「地域包括ケアの影について〜利用者・家族とともに歩むケアマネジメントの視点から〜」






        「地域包括ケアの影について〜利用者・家族と
         ともに歩むケアマネジメントの視点から〜」
     2011世界アルツハイマーデイ記念シンポジウム塚本当日資料原稿
          テーマ「地域包括ケア」の光と影
           2011.09.18.SUN.13:00-16:00
            サンフォルテ2階ホール


                          富山総合福祉研究所
                          所長 塚 本  聡


はじめに

 今は市町村合併で富山市となりましたが、合併前は人口2万人強の大沢野町
の頃から、ケアマネジャーとして独立開業している者で、富山総合福祉研究所
の塚本と申します。

 地域包括ケアというと、問題点だらけで、何に焦点を当てて話せばよいか迷
うのですが、時間の余裕がありませんので、ここでは2点に絞って述べたいと
思います。1点目は、地域包括ケアは、「余計なお世話」ということ、2点目
は、地域包括ケアは、「『標準化』という新たな給付抑制装置の隠れ蓑」とい
うことです。


(1)地域包括ケアは「余計なお世話」

 まず、第1点目の、地域包括ケアは「余計なお世話」ということですが、こ
れは、様々な意味でそうなってしまうと予想しています。ここでは、定期巡回
・随時対応型訪問介護看護に絞って述べます。この事業(名称が長いので、こ
こでは「24時間事業」と略します)は、どう考えてもうまくいきません。

 日中の訪問介護、訪問看護は、供給が十分な地域であれば、従来のサービス
だけでこと足ります。問題は夜間。しかし、既に導入されている夜間対応型訪
問介護の実態を見れば明らかなとおり、必要な回数の定期巡回と随時対応を行
えば、あっという間に要介護度いっぱいの単位数を使い果たして超過が出てし
まうので、お金によほど余裕がなければ利用できません。かといって、報酬単
価を下げれば求人を出しても人が集まらないし、手を挙げる事業所も出てこな
い。また、そこまでの夜間介入頻度の高い利用者は、頻回な吸痰が必要な人な
ど極めて限定的であるため、採算が合うだけの利用者を集めようとすると、地
域密着といいながらも守備範囲を広域設定しなければやっていけなくなります
し、下手な事業者にかかると、本当は夜間の介護が不要な人まで囲い込まれて
しまい、サービスを受けること自体が原因で、結果的に「夜間の介護がなけれ
ば生きていけない人」が作られてしまう恐れがあります。現場を知っている人
ならば、こんなものは使い物にならないとすぐに気がつくし、実際政策論議の
中でも早くからそのような指摘がなされています。唯一意味があるとすれば、
ご本人が操作しなくても、モニター画面で体調の異変に気づき、救急車を呼ぶ
ことができるという事ですが、これとても既存の市町村の緊急通報システムを
機能強化すれば事足りる話しです。つまり、無理に新事業と銘打って押し出さ
なくても、従来の諸サービスの足らないところを改善し、かつ事業者から独立
した公正中立なケアマネジメントを行うだけで、費用対効果が格段に高いサー
ビスを提供することができるのです。本当に夜間頻回対応が必要な人には、む
しろ自立支援法(将来の「障害者総合福祉法」)の併用条件を緩和して、本当
にその人その人の個別事情に合わせたサービスを提供するしくみにした方がよ
ほどスマートです。(注1)

 いまやらなければいけないことは、現場から「これが必要だ」と指摘されて
いることを実行することであり、利用者・家族から「これで困っている」と訴
えられている問題を一つ一つ解決していくことです。肝心なことをやらないで、
余計なことをやるから、かえってめちゃくちゃになる。日本の介護保険は、そ
の繰り返しで悪くなる一方です。政策のマネジメントサイクルが壊れています。

 ケアマネジメントにひきつけて言えば、24時間のサービスは、24時間事
業者とケアマネジャーが共同でケアマネジメントを行うことになっていますが、
実際には時間帯や頻度、内容などの詳細は24時間事業者が最終的には決めて
もよいという話しなので、24時間事業者の都合で中身が決められてしまいま
す。しかも、もしデイサービスやショートステイなどが必要な人であったら、
24時間事業者と共同で行うマネジメントの他に、デイサービスやショートス
テイを含むより大きなマネジメントを別途行う必要が生じますし、下手をする
と、デイサービスやショートステイなどのサービスまで、24時間事業者の都
合によって振り回されることになりかねません。マネジメントとして行うこと
は一つしかないので、このような二重三重のマネジメント構造を新たに創設す
ることは無駄以外のなにものでもないし、かえって害が生じる。そういう意味
でも「余計なお世話」になります。


(2)地域包括ケアは、「『標準化(=新たな給付抑制装置)』の隠れ蓑」

 第2点目は、「標準化」の問題です。本日のテーマは「地域包括の光と影」
ですが、良くも悪くも華々しく光の当たっている論点に隠れて、影で密かに進
行しているのが「標準化」です。標準化には3つあって、一つは「医療の標準
化(クリニカルパス)」、一つは、「ケアの標準化(ケアパス)」、そして最
後は「ケアマネジメントの標準化」です。標準化は、表向きは「サービスの質
のバラツキを無くすため」という名目で行われますが、質の善し悪しの判断基
準が偏狭な価値観で勝手に決められてしまったり、給付抑制を目的として決め
られてしまうと、結局エンドユーザーである利用者と家族がそのしわ寄せを被
ることになります。実際、先行している医療の標準化では、個別の患者の状態
とは無関係に、リハビリテーションの日数制限が画一的に導入されたりしてき
ましたし、治ってもいないのに退院させられ、病状が悪化して再入院といった
おかしな扱いが珍しくなくなってきています。同じ事が、ケアの標準化の名の
下に行われたらどうなるか? 個々のAさん、Bさんを見ずに、「○○症の人
というグループ(類)の中の一人」と位置づけられ、「そのグループ内の人に
はこのケア」という画一的な当てはめられ方をして、その人その人に合った本
当に必要なケアが受けられなくなる恐れがあります。その当てはめの基準が給
付抑制の目的で歪められたら、たとえば「この状態ならば通所は週2回まで」
とか、「この状態ならば車いすのレンタルは不可」、「この状態ならば生活援
助は不可」といった制約基準となり、要介護度ごとの限度単位数を大きく余ら
せた状態のまま必要なサービスを使えなくする「ケアからの排除装置」になり
かねません。

 そういった、医療からの排除、ケアからの排除が起きないように、必要な医
療とケアを満たすケアマネジメントを行おうとすると、今度は、「それは標準
からはずれるダメなケアマネジメントだ」とケアマネジャーがマイナス評価を
受ける。それが、「ケアマネジメントの標準化」です。ここのところ、社会保
障審議会介護給付費分科会では、表の議事録にはとても恥ずかしくて書けない
ようなケアマネジメントバッシングが横行しています。その内容は、「利用者
・家族のいいなりになっている」とか、「介護福祉士だから知識と技術が足り
ない」といった類で、その主張の根拠にしようとして行った実態調査で否定的
な結果が出るや、今度は「この調査結果は信用できない」などと難癖をつける
始末です。そんな価値観の人たちが、この国のケアマネジメント政策をダメに
しています。「わがままで悪い利用者・家族」が個別に訴えることは聞かなく
てもよい。「善良な利用者・家族」ならばこう望むのが「標準」だと上から設
定された「目標」にそって生きていくよう、「わがままで悪い利用者・家族」
を感化教導するのがケアマネジメントだ、となってしまう。それができない者
はケアマネジャー失格の烙印を押される。放っておけば、そんな政策ができあ
がってしまいます。


おわりに

 ご本人・ご家族が何に困っているのか、何を望んでいるのかを知ることから
出発するのがケアマネジメントです。それを否定することは、ケアマネジメン
ト自体を否定するのと同じことです。政策主導のマネジメントサイクルと利用
者中心(パーソンセンタード)のマネジメントサイクルが摩擦を起こしている
いま、ケアマネジャー個々がいずれの立場に立つのか、誰とともに歩むのか、
その良心が非常に厳しく試されます。

 また、ケアマネジメントは、「無駄を省いて必要を満たす仕事」でもありま
す。ご本人・ご家族にとって必要なケアを奪うことに血道を上げるのではなく、
制度自体の無駄を省くことにこそ責任を果たさなければなりません。使い物に
ならない新サービスを次々に生み出したり、役に立たない介護サービスの情報
公表システムや要介護認定システムを、一部の者の利益のためだけに残そうと
する政策に対して、見て見ぬふりをするのか、それとも正しく批判し、改善を
求めるのか、その意味でも専門職としての良心が厳しく問われます。

(注1)ただし、自立支援法を介護保険法に統合すべきという意味ではありま
    せん。むしろ、介護保険法を自立支援法のように作り替える、もっと
    言えば、医療政策や住宅政策、教育政策なども包摂した社会的総合生
    活保障法体系を構築し、整合性のとれた政策に高めていくべきである
    と考えます。





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