e ji pu to ni tu i ta

 カイロ空港には今私たちが乗ってきた飛行機から降りてきた日本人が私たちの他にもたくさんいました。入国審査官の人はたぶん悪い人は通さないぞというお仕事だからだと思うのですけど、しかめっつらをしてパスポートを調べて、顔と写真を照らし合わせたあとなげつけるようにして台の上にパスポートをほおって返していました。私の番が近づくと割ることをしているわけでもないのに、なぜだかどきどきしてきました。その審査官さんは少し太ったおひげの人で、やっぱりにらみつけるように私の顔を見ました。おずおずと飛行機の中で覚えた覚えたてのエジプト語のこんにちは「アッサラーム」とおじぎをしておひげの人を見つめると、急にいかめしい顔をくずして、にっこりと「こんにちは」と日本語で私をみつめてくれました。そしてなげつけないで、そっと私の手にパスポートを返してくれたので、すごく緊張していたのでなおさらうれしくなって、「ショクラン」(ありがとう)とお礼を言うと、首をかたげて「バイバーイ」と、また笑ってくれたのでした。あーよかった。飛行機の中でたった2つだけど「こんにちは」と「ありがとう」を覚えておいてよかった…そして私たちはとうとうエジプトへ入国したのでした。空港ですぐにエジプトのドルを少しエジプトのお金に替えました。30ドル出すと104エジプトポンドに替えてくれました。帰ってきたエジプトのお金はやぶれそうだったりまるまっていたりずいぶん痛みがはげしかったのにびっくりしました。
 空港ではハッサンさんとモハメッドさんという人が私たちを待っていてくれました。ハッサンさんはガイドさん、モハメッドさんは旅行会社の人ということでした。ハッサンさんは自己紹介するときにエジプトの7割の人の名前がモハメッドで、3割がハッサンだと教えてくれました。え、本当?日本にも多い名前はあるけれど、クラスに二人いるだけで、出席をとるのも大変なのに、ほとんどの人がモハメッドさんであとはハッサンさんだったらややこしくないのかしら?といらない心配をするのでした。ハッサンさんは少し独特のしゃべり方だったけど、日本語が上手でした。「私の名前は日本の古いドラマに出てきます。くまさん、はっさんのハッサンです。そしてもうひとつ、すっかりお金がなくなってしまう破産のハッサンです。覚えてください」そしてその通り、いつもはなかなか人の名前が覚えられない私も一度でハッサンさんの名前を覚えることができたのでした。
 小林さんが「いつもならそろそろ山もっちゃんが起きるころだよ」と私のことを言いました。何のことかなと思ったら、日本時間でそろそろ4時…私はすごく遅く寝るくせに早く起きてしまうくせがあるので、小林さんがそんなふうに言ったのでした。
 ホテルまではマイクロバスで行きました。街は夜10時すぎだというのに、たくさんの人であふれていて小さな子供たちもサッカーをしたり、犬と遊んだりしています。中にはやっと歩きはじめたばかりのような子供たちもいます。とっても不思議。ハッサンさんの説明によると「今は夏休みの時期。とっても暑いので昼間はあまり動かないで夜はすずしくなるからずっと起きていて、夜明けの3時ころみんな眠るのです」ということでした。それにしてもこんな夜遅く、まだ2つか3つくらいの子供たちだけで遊んでいる姿はとても不思議でした。
 ハッサンさんはホテルに着くまで行きをつく間もないほどずっとずっといろんなことをしゃべって教えてくれました。
 まず教えてくれたのはエジプトの言葉です。ハッサンさんの鉄くりの「かんたんなエジプト言葉」の紙を渡してくれて「さあみんなでそろって…」「もっと大きな声で…」とアラビア語の練習をしました。アッサラームやシュクランの他にハビビという不思議な言葉がありました。ハビビとは「愛してる」という意味。いろいろなことをお願いするときにアラブの人に「ハビビ、ハッサン」「ハビビ、モハメット」というともうどんなことをしていてもとんできてあなたの用事をしませてくれるから、とても便利、使ってみてということでした。なんだかはずかしくて結局一度も使えなかったけれどツアーの一人のすごく明るい奥村さんはエジプトにいるあいだ、とてもスマートに「ハビビ、ハッサン」と何度も使っていて、この言葉が誰にでも効果があるかどうかは確かめられなかったけれど、少なくともハッサンさんはどんなときも「はい、どうしましたか?」とすごくうれしそうにお返事していました。
 その他には「ヤッラ」という言葉がありました。これは行きましょうという意味の言葉であとで昼食に街のレストランに行って、バスに乗るために外に出たとたん何人もの男の人にとりかこまれて「ヤッラ、ヤッラ。私の店高くない、安い。おしん来るね。ぼちぼちでんな」と変てこな日本語とアラビア語を混ぜて、自分のお店に「見るだけただ」と誘うときに使っていました。おしんはきっとエジプトでも放送されたことがあるのでしょう。たぶん日本の女性を指して使っているようでした。
 それからハッサンさんはお金の説明をしてくれました。お金を紙にはってある資料を手作りしてあってそれを見せてくれました。「使うときは必ず裏を確かめてください。紙幣は間違えやすいから…」「必ず裏を見てください」「裏を確かめてください」「裏をみてください」ハッサンさんはきっとわかりやすいようにだと思うのですが、大事なことは3回言うのに決めてあるみたいです。
「トイレに行ったときはトイレの掃除をしたり、紙を渡したりしてくれる人がいるから、50ピアスタ、25ピアスタ硬貨2枚をその人に渡してください。チップを払うことについて怒る日本人がいるけれど、日本とエジプトを比べないでください」「日本と比べないでください」エジプトは税金というものがあまりないそうです。それからチップをもらって生活をしている人たちがいて、荷物を運ぶポーターさんもトイレにいる人もそれを仕事にしているのです。仕事をすれば報酬をもらうのは当たり前のことだとハッサンさんは教えてくれました。ホテルのお部屋のまくらの下には必ず1ドル置いてほしい…それがその人の生きる糧だから…私たちは私たちの暮らしぶりや知っていることでいろんなことを判断してしまうけれど、やっぱりそれは間違いなんだなあと思いました。どこの国でも一生懸命生きている。だからよその国の人が出かけて、どんなことでもその国の人の暮らしぶりや風習を否定することはいけないんじゃないかと思いました。
 たくさんの人が住んでいる住宅街は街中が乾いた土の色をしていました。そしてぎゅっと圧縮されたみたいに、次から次へと建物がたっていて、小さな路地の裏にも家がいっぱいでした。家は3階建てだったり2階建てだったり、ときには4階建てだったりで不思議なことに屋上からはどれも鉄の棒が4方の角から上にむかって出ていました。古い家なのにみんなどれも建築中みたいに見えました。このことはずうっと不思議に思っていて、あとでバスの中で手をあげてハッサンさんに質問したらハッサンさんは「あなたはいい質問をしました。あなたは賢いです」と誉めてくれました。「エジプトでは子供は結婚しても一緒に住みます。離れ離れに住むことは恥ずかしいこと。それで結婚したら上へ上へ部屋を作っていくので、鉄の棒が出ていたり、屋根のない部屋があったりするのです。でも最近はちょっと変わってきました。エジプトではお義母さんがお嫁さんにとてもきびしいので離婚がとてもとても多いのです。だからそうならないように離れて住むようになってきました」東京で小学校の先生をしておられる奥泉さんという女の方が「まあ、日本ととても似ているわね」と言いました。私は旅行中奥泉さんのとても上品でそれからま思慮深いものいいがとても素敵だなあと何度も思いました。奥泉さんは小学校2年生の生徒さんと今一緒に勉強しているそうですが「まあ、そう…」「そうですのね」って私も生徒になって授業中に言われてみたいです。
 それにしても家はいくら鉄の棒が入っているとはいえ、レンガの家はすごくもろそうで、地震がきたらひとたまりもなくくずれて、あんなに密集して建てられた街は大変なことになってしまうように思いました。
 街には三菱のランサーやプジョーのまざってフォルクスワーゲンの7人のりのバスがたくさん走っていました。大谷さんは自分でも1966年型のバスをとても可愛がって毎日乗っているからその様子をとてもうれしそうに見ていました。日本では最近、バスの人気が出てきて、150万円〜200万円くらいするのだけど、そしてなかなか手に入らないのだけどエジプトではもしかしたら、もっと簡単に安く手にはいるのかもしれません。(エジプトで走っているのは大谷さんの前期型のバスではなく、比較的新しい後期型のバスが活躍していました)
 そんなふうに景色を見ていると、突然街の道路のすぐわきにピラミッドが見えてきました。さばくの真ん中にピラミッドやスフィンクスがたっているとなぜだかそう思い込んでいたので、街のすぐ向こうに見えるピラミッドは意外でした。でもライトアップされたピラミッドはとても美しく、空の暗いいろのなかに光がひろがっていて宇宙につながってたっているようだと感じました。
あホテルについたのはエジプトの時間でもう夜中の1時をすぎていました。日本時間ではもう朝の5時ころの計算になります。ウエルカムジュースというのを用意してくださってあって、それはマンゴーのジュースでした。飛行機の中でも出してくださるもの全部少しずつではあるけど食べたり飲んだりしていて、おなかがいっぱいなのかすいているのかわからなくなってしまいました。それにもうこんな真夜中、「けっこうです」と言えばいいようなものなのに、やっぱり手を出してしまうのでした。
 ホテルは広い土地の中に経っていて、ロビーやレストランや売店などが集まった建物のほかに、土地の中に2階建ての建物があちこちに分かれて建っていました。中には広いプールがあったりテラスがあったり、それから子供が遊ぶ公園があったり、次の朝お散歩してわかったのだけど小さな動物園まであって、きっとすぐに迷子になってしまうようなそれはそれは広い素敵なところでした。朝7時に朝食、8時にカイロ博物館に出発と言われていたので、朝5時くらいに起きて、6時くらいからお散歩をしようと決めていました。
 

 

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