古本・ガリ本
今月の本棚・2010年版
 
 このページでは,「普通の書店では手に入らない本」の読後の感想を紹介します。一つは古本,もう一つはガリ本です。
・「古本」の規準は「アマゾンで表紙が紹介されていない」ということで判断しました。
・「ガリ本」とは,「一個人が勝手にまとめて製本し,販売しているたもの」です。研究会などで手に入れています。,わたしにとっては,一般書よりも影響を受けたモノもたくさんあります。
 普通に手に入る本の紹介は,随時,
「ブクログ:世の中まとめて好奇心」
で紹介しています。こちらの方もあわせてご覧下さい。

■仮説実験授業関連のガリ本(一般には販売されていません)
●大黒美和編集『仮説実験授業の未来に向かって−キリン館30周年記念講演集』(ガリ本,2012,231p)
 
高知県宿毛市には,仮説実験授業研究会の人ならみんな知っている本屋さんがあります。それが,キリン館です。私はまだ行ったことがありませんが,店主の岡田さんのことはよく知っています。そのキリン館が,2011年に開館30周年を迎えました。それを記念して行われた記念講演会の記録集です。
 収録されている文章は,大変多岐にわたっています。若者やベテランの講演,岡田さんの行きつけの居酒屋のおかみのインタビューまで収録されていて,岡田さんの人となりが余すことなく語られています。
 教師になった3人の子どもたちの話も,楽しいです。
 これだけ盛りだくさんの会は,なかなかありません。
 随所に仮説実験授業のエキスがちりばめられていて,こんなすてきな人たちを生み出した仮説実験授業のことをますます好きになります。
 低学年の時に仮説実験授業を経験した子どもを担任したある先生が,新指導要領の研修会の折りに,次のようなことを言っていたそうです。
 それで,ボソッと「この子たちには,知識や関心がある。朝から新指導要領で“言語活動”“言語活動”って言っているけど,できてるやん。民間でできているんだから,それをやればいい」と言ったんです。
 
他にもいっぱい大好きな言葉が出て来ます。いちいちあげるときりがありません。ぜひ,手に入れて読んでみてください。元気が出ますよ〜。

●小野健司著『たのしい教育史』(ガリ本,2011,167p)
 沢柳政太郎の伝記をまとめた四国大学の小野さんによる「教育史」です。教育史といっても,西洋教育史とか日本教育史とかを概観するような本ではありません。ある部分にスポットを当てて,その歴史的な事件(実験結果?)の今日的な意味を探るようになっています。
 第1章 ドイツの大学と〈転学の自由〉
 第2章 東京帝国大学と〈学修の自由〉
 第3章 鈴木達治と〈教育の自由〉
 第4章 虹の色数と〈発想の自由〉
という4本です。いずれも小野さんが大学の研究紀要のために書いた論文だそうです。こういった文章は,わたしたちのような一般人は目にすることがありません。でも,だからといって,それが不満だとはあまり思いません。だって,私たちにあまり役立ちそうにないんだもの…でも,仮説実験授業研究会関係の人たちの文章は,読んでみたくなります。それは研究に対する姿勢がしっかりしていて,わたしたちのような一般人をも想定しているからです。「研究は社会的なもの」という姿勢を,しっかり持っているからです。本書も,そんな本に仕上がっていて,タイトル通り楽しく読むことができました。
 小野さんは,教育史を学ぶ意義について,「はしがき」で,板倉先生の次のような言葉を引用しています。
 特に教育の歴史では,「いいものはすべて現在に伝わり,悪いものは淘汰された」といえないことが少なくない。ちょっとしたことがもとで棄て去られたアイディアや忘れられてしまった工夫の中にそのまま今に残せるものを発見することができることも少なくないであろう。自分の発想の自由を確保するために歴史に学ぶことが大切なのである。

●中一夫著『〈不登校〉が示す希望と成長』(ガリ本,2011,240p,1500円)
 待ちに待っていたガリ本が出ました。ここ数年間,中さんが取り組んできた不登校に関する「哲学」「考え方」「とらえ方」「教師の生き方」の本と言っていいでしょう。
 不登校は珍しい現象ではなくなりました。教師であるからには,いつ不登校の子と出会っても不思議ではありません。そんなとき,あたふたしないためにも,こういう本をじっくりと読んで自分のものにしておくといいと思います。
 不登校の子たちは,決してあるパターンで不登校になっているわけではありません。Aくんでうまくいった対応がBくんに当てはまるかどうかは全くわからないのです。それならば,我々教師は,いつも行き当たりばったりで対応するしかないのでしょうか。いや,それはちがいます。
 不登校を充電期間ととらえ,大人である教師や親が,あきらめることなく一緒に歩んでいく姿勢こそが大切になるのです。
 成長を応援する姿勢を大切にして,つきあってきたいです。
 今,現場で悩んでいる人はもちろんのこと,これから教師になる人にも是非読んでもらいたい1冊です。
 子どもたちのエネルギー不足には,「エネルギーをどう注入していくか」も大事ですし,「エネルギーが漏れてしまっている穴(心の傷など)をどうふさいでいくか」も問題になります。また,エネルギーをためるガソリンタンクの容量の大きさにも関係するでしょう。それぞれの対応の仕方はともかく,そういうイメージで子どもたちに接していくことで,〈不登校〉について冷静に対応できるようになるのではないでしょうか。(本書,71p)

●板倉聖宣著『震災を日本の変革の転換点に』(ガリ本図書館,2011,80p)
 2011年4月29日に東京・高田馬場で行われた板倉先生の講演記録を下に編集されたガリ本です。「巨大地震と地震学者」「実験結果と理想主義」「主体的な人間をつくる」の3本が収められています。
 編集者の牛山さんや鈴木さんは,さすがにテープ起こしになれているので,とても読みやすくなっています。
 この講演で,板倉さんは今村明恒のことも取り上げています。「稲むらの火」と言う文章を国定教科書に入れたのは今村だったようです。今村は,関東大震災を予知して(というか,来るかも知れないよと言って)いた人です。でも,主流派からは「何を馬鹿なことを」と無視されていたのでした。結果は今村さんの言うとおりになったんです。
 今回は逆に,「東海地震が,東海地震が」と言っていた人たちが見事に予想を外して,まったく予期しない場所で大きな地震が起きました。でも,ちゃんと,東北も危ないよ…と言っていた人もいたのです。このあたりのことについて,板倉先生は,
 この主流派の人たちを批難するムードがあるけど,それより私としては「東北沖の地震のことをかなりはっきり予知した人たちの仕事を評価しよう」と思っています。暗い話よりも明るい話のほうがたのしいからね。(19p)
と述べておられます。
 私は,これまで,少数派の予想を無視してきた<主流派>と言われる人たちに対して,とても怒りを覚えてしまうのですが,ここはもっと冷静にならないといけないと思い反省しました。
 まあ,ブログにもずいぶんと主流派に対する批判を書いてきたあとですがね(^^ゞ
 地震も原発も,予想が当たった人たちのほうをもっと注目すべき時だし,それができないと,またまた同じことが繰り返されるんだと思います。

●四ケ浦友季著『ちびくろユウキ』(2011,150p)

 2010年10月号〜2011年3月号の『たのしい授業』のイエローページに連載していた,ユウキさんの文章をまとめたガリ本です。2011年の仮説の全国大会で購入しました(というかガリ本プレゼントで選びました)。
 ユウキさんの文章は,とてもおもしろくて,子どもたちに読んであげても,キッと喜ぶだろうなあとおもうことがいっぱいです。この本の内容もその期待に充分応えてくれています。
 よくもまあ,昔のことを覚えているもんだ…と感心しながら,でも,いろいろな出来事の中に,なんだか温かくて切ないものを感じます。
 ユウキさんのこれらの文章は,研究会仲間の手によって道徳などの授業プランにもなっています。

●竹田かずき著『授業書案 徴兵制と民主主義』(2010,247p)
 本書は,表題の授業書案の開発物語と,その授業書案が収録されています。
 わたしは昨年,サークルでこのプランをやってみました。するとみなさん,一様に驚いていました。
徴兵制なんて時代遅れの民主主義の進んでいない軍事国家がやるものだ…と勝手に思っていたわたしのノーミソが,大きく揺れ始め,それ以来,頭の中はまとまらない状態です。それほど,この授業書案は私にとってとても大きなものでした。
 ネタバレになるとおもしろくないので,ここには書きませんが,そのうち,正式な本になるかもしれないなあと思います。
 竹田かずきさんは,石川能登大会で板倉賞を受賞しました。アマチュア研究家として,大変刺激的な生き方をしている人です。

●小野健司著『沢柳政太郎の生涯』(ガリ本,2010,158p,1200円)
 仮説実験授業研究会の小野さんがまとめられた沢柳政太郎の伝記です。今までに市販されている伝記もあるのですが,小野さんは「仮説実」という視点でまとめていて,それらの伝記よりも数段、教育研究の為になる内容となっているようです。というのも,私は市販の伝記をまだ読んだことはないので,小野さんの受け売りです。
 政太郎については,12月のこの本棚でも紹介し,この本にも刺激されて,なんと『沢柳政太郎全集』を購入してしまいました。本書は,それほど政太郎に入れ込みたくなる内容の本だったのです。
 本は,買って安心するもの…というわけで,全集は本棚に並べただけでまだ読んでいませんが,学期末の忙しさが一段落したら読んでいこうと思います。言い言葉があったら、ブログなどでも紹介しますね。

■古本など(アマゾンではすでに表紙がない本)
●チャールズ・ダーウィン著『ダーウィン自伝』(ちくま学芸文庫,2000,376p,1200円)
 進化論を唱えた英国生まれのダーウィンの自伝です。ダーウィンは1809年に生まれ,1982年にこの世を去りました。この自伝は,晩年,ダーウィンが家族の為に書き記したものであり,発表を前提をはしてなかったらしいです。しかし,死後5年後,息子のフランシス・ダーウィンが編纂して公表したようです。しかしその時には,一部,宗教的なことなどは削除されていたのでした。その削除した部分も復元した文字通りの自伝が,本書のもとになったものです。当時は,キリスト教徒の関係が一番大変だったでしょうから,息子が一部を削除して発表したのも理解できることです。

●『原子力平和利用寫眞集』(東京新聞社,1958,160p,当時\3000)

 うちの本棚に『原子力平和利用寫眞集』という写真集が眠っていました。昭和33年に東京都新聞社から発行されています。3000円もするのですが,今だとどれくらいでしょうか? 昭和33年と言えば,私が生まれる前後ということになります。世界中が原子の力を平和に利用しようと研究に燃えている頃です。
 日本が国際原子力機関(今話題のIAEAのこと)に参加したのが1956年(昭和31年)で,茨城県東海村に日本で初めて動力試験炉ができたのが1968年(昭和38年)だから,ま,いけいけドンドンの頃でした。ついでにいうと,福島第一原発1号炉の着工が1967年と前後しています(運転開始は1971年)。
 本書は,基本的には「平和利用,推進がんばろう!」という内容ですが,ちゃんと問題点は問題点として指摘している部分も見受けられます。たとえば「原子灰の処理」では

捨て場所はどこか
 イギリスの化学処理工場では廃棄物を沖合二マイルの鉄管を通して海の急流に放出しているが,各国で原子力発電が進めば毎年何千トンもの廃棄物が造られ,すて場所に困る。さしずめ日本海溝やフィリピン海溝などの深海底に流動がないと確認されればステインレスドラムカンにつめた世界中の放射性物質が日本近海にポカポカ投げ込まれることになる。

なんて述べています。楽観的な感じも伝わってきますが,私は「そんなん困るよ」と言っているようにも聞こえます。武谷三男氏を「中間子理論の研究につくすかたわら原子力行政に批判を下す武谷光男博士」と紹介していますしね。
 本書に関しては,こんなブログがあるのを見つけました。http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/873ca6625fddc18e1bb31a99f3ede768
 私の記事と合わせて読んでみてください。

●ペスタロッチ著『政治と教育-隠者の夕暮他』(明治図書,1968,182p,600円)
 「明治図書創業五十年記念出版 世界教育学選集」の一冊。学生時代,教職教養で学んだ「教育史」「教育哲学」に必ず出てくるペスタロッチの著作「隠者の夕暮」が収められています。
 ペスタロッチは1746年スイスで生まれ,1827年になくなるまで本国で教育者として活躍した人です。「隠者の夕暮」は1780年の作品。もう2本「隠者の夕暮草案」「わが祖国の自由について」という論文も載っています。
 いずれにせよ,書かれた時代が時代なだけに,現代にそのままあてはめることはできません。
 たとえば,書き出しがこんなんです。
 神の親ごころ,人間の子ごころ。
 君主の親ごころ,国民の子ごころ。
 それがすべてのしあわせのもと。

 おいおいといいたくなるでしょ。
 でも,この作品が「教育の古典」とされているのにはやはり意味があるのです。
 ペスタロッチは,初期のこの作品において「支配者たちよ,もっとしっかり教育をやってくれ!」と期待を込めて訴えているように思えます。
 しかし,訳者の梅根悟氏は,次のように述べています。
 私がここに訳出した作品を読む人は,これらの作品に示された,上なる者への期待が,すでに「断念の直前」的なものであることを感ずるであろう。それは上に対する「期待」というよりも,むしろ「怒り」である。その「怒り」の中にすでにわれわれは,「断念」と訣別を予感することができる。(145p)
 ペスタロッチの生きた時代は,1789年のフランス革命の時代です。ペスタロッチはこのフランス革命をとおして「大きな思想的転換」を成し遂げるのです。その前段の思想がこの「隠者の夕暮」に見え隠れしているというわけです。

 『隠者の夕暮』は岩波文庫にもあります。訳者は長田新です。彼は,広島大学の初代学長ですが,ペスタロッチ信奉者でもあったようです。

■2011年に読んだ本の一部(その後,ブクログに移動

●小田実著『中流の復興』『生きる術としての哲学』
 最近,小田実さんの本を読んでいます。
 小田実と言えば,「ベ平連」の運動で有名です。私より少し前の世代の教師はみんな知っているでしょう。私も学生時代に『何でも見てやろう』とか『世直しの倫理と論理』なんて本を読んだことがあります。そして,いつだったか京都のホールで講演も聴きました。強力なインパクトのある人だったことを覚えています。
 で,なんで今ごろ…小田実か…です。
 実は,昨年末にBSで以前放映した番組の再放送をやっていたのですが,そのなかに小田実の生前の姿を写した番組が2本ありました。私はそれを見ていて,心をうたれました。映像には,末期ガンになりながらも病床からわたしたちにメッセージを送り届けている小田の姿がありました。
 その番組で,私は,「ドイツには<良心的兵役拒否>という制度があること」を初めて知りました。「日本は世界で武力を使わない<良心的軍事拒否国家>として歩むべきだ」という指摘に大いにうなづきました。日本の歩いて行く方向が見えたような気がしました。平和憲法を掲げて世界に貢献できると思いました。
 そこで一番最近の本を2冊読んでみました。

『中流の復興』(生活人新書,2007,236p,780円)
『生きる術としての哲学』(岩波書店,2007,264p,2500円)

 小田実がなくなったのは2007年7月30日です。『中流の復興』は6月,『…哲学』は10月に出版されています。まさに最後の著作です。
 『…哲学』の方は,慶應義塾大学の経済学部の授業の様子をまとめたものです。小田さんの最後の講義です。授業を行っていたのは2002年の秋期講座「現代思想」です。それは,ちょうど9.11(2001年9月11日)を経験し,まさにブッシュがアフガニスタンを攻撃し,さらにイラクも攻撃しようとしているときでした。大学の講義なので話題は多岐にわたります。初めて聞く人の名前も多く出てきます。でも編集者の飯田裕泰・高草木光一の両氏がとても詳しい編註をつけて下さっています。また巻末には「小田実著作目録」が紹介されていてとても便利です。

 日本国憲法に基づいて国際協力はいくらでもできるのに,いつも国連軍だとか,自衛隊の海外派兵とか,そんな発想しか出て来ない。何のためにあるのかという根本的なところを,いつも考える,それが一番大事な点だと私は思う。(『中流の復興』57pより)
 私たちは,時折,混沌としている現状に嫌気がさしてどうにでもなれ!と思うこともあります。戦争はもうなくならないのだろう…と諦めもします。でも、小田さんの声に耳を傾けているうちに「いや,まだ大丈夫だ。私たちがやることはある。日本もやれることがある」と勇気づけられます。
 30年ぶりに小田実の言説にどっぷりと触れて脳が刺激され始めました。

●藤田祐幸著『知られざる原発被曝労働ーある青年の死を負って』(岩波ブックレット,1996,63p,絶版)
 岩波ブックレットに,藤田祐幸著『知られざる原発被曝労働』(1996年)があります。
 18歳から28歳まで原発で働き,定期的に被曝した結果亡くなった,嶋橋伸之さんの話です。彼はのちに労災認定を受けます。要するに「原発の中で働いたため亡くなった」という認定を受けたのです。原発労働者で労災認定を受けたのは、このときの嶋橋さんで日本では二人目でした(それまでもいたのですが,みんな口止めされていたのです。嶋橋さんのご両親にも口止め料として3000万円という弔慰金が来ていたのです)。
 ここでは,「原発を動かすためには被曝することが避けられない」ということがわかります。そしてそれは微量であっても「確率的に」起きる可能性が高まるのです。
 嶋橋さんは,年間で5ミリシーベルト〜10ミリシーベルトの放射線を受けており,累積被曝線量は約51ミリシーベルトでした。放射線作業従事者には年間50ミリシーベルトという規準があります。だから法律的には問題なかったはずなのです。

 今回,盛んに出てくる放射線量の数値は「1時間あたり」です。だから,単純に数値だけを見てはいけません。ただ,そこにずっととどまっているわけではありませんから,その点は大丈夫でしょう。  それにしても,最近の「子どもたちには年間20ミリシーベルトまでOK」というはなしにはビックリしてしまいます。それってありですか? 泣きながら辞職した彼の姿勢に感銘しました。あれが責任感のある科学者の姿です。


●藤野英人著『もしもドラえもんの「ひみつ道具」が実現したら』(阪急コミュニケーションズ,2010,180p,1470円)
 どうです。表題を聞いただけでもおもしろそうでしょ。腰巻きには「のび太でもわかる!? まったく新しい経済入門」と書かれています。
 この本は単なるドラえもんの秘密道具の説明書ではありません。本のタイトルにもあるように,「その道具が実現するためには,どんな会社が動き,どんな顧客や仕事が増え(あるいは減り),社会的にはどんな問題が起きて,法整備が必要になったりするか」というようなことをある意味真面目に考えてあるのです。
 例えば,冒頭のタケコプターの場合は…
 自転車やバイク,電車に代わる近距離移動手段として大ヒット。「空の通勤ラッシュ」が発声し,空の交通規制が敷かれた。…(中略)…一方で,「空飛ぶ権利とプライバシー権」をめぐる人権問題など,新たな社会モラルを問う議論も活発に交わされるようになった。(12p)
などと書かれています。どうです,読みたくなったでしょ。

●中江克巳著『世界一おもしろい海洋博物館』PHP研究所,2007,239p,500円)
 久しぶりに雑学本を読みました。なんかネット見つけて気になったから買ったんだけど,ちょっと期待はずれ。表紙を見たときに私は勝手に「大型のカラー版で500円とは!」と思ってしまったのです。でも,届いたのを見てみたら,文章ばっかりでした。
 ただ,内容は授業のネタになりそうなものもありました。
 たとえば,「海水の氷はなぜ塩辛くないのか」で
 かつて海水を蒸発させ,塩を作るというのが一般的だったが,北海道では海水が凍る際,塩分を放出することを応用したことがあった。海水の表面を氷結させると,その下の海水の塩分が濃くなる。この濃縮塩水を蒸発させて塩を作ったのだ。
 それには,まず大きな容器に海水を入れ,寒い冬に外へ出しておく。気温が低いほど濃縮が進み,マイナス10度で凍らせて氷を取り除くと,残りの海水の塩分量は15%,マイナス15度では20%になったという。もとの海水の塩分は約3.2%だから,数倍も濃縮されたわけである。(20p)

●金谷武洋著『日本語文法の謎を解く』(ちくま新書,2003,189p,700円)
 これは目からウロコの話でした。というか,今までなんかやりにくいなあと思っていた「主語と述語」の授業が,日本語には向いていないのだと知ってとてもうれしくなりました。
 著者の金谷武洋氏は,日本語教師です。本書は先に刊行されたそのものずばりの題名がついている『日本語に主語はいらない』(講談社選書メチエ)の内容を,「レベルを落とさずに、さらに分かりやすい文章で、広範な一般読者層を念頭において執筆した」(10p)だけあって,文法などには全く門外漢の私のようなものでも,興味を持って読み進めることができました。
 今年度,外国語活動の担当をしていたので,日本語と英語との違いにちょっと興味がありました。そんなとき,『たのしい授業』の1月号の読者のお薦めの本に紹介されていたのです。
 山登りをしていて別の山の間から富士山が見えたとき,日本人は「あ〜富士山が見える」といいますが,英語では「I see Mt.Fuji.」と言います。日本語の言葉には主語がありませんし,どちらかというとあっちから勝手に見えてきた…という感じですが,英語ではちゃんと主語を使っていいます。日本語を英語に直すときには,こういう違いを知っていないと難しいんですよね。
 今小学校で教えられている「主語・述語」という文法が明治以後,英語から入ってきたと聞いてこれまたビックリです。こんなわけの分かんないことを教えているから,子どもたちは文法がキライになるのかなあ。
 日本語教師にとって一番の問題は何か。それは西洋語と日本語の根本的な発想・世界観の違いがどの文法書にも記述されていないことだ(表紙より)
 他にも受身の意味するところなんかもおもしろかったですよ。お薦めの本です。

●浅川芳裕著『日本は世界5位の農業大国』(講談社+α新書,2010,189p,880円)
 浅川氏は,月刊『農業経営者』の副編集長さんです。本書は,昨年結構売れたみたいですね。
 日本の農業が今にもつぶれてしまいそうな話が5年生社会科にも出てきますし,なんとなく社会人の常識として定着しているようです。私も日本の農業には未来がないよなあとただただ漠然と思っていました。
 ただ,食糧自給率については私もやや眉唾だなと思っていました。だいたい,官も民も言い出すところが怪しいのです。案の定,食糧自給率という指標はほとんど日本しか問題にしていないようです。各国と比べた数値がよく出てきますが,その各国の数値も日本が計算して出しているのだとか。そしてそれが低い低いと問題視している。なんだかおかしいですね。その計算方法を聞いたところ教えてくれなかったとも書いています。ますます???です。
 日本の農地の話については次のように述べています。
 
日本の農業の問題点の一つとして,「農家数が減り,耕作放棄地が増えているから日本農業はこれから衰退する」という主張が,正論のようにまかり通っている点がある。(中略)
 この現象は世界中で起こっている。過去10年間で日本の農地は70万ヘクタール減少したが,フランスでも54万ヘクタール,イタリアでは146万ヘクタール,米国に至っては373万ヘクタールも減少。それでも各国の生産量が増えているのは,生産技術が向上し,同じ面積で何倍もの収穫が得られるようになったためである。(84p)

 みなさんは日本の農家の割合は他の先進国と比べてどうだと思いますか? 農家は極端に少ないのでしょうか,それともわりと多いのでしょうか。
 
先進国で,農家が人口に占める割合を見てみると,英国0.8%,米国0.9%,ドイツ1.0%に対し,日本は1.6%と突出して高い。(122p)
 ある団体が自分たちの利権を保持しようとして,データの一部を見せて不安を煽る…そういうことがないようにしたいです。政府の発表だけではなく,こういう本を読むことで,本当の姿が見えることも多いのでしょう。
 自給率が高い方がいいのかどうかも,もっともっと考えてみる必要があります。ぶっちゃけた話をすれば,もし世界がお互いに命に関わるいろいろなものをやりとりするようになれば,戦争なんて起こせなくなりますから。

●松岡正剛著『日本という方法』(NHKBOOKS,2006,318p,1160円)
 ご存じ正剛さんの刺激的な本です。日本の文化を「編集」文化と考えて,古来から伝わる日本文化を他国と比較しながら述べてくれます。
 たとえば,仮名。これは明らかに「仮の文字」です。仮名に対して真名という言葉もあります。真名とは漢字のこと。なるほど,本当の文字に対して仮の文字が仮名。その真名と仮名を縦横無尽に使って日本語はできているのですから,素晴らしいです。
 和風旅館と洋風ホテルが両立する社会の文化。しかし,その和風にしても,もともと唐風があったからできた言葉です。
 本書の最後の方に,北一輝や石原完爾,田中智学が日蓮宗に帰依していき,八紘一宇などを唱えるにいたる様子も出てきます。私と同じような問題意識を持って彼等を見ていることに親近感を覚えました。もう一度,このあたりも整理してみたいです。

●イアン・ホーキー著『アフリカ・サッカー』(実業之日本社,2010,351p,1995円)
 訳者は伊藤真氏。
 イアン・ホーキーについては本書カバーで
ナイジェリアと英国で育ち,1998年より英国サンデータイムズ紙の記者として活躍,同士のサッカー担当アフリカ特派員。これまでに南アフリカ,ジンバブエ,エジプトなどに駐在し,アフリカ28か国で取材経験がある。本書は,その10年にわたる取材に基づく書き下ろし。
と紹介されています。
 昨年,南アフリカ共和国でワールドカップがありました。また,年末のクラブ・サッカーでは,コンゴ民主共和国のマゼンベが,見事,アフリカ勢初の準優勝に輝き,世界をあっと驚かせました。
 それで,アフリカのサッカーってどうなっているのかなと思っていたところ,本書が出ていることを新聞の書評で知り,読んでみたのです。
 ヨーロッパからはどっと人が押し寄せた。そしてアフリカの人々を搾取し,追い出し,あるいは教育し,改宗させるためにやって来たヨーロッパの役人や商人や宣教師たちは,自分たちの趣味もこの大陸に持ち込んだ。(44p)
 そして,先住民たちもサッカーをやるようになります。が,
 クーベルタン男爵は言っている−「支配されるべき人種が支配する人種に対してスポーツ競技で勝利の味を覚えれば,たとえそれがお遊び程度のものであったとしても,反乱に結びつく恐れがある」。(同上)
と近代オリンピックの生みの親であるクーベルタンが言っています。なんという植民地主義者なのでしょう。
 ロッカールームに呪いがかけられているといってロッカールームに入ろうとしない選手の話や,不幸にも航空機事故に遭ってしまったチームの話など,とても興味深い話題がいっぱい収められています。
 また,実際に取材した選手たちのインタビューも豊富です。
 ときどき書かれる臨場感のある試合の様子を読んでいると「ビデオを見てみたい」と思ったりもします。実際,YouTubeで探したりもしましたが…。最近のものは見ることができました。
 サッカーに興味のある人は,読んで損のない,面白い本ですよ。

●中西達夫著『悩めるみんなの統計学入門』(技術評論社,2010,231p,1554円)
 私も参加している「たのしい授業ML」で話題になっていたので,この年末に取り寄せて読んでみました。著者の中西達夫さんは筑波大学大学院を中退してソフトウェアー関連の仕事に携わった人。
 本の表紙を見てわかるように,最近流行の『もし高校野球の女子…』と同様,女子高校生が身近な話題から「統計」の話を進めてしていきます。難解な統計学の内容も,そのお陰で,少しは簡単になっているかどうかは…ご自分でお読みください。
 優衣は特に目立ったところもない,いわゆる“普通”の女子高生です。親友の千明からもよく「優衣って普通だねえ」といわれます。(10p)
という書き出しではじます。
 優衣は「普通ってどういうこと」という疑問を持って統計学に入門していきます。「平均はその集団の真ん中=普通,とは限らない」「平均を見る前に分布を見ることが大切」など,なかなかためになる話が満載です。
 カイ二乗検定やt検定など,「なにも見ずに説明してみろ」といわれると未だにまったくいえない状態ですが,そんな難解そうなものを読んでみて一応は理解できたと思えるのがうれしいです。統計学には興味があるけど,ちょっと敷居が高すぎでついて行けないかも…という方には,とりあえずまず本書を読んでみることをお薦めします。

●阿辻哲次著『戦後日本漢字史』(新潮選書,2010,270p,1260円)
 クラブで「昔の教科書を読もう」とかいって,昭和初期の教科書を読んでみました。そのなかには今じゃ使わなくなった漢字も出ています。子どもたちは文章の流れの中で判断して読んでいました。今の漢字は随分と省略されていることに気づいたようです。
 では,この略された漢字はいつ頃誰によって小学校に降りてきたのでしょうか?
 「學」を「学」と変えると決めたのは誰であり,「圓」を「円」としたのはいつからなのか?
 そんなことを書いた本がないかなあと思っていたところ,年末の新聞の書評欄で見つけたので読んでみました。
 まず,日本語の漢字の多さについては,明治の頃からいろんな方面の学者達が問題にしていたようです。これから西洋に追いついていくためには,漢字を覚えることに時間を使っているようでは競争できない…というわけです。
 例えば,前島密は慶応2年,徳川慶喜に対して「漢字御廃止之儀」というものを出し,「国家の大本は国民の教育にして,其教育は士民を論せす国民に普(あまね)からしめ之を普からしめんには成る可く簡易なる文字文章を用ひさる可らす」と述べてかな文字による教育の普及を主張したりしています(本書31p)。
 また,福沢諭吉は,漢字の数を段々減らしてゆくゆくは廃止するべしと考えていたようです。
 私ははじめ「漢字を減らしたり制限したり簡単にしたりしたのは戦後からなのではないか」と思っていたのですが,そうではありませんでした。漢字制限論あるいは廃止論は明治初期から戦前にかけても盛んに議論が行われていたのです。
 それを正式に政府の機関としてやってみたのが大正10年に文部大臣監督の下に設置された「臨時国語調査会」という組織です。ここでは,「漢字1960字,その簡易字体154字」を収めた規格が作られました。その名を「常用漢字表」とよびます。
 これ以後,現在に至るまで,同様の審議会が同様の判断をしながら「漢字基準表」を作ってきました。それは教育の中ではしっかりと根ざしています。新聞紙上では,あるときは拘束されあるときはわりと自由にやってきたようです。
 使ってはいけない漢字があるからといって,漢字仮名混じりの熟語なんてみると気持ちが悪くなります。小学校でさえもそうなのに,大人が読む文章にまで出てきたりすると,ルビを振っておけばいいだけだろう!!といいたくもなります。ところが,日本には「ルビを振るべからず」という時期もあったというのですからビックリです。 漢字の略し方についても,まったくいい加減です。最近,漢字ブームになっていて,字源なんかにも興味を持って授業をしている人がいます。が,簡略字はそれがわからなくなってしまっているのがたくさんあって,困ります。
 「臭」は,今は「自」と「大」と書きますが,昔は「自」と「犬」と書いていました。これは「戻」「突」「器」なども同じです。なぜ「犬」だったのか,それは文字通り「いぬ」と関係があるからです。これを「大」にしてしまうと,なぜ「臭」が「におう」なのかがわからなくなります。たった1画を省略するためにこんなことが起きているのです。
 これら以外にも,「なるほど漢字の画数を減らしてすむ問題ではないんだな」と思わせる事例がたくさん出てきて,漢字について愛着が出てきます。
 パソコンや携帯でレポートを書いたりメールを打ったりする現代の日本人は,昔よりもたくさんの漢字を使うようになったと思います。これからは,絶対書き取りができないと困るという漢字(小中学生レベル)と判別できればいい漢字(顰蹙,憂鬱,懺悔など)とを区別しながら,漢字の持っている豊富な情報を操られる大人になっていくべきではないでしょうか。
 お薦めの1冊です。

●村松友視著『帝国ホテルの不思議』(日本経済新聞出版社,2010,357p,2520円)
 先に,同じような内容の本で『加賀屋の流儀』というのを読んでいたので,この本も気になったというわけです。年末の新聞紙の書評欄でこの本のことを知りました。
 村松氏は帝国ホテルで働いているいろいろな職業の人にインタビューをして,帝国ホテルの魅力を明らかにしています。その職業は,実にさまざま。ドアマンやフロントはもちろんのこと,氷彫刻の職人さんや宴会のチーフ,さらにはランドリーの係の人まで…帝国ホテルに興味がなくても,この仕事ぶりを覗くだけでおもしろいと思います。実際,わたしは帝国ホテルなんて見たこともありません(^^ゞ

○つねに頭に入れて時をすごす(総料理長)
 田中さんは,帝国ホテルのスケジュールに入ったさまざまな食事会のメニューを,つねに頭に入れて時を過ごしている。だが,一ヶ月前から考えつづけても,まったくそのメニューがまとまらないまま,日にちが近づいてしまうこともある。それがあるとき,神田駅から東京駅までの電車のひと駅のわずかな時間の中で,「全部いっぺんにまとまっちゃった」ことがあった。(中略)それは,四十年の経験のつみかさねや,抽出としての知識,それに感受性や瞬発力などが合体して,いちどきにほとばしり出たのだろう。(25p)

 田中さんのように授業プランが浮かんでくれば申し分ありませんね。日頃から広く高くアンテナをあげておくことで,明日の授業に生きるものが手に入るかも知れません。ある程度は経験がないとできないでしょうが…。

○お客様は十人十色でなく,一人十色」(客室課マネージャー)
 その“おもてなし”はもちろん臨機応変,これまでの経験則や独特の勘,宿泊客の心のありようへの観察力,人間という不思議な存在への読解力などの総動員が条件となり…(中略)…小池さんが到達した「お客様は十人十色でなく,一人十色」という境地は,客室課の新人にとっては,気が遠くなるほどの高い地平であるにちがいない。(32p)

 含蓄のある言葉ですね。教室の子どもたちだって「一人十色」だと思います。だからこそ,決めつけないで見てあげたいものです。新人にとっても気持ちよく子どもとつきあう方法を伝えてあげるのもわたしたち中年の役目ですね。それには仮説実験授業をやるのが一番です。すぐにマネできて,子どもたちの素晴らしさに嫌でも目がいきますからね。
 まだまだステキな仕事をしている人たちが紹介されています。
 教師の参考にもなると思います。お薦めです。  

 

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