ni ho n he


 帰りの飛行機は6時発ということで、ホテルを出たのは早朝の4時ごろでした。準備をしてロビーへ降りるとそこには関口さんが待っていてくださいました。そして外にはバスがもう待っていてくれていました。きっとキュリさんは3時間ほどしか家にいられなかったのだと思うと、それがキュリさんのお仕事で仕方がないことだとしても、朝が申し越し遅かったらよかったなあと申し訳なく思うのでした。
 お弁当とケニアのミネラルウォターを積み込んで、バスはホテルをあとにしました。まだあたりは真っ暗で、澄んだ空には大きな満月が輝いていました。
 カイロについたときに私たちが見た月は半月でした。8日間という時間は半月をちょうど満月に変える時間なんだなと思ったとき、時というのはとても不思議だと思いました。毎日なにげなくすぎてしまう8日間という長さが、エジプトとケニアではなんと長く、そして私にとって、大切な時間だったことでしょう。
 アフリカの満月がビルにかかっていっそう大きく見えました。いったい朝方の月がこんなにも大きく見えるものなのでしょうか?大都市のナイロビの街にいると草原がすぐ近くにあるなんて想像もできないようだけれど、草原ではライオンが、森ではヌーやしまうまが満月をみあげて、そろそろ朝の準備をしているころでしょうか?
 到着したときは気が付かなかったけれど、ケニア空港の入り口はこじんまりと小さい感じがしました。でも中はとても広かったです。いったいどういうふうにできていたのかなとちょっと不思議な気がします。
 入り口でとうとうキュリさんや他の運転手さんとお別れということになりました。みんな握手をしてお別れを言っていました。
 私は小林さんがきっとそういうふうにしてくださったからなのですけれど、ずうっと2号車に乗って旅をすることができたので、ずうっと2号車の運転手さんのキュリさんと一緒でした。
 キュリさんは私がへんてこな質問をしても、いつも振り向いてせいいっぱい答えてくれました。キュリさんの説明の英語がわからなくて,それからバスに乗っているだれもがやっぱりわからないときにキュリさんは無線でジュマさんに日本語では何と言えばいいの?と聞いてくれました。泥靴でバスに乗っても、バスに忘れ物をしても、いつもバスをきれいにしておいてくれて、小さな忘れ物でも「これは誰かのいるものでしょうか?」と聞いてくれました。私たちがどんなに無理なお願いをしてもやってみましょうとやさしく言ってくれました。それから私が失敗をするたびに「アクナマタタ」となぐさめてくれました。家族のことを愛していて、家族のお話をするときに,本当にうれしそうでした。
 アフリカに来て初めて出会った人なのに、こんなに私はキュリさんが好き。もし住んでいるところがもっと近くだったら、「キュリさん元気?」と時々お話したり、おうちに遊びに行きあったり…一生のお友達になってもらいたいくらいキュリさんが好きって思いました。だからお別れはとても悲しかったです。
 でも仕方がないことってありますものね。キュリさんはすぐ次の仕事へ行かれて、またいろいろな方と同じように出会われる…私は帰らなくてはいけないし、お別れしなくてはいけない…いろいろなことがこみ上げてきて、胸がつまってしかたがありませんでした。
「アサンテ」私はこれ以上できないくらい心をこめてお礼を言いました。涙がいっぱいあふれてきて、止まりませんでした。
 次は大谷さんの番でした。キュリさんと大谷さんはお互いに特別な別れだと感じているのが私にはよくわかりました。他の人とのときのように抱き合っていたわけではないけれどゆっくりお互いに近づいて、とても固い握手をしていました。
「アサンテ」「アイ プロミス」
「サンキュウ ベリー マッチ」交わした言葉も特別ではなかったけれど、二人はやっぱりもうすっかりお友達なんだなあと思いました。これからだってたとえ距離が離れていても、それから頻繁に交わす言葉はなくてもきっと二人はお友達なんだと思いました。
 アフリカに来る前、アフリカにお友達ができるなんて考えたこともなかったです。ケニア空港に降り立ったとき、なぜだかとっても怖かったのです。それはいったいどうしてなのでしょう?空港のものものしい感じが怖かったのか、もしかしたら肌の色が違うというだけで、お互いに分かり合えないのではないかなどと感じていたのでしょうか?
 私はどんな理由でも人をわけるなんておかしいと思っていたはずだったのです。いろいろな人がいて、でもとんな人だから分かり合えないということは決してないと思っていたはずだったのです。でもケニアの空港に降り立ったときの人を怖いという気持ちは,人を分けたり、分かり合えないだろうという私の思いこみに他ならなかったのかもしれません。
 本当にケニアにこれてよかったです。私はたくさんのお友達とケニアで出会えたように思うのです。お土産やさんで出会った女の人、腕輪をあげようかと言ってくれたボーイさん、ビンセントさん、マサイのおうちのお話をしてくれた人、そしてジュマさんとキュリさん。みんな素敵な大好きな人たちです。
「泣いてるの?キュリさんとのお別れが悲しくて、泣いてるの?」大谷さんが私の顔を見て言いました。こんなにいっぱい泣いてちょっと恥ずかしかったです。でも私は知っています。大谷さんもキュリさんも目をうるませて固い握手をしていたのをちゃんと見たのですもの。
 キュリさんたちのバスは、またサファリへのお客さんを迎えに行くために出発しました。
 中へ入ってすぐに私たちはパスポートと航空チケットを関口さんに渡しました。その二つを関口さんに渡したとき、とてもほっとしたのです。なぜって旅行前に、関空で旅行会社の人に「パスポートは絶対になくさないでください。それからこのチケットもなくさないでください。パスポートと同じクライ大事です。チケットをなくすと、すぐには帰れないし、チケットを新しく買うときに50万か100万円あっても買えないかもしれません」と言われていたのです。私はいつもぼおっとしているから、誰がなくさなくても私は亡くしてしまうんじゃないかと思って、そうしたらまたみんなにいっぱい心配をかけてしまうと不安でなりませんでした。
 関口さんが手続きから戻ってきました。
「カイロ行きの飛行機がとても遅れているようです。6時発だったのが、9時発になりました。けれど、カイロで待ち時間がたくさん取ってあるので、心配はいりません。中で、お土産やさんを見たりお弁当を食べたり、お茶を飲むなどして、時間をつぶしてください。私はここでお別れになります」
 堀さんや奥村さんが関口さんに日本の本やスカーフを渡しておられました。ケニアに住む日本人はたくさんボランティアに参加していて、関口さん自身も、日本のお客さんにもらった文房具などを渡しに学校へ行くと話していました。
 わけてもらったお弁当はとても大きな紙の箱に入っていました。中には小さい赤いりんご、オレンジ、パンが2つ、ハム、チーズ、ゆでたまご、バター,ジャムなどが入っていました。私は中にゆでたまごがあったのですごくうれしかったです。なぜってこれでケニアでずうっと気にしていた疑問がとけるかもしれないと思ったのです。それはケニアのオムレツはどうして白いかということです。
 白いオムレツは味も白身のようでした。でもコックさんもキュリさんも卵を割ってそのまま混ぜるのだと言っていました。だったらケニアの卵は黄身も白くて、味が淡白なのではないかと思っていたのです。
 どきどきしてゆで卵の皮をむいて、それから一口ぱくっと食べたら「びっくり!!」
なんとなんとケニアの卵の黄身の部分は白かったのです。ずっと不思議と思っていた謎がついにとけました。
「見て!白い」
「本当だ!!」
「でも横井さんも大谷さんももう卵食べてあるよ。黄身白かったでしょう?」
「気にしないで食べたから、わからなかった…」
 私がおもしろいと思ったのは、卵の黄身が白かったことはもちろんだけど、人の興味とか人のアンテナって本当にいろいろだってことでした。
 学校の子供たちの書いてくれる絵にはいつも気持ちが一杯つまっています。ある男の子の絵には地図にトイレばかりたくさん書いてあります。そこの建物のトイレがどんなトイレかということが彼の興味なのです。だからそのおうちのトイレが和式か洋式か男性用があるかすぐにわかる地図なのです。もう一人の男の子の人の顔はいろいろな色がついています。その人の雰囲気なのか、何かの色なのかまだわからないからすごく知りたいのです。その色が彼にとってすごく重要なことなのだと思います。私はオムレツはどうして白いか気になってしまう…でも大谷さんや横井さんや他の人はそのことはそれほど気にならない。でもきっと私が気にならないことがきっと気になっているのでしょう。それからあんまりいろいろなことが気にならない人もいるでしょう。人のアンテナはいろいろだから人の気持ちもいろいろ…子供たちと仲良くなるときに、そのアンテナが手立てになることもあるし、それから気持ちを分かり合える手立てになることもあります。すごくおもしろいなあと思いました。
 ケニアの空港で2時間をすごすことになりました。5番のところに8時半に集合ということになったのです。廊下の両側にはお土産やさんが並んでいました。それからところどころにベンチがあったり、飲み物のスタンドがあったりしました。
 喫茶店をさがしていた小林さんが「喫茶店はなかったわ。ベンチとかですごすしかなさそうだね」と帰ってこられました。
 少しあたりをぶらぶらしたあと、大谷さんが
「何か飲む?コーヒー?」と聞いてくれて、そしてスタンドへコーヒーを買いに行ってくれました。
「コーヒーを二つください」と大谷さんがコーヒースタンドの人に注文しました。でもお店の人は
「??」とわからない様子です。もう一回注文すると
「そんなものはないです」とお店の人が言いました。
「ないんだって」でも他のケニアのお客さんはそこでコーヒーを注文すると、コーヒーが出てくるのです。
「おかしいな。ちゃんとあるのにね」
「私、もう一回行って買ってくる」
お店に行って立っていたら、お店の人が「何がほしいの?」と尋ねてくれました。
なんてお話したらいいんだっけととまどっていたら、私の顔をじっと見て、
「ジス?オア ジス?」とお店の人が指をさしながら聞いてくれました。
私はほっとしてコーヒーサーバを指差して、
「ジス トゥー プリーズ」と言いました。
「オー コーヒー OK ミルク? シュガー?」
「ワン アンド ワン」まためちゃくちゃな英語だけど、お店の人はちゃんとわかってくださったから、私はコーヒーをふたつとお砂糖とミルクをもらって帰ってきました。
「なんかくやしいよね。こっちがちゃんと英語つかっていても通じないのに、あーとかうーとか言うだけでコーヒー持ってきちゃうんだもんな。いったいどうして?どうして通じるの?おかしいよね」大谷さん言いました。
「あーとかうーとかって言ってないもん」
「でも使ってる英語だって、すごい発音だよ」
そうなのです。わかってるの。でもみんな本当に優しい人ばかり。
「どうして私たち、ケニアの空港についたばかりのとき、あんなに誰もが怖く感じられて、こんなふうに自由に空港でお買い物をしたり、コーヒーを飲んだりなんてできそうにないくらいに思ったのかな?」とまたそう思って言いました。
「本当だね」
「地球人だよね」
「またわからないこと言い出した」
 私はみんなおんなじ地球人だから言葉の違いとか肌の色の違いとか、背が高いとか太ってるとかやせてるとかいろいろだけど、同じ仲間だからって言いたかったのです。いつも言葉がちょっと足りないのです。
 「うさぎさんも疲れちゃったみたいだね」
本当にアフリカ旅行でずっと一緒だったぴょんすけはフエルトの生地がすっかり毛羽立っておひげも元気がなくなったみたいでした。でも疲れて見えたのはきっとぴょんすけもいろんな人に頭をなぜてもらったり、一緒に動物を見たりしてうれしくて、旅のことを考えていたのでしょう。
 コーヒーを飲んでいると横井さんが通りかかりました。
「おみやげの袋がどれだけ増えてるか楽しみやね」
 並んでいるお店やさんに楽器やさんを見つけました。本当は楽器だけ売っていたわけではないんだけど、私は私の好きな楽器がたくさん並んでいたから勝手にそう思っちゃったのですが、お茶も並んでいたから、人によってはここはお茶やさんと呼ぶかもしれません。そこで前に買ったよりももっとていねいに作られている楽器が20ドルとか10ドルで売られていたので、そこでもまた楽器を一つとキリンの模様のでんでん太鼓をひとつ買いました。前の楽器だってとても素朴で、それから私にもなんとか作れそうな気がするところが好きなのです。そしてこっちはこっちで頑丈そうなところが気に入りました。
 それから本屋さんにも行きました。本屋さんには絵本やケニアの自然の本がたくさん並んでいました。そこではキュリさんが使いこんでいた動物辞典と同じ本「アフリカン ワイルドライフ」を見つけました。黒い表紙の帯はキリマンジャロが後ろに見えるアンボセリの草原にゾウが歩いている写真でできていました。これで、キュリさんみたいに大切に使いこむことはできないかもしれないけれど、でもときどき手にとって眺めてアフリカの動物のことを考えられるとうれしかったです。帰ってからわかったのだけど、中は全部英語で名前のところにはスワヒリ語の英語読みとかが書いてあるのですけれど、最後のページに「プリンテッド イン ジャパン」と書かれていました。日本で印刷されたんだってわかったときに、びっくりしたけれど、考えたら、日本では簡単には手に入らないし、それから得意な分野で日本が関わりあっているということなんだなあと思いました。
 廊下のところどころに募金箱がかけられていました。これはエジプトの空港にもあったのですが、子供たちがもっと豊かに暮らせるように募金をお願いしますと箱にはかかれてありました。それから資金を援助するあしながおじさんのようなシステムのパンフレットも置かれてありました。
 8時半にまた15人が集まったら、横井さんが言われた通り、みんなの手にはおみやげがたくさん増えていました。出国審査の時も、ケニアに来たときにあんなに緊張したのがうそみたいに心から「アサンテ」と言って、審査官に笑顔でバイバイとお話できて、とうとうケニアから旅立つ時がきました。
 飛行機では座席が真ん中だったから外の様子は見えなかったけれど、飛行機の中から動物たちにもそれからキュリさんにもジュマさんにもそしてケニアにも「アサンテ」(ありがとう)と心の中で手を振りました。いつかまたきっとケニアに来たい…キュリさんにもジュマさんにも可愛い子供たちにも、動物たちにも会いたい…きっと来たいという気持ちはやがてきっと来れるという思いに変わってきました。だって願えばなんだってきっとかなうと私いつも思うのですもの。
 来たときと同じように、ケニアから飛行機はカイロへ向いました。そしてそこで乗り換えて関空へ向うのです。もう関口さんもジュマさんもおられないので、私たちは手続きを小林さんに頼るばかりでした。こんなに遠い外国でどんなこともさっさとやってのける小林さんは何にもできない私から見るとまるで魔法使いみたいです。
 カイロ空港ではアラブの洋服を着た人がたくさん行き交っていました。同じアフリカ大陸にあるけれど、アラブとケニアは言葉も違うし 住んでいる人たちの風習や、肌の色や食べ物やいろいろなことがとても違っていました。私はそんなこともアフリカへ旅行に来るまで知らなかったのです。
「旅ってしなくちゃだめだよね」
「そうなの。本当にそう思う」あいこさんがうなづきました。
「知らないことがいろいろわかるということもあるけれど、日本にいたのじゃ気がつけない大切なことに気がつくことができる気がするのだもの」
 小林さんは手続きにいったままなかなか戻ってはこられませんでした。
 「小林さん遅いね。普通だったら何かあったのかなとか、そう思うのに、小林さんだから大丈夫って誰も不安じゃないよね」
「そうそう、お父さんだからね」
「うん、ぜんぜん誰も心配じゃないよね」本当に私たちは気楽な旅です。小林さんは何から何までどんなに大変だっただろうと思うのに
「帰ったら、お父さんすぐに仕事がはいってるから、私たちだけ家に帰るの。その次の週は中国にお父さん行くのよ」と聞いて、そんなに忙しいのに、少しもそんなことおっしゃらないし、いつもいつも面倒なことばかりかけてるなあとすごく反省させられました。
そうこうしているうちに小林さんが帰ってきました。
「重大な発表があります。なんだか飛行機がいっぱいらしくて、うれしいことにというか少し悲しいというか、チケットはもちろんそのままなんだけど、15人のうちファーストクラスが11人で、あと4人が普通の席ということになりました。うちの家族は事務局ということで、普通の席に座るけど、あと一人座ってもらわないといけないから、どうやってきめようかということなんだけど」
 私はもうこんなに楽しい旅だったから、もう十分。私は誰よりも一番迷惑かけてるのだから、ここでファーストクラスなんかに座ってゆったりと帰ったらだめだよ、小林さんやあいこさんたちこそ、ファーストクラスに座って帰ってもらわなきゃと思ったのです。でも何度そう言っても
「ファーストクラスなんて人生のうちでそうそう座れないんだよ。60回くらい海外へ行ってるけれど座ったのは2度くらいだけだから、経験しといたほうがいいよ」
「私たちはいつだったかやっぱり偶然に座ることができて経験してるの。だから山もっちゃん座ってて」と言うのです
「男の人でじゃんけんをして残りの一人を決めよう。レディファーストということにしよう」ということになってしまいました。じゃんけんをしたら一番からだが大きいのに横井さんがその席に座るということになりました。
「途中で誰かとかわるよ」と大谷さんが言いました。私もあいこさんか誰かと交替しようと思いました。
 ファーストクラスはやっぱり来るときに乗った座席とぜんぜん違っていました。すごく広くて椅子も座りごごちがよくて、もうほとんどベッドくらいまで背を倒せて、足ものばせて、びっくりしたのは一人一人にテレビゲームやビデオまで液晶の小さな画面が椅子に格納されてついているのです。こんなところに座ってたら、小林さんや横井さんに申し訳なさすぎるから、やっぱり変わろうと思って、後ろの席のあいこさんのところに行きました。
「すごいの、座れない…あんなにいいところ」でもあいこさんも愛美ちゃんも小林さんも横井さんも「いいの、いいの」と言うばかりです。
結局大谷さんが途中で横井さんと変わることになりました。だからそのときに私も誰かと交替しようと心の中で思いました。
 飛行機が飛び立つと窓から乾いたカイロの街が見えました。街も地面も同じような色をしていました。エジプトの乾燥はすすんでいるということを実感しました。
「また来れるかな。エジプトもいいけど、僕はケニアに来たいな」
「来たいと思ったらきっと来れるよね」何度も何度も同じことを私たちは繰り返し思って、口にしていました。15人がそれぞれみんな素晴らしい旅だったと思ったからだと思います。
 ファーストクラスの珍しい機械やボタンも一通りさわったら,本当に寝心地がよくていつのまにか眠っていました。スチュワーディスさんが食事の前にとてもりっぱなメニューをくばってくれました。そして運んでくださった食事もとても量が多かったです。メニューの絵はハスの花の絵でした。カイロ美術館のハスの花よりもっと濃い青い花びらでした。
 横にいた大谷さんが
「横井さんと替わって来るよ」と言いました。私も「横井さんと少しお話したらすぐに替わるね」と言いました。横井さんにどうしても聞きたいことがあったのです。それはノートとクレヨンのことでした。

 後ろに座っていた奥泉さんが「私、替わってこようと思うのだけど、どこあたりに座っていらっしゃった?」と横井さんに聞いていらっしゃいました。けれどまたすぐ戻ってこられました。「(小林さんたちが替わらなくて)いいっておっしゃるのよ」
奥泉さんのお話を聞いて、私は座ったままになってしまいました。
「横井さん、ノートとクレヨンのことをもっとくわしく教えてもらえますか?」
「最初からクレヨンのことやなんかを持っていこうと思ってたわけやなかったんやけど、小林さんが送ってくれはったパンフレットに4色ボールペンを持っていくと、おみやげを買うときの交渉に役立ちますって書いてあってな、あれを見て、そうや、アフリカの子供たちに文房具を持っていったらいいんや,去年のが会社にいっぱいあるからって思いついたんやわ」
「まだたくさんあるから、同じような目的で使えるようなことがあってたら、遠慮せんと知らせてな」
 それから横井さんはこんなことも言いました。
「僕がアフリカから帰ったら、みんなどうやった?といろんなことを聞くやろうけど、僕はな、宇宙があって地球があって、アフリカがあって、たくさんのフラミンゴが飛んでいた。そして僕がそこにいたんやということだけを言おうと思うんや。それが一番の僕の感じた思いやし、それでみんなわかってもらえるんやないかと思うから」
「僕はな、かっこいい男(ひと)になりたいんや」
 あともう少しで関空につきますというアナウンスが流れました。見えてきた日本は緑がいっぱいでした。空が青く、海も青く、そしてそれに木々の緑が映えて日本はなんて美しい国なんだろうとあらためて思いました。それは他の国と比べてということではなくて、それが日本が持つ美しさなんだと思いました。
 出てくる荷物を待ちながら、一緒に旅行した仲間ともここでお別れということになりました。杉本さんや菊地さんや藤尾さんとまたここでも写真をとりました。お別れがせつなかったです。でもきっとずっとお友達でいられるよねとそう言いながらお別れをしました。
奥村さんや堀さんご夫妻は私を抱きしめるようにして、さよならを言ってくださいました。
 碓井さんは飛行機の関係できちんとお別れがいえなかったけれど、横井さんや伊藤さんともお別れを言いいあって、旅って本当に不思議だなあと思いました。旅立つ前はぜんぜん知らないもの同士だったのに、旅が終わった今お別れがこんなにもせつないのですもの。
 小林さんご家族と大谷さんと一緒にまたはるかに乗りました。
「日本はエジプトより暑いみたいね」
「37度だって…」
私たちは京都駅でお別れしました。小林さんご家族は新幹線に、私たちは北陸本線にのりました。
 私は思い出すのもいやなのだけど、旅の最後にまたものすごい失敗をしました。小松駅にもう少しでつくころに大谷さんが
「車掌さんが来た後に、僕の切符あずけたよね」と言うのです。え?私の切符はスカートのポケットに入ってるけれど、でも入ってる切符、さっきちゃんとあるかなって触ったけど、はるかのと混ぜても二人分の6枚もないみたいだったから、ポケットのは自分のだけじゃないかなと思ったのです。
「ん?」
「持ってないの?どこかに入れなかった?かばんを探してみて…」大谷さんは自分のかばんやいろいろなポケットを探していました。
「とにかく降りようよ」小松についたので、降りて、大谷さんはずうっと捜しておられたけれど切符は出てこないのです。私もかばんからも出てきません。(かばんになんて入れてないから当たり前だよ)って私思っていたかもしれません。
「きっとあるよ。捨てるはずないから…」私は大谷さんをなぐさめようとそんなことも言いました。
「ちゃんともう一回見て、ポケットも見て」大谷さんが少し怒って私に言ったので、大変だ!!覚えがないけど、あるかもしれないからって思って、ポケットの中に手をいれました。もっと早く見ておくべきだったのに、ポケットをみたらポケットには切符が4枚入っていたのです。はるかの分は大谷さんが間違えないように他へよけて持っているように私に渡してくれてあって、それで残りのを私がポケットに入れたようでした。いつだったんだろう…本当に少しも覚えがないのです。
「あ…。ごめんなさい」
切符を差し出すと、大谷さんは小松駅の地下のところで、がくっと肩をおとして倒れこんでしまいました。あってほっとしたのと、あんまりあきれたからだと思います。
「大丈夫ですか?」女の人が心配そうに声をかけてくれました。
「あ、はい、大丈夫です」大谷さんのかわりに返事をして、
「ごめんなさい」と言うけど、大谷さんはもう一言も口をきかずに、黙って私と大谷さんのあわせて50キロくらいの重いスーツケースを持って上がって、それから入り口でタクシーを止めて私の荷物をのせて、行き先を言って帰ってしまいました。もう旅行中にあんなに迷惑をかけておきながら、もう口も聞けないほど、切符のことで心配をかけて、あきれさせたので、怒っていても当たり前ですよね。とてもいい旅行だったのに、最後にこんなことをしてしまってなんということでしょう。
「どこへ行って来られたのですか?」と聞いてくださるタクシーの運転手さんの言葉にもやっとお返事をしたくらいでした。
 すぐにあやまるために電話をしても大谷さんが出てこられなかったので、やっぱり怒ってるんだよね、当たり前だよねと思っていたら、そのあともう一度電話をしたときに
「シャワーを浴びていたんだ。切符のこと?もう本当にあきれてしまうね」と、でもも怒っていなくて、笑いながら言ってくれました。
 こんな旅のしめくくりは本当になさけなくて申し訳なかったです。
 
 日本はあたりまえだけど、かわらずそこにありました。コンビニも、街の景色も、私の部屋もかわらずそこにありました。その中に身を置くと、ついさっきまでアフリカに本当に私はいたのだろうかと信じれないような思いがしました。
 ふと足もとを見ると、ズッグの側面にに燃えるような赤い土がついたままになっていました。キュリさんが寄ってくれた雨のキンダーガーデンの赤い土でした。楽しかった旅は夢ではなかった…。
 明日からまたいつものように私の暮らしがここで繰り返されることでしょう。いつものように繰り返されるということは、ジュマさんやキュリさんや動物たちがかわらずにアフリカのそこにいて、あの素敵な笑顔で笑っているということの証明のような気が私にはしました。アフリカではかわらずにさわやかな風が吹き、太陽が出て動物たちが森から帰ってきているということだという気がしました。けれどその動物たちの毎日の営みがかわらずに続いていけるということがヒトにとってもとても大切なことなのだとまた考えたりもしたのでした。

 

ahurika he