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 いちじくはお店で売られていたときに、すでにお店の方が注射を一度すませておいてくれていました。注射は犬自身がいろいろな伝染病にかからないように生まれてから何ヶ月かの間に2回から3回の予防注射をしておかなければならないのです。


 「おうちに行ってからの一週間は、環境もかわって大変だから、一週間たったら、病院に連れて行って注射をしてもらってくださいね」


 ペットショップの店員さんが言っていた一週間がすぎました。


「今日は注射をしてもらってくるんだからね。それがすまないとお散歩にも行けないんだって。だからおりこうさんにしてるのよ」いちじくに朝から何度も言い聞かせていました。
 
家には前にプーという名前の猫がいました。雄猫のプーは、ある日、外へ出かけたきりなかなか帰ってきませんでした。何日もして、ふらっと帰ってきたプーはおなかに大けがを負っていたのです。その時、時計の針は夜中の2時をさしていました。止まらないで流れる続けるいちじくの血をみて、私は気が遠くなりそうでした。ただ、このまま朝になるのを待っていたら、きっとプーは死んでしまうに違いないと私は思いだけが私の身体の中をかけめぐりました。


 でも、こんな時間に診てくださるお医者様がいるでしょうか?電話帳をめくって、電話をかたっぱしからかけました。1軒目も2軒目も、電話の応答がありませんでした。3軒目は留守電に変わってしまいました。あきらめかけた4軒目に、電話のベルが8回ほど鳴ったあと、そのお医者様は電話に出てくださったのです。


「どうしましたか?」


「血が止まらないんです。帰ってきたら、血だらけで、死んでしまう。助けてください」


「すぐにつれていらっしゃい」とお医者様は言ってくださいました。
プーは何針も縫っていただいて、命を取り留めました。


 いちじくは注射のときも、それからたとえば怪我をしたり、身体の調子を悪くなったりしたときも、そのお医者様にみていただこうと私は心の中で決めていました。


 本当は注射が終わるまでお風呂も入れないでとペットショップの方に言われていたのですけれど、そのころのいちじくは前に書かせていただいたように、しょっちゅうウンチまみれでおしっこまみれになっていました。


 そんな汚いかっこうでいちじくをお医者様に連れて行くわけには行かないと私は思ったのです。だからいちじくにシャンプーをしました。リンスもするのかなあ?トリートメントもするのかなあ?わからなかったけれど、いつも私が使っているシャンプートリートメントをして、いちじくの身体をタオルで拭いていると友達から電話がかかってきました。


「今ね、いちじくのシャンプーしてたの。注射に連れて行こうと思って…」


友達はびっくりすることを言いました。
「ちゃんと犬用のシャンプー使った?まさか人間のシャンプー使ってないでしょうね」


「え、犬用?人間用じゃだめ?」


「ダメだよ。強すぎて毛が全部抜けちゃうことがあるんだって。今からちょうどDIY店に行く用事があるから買っておいてあげる」


私はちゃんとお礼を言うのも忘れるくらいあわてました。毛が全部抜けちゃうの?


「ごめん、いちじく」泣きながらまたいちじくをお風呂に連れて行って、ごしごしトリートメントを落としました。いちじくは本当にいい迷惑です。


それから毛を乾かすのももどかしく、いちじくをタオルでくるんでいそいでお医者さんに連れて行きました。

「あの、今日は注射してほしいと思ってきたのですけれど、でも人間用のシャンプーを使ってしまって、毛が抜けてしまうなんて知らなかったから…」


お医者様はプーのときと同じようにやさしい顔で、


「人間用のはやっぱり強いからね、ちゃんとペット用を使ってね。それよりもちゃんと乾かさないと、風邪をひかせちゃうことになるよ。それから病院に来る日はそれだけでストレスになるんだから、シャンプーしてこなくていいんだよ」


 本当に気がつけばいちじくはタオルの中で震えていました。先生は手慣れた様子でドライヤーで身体を乾かしてくれました。

 いちじくはそれから体中を診ていただきました。そうしたらいちじくの耳に耳ダニというのがいるとわかったのです。(外に散歩に出ていなくても、輸送の途中やペットショップで耳ダニはうつってくることが多いとあとで本で知りました)


 お医者様がいちじくの耳に長い綿棒を入れて、耳あかをとって、それを顕微鏡で見てくださって、ほらのぞいてごらんと私にも見せてくださいました。


「ああ。すごい…こんなのがいるんですか?」足がたくさん生えているまあるい透明なからだの虫でした。
「きっと耳をかゆがっていたと思うよ」

いちじく。私はあなたをペットショップからつれてきて、いちじくがたった一人の黒と白の兄弟から分かれなくてはならなかったときに、いちじくはこれからは私のかけがえのない家族なのだと決めたんだよ。そして私がいちじくのママか、大親友になれるといいなあと思ったんだよ。それなのに、あなたが耳ダニで苦しんでいても、そのことも知らなくて、人間のシャンプーをしちゃったり、乾かさないでつれ歩いたり…
振り回してばかりいるでしょう?本当にごめん。なさけない私でごめん。迷惑ばかりかけてごめん。

 診察台はそのまま体重計にもなっていました。いちじくはそのときにたったの750gでした。


「小さいねえ。薬もちょっとしか打てないね」先生は注射の量を加減して、いちじくの後ろ足の近くに打ちました。


 いちじくはキュンと小さく泣いたけれど、暴れることがなかったので、おりこうさんとほめられました。


 いちじくの最初のお医者さん騒動はそれでおしまいのはずでした。でもそうではなかったのです。


 家へ帰るといちじくはなんだかぐったりしているように見えました。注射があわなかったからな・・心配でたまらなくて「いちじく」と呼び寄せると、いちじくは足をひきずりながら私の方へよろけるようにやってきたのです。
私はまた泣きながらお医者様に電話をしました。


「すいません。今日注射していただいたいちじくですけれど、足をひきずっていて、ぐったりしていて・・大丈夫でしょうか?連れて行った方がいいでしょうか?」


 看護婦さんがあわてている私に、とても冷静に言いました。


「明日の朝、びっくりするほど元気になるから大丈夫。連れてきたりしたらもっと疲れちゃうからね、それにシャンプーも二度したんでしょ。今日はストレスがたまることいっぱいしたから休ませてあげてね」


 本当にいちじくは次の朝、びっくりするほど元気でした。

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