ka i ro ha ku bu tu ka n

 8時にロビーに行くとハッサンさんもモハメッドさんも私たちを待っていてくれました。今日の予定はカイロ縛物館に行って、パピルスのお店に行って、エジプト料理を食べて、ピラミッドへ行って、スフィンクスを見て、そしてラクダに乗って、またおみやげやさんによって帰ってくるという発表がありました。なかなかハードな一日になりそうでした。でもハッサンさんは4時に帰ってきて、ケニアに向かう飛行機にのるまで少し時間があるから、ナイトクルーズで食事をしたらどうかと言いました。7時すぎから9時過ぎまでそれはあるから、それが終わったらそのままカイロ空港へ行けば夜の11時ごろ出る飛行機には十分間に合うから…」と。でも小林さんは日程がとてもハードだし、昨日の晩も遅くついたし、ホテルですごす時間もほとんどないしどうしたものかなあと言ったけれど、ハッサンさんは「ベリーダンスは見ておかないととてももったいない。とてもすばらしいし、肌も少し露出するから男の人はよろこびます。なによりすばらしいです」と勧めてくれて、それではとみんなで夜はナイトクルーズへ行くことになりました。
 カイロ博物館は正式にはエジプト考古学博物館という名前です。博物館はとても混んでいるように見えたけれどハッサンさんは「今日はすいている方だ」と言いました。先週は身動きができなかった…と。小林さんがみんなに博物館がとても混んでいるときのホームページは知ってる?と聞いたので、なんだろう、空いているときと混んでいるときと違うなんて不思議だなあと思っていたら「博物館・ドット・コム」だと言いました。小林さんはさりげなくしゃれがとても上手です。ハッサンさんがすいていると言っていてもやっぱりとても混んでいたので、小林さんはみんながどこかで迷子になってしまいやしないかと心配になったのだと思います。「今からひとりひとり番号を決めます。『番号』と言ったら1,2,3,4,5…と自分の番号を言ってください」私は12番になったのに、練習でもう自分が何番だったか忘れてしまって、11で途切れて12番は誰?とたずねられてやっと私だと気がつくありさまでした。
 「カメラを持ちこむ人は別料金で10ドルいります。ビデオは100ドルいります。持ちこまない人は入り口でモハメットさんに預けてください」私は写真をとりたかったので、カメラを持って入りました。それにしてもビデオを撮るとき100ドル、1万円もいるのじゃ大変とびっくりしました。小林さんもビデオを預けていました。
 博物館の前の池には少し日本のと違うとがった花びらの形を持つ美しい青色のはすの花が咲いていました。そして真ん中に傘の骨をひらいたようなパピルスが植わっていました。ハッサンさんは「カイロ博物館にあるものは全部本物。でもたったひとつ偽者があります。それはロゼットストーンという意思で、本物は大英博物館にあります。これは象形文字を解読するのにとても大切な意思なのですけど、ナポレオンが持っていってしまって、返してほしいとエジプト政府が頼んでも返してくれなかったのです」と少し残念そうに言いました。
 中に入るとそこにはたくさんの彫刻や象形文字がところ狭しと並んでいました。今までテレビは本でしか見たことのなkったものが、こんなにも間近で見れてそれが無造作におかれているのを見ることは信じられないような気持ちがしました。ハッサンさんはとても物知りでした。「こっちに来てください」「はい、近くに集まってきてください」といろいおrなせつめ意をしてくれました。石像や象形文字の中には美しい色を何千年前のいろのまま残しているものがありました。何千年前の赤や青や黄色の色彩が今なお残っているというのは本当に驚きで、いったいそんなにも昔の人がどんな技術を使ったのだろうとびっくりするばかりです。
 私は象形文字にもとても惹かれました。ひとつひとつの文字が鳥や人の動作やお魚やいろいろなもので書き表されていて、たったひとつの文字を書くだけでもすごく大変な労力がかかるのに、昔のエジプトの人はどんなことを伝えようとしたのでしょうか?カイロ博物館の中にはいくつもいくつも部屋があり、その一つ一つの部屋がそうった宝物でいっぱいでした。ある部屋へ行くと犬の顔をした神様の像がありました。それはアヌビスという名前のミイラを作る神様でした。その犬の像の顔は鼻がやたらと長く顔がほそく、そして耳も立っていました。それは来る途中にバスの中から見かけた何匹かの犬と朝見かけたさびしそうな犬によく似ていました。その時に私ははっとしたのです。エジプトに住む犬の祖先はアヌビスで、そして今エジプトに住んでいる人たちの祖先はきっとピラミッドの神々だったり、王だったりするのだということを…
 小さい子供たちがおみやげを売っていたり、ボールペンやお金をねだる人がたくさんいるのを見たり、乾いた土地の建物を見て「エジプトの人たちは貧しいから可愛そうだ」と
か日本で生まれてよかったとか、いろんなことを思う人がいるかもしれない…もちろんいろいろな人がいろいろなことを感じるのは当たり前のことだけど、私は地球のどこに住む人も自分というものに誇りを持って生きていて、それから一生懸命生きるために生きていて、たくさんの時間の流れの中に身をおいているのだということを感じたのでした。
 奥へ奥へと入っていくとそこまでの部屋とは変わったガラスと黒い大理石に囲まれた美しい展示室がありました。二人のガードマンが展示室の入り口には立っていて、銃を持っていました。そこはツタンカーメン王の墓から発掘されたものが展示されている部屋でした。ハッサンさんが「この部屋はガイドは入れません。自分で感じてきてください」と言いました。
 小さいころ、いとこのおにいちゃんにたくさんの本をもらいました。その中に2冊の青い本がありました。少年少女ノンフィクション全集のうちの2冊で、一冊はコンチキ号漂流記、もうひとつはツタンカーメン王の墓の謎という本でした。私はこの2冊の本が好きでした。本をもらったのが小学校へあがる一年ほど前でした。身体が弱く、病気がちだったため、外へ出て遊ぶよりは家の中で大好きな本を眺めていたいといつも思っていた私は少し早くに字を覚えたようで、家族が、こんな小さな子がいったい中身をわかって読んでいるのかしら?ととても不思議がったくらい、ぼろぼろになるまでこの2冊を読んでいたという話をよく聞きました。カイロにはたくさんのピラミッドや地下にもぐっていく形のお墓があったが、たいていは墓泥棒によって発掘され、かぶせられた金はみなはがされてしまい、またミイラも外の砂漠へ放り出されたけれど、ツタンカーメンの王の墓だけは王の谷の他の墓が発掘されたときの土砂の下に隠された状態であったため、唯一泥棒の被害に遭わずにすんで、ずっと王の谷の下に眠っていたのです。イギリスのハーワード・カーターという人がここに墓があるはずと信じて掘ったら出てきたのだけど、「この墓に立ち入るものは死の翼にふれるべし」という言葉どおりに、発掘後、一緒に発掘したたくさんの仲間たちがのろいのために不思議な死をとげました。あるものは血を吐き、あるものは精神をおかされ、高いビルから飛び降りてなくなりました。その本の中で私の心に一番残ったのは、カーターが墓の中のたくさんの黄金に目を見張ったけれど、でもそれよりも何千年もの間、朽ち果てることなく、さっきまで咲いていたような美しい姿と色を残している一輪のバラの花がミイラの胸の上におかれていて、その美しさは黄金とは比べられない美しさだったと書かれていたことでした。
 私は繰り返し青色の本を読みながら、いつか私もピラミッドやツタンカーメン王の土地エジプトへ行くことができるだろうか?そしてその本物をこの目で見ることができるだろうかと思っていたのです。それが今、実際に目の前にありました。黄金のマスクの輝くは息をのむほど美しく、まばゆいばかりで、ああ、今私はマスクの前に立っているのだということが信じられないような思いがしました。こんなに長い間輝きを失わない純度の高い金を作る技術を持っていたエジプトの人の技術に舌をまく思いがしたのでした。ただ、その部屋には一番心に残ったバラの花はありませんでした。花はやはり外へ出して、空気に触れて朽ち果ててしまったのだろうかとがっかりして、でも無理もないなあと思いました。ツタンカーメン王の名前は象形文字でラーという太陽のマークとスカラベ(昆虫のふんころがし)が線で囲まれていました。線で囲まれたのは王の印でガルトーシュと呼ばれるのだそうです。
 外へ出るとハッサンさんが「別料金を払うとミイラ室も見れるけどどうしますか?」とみんなに聞きました。私は本当はとても怖かったのです。でももう二度とエジプトに来ることはないかもしれないから、見ておけるものは何でも見ておきたいと思ったし、それに会いたかったり、見たかったりしたものにめぐり合えるかもしれないからと思い直してやっぱり入ることにしました。私がミイラを怖いと思ったのは、ミイラが死んだ人の身体だからそれが怖いとか、のろいがあるんじゃないかとかいう怖さだけではありませんでした。最近見たテレビで、新婚旅行でエジプトを訪れた観光客のご夫婦のうち、奥さんがしばらくして体調をこわして、肺炎になって、また神経もおかされて、亡くなってしまったので、不思議に思い調べたところ、ご主人は墓の壁にさわらなかったのに、奥さんは触ったということがわかったのだそうです。それで壁を調べたら、壁の中に何千年も生き続けている細菌が存在していることが発見されたそうです。その細菌はほこりの中にもあって、肺に吸い込まれることもあり、その結果、肺炎になったり、脳もおかされて死にいたるということでした。ツタンカーメンの墓を発掘したときに、カーターさんと一緒に発掘した人がたくさん原因不明でなくなったのは、おそらくその細菌を胸に吸い込んだからではなかったかとテレビでは推理していたのです。
 私はのろいを科学的に証明することができる現代の技術もなんてすばらしいのだろうと思ったけれど、もうひとつその細菌がずうっと王たちを守りつづけようとしていて、今でもまだ壁の土の中にそれが生きつづけているということに心を動かされたし、また恐ろしさを感じたのです。
 ミイラ室は湿度、温度を管理されて、暗い明かりがともっていました。ここでは写真はいっさい禁止ということでした。ミイラは何体かは布に覆われ、何体かは手も足も布をめくられそこに横たわらせておかれていました。歯や髪の毛や皮膚が残っていて、やっぱり保存状態がとてもいいということでした。順にミイラを見ていくと、そのうちの一体のミイラの上に私は思いがけないものを見ました。それはほんの少し赤色を残したバラの花でした。色はあせてはいるものの、何千年もの間その形をくずさずにそこにおかれていたのです。おそらくはこのミイラはツタンカーメンではないでしょう。でもこのミイラを愛する誰かが、彼の胸の上に一輪のバラの花をおいたのだということが私の心の中ではっきりと感じられました。私はその時、おだやかだけど、胸をぎゅうっとしめつけられるような不思議な感覚につつまれました。私は今、確かに時の流れの中に身をおいているのです。いろいろの本当に起こったさまざまの出来事がここにはあり、たくさんの出会いやよろこびや悲しみの出来事が積み重なって今のエジプトがあり、そしてまた私もここにいるのです。まるでナイルの流れがこの部屋に流れ込み、ピラミッドを作っている人の汗や吐息がありありと感じられるような気持ちがしたのです。
 私はそのとき、きっとぼおっとしてしまっていたのだと思います。ふと誰かに見つめられているのに気がつきました。それはとても愛らしい少女でした。私は少女のひとみに気がついてにっこりと笑顔をかえすと、少女はたっぷりのスカートのすそを両手でちょっと持ち上げて、かかとを床にこつんとつけて、レディらしく私に挨拶をしてくれました。私もあわててスカートのすそを持ち上げて同じように挨拶をしました。もうそれだけで十分でした。ふたりで長い間微笑みながらみつめあって、それからバイバイと手を振り合いました。なんだか名残惜しくなってあとで、あわてて追いかけて写真を一緒にとってもらったのですけれど、やっぱり言葉なんてなくても大丈夫なんだと思いました。何か用事があって声を掛け合うわけではないけれど、どこの国の人かもわからないもの同士が、ただお互いに気になったりあるいは惹かれあったりして、挨拶をかわし、微笑をかわす…もうそれだけで私は十分とまた思って涙がこぼれそうになりました。少女のひとみはどこまでも真っ直ぐであどけなく、とてもやさしかったです。

ahurika he