生は「これはドラえもんのおしりみたいだね」と言いました。私は「そうかも」と思いました。原子の勉強をして楽しく思いました(美文)。
☆その3…学習発表会での発表
 それをさらに劇にして,学習発表会で発表することにした。担任からは,発表会の一つの選択肢としてこの劇を示したのだが,学級会でこの劇をすることに決まった。劇の台本は,仮説の研究会仲間の名古屋のTさんが作成されたものである。以前,そのTさんにビデオとその劇の中の歌のテープも譲ってもらっていた。小松のKさんが,ダイオキシンも登場させたと言うことを聞いて,そのビデオも送ってもらった。
 台本の基本路線は変えずに,子どもたちと相談して何カ所かアレンジしながら,新しい劇を作り上げた。しかし,劇の練習そのものが,つらかったり,嫌々だったりしたのでは,本末転倒である。その点,この劇では,大部分の子が自分の好きな役につくこともできたし,毎回の練習も楽しくできた。10億倍の分子模型も協力して作った。
・最初,「もしも原子が見えたなら」のげきをすると決まったとき,ぼくは「学習発表会までにちゃんとできるかな」と思いました。でも,やってみるといがいとセリフとかがかんたんだったので,あとは,声を大きく出すなどのことだけだと思います。このげきはおもしろいなと思いました。(志洋)
 このように練習そのものも楽しくでき,しっかり発表することができた。声の大きさがちょっと小さかったのが来年度の課題。劇を終えての感想を紹介する。
・わたしははずかしがり屋です。学習発表会の時もはずかしい。なのに,どうしてはずかしいのに,お母さんやお父さんや1年生から6年生までの前で出られるのかな? たぶん,心がさけんでいるのかも知れない。わたしはそう思います。言葉ははっきりだしているんだけど,その言葉が,お母さんたちにとどいているのか,ふあんです。わたしは,この「もしも原子が見えたなら」の劇がとっても大好きです。学習発表会がうまくいったのでよかったです。6年生になっても,こんなふうにとってもたのしい学習発表会にしたいです(里香子)。
 10億倍の分子模型を作った色ボールの余った紙で,小さな水の分子模型をいっぱい作り,劇の最後にばらまきたいと訴えて来た子たちもいた。収拾がつかなくなると困るのでそれはやめてもらったが,そののめり込み方に頼もしいものを感じた。作ったミニ水分子模型は,ランドセルの横にぶら下げたり,発表会のあとで低学年に配ったりしていたようである。
☆その4…分子模型トランプ「モルQ」の紹介
 原子が書いてあるトランプを組み合わせて,分子を作り,分子名を叫びながらトランプをするというゲーム−それが「モルQ」である。これを考案したのは,東北の高校の先生。<もし原>をしたあと紹介すると,クラス中に流行するといううわさ通り,カードを奪い合い喧嘩に発展することもあった。この分子トランプをしている姿を,知らない大人が見ると「な,なんなんだ,この子たちは」と思うに違いない。小学生たちが,「二酸化チッソ!」「一酸化炭素!」と叫ぶ姿は異様に映るだろう。しかし,こうして楽しみながらいつの間にか身につけた知識は,きっと中学校へ行っても役立つに違いない。いや,新聞を読んでも役立つはずである(教科書通り教えられた子どもたちは,中2で初めて<原子>と出会い,すぐに化学反応式が出てきてイヤになるのだ。あ〜無情!!)。
 1月の末に,「モルQ」の注文を聞いた。なんと7名の子たちが保護者と相談の元,ほしいということだった。こうして「モルQ」は兄弟への広がっていくのである。あ〜有情!!

●おわりに
 3学期に書いた「おすすめの本」で,板倉聖宣氏著『もしも原子が見えたなら』とアトキンス著『分子と人間』をあげている子が一人ずついた。これも考えてみればすごいことである。
 子どもに迎合することなく,しかも子どもの興味をかき立てて進んで学習するようになる授業。その一例として<もしも原子が見えたなら>を取り上げた。基礎・基本を大切にしたこの授業は,次の理科や社会科の学習にも大きな力を発揮するであろう(これ以後のことは,昨年の授業記録<ゴミと環境>にくわしい)。