要介護認定とケアプラン




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    2010.09.26.

    「要介護認定とケアプラン」
    アルツハイマーデーシンポジウム
    「2012年介護保険改定に向けて
    〜私たちの思い〜」発表要旨
    サンフォルテ2階ホール
    2010.09.26.SUN



                              富山総合福祉研究所
                              所長 塚 本  聡



     (目次)

      はじめに

    (1)現行要介護認定システムの問題点

    (2)家族の会の要介護認定廃止論の要旨

    (3)要介護認定廃止論批判の要旨と反批判

    (4)ケアマネジメントの公平・公正・中立

      おわりに





    はじめに

     わたしは、富山県内の介護保険の居宅介護支援事業所でケアマネジャーをし
    ております。本日は、ケアマネジャーの立場からということで、「要介護認定
    とケアプラン」と題してお話をさせていただきます。

     まず、家族の会の提言については、その内容に全面的に賛同する者です。特
    に、若年期の方の就労(継続)支援の必要性や、診断初期からの早期相談支援
    の必要性については、ご本人との対話の中から発見されたニーズであるという
    点でとても重要な意味を持っていると思います。また、要介護認定廃止の提言
    については、会の外部からの圧力や、会の内部の不安の声がありながらも、会
    の私的な利益ではなく、国家の制度としていかにあるべきかという公益の観点
    からきちんと論じきっていることに意義があるし、その内容も正しいと考えま
    す。

     要介護認定廃止論は、家族の会を含むいくつかの団体から提起されておりま
    すが、それらに共通するのは、廃止の前提として、ケアマネジャーがいまのま
    まではダメで、公正中立がきちんと担保されなければならない、としている点
    です。他方、要介護認定を廃止すべきではないという反論もいくつかの団体か
    ら提起されておりますが、こちらの主張も、その根拠として、現状のケアマネ
    ジャーは公正中立ではなく、利益誘導にはしって介護保険の財源が食いつぶさ
    れるから、という理由で要介護認定廃止に反対されています。

     つまり、要介護認定廃止論者も要介護認定擁護論者も、ケアマネジャーがい
    まのままではダメだという現状認識では一致しているという事が明らかとなっ
    ているのです。これは実に大問題で、ケアマネジメントの現場実践者も、ケア
    マネジメントの理論研究者も、このことを重く受け止めなければならないはず
    なのですが、残念ながら、ケアマネジメントの観点から要介護認定について論
    じる責任を果たしている人は、現時点でほとんどいません。そこで、本日は、
    先月末に立教大学で開催された日本ケアマネジメント学会第9回研究大会で、
    わたし自身が行った発表の内容をベースにお話をさせていただきます。


    (1)現行要介護認定システムの問題点

     まず、現行の要介護認定システムの問題点を整理すると、大きくは以下の7
    点が挙げられると思います。

    ・ケアマネジメントのアセスメントと連動しておらず、二重調査の無駄がある。

    ・認定基準が、そもそも必要な介護を満たすことを目的としていない。

    ・「なぜこの状態でこの認定なのか」、利用者・家族から見て納得がいかない。

    ・認定システムを開発・維持するために投じる費用が効果に比して高すぎる。

    ・認定基準が厳しいほど民間私保険の市場が拡大するので癒着の温床となりや
     すい。

    ・認定調査員と認定審査会委員は、申請された利用者とは一期一会の関係であ
     り、認定の影響を検証し、基準の見直しにフィードバックすることができな
     い。

    ・認定に時間がかかりすぎ、その間は利用者と家族が不安定な立場を強いられ
     る。


    (2)家族の会の要介護認定廃止論の要旨

     次に、家族の会が主張している要介護認定廃止論の内容を簡潔にまとめると、
    以下の2点に要約できると思います。

    ・現行の要介護認定を廃止する。

    ・必要な介護サービスの種類と量、有効期間などは、ケアマネジャーのアセス
     メント情報を活用し、保険者担当者とかかりつけ医も参加するサービス担当
     者会議で個別に検討し、その場ですぐに判定する。

     このようなしくみが実現すれば、先に述べた7つの問題は、ことごとく解決
    することがおわかりいただけると思います。


    (3)要介護認定廃止論批判の要旨と反批判

     次に、要介護認定を廃止すべきではないとする立場からの反論の内容につい
    て、その主立ったものを検討します。

    ・「要介護認定の廃止は保険原理と矛盾する。」→現時点でも、既に要保障事
     故の該当性やサービスの種類・量・提供期間などについての判定は、実質的
     に認定システムの外で(具体的には「ケアマネジメント過程の中で」)行わ
     れています。これを保険者担当者を含むサービス担当者会議の場で個別に判
     定するしくみに置き換えたとしても、とりたてて実務上の支障はありません。

    ・「要介護認定の廃止はサービスの濫用を招く。」→既に1割の利用者負担が
     実利用単位数の抑制効果を持っているので、必ずしもサービスの濫用を招き
     ません。

    ・「ケアマネジャーが公正・中立ではないので、利益誘導によって判定が歪め
     られる。」→現行の要介護認定を廃止すると否とにかかわらず、そもそもケ
     アマネジャーは公正・中立でなければならないはずです。ケアマネジャーが
     公正・中立ではないからという理由で要介護認定廃止論を否定するのは論理
     的に逆立ちした議論であり、公正・中立ではない実態があるのならば、むし
     ろそちらの方を正さなければいけないと考えるべきです。


    (4)ケアマネジメントの公平・公正・中立

     ケアマネジメントシステムを政策として採用している国では、通常ケアマネ
    ジメントの公平・公正・中立に関する論点は、「第三者機関性をいかに担保す
    るか」という問いに集約されます。日本の介護保険では、法制定時にこの点に
    関する注意が完全に欠落していました。法律が施行されて、その問題が直ちに
    「囲い込み」という形で顕在化しましたが、抜本的な改善策が講じられないま
    ま、とうとう10年もの歳月が流れてしまいました。その結果、冒頭で述べた
    ような、要介護認定廃止論者からも擁護論者からも、どの立場からもケアマネ
    ジャーがダメ出しをくらう恥ずかしい事態に立ち至っています。

     韓国では、日本の介護保険制度を徹底的に研究して「老人長期療養保険制度」
    を制定し、2008年7月1日から施行されていますが、ケアマネジメントに
    ついては、日本のまねをしてはダメだということで、システムとして組み込ま
    れませんでした。しかし、今日では、やはりケアマネジメントを組み込むべき
    だという意見が強まり、制度の改正が検討されています。ただし、その場合も、
    日本とは異なり、明確に第三者機関性の担保を打ち出す方向で議論が進んでい
    ます。

     ケアマネジメントシステムを政策として導入している他の国と比較すること
    によって、日本の研究者の「第三者機関性の担保」問題への無関心と問題解決
    への消極的な姿勢が浮き彫りになります。また、日本国内の法人事業主や介護
    従事者の規範意識のずれ、具体的には、サービス利用者の選択権侵害に対する
    感覚の麻痺が浮き彫りになります。

     日本の介護保険政策は、経営規模拡大を誘導する方向で進んでいます。その
    理由はいくつかありますが、時間の都合でここでは説明を省きます。このよう
    な政策が今後も続く事を前提として、法人事業主が自身の法人経営の安定化と
    規模の拡大を図ろうとするのはある意味で当然ですし、そのビジネスモデルの
    延長線上にケアマネジャーを使った囲い込みが横行するのも自然の成り行きで
    す。本来であれば、そうならないために、介護保険法施行の当初から第三者機
    関性を担保するしくみにしておかなければならなかった。それを、あとからそ
    のように転換するのは、最初からそうしておくよりも、もっと大変なことです。
    その意味では、介護保険10年の積み残しの課題としては、「ケアマネジメン
    トの公平・公正・中立」の問題が、もっとも深刻で、かつもっとも解決が難し
    い問題であり、語ることすらタブーとなっている事情は分からなくもないこと
    です。しかし、わたしは、それがある一定の手順(第三者機関主義の段階的法
    義務化)をきちんと踏めば解決可能である、あきらめることはない、と考えま
    すし、逆に、もし解決に失敗することとなれば、海外の日本研究者が早くから
    指摘しているとおり、日本の介護保険はいずれ財政的に破綻してしまうであろ
    うと予測します。

     もっとも、第三者機関性の担保をせずに、財政破綻を免れる道がひとつあり
    ます。それは、ケアマネジメントシステムそのものを政策として「静かに」葬
    り去るという選択です。三菱総研の地域包括ケア研究会報告書の内容の中に、
    このシナリオを読み込むことができると考えるのはわたしだけでしょうか。居
    宅介護支援事業所のケアマネジメントは、地域包括支援センターへの従属を強
    める中で管理強化され、自律性を奪われる。サービスの利用者と家族はケアマ
    ネジメントの主体としての地位を奪われる。サービス利用者と家族が望んでも
    いないような目標が外部から設定され、その「目標志向」に強制同意させられ
    る。「自立支援」の名の下に必要なケアを奪われる・・・。

     「保険料を徴収するけれども必要なサービスは提供しません」という仕組み
    であれば、なるほど財政破綻は免れるかもしれません。しかし、その結果、サ
    ービスの利用者と家族は、アメリカさながらの医療難民、介護難民と化してし
    まいます。ケアマネジャーは、その惨劇を相談実務の最前線で目の当たりにし、
    なにもできず精神的に消耗する。お金を持っている人向けの民間の医療・介護
    保険の代理店スタッフとして、あの悪名高い「マネー・マネジメント」の手先
    の役割を担わされる。放っておけば、わずか数年後の未来がそうなってしまう
    のではないでしょうか。


    おわりに

     介護の社会化を本当の意味で実現させるためには、介護保険もケアマネジメ
    ントシステムもつぶしてはいけませんし、むしろ充実・発展させる必要があり
    ます。そのためにわれわれがまずなすべきことは、非常にシンプルな結論にな
    りますが、「対話」をあきらめないということだと思います。

     ここで言う「対話」とは、単に人と人とが言葉を使って語り合うということ
    ではありません。また、損か得かを判断基準として、人と人とが「取引・交渉」
    をする関係でもありません。哲学者マルティン・ブーバーの言葉を借りて述べ
    るならば、「対話」とは、全人格をかけた出会いであり、実存的な意味におけ
    る成長の場です。

     これを認知症の人との「対話」に引きつけて説明すれば、「認知症『につい
    て』語る」行為は「対話」ではありません。「認知症の治療や認知症の人への
    ケアのありかた、認知症の人をとりまく社会情勢など『について』語る」行為
    も「対話」ではありません。「認知症の人『と』語る」ときに、はじめて対話
    が生まれます。ここで言う「認知症の人」とは、抽象的・観念的な「人」では
    なく、現実の社会の中で生きている具体的なひとりひとりの「人」を指します。

     われわれ実践者は、ともすると、「対話」しているつもりが、自分の価値観
    を知らず知らずのうちに相手に押しつけ、自分が期待する方向に話しを誘導し
    てしまっていることがあります。これは、相手を道具化しているだけで、われ
    われ自身の内部で自己完結する閉じられた行為にすぎず、「対話」ではありま
    せん。本当に「対話」するということは、とてもたいへんなことです。しかし、
    本当に「対話」することから出発しなければ、個別のケアマネジメント関係も
    「偽物の関係」となってしまいます。政策を根本から変えなければならないと
    きも、政策立案者との本当の「対話」(「取引・交渉」ではなく)が成立しな
    ければうまくいきません。

     わたしは、「ケアマネジメントをみんなで考える会」の共同代表理事のひと
    りですが、会では、この「対話」ということを深く突き詰めて考え、実践する
    ことにより、個々のケアマネジメントをよりよいものとしたり、ケアマネジメ
    ント政策をよりよいものに変えていく取り組みを行っています。2012年の
    医療・介護報酬同時改定や介護保険法の第二次法改正にどれだけ関われるか分
    かりませんが、われわれなりに与えられた社会的責任を果たしていきたいと考
    えています。


    (参考文献)
    ・マルティン・ブーバー著 田口義弘訳「我と汝・対話」みすず書房1978年





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