da hu ni sa n to a ka tya n zo


 前には珍しかったアカシアの道も何時間も続くと単調に感じられ、そろそろ旅の疲れても出てきて、バスの中の人たちのほとんどが眠っていました。キュリさんと大谷さんは、もう何年来のお友達のように、眠りの中の人をさまたげないように、大谷さんが身を乗り出して助手席の方まで顔を出し、低い声で二人で話しこんでいました。
 キュリさんは、車を運転しながらテレビが見れたらと思っている、テレビを買いたいのだが、こちらにはそんなテレビをなかなか手にいれるとができないので、お金を送るからそれでテレビを買って送って欲しいというようなことを大谷さんに頼んでいるようでした。 
「ここへ来る前にドライアーを買うとき、海外対応って書いてあったのを選んだの。海外の電圧にドライアーの方で勝手にあわせてくれるようにできているのじゃないかって小林さんが教えてくれたのだけど、そんなふうにできているテレビ売ってるかな?もしあったとしてもすごく高いかもしれない」私は少し心配になりました。
「そうなんだけど、キュリさんがそれでもいい、こちらでなんとかするから大丈夫って言ってるんだ。キュリさんが思うものと値段がちゃんとあうか確かめて送ろうと思う」
キュリさんはご自分の住所を大谷さんに渡していました。大谷さんが「プロミス」きっと約束するよと言うとキュリさんは本当にうれしそうでした。二人がもうしっかりとお友達なのがとても素敵で、うらやましく思うほどでした。
 マサイダチョウが何羽も羽を揺らしながら踊るように前を横切っていきました。
 いつのまにかマサイの動物保護区をぬけて、ところどころにキクユの集落が見えました。また線路が見えました。
「線路はたくさん見たけれど、一度も電車が通るのを見ていたなのはどうして?電車の代わりに人が道のようにして歩いているけれど、もう電車は通っていないのですか?」
「いや、電車は夜遅くか朝とても早くしか通らない。ナイロビに行けば電車が見えるよ」少しずつ少しずつ旅をしている間にいくつかの不思議も解けていきました。
 来るときに寄ったガソリンスタンドにまた寄りました。また窓をたたく人がいます。きれいな腕輪をたくさんお盆に入れて売っていました。
「全部で10ドル」その女の人が言いました。
「ほしいのだけど買っていい?」今まであまり窓をあけないようにジュマさんやキュリさんに言われていたのです。
「いいけれど、質が悪いことがあるのです」キュリさんやジュマさんは私たちが少しも嫌な思いをしたりしないようにしてくれていたのでした。
窓を開けて10ドルを差し出すと、いくつも腕輪が入った袋をひとつくれました。腕輪は今までのお土産やさんにも少し売られていたけれど、赤や青や黄色の色とりどりのビーズの腕輪ばかりだったのです。でもその人が売っておられたビーズは茶色や黒や白の色でできたものや茶色の木の間に色ビーズを通した少し渋い感じのものでした。ほとんどお土産にも興味がないようだった大谷さんが珍しく
「ひとつちょうだい」と中でも一番地味な感じの腕輪を手にとって、それをつけていました。大谷さんの腕や顔はいつのまにかケニアの人に負けないくらい黒くなっていました。「腕輪がよく似合う色になったね」
「ん?」と笑った笑顔もどこかケニアの人のようだと私は思いました。
 きょうちくとうが美しく咲いているお土産やさんの前に車が入っていきました。そこは今までのどのお土産やさんよりも大きい感じがしました。
 お店の前にいくつもアフリカの楽器が並んでいて、すぐに飛んで見に行きました。皮で作った太鼓、毛皮のギター?皮の琴?名前はよくわからないけど、そんなふうなものとカリンバという楽器がありました。皮の太鼓はマウントケニアのロッジの鍵についていたもののもっと大きくしたものでした。
「いったい幾らくらいするのかなあ?」横にきてくれた大谷さんが
「聞いてあげるよ」と言うけれど、
「高くて買えないとお店屋さんもがっかりするから」
「大丈夫、これいくらですか?」すぐにそばに来てくれたお店やさんに聞いてくれました。「150ドルだって」
「一万5千円?私とても買えないから、残念だけどやめておく」
「でも本当はほしいんでしょう?もっと安くなるはずだから…」
私はやっぱり臆病で、なかなかお買い物ができないのです。大谷さんがお店屋さんからにこにこ出てきて「ギターと、太鼓とあわせて50ドルにしてくれるって…」いったいどんな魔法をつかったら、300ドルが50ドルになるのでしょうか?とてもうれしかったです。
「学校にも持っていって子供たちと一緒にこれで遊ぶよ」袋に入れてもらって、大事に壊れないように手でかかえるようにして、楽器は日本まで持って帰ってきました。
 お店の中にはたくさんの木でできたお面がかけてありました。ほとんどが黒い木で作られていて、いくつかはあざやかな色がつけられていました。マサイのお面は耳や首にビーズをつけていました。それからお面にはどれも大きな本物の歯がついていました。いったいなんの歯なのでしょう。とても人の歯とは思えません。とても大きいのです。3倍くらい…私はお面は買わなかったけれど、お面も好きなのです。表情のおもしろいものがとくに好きです。だからいつかバリ島に行ってみたいなと思っています。とにかくアフリカは手つくりのものがとてもたくさんありました。みんなのお買い物が終わった頃、まだあいこさんと愛美ちゃんが来ていないことに気がつきました。
「そろそろ二人を救出してこなくては…」二人は会社の方にビーズの腕輪や飾りをえらんでいたでした。小林さんが二人の元行くと急に話しがすすんだようで、3人でもどってきたのでした。
「海外へ行くと僕が全部やっちゃうもんだから、二人ともぜんぜん成長しなくて困るんだよね」と小林さんが言うと
「それにお母さんって山もっちゃんそっくりだよね。すぐに方向を間違えるし、ぼおっとしているし心配なんだよね」と愛美ちゃんも言いました。
「本当にね、もう極楽とんぼだから」とあいこさんは笑っていました。

 お土産を買って、しばらく行って、とても大きな建物の前に車が停まりました。南国の建物らしく茅や木やパピルスの枝やバナナの葉っぱから作られているそこはレストランでした。
 いったい何人の人が食事をここで取れるのか見当のつかないほど、中は広く、いくつもの場所に楽しく食事がとれるように階段やしきりで分かれていました。
 全員でひとつの大きなテーブルに座りました。
「珍しい動物たちの肉食べる人いる?」小林さんの声に今、可愛かったりきれいだったりする動物に会ってきたところだから、みんな少し迷っているようでした。
 でも私は食べたいと思いました。私たちがこのレストランで食べるから野生の動物が減るのじゃない、むしろ守るためにここの肉はあるのだと小林さんははっきりと教えてくれました。そして私は牛もヒツジも食べていて、でも野生の動物たちは可哀想というのはとても自分の気持ちの中でわりきれなかったし、あとからきっとどんな味だったのかなと思うに違いなかったし、だからって後からでは簡単には食べることができないから、だから今食べようと思ったのです。
 でもたぶん他の人も同じ気持ちだったようで、お腹がなおりかけだったり、もともとお肉があまり好きでない人や、ここのピザを食べたいという人以外は「食べます」と手を上げていました。
「お肉を食べない人が4人です」と小林さんが言うと
「ベジタリアンメニューか?」とボーイさんが言いました。
「ベジタリアンというわけではないんだけど、いいよね」
 ボーイさんがきて、システムを説明してくれました。
「どんどんお肉を持った人がきて、この肉はいるか?と聞くので、もらってください。もうどの肉もいらなくなったら、ここに置いてある旗を倒してください。それがもういらないという合図です。それから肉にはそれぞれにソースがあります。それをつけておいしく食べてください」
 レストランの目印の小さい旗がテーブルの真ん中にたててありました。それから10種類ほどのソースのお皿がのったお盆がきました。白かったり,赤かったり,緑だったりのソースはダチョウの肉用だったり、バッフアロー用だったり、ワニ用だったり、何でもいい用だったりしました。小林さんが一人で全部は覚えられないから一人がひとつ覚えるのにしようと
「あなたはこのソースがワニ用だって覚えてね」という具合に割り当てて覚えていたのだけど、そのうちにどれがどうだかわからなくなって、結局みんな自分の口にあうソースをどの肉にもつけて食べるということになりました。
 肉は大きな刀剣のようなものに突き刺さっていて、それをボーイさんが持ち歩いて、「ワニの肉はいりますか?」と一人ずつに聞いて回っていました。
 私はどの肉も食べてみたかったけれど、たくさんは食べられないからそのたびに
「すこしだけ」とか「ア,リトル」とか言うのだけれど、身体の大きなボーイさんは「OK,少し、ちょっぴりね」と言いながら、持っているナイフでごっそりと肉を下向きにはいで置いていってくれるのでした。
 私の舌にはどの肉も鶏肉に似ているように感じました。「これがシマウマの肉かあ」とか「ダチョウなんだ…」とか思ったけれど、やっぱりあまりよくわからなかったのです。ただワニの肉だけは少しくせのある匂いがしたように思いました。
 せっかくの動物たちの珍しい肉もこんな感想じゃもったいないのですけれど、どれも火であぶって焼いてある調理の仕方で、見た目も私には他とどう違うのかがわからなくて申し訳なかったです。
 もうみんな食べれないねというくらい肉やソーセージや野菜を食べて、「もういいよ」という印の旗をたおしました。
「山もっちゃん、この旗も持って帰る?」ビールのラベルやレシートやなんだって大事そうにかばんの中にしまいこんでいたので、たったひとつしかないようなものでも、みんな私にくれました。
「でも誰かほしい?」って聞いたけれど
「大人はそういうものはいらないんだよ」と他の人が言ってくれたので、私は安心して、うれしく旗をもらってきたのでした。
 「トイレではエジプトみたいにお金を払ってくるのかな?」お財布を持っていこうか迷って、みんなに聞きました。そういえば、ケニアに来て、トイレに誰かがいたという覚えがなかったのでした。けっきょく行ってみたら、このレストランにもそういう人はおられなかったし、ケニア空港にもおられなかったから、ケニアにはトイレでチップを払う習慣はないのかもしれません。
 私たちはことごとく、もうケニアとお別れだね、ジュマさんやキュリさんともお別れなんだね、さびしいねと一緒に写真を撮ったりしながら、お別れの心の準備をしていました。
 あいこさんも「私、ジュマさんと絶対写真をとってもらわなくちゃ」と言っていて、
「ジュマさんを捜して、レストランの入り口のところで写真を撮ろうね」と私にも声をかけてくれました。
 一人一人かわるがわるジュマさんと写真を撮ると、もう私は涙が出そうでした。ジュマさんが組んでくれた腕はとてもやさしかったです。
「ジュマさんと写真、うれしい」
「山元さんと写真をとったということもきっと覚えておきましょう」
そんなふうにして、それぞれが写真をとって、またバスに乗り込みました。
 この旅行には小林さんが出してくださった「みんな大好き」という私の講演録を見て、一緒に行こうかなと思ってくださった方もたくさんおられるのだけど、そのあとに行くことになっているダフニィさんに会いたいと思って参加された方もたくさんおられました。ダフニィさんは、密猟などで、親を失ってひとりぼっちになった動物たちを育てていて、前にも書いたけれど、ガイアシンフォニーのTに小象のエレナの育ての親ということで出演しておられた方なのでした。奥村さんや堀さんご夫妻は静岡で一番にガイアシンフォニーを上映されたのだそうで、その感激がとても大きかったから、今会えることが本当にうれしいのだと話していました。
 またナイロビの街に帰ってきました。
「今晩はおうちに帰られるのですね」
「そうです。家ではみんなが僕を待っています」キュリさんはまた声をたてて笑っていました。私も家のことを考えました。おみやげはそれで足りていたかな?と買ったおみやげを頭の中に思い出していました。
 駅の近くを通りました。たくさんのどっしりした列車がまだまだ動きそうになく、そこにいました。そう言えば、バスもほとんどみなかった…ナイロビではたくさんの車が走っているけれど、他はほとんどどこにも車がなく、たくさんの人が長い距離をいつも歩いていました。小さな町ではときどき自転車に乗った人を見かけました。マサイの洋服をきて、服をたくしあげるようにして、乗っている男の人もみかけましたが、それも数えるほどでした。
 でもナイロビは大都会です。
「ケニアほど貧富の差が激しいところはないだろうな」と前の日に横井さんが言っていたことを思いだしました。けれど、この国にいると、貧富の差って何なのだろうという気持ちがしました。あたりまえのことだけど幸せってそんなことじゃはかれないんだなあってなぜか急に思ったのです。たった何日かしかいないのに、それも隔てられたく空間にいて、貧しいことのつらさや悲しさもいっぱいあるだろうから、そのことにも少しも目がいっていないくせに、日本にいて、ものがこんなに豊富で、行こうと思えば、自由にというわけでもないにしろ、旅行にふらっと訪れた人がそんなこと考えるのもおかしいことかもしれないけど、ふとそう思ったのです。
 ナイロビナショナルパークはナイロビの西の外れにありました。キュリさんと小林さんは長い時間、パークの入り口で、警備員さんと話していました。
「どうしたのかな?何かあったのかな?」
もう約束の時間を少しすぎていました。けれどナイロビのはずれと言っても、入り口は街中にあり、そこらあたりの街の様子は今まであまり見ていないので、私にとってとても楽しいものでした。すらりと背の高い二人の青年が、おそらくは高校の制服のアイビーグレーのベストに、ボタンダウンのシャツを着て、話しながら歩いていました。その様子は映画の一シーンのようでした。
 バスからとてもおしゃれなふりふりのドレスを着た子供たちが降りてきました。ケニアみたいにいろいろなところに動物のたくさんいるところでもお休みの日はナショナルパークに来るんだなあ、ここは市民のナショナルパークなんだなあと思ったりしていました。
 「アー ユー タイアード?」ぼんやりしていた私をキュリさんが心配してくれました。
「アクナマタタ。アイ アム ウオッチング シーン オブ シティ」
 小林さんが入り口から顔を出しました。
「ダフニィさんと電話をするときもナショナルパークだったからてっきりここにいるのだと思っていたのに、ダフニィさんがいるところはここじゃないとわかりました。ここから少し行ったところだそうで、ナショナルパークを通ると近道だそうだから通っていきます」
 私たちは5つ目のナショナルパークに入っていきました。
「ほらみて、雄のダチョウがダンスをしています」キュリさんがバスをダチョウの群がよくみえるところに停めました。
雄のダチョウは羽を大きくひろげて大またに歩きながら、群の前でまわっていました。一羽の雌ダチョウが出てきて、雄から逃げていきました。
「ふられちゃったんだね,可哀想に」奥村さんもすっかり体調がもどったようでようです。
「まだふられたわけではないです。今からまた踊りが始まりますから…」
 私たちは先をいそいでいたので、車は動き出しました。後ろ髪をひかれる思いがしたけれど、いつかまたアフリカにこれることがあったら、ゆっくりとダンスを見たり、ライオンのお昼寝につきあったりしてみたいものだと思います。
 屋根と窓の隙間から外をのぞいていたら、帽子が風にとばされてしまいました。
「キュリさん、取りに行っていい?」ほんのすぐそこに落ちたから、私は車をちょっと降りて取りに行けるものだと思っていたのです。
「ちょっと待って」キュリさんはバスをバックさせ、降りることはせずに運転席から少し隙間をあけて帽子を拾ってくれました。
「やっぱり危険なんだね。どこにもライオンやヒョウなどいないように思うけど、気をつけなくちゃいけないだね」そう言ってくださったのはどなただったでしょう。本当にうっかりして、忘れてしまっていましたが、ロッジもマサイの家もみんな頑丈な塀やとげや電気で守られていたのでした。
 いそいでパークを横切って、私たちは動物保護センターに到着しました。そこにはいくつかの小さな建物があって、銀髪のおだやかな表情の女の人がにこやかに私たちを迎えてくれました。その人がダフニィさんでした。
 私たちよりも前にすでに着いていた小林さんが
「彼女がダフニィさんです」と紹介してくれて、みんなてんでに挨拶をしました。奥村さんと堀さんはやはり特別の思いを持っていたから、目に涙をうかべて、握手をしたり、抱きしめたりしていました。
 「この奥に、小象がいるから会いに行こう」
 建物のすぐ裏が林でした。道に落ちているウンチの上にふんころがし(スカラベ)の死骸がくっついていました。エジプトで何度も見たスカラベの絵のこれが本物なのかと思って見ていると、また大谷さんが
「持って帰れないよ」と私がまだ持って帰るとも帰らないとも何も言ってないのに私を追い越しざまに言うのです。でも本当は持って帰って子供たちにエジプトのガルトーシュの絵と一緒に、これがスカラベだよと見せたかったのです。大谷さんに心をみすかされてしまって、恥ずかしくて、残念だったけどあきらめました。
 小象がいました。3頭…とても小さいまだ赤ちゃん象です。お世話をされている男の人3人と一緒でした。
 そばに行くと中でも一番小さい象が、すっと近寄ってきて、長い鼻で私の身体をさわりました。スカートのすそをまくってみたり、腕をさわってみたり、髪の毛や顔をさわっていました。赤ちゃん象は私のことを仲良くなってもいい人なのかなと調べてくれているようでした。
 目が見えなくてお耳が聞こえない子供さんと初めて出会ったときのことを思い出しました。彼は私のにおいをかぎ、私のほおや目や手や足や肩にさわりました。私は彼に「どうぞ、私のことを見て…私の心を感じて…」と心から願って彼の前にいました。やがて彼は私の手をとって、そばにいることを許してくれました。
 私はまたナウシカのことも思いました。たたかいの中、巨大なオームがナウシカとであったとき、ナウシカは船の上で、手をひろげ目をつぶって、立っていました。オームは触覚や前足を使って、きっとナウシカが私たちは敵ではない、仲良くなりたいのだと思っている心を感じたのだと思います。ナウシカを殺すことをせずに、立ち去っていったのです。
 そして赤ちゃん象も、私の心を調べてくれていたのだと私は思いました。鼻で調べる行動は、私たちが最初に出会ったときだけにした行動です。そのあとは一緒にいるのを許してくれていたから…
 私たち動物はこんなふうにして、心を読み取る力があるのだと私は子供たちといて、いつも思うのです。
 赤ちゃん象は私のスカートが気にいったようでした。スカートの下から鼻をいれて何かをさがしていました。世話係の人にしかられていたけれど、でもそのことにどういう意味があるのかがわかったのはもっとあとでした。
 赤ちゃん象は世話をしてくれている人にとても心を許していて、「こら」と叱られると下を向いて鼻をすりよせ甘えて見せるのでした。お世話をする人も赤ちゃん象が可愛くて仕方がないと言った感じで、赤ちゃん象の一挙一動をあたたかく優しい目で見つめていました。お母さんお父さん象を失ってしまったけれど、ああここにこれて本当によかったねと心から思いました。
 赤ちゃん象とお別れして、私たちはまたダフニィさんがおられる建物へ戻りました。途中、林の中からイボイノシシが目の前を横切っていきました。
 ダフニィさんは赤ちゃんの赤ちゃんサイに哺乳ビンでミルクを上げていました。とっても大きな哺乳ビンからミルクをもらいながら、赤ちゃんサイはダフニィさんに甘えていました。ただ食事をとらせればいいのではもちろんなく、ここでは心のケアも行なれて、お母さんとできるだけ同じように愛情をかけて育てているのでした。
 隣の飼育小屋には赤ちゃん象がいました。赤ちゃん象はものほしにかけられた大きな布の下から出された哺乳ビンに吸い付いていました。
「あの布はお母さんの身体なんや。ああしないと象たちはミルクをのまないそうやよ。赤ちゃんが安心できないんやね」気がつくと横井さんがそばにいました。赤ちゃんゾウが私のスカートのすそが気にいったみたいに、中へ何度も鼻をいれていたのはそういう理由があったのですね。
「保護条約で最近、象牙が国外へ少し輸出されることがOKになったそうや。そやけど、どこの国も象を守るために象牙は買ってないんやそうやけど、日本だけは買ってるんやて。日本人は判こをどうしても象牙でつくりたいとか言うんやろうな」
 判こがプラスチック製で済んでいたら、この赤ちゃんゾウはお母さんと一緒にいられたのかもしれないと思ったらとてもせつなかったです。私もワニの皮のかばんを持っています。なんにも考えずにそれを持っています。牛ならいいのか?ブタなら食べてもいいのか?そしてお母さんのいない子供ができてもいいのか…そんなふうに考えたら私もわからない…けれど目の前の赤ちゃんゾウさんの姿を見たら、やっぱりつらくなりました。
 ダフニィさんのところではTシャツやはがきやバナナの皮で作った動物などが売られていました。
「ここでお買い物をすると、それがゾウさんのミルク代になります」と小林さんの声で、みんな少しずつ何か買いました。
 私たち人間は「ヒト」という種としてどういうふうに地球の中で生きていったらいいのだろうとまた思いました。

 

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