カンボジア・ベトナム日記


23

  このツアーの最後の朝です。でも、日本へ向かう飛行機の時間が夜の11時だから、まだ今日一日、たっぷりベトナムにいることができるのです。
 今日は、メコンクルーズに出かけることになっていました。
 ロビーに降りていくと、ゴアンさんがいて、アオザイの黒のパンツを持ってきてくださって、私に渡してくださいました。
「わぁ、ありがとうございます」上と下と黒がそろったと私は喜んでいました。ゴアンさんはそのあと、驚くことを言ったのです。
 「山元さん、今日、僕の心に風が吹いたよ」
 少し恥ずかしそうにゴアンさんは笑っていました。なんのことだろう・・不思議に思いました。ゴアンさんは私と大谷さんのあの、「あなたといつもいっしょにいられたらいいのに・・・しっぽみたいに・・・」(青心社)の本を手に持っていました。
 「小林さんが僕にこれをくれました。この本を見たとたん、僕の心に風が吹きましたよ」そしてゴアンさんはこんな話をしてくださいました。
「僕の父は大学で数学を教えていました。父は、アメリカ側の学者でした。そのために、戦争が終わったあと、僕たちはとても貧しくなりました。今まで当たり前だった生活が少しもできなくなりました。父はとてもくやしかったのだと思う。僕にとてもきびしい教育をしました。僕たちは、お金持ちの人たちをなんとか見返したかったのです。それで、僕もお金持ちになろうとそればかり思っていました。お金のためならなんだってしてきました。やさしさとか思いやりとかを僕は忘れていました。ただ、合理的にお金を集めることを考えていました。そんな僕に、風が吹きました。この本を見たとき、僕の心に風が吹いた。やさしい心を思い出したのです。もし、また心がとげとげしてきたら、僕はこの本の写真を見ます。そうしたら、また僕の心に風が吹いて、やさしい心を思い出すでしょう。それでもダメな重傷のときは、この本の詩を読みます。そうしたら、僕は必ずやさしい心を思い出します」
目に少し涙をためて、ゴアンさんが、私の手をにぎってくれました。
 私はお話の途中からもう泣いていました。ゴアンさんありがとう。私たちの本をそんなふうに思ってくださるなんて・・・ゴアンさん、私こそ、今、私の心に風が吹いたよ。ベトナムへ来て、ゴアンさんと出会って、ニュンさんと出会って、私は本当に変わったよ。たくさんのことを知ったよ。そして、ふるえるほど、人間が好きだと思うし、生きていくことが楽しいと思ったよ。ゴアンさん、私こそ、優しくない人間だった。ゴアンさんの本当の姿をぜんぜん見えずにいて、ゴアンさんのこと、少し冷たいなんて思ったんだよ。ごめんなさい。そして心から本当にありがとう。
 ゴアンさんはバスの中でも、朝の挨拶のときに、もういちど
「僕の心に風が吹きました」と話してくれました。
 大谷さんは、前の日の夜から、カンボジア・ベトナム旅行が終わってしまうことが、とても残念で、そして旅の間に、ご自分は何も気がつけなかったように思って、そして写真をとっている場合じゃなかったのじゃないかと旅行中のことを後悔しておられたようでした。けれどゴアンさんの「風が吹いたよ」という言葉を聞いたとき、
「ゴアンさんが僕の写真を見て言ってくれたこと、忘れたくないし、自分はやっぱり写真をとって、がんばるしかないと思えた」と話してくれました。
 ゴアンさんは私たちの本や、私たちとの旅行で、感じることが多かったし、風が吹いたと言ってくださったけれど、大谷さんの心の中にもゴアンさんは風を吹かせてくれたのでした。
 私はとても不思議な気がしていました。大ちゃんは「人が生まれてきたのには理由がある、生まれるってことにはみんな理由があるんや」と言ったけれど、私はきっと出会いにもいつも理由があるのではないかと感じていました。私たちがチーホさんとお会いできたことも、きっととても大切なことで、そして、チーホさんが偶然に怪我をされていたことで、ゴアンさんにお会いできたことも、やっぱりとても大切な気がするのです。
 出会いというものはいつも、どちらにとっても必要だからこそ出会えるのではないか・・・この旅ではこんな不思議なことをずっと考えてきたのです。もし、ソチアさんやチーホさんやゴアンさんに出会えなかったら、私たちはなんとたくさんのことを知らないままだったことでしょう。もし、ゴアンさんが私たちと会うことがよかったと感じてくれるなら、そして私たちも、ゴアンさんにお会いすることがとても大切だったと今感じるから、私たちはやっぱり会えるべくして会えたのかなと思ったのでした。
 メコン川はホーチミンから一時間半くらいのところにあります。川の源流はおどろいたことに、チベット高原にあるそうで、中国やミャンマーやタイ、カンボジアの中を流れてベトナムへ流れ込んでいるのだそうです。長さは4500キロメートル川は、細かな赤土がとけているから、赤色で、とても肥沃な土地をもたらしてくれているのだそうです。
 メコンデルタのツアーはデルタの入り口の町ミトーからの出発です。
 入り口のところには、おみやげやさんが並んでいました。私がかぶっていたようなベトナムの傘を、他の方たちも買っておられました。日差しがとても強かったのです。みんなして傘をかぶると、またとても楽しいのです。
 おみやげやさんのある渡し場から、木ででできている小さいエンジンつきの、屋根のある船で、まず、中州まで行って、その中州から小さい小舟に乗るのだということでした。
 渡された板を通って、船に乗り込みました。川は本当に赤かったです。目に見えないほどの細かな土のつぶがとけていて、川をすすむ船も、赤くそまっています。
 お船の中で、おばあさんが、ココナッツに穴をあけた、ココナッツジュースが配ってくれました。カンボジアとベトナムに来て、私にとっては3度目のココナッツジュースでした。その3回のココナッツジュースを思い出すと、たった8日前に旅がはじまったのに、もう長い間たったような気がしました。本当に時間の感覚というものは不思議です。
 川の中には大きな中州がたくさんあって、中州には家があり、たくさんの人たちが暮らしているようでした。
「つい最近まで、島に住んでいる人たち貨幣というものを使っていませんでした。しかし、最近では、ココナッツや、果物やおみやげを売って、お金を得るようになりました。川は、お風呂にもなるし、トイレにもなるし、それから、食事の用意のときの水にもなります」 私たちの船ににこにこしながら手を振ってくれている男の人は、確かに水の中に腰から下をつけてしまっています。そのどの用事でつかっているのかはわからなかったけれど、本当にとてもにこやかに手を振っていました。
 しばらく行くと、ガソリンスタンドが川にむかって建っていました。「船が交通手段ですから、船用のガソリンスタンドがあります」
 川の中に土だけの山がふたつありました。「きゃあ」また素っ頓狂な声をあげてしまいました。びっくり!!だってその土の山の島がゆっくりと動いているのですもの。
「あれは、船で土を運んでいるのです」板のような船の上に土がものすごくたくさん積まれていて、それを運んでいるのでした。肥沃な土は、こうして、ベトナムのあちこちにも運ばれていくのでしょうか?
 「もうすぐ島につきます。島にはいっぱい犬がつながれずにいるけれど、さわったりしないようにしてください。犬はすごく吠えますよ。それから、噛みつかれてしまうかもしれない。なぜなら犬は番犬として飼われているからです。吠えない犬は役に立たない犬だから、住民のお腹の中に入ります」
 今ではあまりおこなわれていないということでしたが、ベトナムでは昔から犬を食する習慣があったということで、ホーチミン市から離れているこの地方では、今もそういうことがあるのかもしれません。豚をとても大事にしている国では、私たちが豚を食べることをきっと「わぁびっくり!」って思うと思うから、それが習慣が違うということだと思います。
 ただ、大好きな犬がいて、なぜることができないのは、ちょっと残念・・・と思ったのでした。
 この島は観光のための島として開発されているようでした。上陸をしたところには、WELCOMEゲートがたてられていて、公園のようになっていました。これまでの旅の間に食べた果物が、実際に木になっていました。ドラゴンフルーツというピンクいろの皮を持っていて、ざっくり切ると、果肉は真っ白で、ごまのような種が均等にあるキウィのような味のフルーツは、驚いたことに、サボテンの木になっていました。
 果物を食べるたびに、これはどんな木にどんなふうになっているのかなあって、私、見たくて知りたくてしかたがなかったから、いろいろな果物を食べた後の最後の日に、その思いがかなって、こんなふうに木を見れたのはとてもうれしく、そして不思議な気がします。
 それから、もうひとつ思いが叶ったなあと思ったことは、ホーチミン市の町並みを見て、ニュンさんのおうちにも行けて、そして、楽器を売ってくださった、ベトナムのアパートのおうちにおじゃますることができて、ベトナムに住んでおられる方の生活を垣間見れたようで、うれしかったけれど、もしかなうことなら、もっと古いベトナムの民家にも訪れることができたらなあと思っていたのですが、それも、この島でかないました。
実際にすんでおられるおうちを、そのまま見せてくださっていたのです。その家のほとんどの部分が椰子の木でできていました。椰子の木は捨てるところがないということだけど、家の壁には椰子の木の木の部分が使われていて、壁や屋根は椰子の葉で作られていました。椰子の葉をつかっていると聞くと、ただ無造作に屋根が葺かれているような印象があったのだけど、そうじゃなくて、椰子の葉っぱを規則的に重ねて、樹木の部分で押さえる方法をとってあって、分厚くそしてきちんと美しく作られてありました。
 美しい板の間、かまど、そしてベトナムらしい織物で飾られた部屋はとても居心地がよさそうでした。庭にかけられたハンモックに横にならせてもらうと、体中がささえられるぶらんこの感じが、本当に心地よかったです。でも、乗るのと降りるのは少しむずかしかったです。私だからかもしれない・・・くるっと裏返ってひっくりかえりそうになりました。
 ハンモックの横で、楽器を演奏している人がいました。そのときにとても気になったのが、足を使ってならすカスタネットです。はがねでできたバネで上と下の木がつながっているから、かかとをつけて足をうかすようにすれば、簡単に続けてならすことができるのです。その人は立って演奏していたけれど、椅子に座ってでももちろんできるし、その夜に演奏していた人は、あぐらをかいて、そのカスタネットをならしていました。学校の子どもたちで、手がつかいにくいお子さんが喜ぶだろうと思って、2ドルで売っていたのを一つ買って帰ったのですが、思った以上に子どもたちが喜んだから、もっともっと買って帰ればよかったなあと今思っています。
 島の中にはココナッツキャンディ工場や、はちみつ工場がありました。工場と言っても、屋根があって、壁がないところで、キャンディ工場では、そこにある釜でお砂糖やココナッツからキャンディを作って、暑い飴を工場で働く女の子が、机の上で、のばしたり、切ったり、つつんだりをしているのでした。どれも、手作業でしたが、とても手際がよくて、学生のときに習った家内制手工業(マニュファクチャー)という言葉が浮かんでくるのでした。はちみつ工場には、小さな男の子が、木箱の蜂の巣から、蜂がいっぱいついている木の板を取り出して、一緒に写真をとってくれていました。ベトナムでもカンボジアでも、どこでも、子どもたちは本当によく働きます。
 その近くに、犬がいました。毛の短い、やせて、目の周りが黒い犬でした。ああ、仲良くなりたいなあ・・・でも、ゴアンさんがなぜちゃダメって言ったしなあ・・犬の目の高さに座って、じっと犬を見ていると、その犬も、私のところへ近づいてきて、私から1メートルのところに座って、犬もやっぱり私を見ていました。私が首をかたげると、犬も首をかたげました。そして手をそっと差し出すと、その犬は、ゆるゆると近づいてきて、私の手をぺろりとなめてくれました。やったー!!うれしい!
 その犬はもしかしたら、ベトナムの犬の中でもことさら優しい犬だったかもしれないから、島に行ったら、仲良しになれそうな犬かどうか、確かめてからにしてね。。
 工場を見学した後、4,5人乗りの小さな船に乗りました。細い水路に覆い被さるようにジャングルの木々が生えています。その間を、船頭さん(女の人だったり、男の人だったり)が船首に座って、一本の長い竿で船を操っていきました。大谷さんがそこでも、船頭さんの後ろに、小さなベトナムの傘をかぶせた木の人形の一号君を置いて撮影をしていると、すれ違う船頭さんが、何人も指さして笑ったり、話しかけたりしてくれました。
 船頭さんとはすれちがって、笑いあうだけだったけれど、たったひとつの人形で、言葉も通じない外国で、仲良くなれるきっかけがつかめそうになる・・・まるで空中のあちこちに天使の笑顔のかけらが落ちて来るみたい・・・本当に旅というものは楽しいです。
食もその島のレストランでとりました。メコン川を泳いでいる、大きなピラニアみたいな形の白身のさかなはとてもおいしかったです。それから、油の中で、おもちをあげて、まんまるな風船のようにふくらませてやいた、ライスボールも、そしてやっぱり果物もおいしかったです。
 メコンクルーズのあと、部屋にもどって、荷物の準備を始めました。
 トランクの中はいろいろな思い出でいっぱいでした。カンボジアの女の子から買ったストール。養護学校でいただいた絵、それからベトナムコーヒーのコーヒーサーバー。カンボジアのドレス。アオザイ・・・それからたくさんのパンフレット。
 おしりでふたを押しつけるようにして、ようやく、スーツケースがしまりました。
 そのとき、お部屋の電話のベルがなりました。
 驚いたことにその電話はニュンさんからでした。それも、ニュンさんは今、ロビーにいらっしゃるというのです。
「今、いそがしいでしょうか?コアーイ先生と一緒に今、お別れに来ました。会えますか?」
ああ、なんてうれしいのでしょう。もうしばらくは会えないだろうと思って、泣いて別かれたニュンさん、コアーイ先生が、時間を作って会いに来てくださったなんて・・・いそいで、小林さんと大谷さんにも電話しました。他の方にはどうしましょうか?とおたずねしましたが、今はお風呂だったり、準備だったりで大変だろうからという話になりました。ロビーに降りると、大好きなニュンさんが笑っていました。その横にはコアーイ先生がやっぱりにこにこと笑って立っておられました。
「お別れが言いたくなってきました。山元先生、本当にまた来てくださいね。また会えますよね、私たち、友達ですよね」ニュンさんと握手しながら、また私はやっぱり泣いていたのでした。コアーイ先生は「11月に金沢へ行きます。チエコ(桝蔵先生)の学校へ行くことになっているのです。そのとき、ベトナム料理をごちそうしますよ。すぐに会えますよ」と言いました。そしてコアーイ先生は、ベトナムのビーズで作ったバックのプレゼントを下さいました。日本舞踊の先生にも渡してくださいと2つ下さいました。
 二人は忙しい用事の中をきてくださったので、すぐにまたバイクに乗って帰って行かれました。ニュンさんは弟さんのバイクの後ろに乗っていました。それからコアーイ先生は、ご自分のバイクにさっそうと乗っておられました。慣れた様子で、すぐに流れに乗り、手を振る後ろ姿を見送りながら、コアーイ先生はもうすぐ会えてうれしいけれど、ニュンさんに会えるのはいつになるのだろうと考えていました。
 出会うと言うことはいつか別かれがくると言うこと、旅ははじまりがあって、そしていつか終わるのですね。
 他の人たちも最後のベトナムの時間を思い思いにすごしていたようでした。
 ともちゃんは、ベトナムへついたばかりのときに、部屋の金庫の鍵が開かなくなって、そのときにお世話になった従業員の人とおしゃべりをしたいと思っていたのに、なかなか出会えなかったから、さびしいと思っていたのだそうです。メコンクルーズのあと、その人がいて、その人のところにおしゃべりにいったんだよとあとで話してくれました。最初は英語がしゃべれないことにコンプレックスを感じていて、あゆみちゃんや、他の人が英語でしゃべるのを見てうらやましかったけれど、片言の英語でも、その人とはちゃんと話ができて、お礼も言えて、お別れも言えて、本当にうれしかったよということを話してくれました。
 えみちゃんたちは、有名なベトナムプリンを食べてベトナムコーヒーを飲んできたのだそうです。最後の買い物に出かけた人もいました。
 夜の食事をして、とうとうホテルを出る時間になりました。バスに乗り込むと、岩澤さんがあいさつをされました。
「僕たちが企画するツアーだけじゃなく、いろいろなツアーに参加したけれど、今回のツアーは、お世辞抜きで本当に素晴らしかったです。最初。”みんな大好きツアー”という名前を聞いて、会社の人たちと、本当にこんな名前でいいのかなあ・・・ちょっと怪しく思われないかなあなんて、言っていたのです。それで正直、おっかなびっくりでした。でも、今はどうしてそういう名前かよくわかりました。僕自身もすごく感じることが多くて、できることなら、もっともっと一緒に旅行をさせていただきたいと思いました。来年も再来年も、ずっとずっとこのツアーは続けて頂きたいと僕は思います。そして、そのツアーにもし、僕もお手伝いをさせていただけるなら、こんなにうれしいことはないです」
 私たちも岩澤さんと旅ができてすごくうれしかったです。勝手なことをしょちゅう言ったり、チケットを忘れたり、いろんなことがあったけれど、いつも岩佐さは笑っていました。
 ゴアンさんは
「また、みなさんにきっとお会いできたら嬉しいです。またきっと来てください。僕にとっても大切な旅でした。みなさんは通りすがりじゃない人たちです。またみなさんの顔を見たいです。それから、ある人の怒った顔を見てみたいな」
 ゴアンさんのある人というのはあゆみちゃんのことだと思います。他のみんなもそうだけど、あゆみちゃんやともちゃんは本当にいつもいつも笑っていたなあ・・・何を見ても、笑って、でも時々涙して、でもまた笑っていたなあと思います。
 それぞれがゴアンさんとお別れを言いました。「きっとまた会いましょう」と握手をして約束を言いながら、さよならと言いました。
 本当にいろいろなことがあった旅でした。飛行機はとうとう、ベトナムから飛びたってしまいました。メコン川が、緑の平野を流れていくのが見えます。
 飛行機でたった4時間しか離れていないベトナムと、カンボジア・・・たった8日間の旅だったけれど、私たちは、確かにこの旅で少し変わったように思えます。ゴアンさんが言ってくださったように、この旅は私たちの心に風を吹かせてくれたのです。
 えみちゃんは、こんなふうに言いました。
「私はあまり自分のことがこれまで好きにはなれなかったの。大好きなお父さんとお母さんを見ていて、自分はどうしてそんなふうになれないんだろうと思って、他の人には目がいかなくて、自分のことが嫌だなとばかり思っていたの。でも、いろんな素敵な人と旅ができて、それから、自分より若いあゆみちゃんやともちゃんが、素直に喜んだり、笑ったり、泣いたり、感動したりしているのを見て、他の人にも目をむけられるようになったの。私も、あんなふうになりたいなあって、前向きに考えるようになったから。私も素直に生きていいんだって思ったよ」
 北山さんは旅が終わったあと、私たちみんなに本を送ってくださいました。それは「あの日、ベトナムに枯葉剤がふった」という本でした。
「旅行が終わってから、もっともっとベトナムのことを知りたくなって、いろいろ本を読みました。一番わかりやすいと思った本を送ります」本に添えられた手紙にかかれていました。
 藤尾さんは旅行のあと、ずっとベトナムとカンボジアのことをひきずっているのだと話してくださいました。図書館で写真集や本を読み、映画やビデオを見続けているのだということでした。そして、そのことをいつも私に教えてくださっています。
 ともちゃんとあゆみちゃんは旅行から帰ってすぐに、「私たちで何かしたい」と思い立ったのだそうです。教科書やノートやえんぴつなどが不足していたり、学校に通うことすらできずにいるカンボジアやベトナムの子どもたちを知って、何か自分のできることをしたいと考えて、そして、出会った学校へ寄付するお金を作ろうと決心したのだそうです。「どうしたらいい?」と二人から相談を受けて、私たちの一月ほどあとに、ベトナムへ出発することになっていた桝蔵先生に、ベトナムのお箸をたくさん買ってきて下さいとお願いしました。二人は、町のフェスティバルで、テナントを持って、ベトナムなどの写真をかざり、自分たちが感じたことを、展示して、お箸や、東南アジアの雑貨を扱うお店の人に居力してもらった雑貨などを買ってもらって、資金を作ることにしたのだそうです。
 藤原紀香さんのアフガニスタンへ行ったときのテレビの拡大版が、また、放映されました。その中で、藤原紀香さんは「知ってしまった責任がある」というふうに言っていたのだけど、二人は、「知ったからには、できることをしたい」と思ったのだと話してくれました。
 私は19歳とか20歳の二人がそんなふうに突き動かされるように行動していることにとても感動をしました。ふたりに協力したいと思ったし、二人の気持ちがとてもとてもうれしかったです。そして、えみちゃんと同じように、私も二人のようになりたいなあとも思いました。
 
 ベトナムやカンボジアの町では今でも、たくさんのバイクが道を行き交っているでしょう。ふたつの国はどんどん、変わり、また訪れることがあったなら、その変化に目を見張ることになるかもしれません。
 ソチアさんや、チーホさんや、ニュンさんや、ゴアンさんや、コアーイ先生や、ベトちゃんやドクちゃんや、もっとたくさんの友達が、きっと今も明るく元気にそこにいて、カンボジアやベトナムから、私たちに風を送ってくれている・・
私はその風を、しっかり受けながら、みんなが教えてくれたこと・・・戦争のことや平和のことや、人を愛することや、生きていくことなどをもっともっと考えていきたいです。


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