pi ra mi ddo

 博物館の外にはたくさんのお土産売りの人がいました。お土産売りの人はおもしろい日本語を使っていました。「もうかりまっか?ぼちぼちでんな。社長。高くない。みるだけただ。すばらしい…」誰かに教わったのかな?関西の人だったのかな?
 私たちのバスは博物館のあとパピルス屋さんに向かいました。ハッサンさんが「パピルスはとてもきれいで、一番軽いおみやげです」「一番軽いおみやげです」「一番軽いおみやげです」と何度も何度も言いました。そして「日本語できる女の子います」「女の子日本語できます」と続けました。お店は入り口から地下の方へ続いていました。地下へ続く階段の途中にもおどりばにもそれから地下のその部屋にも絵が描かれたたくさんのパピルスが飾られていました。ガイドのハッサンさんが女の人がいる机の前で大きな声で「ここにあ集まってください」「集まってください」とみんなに声をかけました。女の人はたくさんのアラブの人と同じようにきれいなスカーフで髪を隠していました。机の上には大きな洗面器とプレス機がありました。みんなが集まると女の人は博物館の前に植わっていたパピルスを一本見せてくれました。ぽきっとそれを折って縦に裂きました。パピルスはたくさんの繊維からできているようでした。裂いたものを水につけて縦、横、縦、横と順に四角くひいてそれをプレス機にかけると本当に縦と横の模様の美しいパピルスの紙ができました。
「2週間プレスをしておくといいパピルスになります。また水につけると紙は材料にもどってしまいます。よくおみやげやさんで売られている安いものはバナナの皮で作ってあるのでお日様にあたると色がはげてしまいます」と説明がありました。それから私たち15人がばらばらに分かれて歩き出すと、お店の中の女の人が何人も出てきて、2,3人に一人ずつついて、絵の説明をしてくれました。私についてくださった方は日本語学校へ通っている学生さんということで、日本語がとてもお上手で、大きな目がとてもチャーミングな人でした。ひとつひとつの絵をとてもていねいに説明してくださっていたけれど私は高価なパピルスの絵はとても買えないと思いました。「私こんなりっぱな絵は買えないのです。だから説明していただいたら申し訳ないから」と女の人に言うと、その人は「いいですよ。大丈夫。私もエジプトの素敵な絵を知っていただきたいから…それから買わなくてもいいから、何かお話しましょうか?」と言ってくださいました。私はたくさんの絵の中で、青い色をした絵がきれいで好きだと言いました。それは宇宙を表している絵だと女の人が言うのです。本当にエジプトは不思議です。どうしてそんなに昔から、エジプトの人は宇宙とつながることができたのでしょうか?どうして、いろいろの宇宙のめぐりの中に私たちが生きていることを感じることができたのでしょうか?「だから私はエジプトの人を誇りに思います」にっこりうれしそうに女の人は笑いました。「素敵なスカーフ。髪は長いのですか?」「ええ、髪は女の人の誇りですから伸ばしています。好きな男の人意外には髪は見せないの」その女の人は何度も誇りという言葉を使いました。私はエジプトの人がとても誇り高い人なんだなあと朝からずっと考えていたから、そのことがとてもうれしかったです。「カメラで一緒に写真とりましょうか?」何にも買わなかったのに女の人はとてもやさしくて、一緒に写真をとって、そして、分かれ際に「さよなら」とやさしく手を振ってくれました。
 バスに乗るとバスの窓を何度もたたくおみやげ売りの人がいました。ハッサンさんとその人が話していて、「誰か、ピラミッドの絵葉書を買いませんか?10枚で3ドルです」私は家に帰ったら、留守中いただいているだろうお手紙にピラミッドの絵葉書でお返事を書こうと思いついて、「絵葉書ほしいです」と手をあげました。「ガイドをしてると、どうしても頼まれちゃってね」とハッサンさんが言いました。
 「次はおまちかねのお昼ご飯です。エジプト料理はおいしいです。日本人の口にあいます。たくさん食べて大丈夫です。安全です」バスは一軒のお店の前に止まりました。
 入り口にはテラスがありました。片側に大きなかまどがあって、女の人がかまどの中に生地を放り込んでナンを焼いていました。もう片側はテーブルといすがあって、アラブの洋服をきた2,3人の人が不思議な国のアリスに出てくるいもむしが吸っているのとそっくりの水パイプを吸っていました。どうもそのパイプの中のたばこもお茶と同じように店員さんに注文しているみたいです。かまどの横には女の人がナンをちぎって、お店にやってくる人に手渡しして、写真をとらないかとさそっていました。試食みたいなところなのかな?って思って、みんなで少しづつわけて、写真撮影もしたりしたら、あとでその女の人が手を出したので、ああ、試食ではなかったのだなとわかりました。あいこさんがお金を払ってくれました。日本だったら、こんなふうに差し出したらもう試食だと思い込んでしまうし、いくらとかも書いてないので、わかりにくいかもしれない…と思ったときに、ハッサンさんが比べないでと言ったことを思い出しました。あ、私もう日本と比べてしまってる……
 お店とテラスの間には猫がいました。犬は毛が短くて、顔が長いように思ったけれど、猫は逆にふさふさしている猫や、日本の三毛猫みたいな模様の猫もいて、それほど違わないと思いました。猫はお客さんがちぎってくれるナンや何か肉のようなもの?をもらっていました。私、犬も猫も動物はみんな大好きです。学校の猫や近所の猫は「おはよう」とか「みーちゃん?」とか声をかけるとちゃんと返事を返してくれます。一度学校の玄関で猫とおしゃべりしていたら、校長先生が「ああ、山元さん、猫としゃべってるのか。誰もいないのにどうしちゃったのかと思ったら…」っておっしゃっておられたけど、そんなふうに動物とおしゃべりするのも好きです。だからエジプトの猫とも仲良しになりたかったのです。その猫はやさしい猫でした。にゃーんとすぐによってきて私の身体をのぼってくれて、抱かせてくれたから。
 テーブルにつきました。「ドリンクは別料金ですので、注文してください」「注文をお願いいたします」「注文してください」ハッサンさんの説明に私は前の日に飲んだマンゴージュースをたのみました。どろっとしていて、甘くて、ちょっとぬるいけど(他のジュースは冷えていたけどマンゴージュースはぬるかったので、これは冷やさないで飲むのかな?たまたまぬるかっただけかな?)おいしくてすごく気に入った飲み物だったのです。グループの何人かの方がビールを頼みました。私は人一倍いろんなことが知りたがりだし、すぐに絵でかきとめておきたがるし、めずらしいものはとっておきたいので、「あとで、ビールのラベルはがさせてください。持って帰りたいです」とお願いしました。最初は不思議そうに「いいよ」と言ってくださってて、後のほうでは「いるでしょ?」って渡してくださったりしてエジプトとケニアのビール(流通しているビール)のラベルがたくさん集まりました。ちょっと脱線だけど、私はなんだって知りたがりなので、トイレも他の国ではどんなふうなのか知りたくて、いろんなトイレの写真を撮ったり、絵を描いたり、実際にトイレを使ったりしました。そんなことがもうおもしろくてしかたがないのです。
 飲み物を待っているあいだに、ナンが出てきました。焼きたてのナンは空気がぼうちょうしてるから風船みたいに膨らんでいて、中にはすごく熱い空気でいっぱいでかむと中の空気がシューと出てくるのです。アツアツですごくおいしくて、私は何にもつけないで、もうそれだけで食べたいくらいでした。でもソースは何種類もだしてくれました。ヨーグルトソース、なすでつくったソース、トマトいろのソース(これはちょっと辛い)、キューリのソース、チーズのソース。その他にはサラダが出ました。ハッサンさんは生野菜はたくさん食べないでって言っていたけど、エジプト料理は安全って言っていて、どっちかなと思ったけど、安全だけど慣れていないからやめておこうと思って、トマトの端っこだけをちょぴりかじりました。トマトはいつも食べている水がいっぱいのトマトと違って、とてもしっかりしていて、水分がなくて、ピーマンにちょっと似ているけど、やっぱりトマトという感じなのでした。ナンをふたつも食べたらおなかがいっぱいになりました。それでさっきからちょっと気になっていたことがありました。それはトイレにいこうかなどうしようかなということでした。どうして迷っていたかというと、50ピアスタのお金をトイレにいる人に渡すというのがうまくできるかなと心配だったのです。してみれば何と言うこともないことなのに、トイレを使う前に渡すのかしら?後かしら?何て言って渡すといいのかしら?とやっぱりわからないから不安なのですもの。でもこれからまたバスに長い間乗るかもしれないから行っておかなければ…と二階のトイレにあがりました。少し太った女の人が入り口のところに立っていました。どきどきして近づいたらさっと身体をどけてくれました。ああ、後から払うシステムなのかな?と思って、それでトイレを使ったあとに手を洗ったら、その人がトイレットペーパーの切れ端をくれました。これで手を拭くのかな?と手を拭いたら、私の顔をじっと見たので、きっとここで50ピアスタ渡すんだ!!とそう思って、握りしめていた25ピアスタ硬貨を2枚渡しました。「シュクラン」髪を茶色の大きなスカーフで隠したその女の人がお礼を言って、にっこり微笑んでくれたので、私もうれしくなって「シュクラン」とおじぎをしました。女の人はまるで小さい子にするみたいに私の髪をなぜて何度もうなづいていました。もしかしたら、私のことを小さい子と思ったのかもしれません。それともありがとうの印かな?ちゃんと無事に?トイレをすませられたので、もうこれでエジプトでもトイレに行けるとほっとしました。ところでそのレストランのトイレは洋式のトイレと和式のように床に台形の形の穴があいているトイレの二種類がありました。ただ私がそうじゃないかなとちょっと思ったのは、和式のトイレは戸を後ろにして使うけど、台形の形の穴があるトイレは戸の方を向いてするんじゃないかと思ったのです。なぜかそんなふうに思ったのですが、あとでたぶんそれは正解だったのではないかとわかることがありました。そのことは後で書こうと思います。
 他の人もトイレをすませたので、レストランをあとにしました。入り口を出てバスのところまで行こうとすると、またお土産売りの人がたくさんいました。「おしん?たかくない、すばらしいおみやげ、ひとつ千円」私はなぜかまた「おしん」と呼ばれました。
 「さあ、次はいよいよピラミッドです。今行くギザのピラミッドは3つあります。ひとつはクフ王の第一ピラミッド、次はカフラ王の第二ピラミッド、そしてメンカウラ王の第三ピラミッド。第一ピラミッドは一日300人しか入れません。もういっぱいだから残念だけど私たちは第三ピラミッドに入ります。中にカメラを持ちこむときお金がいります。たいしたことないので、カメラはもちこまなくていいと思います」ハッサンさんの説明が終わらないうちにもうピラミッドが見えてきました。本当に街のすぐむこうにピラミッドはありました。最初にギザ王のピラミッドに行きました。バスから降りると外はびっくりするほどの暑さでした。さすがエジプトだなんて、妙に関心して、帽子はかぶっていたけど、日傘も出して、それでも暑くてどうしようと思うくらいのお日様の光でした。じりじり焼けるっていうのはこういう感じかな?
 3つのピラミッドの中で一番大きいそのピラミッドはひとつの石だけでも何メートルもありました。これがもう数えられないほどたくさん積み重ねられてできているということは、やっぱり実際そばにいってみてみるとすごくびっくりします。みんなが不思議がるように私もどうやって石を載せたの?どうやって運んだの?何人でどれくらいかかったの?頭の中が???のマークでいっぱいになりました。大きなピラミッドはすぐそばのように思ったけど、それはとても大きかったからで、歩くとけっこう遠くでした。私たちは写真を遠くでとったり近くでとったり、とにかく何枚も写真をとって、ピラミッドまで行きました。入り口まで登っていける道があったので、大谷さんと二人でよじのぼるようにして登っていきました。あいこさんが「山もっちゃん元気!!」とびっくりしていたけど、私は暑くてもちょっと疲れていても大丈夫、とてもとても元気なのです。それで大きい石をやっとひとつひとつ登ってもうすぐ入り口くらいというところで、突然、やっぱり同じように登っていた上の方の外国の人がガードマンか警察官みたいな洋服を着た人に突然大きな声で叱られました。どうやら登ってきちゃだめだ降りろと言っているみたいです。その人は高くのぼりすぎたのかな?と思ったら、その警察官みたいな人はどんどん降りてきて、私たちのほうも指差して「。・;¥:@p」と何だかわからない言葉で早口で怒っていました。きっと降りろって言ってるんだ。あーあ、もうちょっとで入り口に行けたのにな。上から写真も撮りたかったのにな。そんなふうに思ったけど、やっぱりその人は怖い顔で怒っていたから、怖くなって急いで降りたのでした。
 もう300人になったからいっぱいで入れないって言いたかっただけなのかな?
 ピラミッドの表面はがたがたでした。昔はカフラ王のピラミッドの上の部分のようにピカピカの化粧板で覆われていたけれど、今は乾燥と風により風化などのためにこんなにがたがたになってしまったということでした。ピラミッドの周りにはラクダがたくさんいました。きっと観光客を乗せるお仕事をしているラクダです。それから水を売っている人、おみやげを売っている人、さまざまな人がいました。こんなに暑い中でずうっとお仕事をするのはラクダも人も大変だです。
 第二ピラミッドは第一ピラミッドの後ろに回りこむようにして行くとたっていました。上の化粧板だけが残ったこのピラミッドはとても美しい容姿をしていました。別に順番なんてつける必要もないのに、私はカフラ王のピラミッドが一番好きだなと思いました。ふたつの大きなピラミッドの横にとても可愛い小さなピラミッドがありました。それが今日中に入る予定のメンカウラ王のピラミッドです。小林さんご家族は去年入ったし、もうすごく暑いから、冷房のきいたバスで待っていると言いました。「山もっちゃんは大丈夫?中はすごく階段がいっぱいあるから、行けるかな?」私はもともとちょっとだけ貧血なのです。それと心臓もちょっとだけだけど、悪くて、それで旅行前に血の比重を計ったら、15くらい他の人があるのに、7だったので、じゃあ、旅行前だしねと両方の手に毎日一本ずつ20日間、20回分鉄剤の注射をしてもらっていて、手の静脈のところを注射のあとで青くしていたから、結局何度も小林さんに心配をかけることになってしまいました。でもぜんぜん平気なの。本当は身体、すごく強いんじゃないかしら?
 それで「ええ、大丈夫です」と言ってバスからおりました。外は変わらず暑く、また写真をぱちぱちとって、「カメラを中に持って入れません。お金をはらってもっていくほど、中は何にもないからもったいないです。預けてください」とハッサンさんの言う通りに預けました。ハッサンさんは「ガイドは中には入れません。中は狭いから頭を打ちます。気をつけて…それから中におじいさんがいます。ガイドを勝手にし出すけど、聞かないで。たいした説明じゃないから…そしてお金をほしがるけど、渡さないで」とも言いました。そのおじいさんはガイドをしてくださるそうだけど、そしてそれでお金をもらって生活しているけれど、聞くか聞かないかは自分で判断してください。聞いたらお金を渡せばいいといういことかな?とそういうふうに思いました。
 私は急に壁に住んでいる細菌のことを思い出して、そばにいた大谷さんに「壁に絶対にさわらないでね」と言いました。
 中は本当に狭かったです。入ってすぐのところに一人のおじいさんがアラビアのロレンスみたいなかっこうをしてお話どおりにそこにいました。ちょうど他のヨーロッパかアメリカかどこかからいらしたお客さんに話かけていて、私たちはその横を通りぬけて、下へ続く細い道へと降りて行きました。そこは一人か二人がやっと通れる急な坂道で、足場があって、それで地下へ降りていくのだけど、下と横だけ壁が迫っているのではなくて、天井もとても低くて、腰を低くかがめても油断するとすぐに頭を岩にぶつけてしまいます。足場の階段を降りながら上にも気をつけて腰をかがめるって簡単なことではありません。一緒に言ってくださった周りの人が、「危ない!」「上!!」「頭!!」って注意してくださるのに、もう何度も何度も頭をぶつけて、もう痛くてふらふらになってしまいました。きっと40度かそれ以上の空気がとても熱く、痛いと思うたびに座り込みたいと思うけど、後からどんどん人が来るし、もう室内を見終わった人が上がってくるから、もちろんそんなことしている暇なんてないのです。やっとついた部屋はあっけないほど狭く何もおかれてはいませんでした。でもここにミイラがおかれていたのかと想像すると、時を越えて自分がそこに身をおいていることにとても不思議な思いがしました。またすぐに来た道を今度は手をついてときどき4つばいになりながら、息をきらしてのぼってきました。大谷さんに壁にさわらないでと言ったのに、自分のほうがもうそれどころではなくなって、やっとのことで這い登ってきたのでした。あがったところにはまたおじいさんが待っていました。私たちには何も言わないで、でもおじいさんは他の方となにか言い合いをしていました。お金のことだったのかもしれません。
 穴から外へ出ると、あんなに暑いはずの外の空気が一瞬涼しい気がしました。
 ピラミッドからバスで少し行ったところにスフィンクスがありました。ここではミイラを作っていたという説明がありました。私の頭の中にまたいくつもの?マークがいっぱい並びました。いくつもいくつもピラミッドや地下のお墓があるのに、スフィンクスのような形のものがこれひとつきりしかないのはどうしてなのでしょう?ミイラを作る場所だからなのだったら、エジプトにあるミイラはみんなここで作っているということなのでしょうか?ハッサンの説明によると、じゃまな岩がそこにあったので、それをけずりとってスフィンクスができたそうです。それからカフラ王のピラミッドとこのスフィンクスが地下でつながっているとも言われていて、スフィンクスの壊れた顔は乾燥と風でくずれていったということもあるけれど、ナポレオンが銃撃練習の的にしたからだそうです。ナポレオンという歴史的な人物の名前が出てきただけで、ありありとナポレオンが部下に指揮棒を振りかざして「用意かまえ!!」と命令している様子や、銃のはじける音、やめて!!と叫んでいるエジプトの人の声までが聞こえてきそうな気がしました。
 でもでももっと知りたいことがたくさんあって、帰ったらすぐに本屋さんに行ってエジプトの本を読みたいなあと思いました。
 実際にミイラを作っていた場所はスフィンクスのすぐそばの石でできた建物でした。なにげなく座ってハッサンさんの話を聞いていたら、ハッサンさんはやっぱり座って一緒に話を聞いていたモハメッドさんの場所を指して「ちょうどあの場所がミイラが横たわっていたその場所です」と言いました。
 外に出ると、そこは高台になっていて、スフィンクスの身体の全体が横からながめられました。乾いた砂をたくさんはらんだ強い風がスフィンクスに向かって吹き付けていました。その風は顔にあたると痛いほどでした。スフィンクスは今までにもう2度、風に運ばれてきた砂がふきたまって埋もれてしまったそうだけど、ああまたすぐに埋まってしまうんじゃないかしら…と思いました。
 バスに戻ると、ハッサンさんが「ラクダに乗りたい人は手をあげてください」と言いました。小林さんの娘さんのちゃんは去年乗ったけどとても怖かったからもう乗りたくないけど、山もっちゃんは初めてなら思い出になるから乗ったほうがいいかもしれないよと教えてくれました。「でもラクダの背はすごく高くて怖いよ」と付け加えたので、怖いのがきらいな私はどうしようと思いました。でもしたことがないことはしてみたかったり、知りたくてしかたがないことがいっぱいの私は、すごく迷って、でもしたい気持ちのほうが強かったので、乗ることにしました。大谷さんは鳥取で乗ったから乗らなくてもいいけど、せっかくここに着たのだからここのラクダにも乗ろうかなと言いました。他にもツアーの仲間の横井さん、碓井さん、菊池さん、杉本さん、藤尾さんがラクダに乗ることにしました。小林さんから「ラクダは高いから落ちないようにしっかりつかまっていてくださいね、それからラクダをひっぱっている人が写真をとってあげようというけど、カメラを渡さないでください。あとですごくたくさんお金を払わないとカメラを返してくれないことがあるから」と説明がありました。ハッサンさんはそんなことはないですと小林さんのお話を打ち消していたけれど、きっと中には小林さんのお話のような体験をした人もいたり、それからとても良心的なラクダ使いの人もいるということなのだろうと思いました。現実的にタクシーに乗ったら本当の10倍以上のお金を要求されたり、うんと遠回りして何十分もタクシーに乗ったのに、あとで、本当はすぐ裏だったということがあるというお話も聞いたから、いろいろな事情があって、そういうことをしてしまうのだろうけれど、気をつけなければいけないこともいっぱいあるんだなあと思いました。
 ラクダはまるで駐車場にきれいに車が並べられているみたいに同じ方向をむいてきちんと並んで座っていました。一人のラクダ使いの人が一頭のラクダを指差して「ユア キャメル」と言ったので、私がこれから乗せてもらうラクダはどんな顔のラクダか見てみたかったけれど、後ろからだったので残念ながら見れませんでした。それでやさしい顔のラクダさんだといいなあと思っていました。一頭のラクダにひとりのラクダ使いの人がついてくれました。ラクダの背には鞍がとりつけてあって、前と後ろにくいのような形の骨か木でできたものが取り付けられていて、それは二人乗ったときの前の人と後ろの人がそれぞれにつかまる場所なのでした。前の人は前のくいにつかまるのだけど、後ろの人は後ろ向きに乗るのかな?それとも手を後ろに回して乗るのかな?と思ったら、手を後ろに回して乗るのでした。それは相当に怖くてむつかしい乗り方なのじゃないかなと私は思うのです。ラクダは4つの足を折って座っていてくれたけれど、それでもその背はずいぶん高かったです。長いギャザースカートをはいていたので、スカートがまくれてしまうことはなかったけれど、鞍をまたぐのに少しじゃまで引っかかってしまって、一度目は落ちそうになって失敗。こんなことで本当にラクダに乗れるのかしらと思ったけれど、ラクダ使いの人がもう一度ひっぱってくれて二度目はうまく乗れました。後ろには大谷さんが乗りました。私には余裕がなくて後ろを振り返ることはできなかったけれど、たぶんその後ろのくいを上手に持って乗っていたのだと思います。帰ってから杉本さんに送っていただいた写真をみたらやっぱりその通りでした。ラクダはまず前足を折ったまま後ろ足を立てて起きあがりました。身体がぐっと前に傾き、私は頭がさかさまになってしまったのではないかとその瞬間思ったほどでした。ラクダ使いの人はそうなるのがわかっていたみたいに私の肩のところをひっぱっていてくれて、それから私が驚いて声も出ないでただ落ちるままになっていようとしていたのを後ろの大谷さんも気がついてひっぱってくれていたようでした。もう落ちてしまうんだってあきらめていたのに気がついたららくだは前足もたてていて、私はずいぶん地上から高いところにいました。ちゃんが怖いって言ったとおり、ラクダが起きあがるときってすごく怖いっていうことがわかってよかったなと思いました。ラクダはとてもゆっくり頭を振るようにして歩きました。菊地さんが「山元さんこっちむいて!」とカメラを向けてくださったので、まだ怖い余韻を残していたから、ちょっと顔を引きつらせながらもでも本当にうれしかったので、笑顔で笑いました。杉本さんも私のことを写真に取ってくださいました。私も菊地さんや杉本さんのラクダに乗っている姿を写真に取ろうと片手をはずしてカメラを持ったとたん、またラクダが一歩すすんで落ちそうになったので、映すことはできませんでした。何度か挑戦したけど、そのたびに、おんなじことになったので、ラクダに乗りながら写真を撮るのは私にはむつかしいということがわかりました。ラクダは建物の間を歩いていって、広場のようなところに行きました。ラクダ使いの人が「カメラで写真を撮りましょう」と英語で言ってくださったようでした。私たちは小林さんの言葉を思い出して、「いいです」と断ったけれど、他のお客さんがカメラを渡して、撮ってもらったあとに、すぐに」カメラを返してもらっていたので、「ちゃんと返してくれたね」と菊地さんがそれを見ながら言いました。横井さんが「ま、よかったじゃない。返してくれてよかったし、そういうこともやっぱりあるわけだから」と言いました。一周してまたラクダが並んでいるところに帰ってきたら、ラクダ使いの人がまるで車を駐車するみたいに、ラクダをいったん前に出してバックしてちょうどいい場所にラクダを移動させたのでした。ラクダがあまりにも上手にラクダ使いの人の言うとおりに、前に出たり後ろに下がったり、座ったり、そして座ったままきちんと並んだまま動かないでいることにただただびっくりしました。
 ラクダが足を折って座る前にラクダ使いの人が「バックバック」と言いました。大谷さんが「身体を後ろにたおせということだよ」と言うので、「バック」という言葉だけでそんなことまでわかってしまうなんて、なんてすごいのだろうと感心しながら身体を後ろにたおしたら、今度は前足を折っても頭がさかさまになることもなくてあまり怖い思いをせずにすんだのでした。ラクダから降りてすぐにラクダの顔を見に行ったら、まつげの長い大きなやさしい目をしたラクダでした。うれしくなって「シュクラン」とお礼を言って頭を下げたら、ラクダもやっぱり頭を下げてくれました。本当なのです。ゆっくりと頭をさげて、それから少し笑ったみたいに見えました。ラクダに乗ることにして本当によかったなあと思ったのでした。
 私たちはピラミッドとスフィンクスを後にしました。「お土産やさんに行きます。銀や金のガルトゥーシュやスカラベのネックレスを売っているお店です。ガルトゥーシュはエジプトで一番軽くていいおみやげです」「一番軽くていいおみやげです」「一番軽いです」とハッサンさんが言ったので、パピルス屋さんでも同じことを言ったのになと少しいじわるなことを思いました。ハッサンさんはそんなことを私が思っているなんてきっと気がつかないで、また「何より一番軽いおみやげです」と3回言って、「ここは日本語を話せる人はいません」と付け加えました。
 そのおみやげやさんには金や銀のネックレスの他にもツタンカーメンのマスクや香水のびんやパピルスなどいろいろなおみやげも売られていました。金や銀のおみやげはショーケースに並んでいて、その前には女の人が並んでいました。私はきっと金や銀のおみやげは私には買えないだろうって思ったし、それなのに、英語で断らなければならなくなったらとても困っちゃうと思って、そこには近づかないで、他のおみやげを見ていました。おみやげの中にとても可愛い宝石箱がありました。箱の周りに木を貼りつけてあって、それから貝がらの裏の光る部分でお星様や雪のような模様が貼りつけてある箱でした。ひとつ8ドルと書いてありました。私はそれをおみやげにしようと二つ買いました。
 バスに乗ったら、あいこさんとちゃんがまだでした。小林さんが、お土産やさんのすすめを断れないで困ってるのかもしれないから、助けてこなくちゃっておっしゃって中へ入って行かれました。バスの中から街の様子を見ているとお店屋さんのとなりの細い道のむこうに、おそらくエジプトの方がお買い物をされる小さなお店が並んでいるのが見えました。(あそこへ行ったらどんなものがならんでいるのかな?これなんだろうというような不思議なものもいっぱいあるのかな?エジプトの人とお友達になれるかな?行ってみたいな)とすごく思いました。そうこうしているうちにあいこさんとちゃんが戻ってきました。バスが動き出すとあいこさんが私に銀のスカラベのペンダントヘッドを渡して「これね、もらってください。あのね、旅行にきた記念に。思い出せるように」って言ってくださったのです。とってもびっくりして思わず涙が出そうになりました。こんなに素敵な旅行を計画してくださって、こんなによくしてくださって、まるで家族みたいにしてくださって、いったいどうしたらいいだろうとずっと思っていたのに、プレゼントまで下さって、そして、さっきお買い物をしておられたのは、誰かのお土産だったり、もしかしたらご自分の分だったりもしたかもしれないけれど、でも私のを選んでくださっていたのだなんて思いもしないことだったからです。本当に泣いちゃう。みんなやさしくて…あいこさんやさしくて、ちゃんもやさしくて、小林さんもやさしくて…もう泣いちゃう…プレゼントをいただいたからではなくて、こんな素敵な旅に今いられるということに本当に感謝の気持ちでいっぱいになったのでした。
 

ahurika he