14

 プリンスエドワード島の観光の担当は、私と大谷さんでした。大谷さんはすごくりっぱなパンフレットも作ってくださっていて、日本をたつときに、それをみんなに配ってくださっていました。
 二台の車に分乗して、観光することになっていたのです。一台は小林さんが運転されて、あいこさんが、ナビゲーターをつとめられることになっていて、もう一台は大谷さんが運転で、私がナビゲーターと決まっていました。(あいこさんと私も国際免許というものをとって日本から来ていたので、どこかで運転するんだと、意気込んではいましたが)
 ところで、ここで、すごく心配だったのが、(私も心配だけど、他のみんなもとても心配だったかもしれない)小林車は大谷車のあとをついてくるということで、そして、なんとこの私のナビゲートで動くということでした。
 ホテルがあるプリンスエドワード島の中心地であるシャーロットタウンに近いエリアは後回しにして、まず、オーウェル・コーナー歴史村というところと、島の東端のイースト・ポイントの灯台にむかうことになりました。
 空港をすぎると、すぐに牧草地が広がっていました。黄色いたんぽぽのお花畑が続き高と思うと、今度は、白い小さい花々のさく牧草地が続きます。ときどき立っている家々は、どれも、おとぎ話に出てきそうなくらいに可愛いのです。プリンスエドワード島はどこを切り取っても、絵本の中のように美しい風景で、車が動き出すと、もうその風景にみとれて、歓声をあげてしまうのです。でも、運転をしていた、小林さんと大谷さんはきっとそれどころではなかったでしょう。
 プリンスエドワード島のあるカナダは日本と反対の右側通行です。ハンドルは左側についていて、ただまっすぐ運転するときには、すぐにそれに慣れて、それほど違和感はないのです。でも怖いのが、左折したときに、どうしても、左側の斜線に入ってしまって、むこうから走ってくる車と正面衝突しそうになることです。
 自分でも運転してわかったのだけど、ふーっと自然に左側に入ってしまうのです。大谷さんのように日本でも普段からフォルクスワーゲンのバスに乗っていて左ハンドルになれていても、やっぱり同じように左側に、はいりそうになっていました。そのたびに、アーっとか、キャーとか隣で声をたてられるのは、相当に気持ちがあせるものですよね。そして、まっすぐな道でも、英語で書いた看板を見落とすと、全員が回り道をしなくてはいけなくなったり、それどころか、見知らぬ土地で迷子になってしまうかもしれない……それも、相当に大変なことです。そして、私たちが道案内の係なのです。大谷さんはとても責任感の強い方なので、ずいぶん、気を張っているようでした。
「それらしい看板があったら、教えてね」
「もう、看板あった?」・・・
 どんな質問にも、「まだないと思う」「まだじゃないかな」とのんきなお返事しか返せず、プリンスエドワード島の景色に見とれているナビゲーターは横に持つと本当に大変です。やっぱり私、無責任で、自覚が足りないんですよね。わからなくなればきけばいいし、今看板は見えないけれど、少し行ったらあるだろうし、間違えれば戻ればいいし・・・そんなふうに思ってしまっていたのだと思います。大谷さんはだんだんとイライラしてきたようでした。
「ちゃんと、見て」
「本当に本当にその看板まだ見てない?」
「ここの道であってるの?」
 そう聞かれると、今度は逆におろおろと悲しくなってしまって、「あの看板はどうかな?」「こういう看板はあったけど」といらないことまで言ってしまって、ますます運転手さんをイライラさせてしまうのでした。とうとう「運転代わって、その方がまし」と運転を代わることになりました。実は、観光ルートの道が分かれているところ、道路標識がたてられていて、アオサギの看板がたっていることが多かったです。それをたどれば、名所にはいけるしくみになっていました。でも、自信のない私にはそんな看板もあまり助けにはなりませんでした。
 そうだ、これで安心。私が最初から運転すればよかったな、だって、運転だったら慣れてるし・・そう思ったのに、私も左折のときに、左側の斜線に入ってしまったり、スピードが遅すぎたり、そうかと思ったら、速すぎたり、ちっとも上手にできません。大谷さんは本当にやるせないようで、「運転かわる!」とまた大谷さんを怒らせてしまいました。私もおろおろして、涙を流しながら運転していたら、後部座席に乗っておられた、藤尾さんや菊池さんもきっとどうしようと思っていたのだと思います。休憩のときに、藤尾さんが「かっこさん、助手席代わろうか、大丈夫。かっこさんちゃんとやれてたよ。やれてたけど、交代しよう」と言ってくれました。私はほっとして、後部座席に座ったら、藤尾さんのナビは本当に上手でした。みんな安心して、それから車の中にもなごやかな雰囲気が流れて、そして、ちゃんとオーウェル・コーナー歴史村に到着したのでした。
 そこは19世紀のプリンスエドワード島の村を復元したところで、教会や学校、鍛冶屋さん、家畜小屋、農場、お店屋さん(昔の)そして家などがありました。その中でも私は学校がとてもおもしろかったです。小さい教室に、だるまストーブがあり、二人がけ用の机や椅子が並べられていて、そこに石版がおかれてありました。
 アンがギルバーとの頭を石版でたたいてしまったところを思い出して、きっとアンはこんなところでお勉強をしていたんだろうと思いました。壁には植物採集の宿題や、絵などがかけられていて、そこで、生徒たちが勉強をしていて、今は夏休みだから誰もいないといった風なのが、本当に素敵でした。
 それから農場には干し草がたくさん積み込まれている倉庫がありました。空港から歴史村につくまでのあちこちでも、干し草を収穫して円柱の形に巻いた大きなものが、ごろごろと農地におかれていました。だから干し草をさして、サイロに入れるフォークの大きな大きなものも、農場にはおかれていたのでした。マシュウおじさんが干し草をその道具で高く放り投げている様子が目に浮かぶようです。
 あいこさんが「山もっちゃん見て、見て」と声をかけてくれました。干し草を積む車に、アンのような女の子が乗り込むところだったのです。その女の子は、おみやげ用の、赤毛のおさげがくっついた麦わら帽子をかぶっていました。その帽子がとてもとてもよく似合っていて、白い肌に目の大きな小さな女の子は、アンが、まだプリンスエドワード島に着たばかりのころを思わせました。ああ、なんて可愛いのでしょう。他の観光客の人も、やっぱりその女の子が可愛くて、しきりにシャッターを切っていました。私もその女の子が可愛くて、可愛くて、写真をとらせてもらいました。
 その女の子は本当に可愛かったのだけど、そして、アンにとても似ていたけれど、でも、アンではありませんでした。私は、知らず知らずのあいだに、アンをさがしている自分を見つけてびっくりしていました。プリンスエドワード島に行けばきっとアンがそこにいて、ニコニコ笑って、おしゃべりをして、ときどき思いがけないこともして、そうして、そこにアンがいるんだと思っていて疑わない私がいるのをそのときにようやく知ったのだと思います。いるはずないと思うけれど、いいえ、きっと私、アンに会えるそう思っている私もそこにいました。私のことを見つけて「腹心の友」と呼んでくれはしないかしらとそう思ってでもいたのでしょうか?
 歴史村を出て、お昼ご飯を食べることになりました。歴史村を少し行ったところに、ほろ馬車がとまっていそうな駅のようなレストランがあったので、そこで昼食をとることにしました。
 たかちゃんは旅行中、それまでサラダばかりを食べていて、ボストンの一番古いレストランというところでも、サラダを食べて、そのあとそこがとても由緒あるレストランと聞いたときに「え!!そんなところだったんだ・・私何してたんだろう。サラダじゃないもの食べればよかった・・・」となげいていたので、「今度はカナダらしいものを食べたらいいよね」と言っていたのです。そこでたかちゃんは、そのレストランで私に「フライドポテトってアメリカらしいよね」と言いました。日本で食べることができるけれど、でもたかちゃんはフライドポテト大好きだし、「食べたらいいよね」と言いました。ところが運ばれてきたフライドポテトときたら、本当に大変な量でした。大きな大きなお皿に山盛りの量で、マクドナルドのLが3つ分ほどはあったでしょうか?たかちゃんと私はそれを見て顔を見合わせました。「本当にこれ一人分かな?」そう思っていると、斜め前にすわっていた、おじいさんの席にも、同じフライドポテトが運ばれてきました。おじいさんは、そのほかにもスープとパンをたべていました。「やっぱりこれ、一人分なんだね」たかちゃんはもくもくとフライドポテトを食べていました。

15へ

ボストン・赤毛のアン・トロント日記目次へ