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「四時にホテルにつきます。ナイトクルーズは7時からなので、6時にホテルを出発します。荷物は5時半に部屋の前に出しておいてください」と小林さんから説明がありました。奥村さんと堀さんが「帰ったらすぐにシャワーをして、いそいで用意をしなくちゃね」と話しておられるのが聞こえました。私は昨日の夜から、ホテルのプール入りたいなあと思っていたので、もうプールに入るのはこの時間だけだけどどうしようかなと迷っていました。身体は暑くて、今すぐにでもプールに飛び込みたい気持ちなのだけど、シャワーをして、荷物もまとめていて、それにプールにはいるなんていうことは時間的に無理かなあと思ったのです。でも横井さんが「僕はプールに行こうっと」という声を聞いて、私も入れるようだったら入ろうと思ったのでした。大谷さんもきっと同じ思いだったのか「僕もはいろう」と言いました。いそいでお部屋に行って、水着を出したらやっぱりプールに入りたい気持ちがむくむく大きくなってきて、入ることにしました。プールの周りにはたくさん人が集まっていて、ベンチの空いているところをやっと探して、そこにバスタオルを起きました。水はそれほど冷たくはありませんでした。でもすごく深くて、ベンチの近くのところは2m50cmもありました。背がたたないので、プールサイドにつかまっていたら、向こうの方に横井さんやそれから大谷さんがいるのが見えました。泳いでいこうと思ったときに、あれ?プールの水をもし飲んじゃったらどうなるのだろう?今日一日生水は飲まないように、サラダは食べないように、歯を磨くときも、ペットボトルの水でしようと心がけてきたのに、もしプールのお水を飲んじゃったらそんなことがふいになって、おなかを壊してしまうかもしれない…そう思ったら、泳ぐことができなくなりました。私は顔をつけなかったらたちまちのうちに沈んでしまうのです。それで結局はプールサイドぞいにちょっとだけ手や足を動かして、少しずつ二人が見える方へ移動していきました。二人はとてもいさぎよく顔をつけて泳いでいました。もしかしたらプールの水を飲まないほうがいいということに気がついていないのかもしれないと心配になるくらいでした。
 「えー?プールに入ったの?」荷物を出して、バスに乗り込むとあいこさんがびっくりして言いました。「だってほら、今日はとてもハードだったから、あとナイトクルーズも残ってるし、そのまま飛行機に6時間乗りこんでケニアに行くのだし、大丈夫?」あいこさんや小林さんには本当に心配ばかりかけました。私も一日を思い返すと飛行機の中で少し眠ったきりで、博物館を歩き回ったり、ピラミッドの階段をおりたり、ずいぶん長い一日をすごしたみたいなのに、まだプールで泳いでも、平気でいられるのは自分でもびっくりしました。心配をかけてばかりと思いながらやっぱりいろいろなことがしてくてしかたがないのでした。「ケニアは寒いからプールはいらないでね」愛美ちゃんの言葉に「あったら入りたいな」と横井さんもまたとても元気なのでした。
 バスは夜の街を走っていきました。前の晩と同じように夜の街はとても元気です。頭に首が大丈夫なのかしらと心配になるほどの大きな大きな荷物を載せた女の人が歩いていました。たくさんの車の間を日用品やトマトを積んだ荷車がろばに引かれて行きました。そういえば昼間も畑で働くロバや牛やラクダをたくさん見ました。エジプトではまだまだ動物たちが人間と間近に生活をしているのです。子供たちの笑い声があふれ、並んでいるお店や露天もたくさんの人でにぎわっていました。乾燥がすすむエジプトの街。それはとても深刻な問題だそうです。けれど今目の前にあるエジプトはとても元気で、人々は一生懸命毎日をたくましく生きているのだという印象を受けました。ナイル川の岸辺や端の所々の石の部分には必ずといっていいほど男の人と女の人のふたつの影がありました。ヘガップやキマール(スカ−フ、キマールの方がもっと顔をかくす…正式)をしている女の人、していない女の人、二人の様子はいろいろだけど、昔ながらの風習に新しいものをとりいれている若者の姿がそこにはありました。
 クルーズの船は二階建てで、船はネオンの文字で飾られていました。「肌を出した女の人が見れます」とハッサンさんがまた3度、心なしかうれしそうに言いました。船着場に渡された鉄の板を通って私たちは船に乗りこみました。船には独特の抑揚のアラビアの音楽が鳴り響いていました。中ではもうバイキングの料理がたくさん並べられていました。この船のお客さんは日本人や白人の人たちや地元の家族などいろいろのようでした。さまざまな国の言葉で話ながらバイキングの順番をつきました。並んでいるお料理が西洋料理なのかエジプトのお料理なのかは私にはわかりませんでした。ハッサンさんが言うようにエジプトのお料理は私たち日本人の口にあいやすいのかもしれません。日本でタイ米と呼ばれている細い形のお米のピラフがとてもおいしかったです。それからたくさんの果物や肉料理、春巻きに似た食べ物は何だったのでしょうか?日ごろからあまりたくさんの量を食べることができない私は、少しピラフとお肉を食べて、ケーキを食べてもうおなかいっぱいになりながらも、それでも食いしん坊なのだと思います。あれはどんな味なのかな?何で味付けしてあるのだろう…あの変わった形の果物はいったいなんだろうと気になってしまうのでした。
 テーブルが置かれていないところはステージに変わっていました。女の人が二人、それから男の方が一人、歌をうたっていました。郷ひろみさんが前にうたってヒットした曲、野口五郎さんが歌っている曲はどれも外国のリメイクだと知っていたのですけれど、エジプトでアラブの方が歌われるとまたとても素敵でなまめかしい感じです。その歌にあわせて、踊りも見せてくれました。そのうちに踊っている人が客席へ来て、座っている人の手をとって、一緒に踊りましょうとさそうのでした。誘われた女の人は恥ずかしそうに、でもとても楽しそうに踊っていました。何番目かの踊りのときに、私を誘ってくれました。とても上手には踊れそうになかったけれど、前に出ました。男の人が真ん中にたって、右隣にダンサーの女の人と手をつなぎ、私は左隣で手をつなぎました。男の人や女の人のステップの真似をしながら踊ったら、下手だけどとても楽しくて、知らない間に笑ってしまうくらいでした。小林さんが来てくださって写真をとってくださいました。そんな風にとても楽しかったのですけれど、でもあまりに音が大きくて、頭や耳が痛くなりそうだからと何人かの方が食事を終わられたあとデッキの方へあがっていかれました。しばらくして、おなかを少し出したドレスを着た女の人が出てきました。肌を露出していると言っても、おへそが出ているわけでもなく、少しおなかの部分が出ているだけだったけれど、ハッサンさんが「最高です。最高ですね」と言いました。イスラムの地では女の人はできるだけ肌を見せないようにしていて、時には目の部分すら、ガーゼのような布でおおってあって、全身黒い布で覆われてどの部分も見えない女の人もいたから、おなかが少し見えるだけでも大変なことかもしれません。
 拍手がはじまって、大音響のなかベリーダンスが始まりました。女の人の腰というかお尻というか、とにかく本当によく動きます。日本に帰ってから私もかがみの前で思い出しながら腰を振ってみようとしたけれど、上半身までゆらゆらゆれてしまって、なかなか似ている感じにさえもなりませんでした。他に少し手を動かすとか、ゆっくり回るということはあったけど、長い時間ずっと腰をうごかすダンスという印象でした。その次に男の人が出てきました。男の人はすごく大きい重そうなスカートをはいていました。音楽がなりはじめると、くるくる上手に回りだしたのですが、スカートがぱーあっとお皿のように開きました。男の人はずっと回っていました。ずっとずうっと回っていて、そのうちスカートを上にずらして、首のところで回して、首がしまらないのだろうかと思うくらいぶんぶんまわしていました。本当にずうっと回っていて、目がまわらないのはどういうしくみなのでしょう?それからそのスカートは頭のところからはずれて、今度はピザの生地を大きくするときのように手でぶんぶんとそのスカートを回し出したのです。見るからに重そうなスカートなのに、本当によく回ります。手の力がすごく強いのだと思います。スカートを回しながらいろいろなテーブルを移動して、それで一度ダンスは終わりました。そのあと、その男の人はちからこぶがこんなにすごいんだよと腕をみせてくれて、大谷さんのところにこられて腕相撲をしようと手を出しました。骨がぽきっとおれてしまうかもしれないと思ったのに、大谷さんはとてもがんばって、長い間勝負をしていました。大谷さんが強かったのか、どちらかが加減をしていたのかそれはどうかはわかりませんでしたが、すごく熱のこもった勝負でした。それからこんどは大谷さんをさそってコダックダンスをしました。それもとても上手だったので、大谷さんが上手なのは絵とか写真だけじゃなくて、本当にいろんなことができるんだなあとびっくりしました。コサックダンスのあと、ベリーダンスのダンサーさんは「ユウアーグレート」と言って大谷さんを誉めていました。
 藤尾さんが音楽が大きかったから声が届かないから、手話のように手で合図して上にあがりましょうよと誘ってくださいました。上はデッキになっていました。川からの風はとても気持ちよく、川岸の街々やいろいろな船が行き交う様子がとてもきれいでした。船の中にはアラビアのお姫様がのっているのではないかしらと思われるような不思議な船もありました。船からカーテンのような布がたなびいていて、柱などはきれいな彫刻がほどこされています。そろそろ下船だとアナウンスがあったらしく(私にはアナウンスが何と言っているのかよくわからなかったから)みんなが下へ降りていったので、私たちもあとに続きました。階段の踊り場のところで、さっきベリーダンスを踊ってくれた男の人に会ったら、男の人がまた大谷さんに握手を求めて、それからパピルスのしおりのようなものを渡して何度もお互いに「シュクラン」と言い合っていました。まるで友情が芽生えたみたいだなと思って、もしかしたら大谷さんのことを探しにきたのかなと思ったりしました。そういえばハッサンさんとモハメッドさんもとても仲がよくて、よく手をつないだり、手を組んだりしていたのですが、ハッサンさんは「僕たちは変な仲ではないです。エジプトは友情を大切にするから、男同士もすごく仲がいいのです」と話してくださっていました。街の中でも男の人同士が手をつないで歩いているのを何度も見かけました。場所がかわるといろいろなことが変わるから、そんなこともとてもおもしろいと思いました。
 バスが下りて、エジプトともさよならだと思ったら、さびしい気持ちになりました。本当にいろんなものを見たし、いろんなものを感じたのに…と少しセンチメンタルな気持ちになったのです。でも「旅行の最後の日にまた来て、夜はここに泊まるから」と伊藤さんに教えていただいたら、エジプトからケニアまで6時間かかるということを聞いて、さっきさびしいとおもったのに、まっすぐ帰るか、違う国の空港というのもうれしいなあと思ったのでした。
 昨日きたカイロ空港にまたやってきました。たった24時間しか経っていないのに、もう何日もここですごしたような気がしました。きっと私にとってとても密度の濃い時間だったのだと思います。飛行機の出発は夜の11時、次の日の朝早くにケニアにはつくのだそうです。ケニアへ行く便はエジプトへ来たと同じエジプトエアーラインの飛行機でした。その飛行機は中が少しずついろいろ破れていたり、壊れていたり汚れていたりしました。
 でもきっと飛ぶことに関係したところはきちんと整備してあるのでしょう。日本はいろいろなところがとてもきちんとできているのだけど、それはきっと日本の素敵なところでもあるわけだけど、でも捨てるということが多すぎるのかもしれないとふと思ったのでした。

ahurika he