2003.8.17


ペルーの旅その7
みんな日本人が珍しいのかもしれない。一緒に写真に写りたい、うちの子供を一緒に写真にとってと集まってくれる。そして、しきりに私に触れたり、いろいろなことを聞いてくれる。私が手にしているのは、「旅の指さし会話帳」(情報センター出版局)。可愛い絵とスペイン語と日本語が単語ひとつぎとつに書かれていて、私はそれを使って、ずいぶん、ペルーの子供たちやガイドさんとお話をしました。
どんどん子供たちが集まって来て、私の名前を聞くのです。私がMe llao Kakko.(メ ジャモ カッコ・私の名前はカッコです)というと、子供たちは大笑い。本当にそうなのかと何度も聴くので、そうだと言うと、また大笑い。新しく集まって来た子供たちにも、私の名前を伝えて大笑い。あとでわかったのだけど、カックというのは、ケチャ語(こちらの言葉)でなんとウンチという意味だそう。でも、そのおかげで、こんなにも仲良くなれて、うれしかった。年も聞かれました。正直に答えると、「そんなはずない」と信じてくれません。ちょっとうれしい・・・15か?16歳?18歳か?なんて聞いてくれる・・・お世辞だと分かっていても、うれしい・・。ただ、インディオの女の人は、紫外線がきついペルーの高山で、肌がすごく黒くがさがさになってしまう。そして、深いシワがきざまれるという。・
驚いたことに、始発の駅はウルバンバのホテルの中にありました。普通ならばクスコからまだ夜の明けないうちに満員の電車に乗って、そして、乗り換えて、マチュピチュに着くのは、昼近くになるという。ところが、阪根さんのプランでこの駅から出る列車に乗ると、2時間でマチュピチュのバスが出るアグアスクリエンテスにすばらしい景色を楽しみながら、着き、マチュピチュに着くのは9時。一年以上も前から、小林さんと阪根さんが、「すばらしい旅になるように」そしておそらくは「私や仲間が喜ぶように」と大変な労力と、時間をかけて、計画を進めてくれたのだ。
列車から、主線と副線を手動で変えているのなども見えました。それから、線路の両脇には、村の家や、玄関や、洗濯物や、動物たちが見えました。私はいつも、村で暮らす人の生活に触れたくてしかたがなくなります。一緒に笑いあったり、お話したりしてみたい・・・いつもそう思ってしまう。すばらしい遺跡もすごくうれしい。そして、同じくらいに、そこで暮らす人の生活を味わいたいと思う。でも、それはとてもとても難しいこと。わかっていても、ときどき、わがままを言って小林さんやガイドさんを困らしてしまう。だから、この列車のことも、市場のことも、とてもうれしかったです。ウルルン滞在記がとてもうらやましい。いつかそんな旅もしてみたいです。
大好きな藤尾さんと。藤尾さんは4回の旅全部、一緒に参加してくださっています。娘さんのよっちゃんやともちゃんとも、旅ができて、本当にうれしい。旅を一緒にすると、なおさら、もっともっと仲良くなれる・・・いろんなことを一緒に見て、一緒に感じて、一緒に涙を流したり、気が付いたりできるから。