編集後記(雑感)

2008年9月 長月



 9月20日と21日にJR西日本JR東日本とのコラボ企画で、国鉄色大糸リレーの旅というイベントが実施され、大糸線の糸魚川〜南小谷間にハ52系気動車3両で運転のキハ52大糸リレーと、南小谷〜松本間に115系電車(横須賀色)で運転の115系大糸リレー号が運転されました。JR西日本JR東日本とのコラボ企画としては、昨年9月に懐かしのはくたか号の運転がありましたが、来年9月にも期待できるかも知れません・・・。JR東日本からは北陸絡みでは、11月22日と23日に、新津運輸区のキハ58系国鉄急行色使用で、糸魚川〜新潟間になつかしの急行ひめかわの運転がプレス発表されています。



2008年5月 皐月



 4月20日(日)に富山の地元誌北日本新聞社の主催で、鉄子の旅プレゼンツ 富山・鉄道の旅ツアーが行われました。トラベルライター横見浩彦さんの全国のテツよ、富山に集まれ!の呼びかけに全国から多くのテツが富山に集結しました…。参加者総勢100名は、富山ライトレーJR高山本線、そして富山地方鉄道を横見さんらと巡りました。このツアーの中でも、横見さんに渋い駅、車両が満載で世界遺産クラスと評された富山地方鉄道は、鉄ヲタの心をくすぐる車両選定や特製ヘッドマーク装着、そして特製硬券往復乗車券の配布など至れり尽くせりでした…。参加者総勢100名は富山の鉄道の旅を満喫したことでしょう・・・。



2007年7月 文月



 JR東日本新潟支社の企画で、団体臨時列車として急行しらゆきが直江津〜酒田間で運転されました。急行しらゆきは、昭和38年4月に金沢〜青森間に新設された気動車急行で、772.3Kmを約12時間かけて運転されていた長距離列車でした。北陸本線区間では、金沢〜糸魚川間を松本行きの急行白馬を併結運転していました。昭和57年11月14日をもって特急白鳥1・4号に格上げされ、その役を終えました。今回はJR東日本新潟支社管内での復活運転でしたが、数少ないキハ58系国鉄色のみでの運転ということで、車両のやりくりが大変だったようです。同社は9月にもJR西日本金沢支社の能登編成による懐かしのはくたか号の運転を行なうとか・・・。



2007年5月 皐月



 本当に久しぶりの更新となりました。公私いろいろあってゴールデンウイークから鉄分補給開始しました。連休最終日の5月6日に、JR東日本新潟車両センターに181系電車車両さよなら展示会を見に行ってきました。その展示会で快速ムーンライトえちごの485系と急行きたぐにの583系が並べて展示されていました。その後展示会お約束の絵幕回しで485系の絵幕が特急北越に変更され、ようやく北陸っぽくなりました。やはり国鉄はいいですね・・・。先日、JR富山駅北口が新幹線対応工事のために新築移転されました。急加速でシンカンセンが近づいてきています・・・。



2007年1月 睦月 謹賀新年



 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。北陸富山は、暮れに降雪があり、雪景色のお正月となりました。昨年の富山の鉄道は、JR富山港線の廃止に始まり、富山ライトレール富山港線の開業、締めくくりは神岡鉄道の廃止など劇的な出来事がいくつかありました。また北陸本線からは、ゴールデンエクスプレスアストル、そしてわくわくだんらんのジョイフルトレインが姿を消しました。また、信州方面へのスキー列車シュプール号が今シーズンの設定が無く、事実上廃止となりました。北陸本線を第3セクター化に追いやる北陸新幹線の建設工事が、富山市内でも急ピッチで進められています。今年も激動の一年になりそうです…。



2006年11月 霜月



 去る10月21日のJR西日本のダイヤ改正直前、JR西日本のホームページでありがとうアストル運転という発表がありました。運転区間は金沢〜猪谷間往復で、11月3・12・26日の3日間運転されます。廃車の噂は以前から流れていましたが、まさか現実になるとは・・・。昭和63年にゆぅトピア和倉の2号機として運用を開始し、今日まで主に団体専用列車として活躍してきたゴールデンエクスプレスアストルでしたが、車体の老朽化により、平成18年12月末で引退となりました。キロ65−551・1551、キロ29−554の3両編成で、全車グリーン車なのに、ありがとうアストルは指定がでは無くハザとしての運転なのが、残念に思いました。



2006年10月 神無月



 2006年10月21日、北陸本線長浜〜敦賀間と湖西線近江塩津〜永原間が直流電化開業しました。敦賀観光協会の新快速で敦賀へGO!というチラシには、特急料金がかかりません!急ぐときには特急電車、安く行きたいときには新快速電車って書かれてましたが、タイムよりもマネなんて近江商人で名高いお国柄なんでしょうか?
 この直流電化開業により、敦賀以遠の福井までの運転のために新型交直流電車521系が11月下旬から順次投入されます。これによりこの区間の主?だった583系改造の419系はこの区間では見られなくなります。国鉄がまたひとつ消えていきます…。



2006年9月 長月



 毎年9月1日から3日に行われる越中八尾おわら風の盆には、今年も県内外から多くの観光客が訪れました。この観光客を越中八尾駅まで輸送するために、JR高山本線には多くの臨時列車が運転されました。非電化区間のために、キハ181系・キハ65形改(旧エーデル鳥取など)・キハ58形・キハ47形・キハ120形・キハ52形などJR西日本の気動車フルラインナップとなりました。この中で、今年4月から保留車になっていたJR西日高岡鉄道部のキハ58形・28形4連が運用に就いたことは喜ばしいことです。同鉄道部に唯一残るキハ58形・28形のため、今後の動きが気になるところです。



2006年7月 文月



 JR貨物富山機関区が40周年を迎えました。その記念イベントには、EF510形が2両(4号機と7号機)とEF81形(20号機)が展示されていました。JR貨物富山機関区の歴史とともに歩んできた今回の展示車両のひとつ、EF81-20号機は、国鉄富山第二機関区に新製配置(1969年7月23日)以来、日本海縦貫線を風雪や波風にもまれながら、いまなお走り続けています。車体の傷みは勲章のようなもの…。EF510形の配置数も年々増加しています。近い将来EF81形が淘汰され、EF510形にその座を譲ることは否定できません。その日まで老体にムチ打って頑張れEF81!



2006年5月 皐月



 去る2月28日にJR西日本富山港線の営業終了後、わずか2ヶ月足らずの4月29日富山ライトレール・富山港線が開業しました。全国初のLRT(次世代型路面電車システム)ということで、全国的に注目を浴びているようです。ポートラムの愛称の車両の床は地上30pの超低床車両ということで、バリアフリーは完璧ということですが、今から心配なのは雪の対策です。富山地方鉄道の市内軌道線の路面電車はよく立往生してますから・・・。このJR西日本富山港線の第3セクター化は北陸新幹線の開業後の北陸本線県内区間の第3セクター化の布石なので複雑な気持ちです。



2006年4月 卯月



 北陸富山は、4月に入って小雪に舞う日もありましたが、中旬になり、ようやく桜も開花し始めました。JR富山港線から引き継がれた富山ライトレールでは、29日の開業を目指し、連日ポートラムによる試運転が行われています。JR富山港線の第3セクター化は、北陸新幹線開業時の県内区間の平行在来線(北陸本線)の第3セクター化の布石だと思うと複雑な気持ちがします。この255キロポストもそれまでの運命なのでしょう。そんな255キロポスト前を今日も419系(D12)が颯爽と駆け抜けていきました。



2006年3月 弥生



 去る2月28日をもって、富山駅から岩瀬浜駅に至るJR富山港線は富山ライトレールに移管されるため、82年の歴史に幕を下ろしました。最終列車1往復は、元国鉄車掌のシンガーソングライター伊藤敏博さんが臨時車掌として乗務されました。車内は別れを惜しむ沿線住民や、県内外から訪れた多くの鉄道愛好家で、満員寿司詰め状態でした。ありがとう富山港線!
 廃止後は、富山ライトレール開業までの約2ヶ月は代替バスでの運転となります。写真は富山ライトレールに引き継がれなかった廃線区間(富山駅から奥田中学校踏切)のJR富山口駅に到着する475系国鉄色の富山行き普通列車です。



2006年2月 如月 



 北陸富山は冬真っ盛り?です。北陸本線は、JR東日本管内の雪害のために特急「はくたか」は連日のように長岡発着に変更、寝台特急「北陸」、急行「能登」、寝台特急「日本海」&寝台特急「トワイライトエクスプレス」は運休の日もあります。さて、来る3月18日のダイヤ改正で、北陸関係では寝台特急「日本海1・4号」が青森発着となることが大きな動きでしょうか?全国的には東京〜出雲市間を結んでいる寝台特急「出雲」が廃止になることが、鉄道雑誌を賑わせているようです。ここのところ寝台特急の廃止が続いています。私がまだ少年だった頃の「ブルートレインブーム」の再来はないのでしょうか?写真は1982年春に出雲市駅で撮影したものです。



2006年1月 睦月 謹賀新年



 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。北陸富山は、12月からの記録的な積雪により、本格的な雪のお正月を迎えています。この降雪により北陸本線をはじめとする鉄道は、連日のように列車の運休、運転打ち切り、区間運休、行き先変更、遅延などにダイヤが乱れています。そんな中、2月末をもって第3セクターの「富山ライトレール」に引き継がれることとなった富山港線の国鉄急行色の475系の編成が、もう1編成追加投入されて2編成になり、城川原駅で列車交換の並びも見られるようになりました。JR西日本の粋な計らいに感謝です。写真は、上野駅に到着した寝台特急「北陸」です。



2005年12月 師走



 北陸富山の冬将軍の到来も秒読み状態となっています。先日所用で新潟県の糸魚川市に行った折、JR西日本糸魚川駅に立ち寄りました。入場券を購入し大糸線ホームに向かうと、近くの山々がうっすら雪化粧をしているのが目に留まりました。大正元年に建てられた赤レンガ車庫前には、国鉄急行色のキハ58・28と大糸線色のキハ52-152が骨を休めていました。この赤レンガ車庫JR西日本糸魚川運転センター研修庫として現役で使用されていますが、北陸新幹線延伸工事に伴う糸魚川駅高架化工事により解体される予定となっています。またひとつ「国鉄」が姿を消していきます・・・。



2005年11月 霜月



 北陸富山は、紅葉真っ盛り、立山連峰はうっすら雪化粧しています。来春、第三セクター会社の富山ライトレールに移管されるJR西日本富山港線に、国鉄急行色に塗り戻された475系(A19編成)が登場しました。JR西日本の粋な計らいなのでしょうか?最近、全国各地で、国鉄色の復活が盛んに行われているようです。鉄道愛好家の私的には大歓迎なのですが、一般利用者の眼には、どう映っているのでしょうか?ふと、そんなこと考えたりします・・・。
 写真は、JR西日本富山港線岩瀬浜駅で発車を待つ富山行き普通列車(1132M)です。



2005年10月 神無月



 10月14日は「鉄道記念日」で、各地でイベントが開催されたようです。JR西日本管内でのイベントは、先の福知山の事故による自粛ですべて中止となりました。私はJR東日本直江津駅で行われた「上越市合併記念イベント」に出かけ、C57-180号機牽引の「SLえちご日本海号」に長岡から直江津駅まで乗車し、直江津運輸区を見学してきました。展示されていた機関車の中にJR貨物富山機関区所属のEF510-6号機がありました。説明板に「最新鋭電気機関車」と紹介されていました。ちなみに横に展示されていたJR東日本高崎車両センター所属のEF55-1号機は「古い電気機関車」と紹介されていました・・・。



2005年9月 長月



 越中八尾おわら風の盆の高山本線大気動車祭りも大賑わいのうちに終わりました。西日本標準色181系、国鉄色58系4連、糸魚川のキハ52型、高岡色58系・47系、キハ65系改エーデル、キハ120系などラインナップも充実したものでした。残念なことは、高山方面からの「特急ワイドビューひだ」などのJR東海車がやって来なかったことでしょうか?そんな中、夢空間(JR東日本・尾久車両センター)併結の24系寝台車の団体臨時列車がやってきました。越中八尾おわら風の盆の観光客がどうかはわかりませんが・・・。



2005年8月 葉月



 北陸富山は、毎日真夏日が続いています。最近の鉄道の話題としては、JR富山港線が来年度から第3セクターにより路面電車化されるために、駅舎の改装などの工事が急ピッチで進められていることが挙げられます。沿線では、写真を撮っている方を多く見かけるようになりました。それから、昨年の台風23号(H16.10.20)により被害を受けたJR高山本線の不通区間(飛騨古川〜猪谷間)の復旧工事が始まりました。富山に顔を出す唯一のJR東海車だったキハ85系の「特急ワイドビューひだ」も久しく顔を見ていません。
 写真は、昨年10月の台風23号の災害により、富山運転センターにしばらく留置されていた「特急ワイドビューひだ」です。



2005年7月 文月



 本当に久しぶりのHPの更新となりました。先日仕事で、富山県の宇奈月町を営業車で走っていると、とある公園で静態保存?の貨車が置かれているのが目にとまりました。車から降り近寄ってみるとワフ29834と表記してありました。これは、1955年から製造されたワフ29500形デッキ付きの有蓋緩急車です。保存状態は最悪でしたが、富山は何故か?農業倉庫代わりのワムハチ(ワム80000形)が多い中、とても珍しく思いました。荒れ放題に近い状態でしたが、車掌室には入ることが出来ました。また国鉄の車籍板もちゃんと付けられていました。整備の上、いつまでも保存していただきたいものです。



2005年1月 睦月 謹賀新年



 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。北陸富山は、久しぶりの雪のお正月を迎えました。255キロポスト界隈の明るい話題として、新潟中越地震の影響で、運休となっていた急行「能登」が、12月30日〜1月3日の5日間のみ運転されました。鉄道を含む被災地の一日も早い復興を願ってやみません。悲しい話題として、来る3月1日のダイヤ改正で、特急「はくたか」が全車681・683系での運転となり、現在1往復運転されているJR東日本・新潟車両センター(旧上沼垂運転区)の485系3000番台での「はくたか」は姿を消すこととなりました。春の訪れとともに、またひとつ「国鉄」(改造はJR化後ですが・・・)が消えていきます。



2004年11月 霜月



 久しぶりのHPの更新となります。去る10月24日「高山本線全線開通70周年記念たかやま号」が、ツアー客を乗せて富山〜猪谷駅間に運転されました。当初は、富山〜高山駅間の運行でしたが、台風23号の影響により猪谷〜高山駅間が一部不通になっており、同区間は貸切バスでの運行となりました。使用された車両は、JR西日本・金沢総合車両所のキハ58-596とキハ28-2119の2連での運行でした。同車両は、今夏金沢〜のと鉄道珠洲駅間に運転された急行「リバイバル能登路」号に使用の際、「旧能登路色」から「国鉄色」に塗り替えられたものです。 最後に、新潟県中越地震の被災地の皆様には、心よりお見舞い申し上るとともに、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。



2004年5月 皐月



 公私?ともに多忙な日々が続き、久しぶりのHPの更新となりました。北陸富山は、最高気温が30℃を超える夏日の翌日が、最低気温4℃という不思議な初夏を迎えています。そんな中、JR貨物・富山機関区前を営業車で巡回していると、先頃営業運転を開始したEF510とともに、「金太郎」の描かれたEH500-25号機(JR貨物・仙台総合鉄道部配置)が目にとまりました。通常は、東北本線を中心に活躍している電機が、遥々富山まで遠征してきた目的はわかりませんが、EF510などの最新鋭機の投入により、国鉄型EF81の活躍の場が失われつつあるのは事実です。



2004年1月 睦月 謹賀新年



 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。北陸富山は、積雪も無く穏やかな初春を迎えています。昨年の255キロポスト界隈(何処までが範囲なのかは気分次第)の出来事としては、L特急「しらさぎ」が全列車683系化されても、国鉄特急色で残っていた朝の485系を使用した普通列車が、475系などに使用車両が変更されたことが挙げられます。また、富山駅までの北陸新幹線の工事も着々と進んでいて、平行在来線の第3セクター化も話題に上がってきています。激動の年になりそうです。写真は、立山連峰をバックに富山運転センターで出番を待つ「シュプール号」です。



2003年10月 神無月



 2003年9月21日をもって、JR西日本・京都総合運転所のクハ481形ボンネット型交直流電車が引退しました。最後の2日間は、特急「懐かしの雷鳥」号として富山〜大阪間をグリーン車3両を連結した11両編成で、しかも往時をしのぶ米原経由で運転されました。車内、各駅のホーム、沿線と多くの人々に見送られて北陸路から去っていきました。それから、9月をもって特急「加越」の名が「しらさぎ」への名称統一により消滅しました。
 写真は、富山駅に入線する特急「懐かしの雷鳥」号の回送列車です。



2003年9月 長月



 毎年9月1日から3日は、全国的にも有名な越中八尾「おわら風の盆」が行われます。今年も全国から多くの観光客が富山県八尾町を訪れました。その観光客輸送で、高山本線の越中八尾駅まで多くの臨時・団体列車が運転されました。その中でも、JR西日本・京都総合運転所のキハ181系5両による「臨時特急おわら」号は大阪〜越中八尾間・金沢〜越中八尾間で運転され、高山本線内は夜間の運転にも関わらず撮影される方が多かったようです。
 写真は、JR西日本・京都総合運転所のキハ65改による東富山〜越中八尾間に運転された団体列車です。



2003年7月 文月



 先日、勤務先の慰安旅行の際、軽井沢での自由行動を利用してJR東日本軽井沢駅に長野新幹線を見に行きました。ホーム到着時、ちょうどE2系「あさま515号」が長野行きが発車したところでした。この新幹線の工事が富山県内でも、あちらこちらで進められています。北陸本線も北陸新幹線開通時には、長野新幹線開通時の「しなの鉄道」のように、第3セクター化されることになっています。従って255キロポストも存続の危機を迎えることになります。そう考えると複雑な気持ちになった旅でした。



2003年6月 水無月 



 北陸地方も入梅となりました。先日、富山県滑川市の東福寺野自然公園を訪ねた折、久しぶりに保存SLのD51-260号機を見てきました。この機関車は1940年1月に国鉄長野工場で誕生し、北陸・信越・羽越本線で35年間貨物列車を牽引し、晩年は北海道に渡り、函館・室蘭・千歳・幌内線で活躍、1976年に廃車となり、縁あって現在この地に保存されています。保存状態は決して良いとは云えませんが、いつまでも保存してもらいたいものです。先日から「しらさぎ」が485系から新型683系に変更となり、富山界隈では681・683系ばかりが目立つようになりました。



2003年5月 皐月



 先日、JR西日本のHPに、現在485系で運転されている「しらさぎ」が6月1日から、「加越」が7月19日から新型683系での運転になるという発表がありました。確か、3月のダイヤ改正時には秋までということでしたが・・・。これによりまたひとつ国鉄形が姿を消すことになりました。消えると云えば、最近各鉄道雑誌に「ボンネット特急の終焉」の記事が載せられています。これにより?255キロポスト付近でも489系臨時「はくたか」を撮影するご同業の方が多いようで、県外ナンバーも多く見られます。写真は、富山操車場で出番を待つ「北越」マークを掲げた?「しらさぎ」です。



2003年4月 卯月



 2003年3月25日(火)早朝午前5時29分、雨の中、富山地方鉄道小杉駅に開業1番列車(601レ)が到着しました。地元テレビ局(BBT)が取材に来ていましたが、残念ながら乗降客はいませんでした。この日開業した小杉駅は、上堀〜布市駅1.1キロの中間に設置された無人駅(朝は係員配置)です。富山地方鉄道上滝線では45年ぶりの新駅となりました。この駅周辺の宅地化が急速に進んでいて、富山地方鉄道では1日約250人の利用を見込んでいるとのことです。ちなみに当日のテレビ報道によると、初めての利用客は駅到着5本目の電車から降りてきた1人のサラリーマンとのことです。



2003年3月 弥生 (号外)



 2003年3月15日(土)早朝午前5時31分、JR西日本富山駅4番ホームを、定刻に「しらさぎ2号」名古屋行きが静かに発車しました。これが、事実上683系の新型「しらさぎ」号の初列車となりました。ダイヤ改正数日前から落ち着きの無い、仕事が手につかない私は、出勤前に高岡駅までの1区間だけ普通車指定席(サハ683-2401)に乗車しました。早朝の始発列車ということもあってか旅客はあまりいなかったような気がしました。今秋には、485系で残る4往復の「しらさぎ」も全て683系化されます。一般の利用者にとっては朗報かと思いますが、私にはどうも・・・複雑な心境です。



2003年3月 弥生



 先日、富山では春一番が吹き荒れました。春の訪れとともに、鉄道関連では、間もなく「15.3.15」のダイヤ改正がやってきます。この改正での北陸関連の話題としては、新型683系2000番台「しらさぎ」の登場による新型特急ネットワークの完成と、小浜線(東舞鶴〜敦賀間84.3km)の電化開業が挙げられます。このPRとして、北陸本線を走る475・413・419系などの普通電車には、写真のように「小浜線電化開業」のヘッドマークが取り付けられています。国鉄時代からの485系が姿を消しつつある現在、ローカル運用で余生をおくっている475系などの「急行形電車」も、いつかは私たちの前から姿を消す日がやってくるのでしょうか?



2003年2月 如月 (号外)



 先日、誰よりも早く新型「しらさぎ」を見に来て!!と書かれた駅貼りのポスターに誘われ、JR西日本富山駅で行われている新型「しらさぎ」車両展示会に足を運びました。日曜の昼下がりの13時からということもあり、通り抜け的な展示会でしたが、大勢の家族連れで賑わっていました。この683系2000番台の登場で、余剰となる「しらさぎ」用485系は、JR西日本金沢総合車両所から京都総合運転所に転属となり、これにより「雷鳥」に使用されているボンネット形が定期特急運用から離脱するようです。世代交代・・・複雑な心境です。



2003年2月 如月



 先日、同僚(鉄でない)に「青い機関車が鍋田(富山操車場)にいた」という話を聞き、早速確認に行くと、確かに青く塗り替えられたDE10-1673号機がいました。これは、JR貨物東新潟機関区所属でJR貨物富山機関区常駐のDE10です。この塗色は2002年の更新工事(制御関係の配線、基礎ブレーキ装置や配管の交換等)を終えた本州のJR貨物のDE10に対し行われたものです。「青」と云えば、「青さぎ」485系L特急「しらさぎ」も来る3月15日のダイヤ改正で、半数の4往復が新683系に置き換わります。これでまたひとつ国鉄形が姿を消すことになります。



2003年1月 睦月 謹賀新年



 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。北陸富山は、年明け早々寒波に見舞われ、この255キロポスト近くの踏み切りで、寝台特急「トワイライトエクスプレス」が、雪のため立ち往生した乗用車に接触する事故をはじめ、列車遅延などの影響がでました。富山市内でも約60センチの積雪を記録しています。そんな中、スキー列車の「シュプール号」が関西地区から信州に向け運行されています。鉄道愛好家にとって残念なことは、スキーバスにおされてか、大糸線へ乗り入れる列車の設定が無くなりました。これも時代の流れなのでしょうか?



2002年11月 霜月 



 北陸富山では初雪、初氷が観測され、JR西日・北陸地域鉄道部のラッセル車の試運転も行われ、本格的な冬の訪れを待つばかりとなりました。先日、富山操車場沿いの市道を営業車で走行中に、いつもは「しらさぎ」編成(青さぎ)の485系が待機している場所に、国鉄特急色の489系が待機しているのが目に止まりました。車を停め眺めていると、職員の方が「しらさぎ」ヘッドマークの取り付け作業を始められました。「しらさぎ」も来春から「加越」とともに、「サンダーバード」と同じ683系化されることが決まっています。この様な風景も見られなくなってしまうのでしょうか?



2002年10月 神無月 



 北陸新幹線の建設に伴う工事があちらこちらで進められています。そのひとつとして、北陸本線東金沢駅が移転しましたが、その関連イベントとして、10月19日にリバイバル特急「白山」号が金沢〜富山間で1往復運転されました。実に1997年10月の北陸(長野)新幹線開業時の廃止以来5年ぶりの運転となりました。使用車両は、JR西日本金沢総合車両所の489系で運転されましたが、いまとなっては今春、1編成のみ残っていた白山色の編成が国鉄特急色に塗色変更されたことが悔やまれます。写真は北陸本線富山駅1番ホームに停車中のリバイバル特急「白山」号です。



2002年9月 長月 (号外)



 秋分の日も過ぎ、すっかり秋めいてきました。先日夕刻に255キロポスト付近に撮影にいくと、JR貨物富山機関区のEF81-25号機に牽かれ、2002年4月1日現在JR北海道・青函運転所で保留車扱いになっていたED79-105号機と111号機が通過していきました。両機ともパンタグラフは外された状態で、111号機はナンバープレートも外されペンキで書かれていたようでした。鉄道雑誌「鉄道ダイヤ情報」によると北九州(タ)に向かったとのこと。はたして九州の地で第二の人生?を歩むのでしょうか?運命や如何に・・・。



2002年9月 長月



 先日、所用で大阪へ行くことになり、久しぶりに急行「きたぐに」を利用しました。使用車両は583系の寝台電車で、1967年に登場(私も生まれました)以来35年を経過した現在では、時代遅れの感は隠せません。以前北陸路には、定期列車では特急「しらさぎ」・「雷鳥」としての運用がありましたが、現在では急行「きたぐに」だけとなりました。写真は、大阪駅到着後の回送待ちの急行「きたぐに」です。もちろん255キロポストを通過するわけですが、早朝であり撮影が出来ないので、あしからず。



2002年8月 葉月



 立秋も過ぎたというのに、富山は連日真夏日が続いています。お盆の臨時列車で、特急「はくたか83〜86号」がJR西日本持ちの489系(能登編成)で運転されていますが、一部の列車で「はくたか」というお馴染の赤いヘッドマークでなく「臨時」というヘッドマークが取り付けられているということです。真意はわかりませんが、某HPの板(掲示板)のよると、以前心無いマニアにより盗難にあったそうで、それが原因ではないかと・・・。一般の乗客には臨時列車なので「臨時」というヘッドマークでも問題は無いと思いますが、鉄道愛好家?には、本当に残念なことです。



2002年7月 文月



 初夏の富山は、ここのところ蒸し暑い夏日が続いています。本業のルートセールス中に暑気払い?でJR貨物富山機関区横の市道を通ると、2機のDE10型ディーゼル機関車(1674号機と1592号機)が待機していました。この機関車は、JR貨東新潟機関区所属でJR貨物富山機関区常駐で、富山貨物での入換えと、富山貨物〜高山本線速星間、それから神岡鉄道神岡鉱山前間の化学薬品輸送に従事しているものです。言うなれば「出稼ぎ」機関車といったところでしょうか。本業が忙しく、最近はなかなか255キロポスト付近に行けません・・・。梅雨が明ければ、間もなく夏本番です。



2002年6月 水無月 



 午後2時35分頃、毎日JR貨物富山機関区では2機のEF81の並びが見られます。奥がJR貨富山機関区のEF81で、手前がJR東日本長岡運転区のEF81です。赤13号(ローズピンク)塗色のJR貨物機は、赤2号塗色のJR東日本機に比べて見劣りしている気がしますが、私はどちらかといえば、どんなに外板が傷んでいても、日本海(縦貫線)の荒波に挑むJR貨物機に愛着を感じます。写真は手前が111号機で奥が126号機です。
 ワールドカップも始まり、沢山の臨時列車が運転されるようですが、255キロポストを通過するのが深夜の時間帯なので撮影出来ないのが残念です。



2002年5月 皐月



 北陸本線富山駅まで城端線から朝の通勤通学列車として2本のディーゼル列車が設定(平日のみ)されています。そのうち1本が東富山駅まで回送ですが足をのばします。JR西日本・高岡鉄道部所属のキハ47・58系での運行で、塗色は国鉄末期の頃の交直流電車のワインカラー色に似ています。現在富山地区では、JR西日本・富山鉄道部所属で高山本線・富山港線用の新鋭キハ120系が活躍していて、いつの間にかキハ58系高山線色などの国鉄形気動車は姿を消してしまっていました。この城端線直通列車も新型車両への置き換えも遠い話ではないかも知れません・・・。写真は東富山駅付近で撮影したものです。



2002年4月 卯月



 北陸富山の春には、県花であるチューリップの花が華やかに咲いている様子がみられます。今年は、異常気象により気温が高い日が続いた為に開花が例年より早くなっているようです。さて、暫く取り外されていた北陸本線の普通列車のヘッドマークが復活しました。復活というものの石川県金沢市で行われている「加賀百万石博」のPRなのですが、イベント終了後がいまから気になります。このHPの作者の私は、しばらく「全般検査入場(入院)」していましたが、先日無事出場(退院)することが出来ました。写真は入場(入院)先近くの東富山駅で撮影したものです。



2002年3月 弥生 (号外) 緊急告知



 JR貨物富山機関区所属のEF81には車体に白帯を追加されたものが見られます。これは、更新改造施行車を示すもので、登場後30年以上経過し、日本海沿いの過酷な環境下では写真の118号機のように外板の傷みが激しいものも多くなってきました。そこで車体の載せ換え等の改造が順次行われているようです。このHPの作者である私もEF81と同世代ということで?3月26日から暫らくの間「全般検査入場(入院)」することになりました。それに伴いホームページの更新も暫らくお休みさせていただきますのでご了承願います。なお、全検出場(退院)は4月下旬の予定です。



2002年3月 弥生



 春一番の風が北陸富山に春を運んできました。小春日和の雪景色の立山連峰がくっきりと見える日が続いています。そんな中、私の前を特急「北越6号」が風を切って走り抜けていきました。昨年3月に特急「白鳥」が走り去ってからちょうど1年が過ぎました。JR各社は「あさま」、「とき」、「はつかり」、「あいづ」などのリバイバル列車の企画続きですが、果たして「白鳥」は復活するのでしょうか? 「さよなら白鳥号」に抜擢された485系ボンネット車も「絶滅危惧種」となりつつあります。これも時代の流れなのでしょうか?



2002年2月 如月 (号外)



 とうとう北陸富山にも冬将軍が訪れました。粉雪が舞い散る中、ヘッドマークに雪化粧した特急「はくたか10号」が、終点金沢を目指し私の前を驀進していきました。この485系V編成も3月22日をもって「はくたか」運用から離れ、雪解けとともに北陸路から去っていってしまいます。小春日和の日には、この近辺(常願寺川近く)は雪景色の立山連峰をバック列車を撮影する鉄な人々の三脚が連立しています。県外ナンバーが目立ちます。皆さん安全運転でお帰り下さい。



2002年2月 如月



 今年の富山は雪が無い!これもエルニーニョ現象による「地球温暖化」の影響なのでしょうか? 写真のように「冬期間閉鎖」の踏切が255キロポストの近くにありますが、ほとんど意味が無い様な気がします。昨年の今頃は特急「白鳥」廃止目前の時期でした。今年は3月に特急「はくたか」のJR西日本持ちの485系(V編成)が681系化されてしまいます。またひとつ「国鉄」が減ってしまいます・・・。写真は2月5日撮影の特急「北越2号」です。



2002年1月 睦月 謹賀新年



 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。昨年の「255キロポスト」界隈での話題と云えば、3月の特急「白鳥」の廃止を忘れることが出来ませんが、年末になり特急「北越」や団体列車として運用されていた国鉄色のJR東日本上沼垂運転区所属の485系(T18編成)が、上沼垂色となり土崎工場から出場してきたことも大きな話題でしょう。この編成にはクハ481-1508(極寒地仕様・前照灯が2灯化)が含まれていただけに廃車ではないけれど少しだけ残念でした。なお、写真は昨年の5月25日撮影の特急「北越2号」です。



2001年11月 霜月 



 立山連峰の山々もうっすらと雪化粧をしています。先日「わくわく団らん」の団臨を撮影にいくと、やってきたのはDE10型のPPの牽引でした。このDE10型は国鉄末期(昭和61年8月)に新湊線(貨物線)で体験運転をしたことがある機関車です。運転機はお召し牽引機の50号機でしたが、運転座席が進行方向に対し横向きであり、視界もあまり良く無かったような・・・。北陸本線に雑客が走っていた頃、城端・氷見線からの直通列車の牽引はDE10型だったことが懐かしく思い出されます。



2001年10月 神無月 



 秋の風を感じるようになったこの頃、ふらっと「碓氷峠鉄道文化むら」に出かけた。多くの展示車両があるが、北陸人にとって馴染深いモノは「EF70-1001」がある。この機関車は北陸トンネルの開通とともに北陸路に登場した交流機関車である。後高速運転用に改造された経緯を持つ。折りしもSL復活ブームであるが、出来ることならば北陸本線で雑客を引いての復活運転を・・・。夢のまた夢ですね。なお、9月の編集後記は製作者の都合によりお休みさせていただきました。



2001年8月 葉月 



 北陸地方は記録的な猛暑の夏となっています。最近の話題としては、北陸ローカル列車から「TOWNトレイン」のヘッドマークが廃止されたことが挙げられます。475・471・457・413系はともかく583・581系改造の419系など全ての列車から消滅しました。写真は8月初旬の最後のヘッドマーク付きのローカル列車です。甲子園臨も583系、485・489系など北陸本線を賑わせているようです。富山県の代表の滑川(なめりかわ)高校は初戦敗退でしたが、鉄道趣味人としては「ホームラン列車滑高号」が4本(うち1本は石川県と合同)と楽しませていただきました。



2001年7月 文月



 長かった北陸の梅雨もようやく明け、連日真夏日が続いています。255キロポストを通過する列車に先日登場したL特急「しらさぎ号」用の485系リニューアル車が仲間入り(間合い運用で快速列車としての通過)しました。3月改正で廃止となった「スーパー雷鳥号」で使用されていた編成の転用ということです。
 先日、勤務先で営業担当先変更があり、255キロポスト付近での運転停車が難しくなりました。今後は休日を利用しての臨時運用となります。



2001年6月 水無月 



 先日、255キロポストに「はくたか10号」の撮影(489系国鉄色)に向かう途中、近くの踏み切り付近の田園に、青いユニフォームに黄ヘルのいでたちのJRの職員?さんたちが大集合!そしていきなり、発煙筒の嵐・・・。これは大事故か?そして、普通列車が緊急停車。よく見ると車両の窓に「訓練」の表示。何かの訓練だったようです。しばらくして、無事489系代走の「はくたか10号」が定時通過、ほっとしました。安全運行の為に日夜鉄路を守っているJR職員のみなさんご苦労様でした。これからもよろしく、と心の中で呟きました。
 北陸地方も入梅し、立山連峰を拝むのが難しい季節となっています。梅雨明けが待ち遠しい今日この頃です。





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