ma sa i no mu ra


  日の出の前に朝のサファリに出発することになっていました。4時に起きて、少し厚着をして外に出ました。朝夕の天井を上げたサファリは冷えると小林さんに聞いていたのです。
 時間には少し早かったけれど、バスが停まっているところへいくと、キュリさんがもうそこにいました。
「もう渡しちゃおうかな…」大谷さんの絵は写真みたいにびっくりするほどそっくりでした。
「すごい、大喜びだね。きっと」
「喜んでくれるかな?あまり似てないんだ」もうこんなに似てるのに…
 私も何かキュリさんにお礼をしたいと思いました。へんてこな英語を一生懸命わかろうとしてくださって、私がキュリさんの英語がわからないときは無線でジュマさんにその単語を聞いてくれていたり、それでもわからないときは「あとでもう一回ちゃんと聞いて説明します」といってくれたキュリさん。どうしてこんなに優しいのでしょう。
そうだ!!私、いいもの持ってる!日本からスケッチに色をつけるかもしれないと思って持ってきた36色のサインペンと4色のボールペン。私も大谷さんを通してキュリさんの子供さんへ渡してもらおうと思いました。
「グッドモーニング、僕たちからプレゼントがあるよ」大谷さんは照れているのか少し下を向き加減に描いた絵と写真と文房具をキュリさんに渡しました。キュリさんはとても驚いていたようでした。それからさっと大谷さんの手を握り、目を見ながら「サンキュウ。サンキュウ」とお礼を言っていました。ちょうどそこへジュマさんが来ました。
「ビューティフル、ビューティフル。ぜんぜん知りませんでした。大谷さんがそんなふうなことまでできるなんて」キュリさんは大谷さんがその場を離れたあとも、スケッチをうれしそうに眺めていました。鉛筆だけで一晩で写真に見えるような絵を二枚も描いてしまうなんて本当にすごいです。

「朝は肉食動物が狩をするのが見れると思います」今朝はジュマさんが一緒でした。
そして元気になられた堀さんと奥村さん、それから堀さんのご主人が今日は一緒の2号車です。
 薄暗い中を車はまた列をつくって砂埃をあげながらいろいろなところへ散っていきました。ガタガタと身体を揺らしながら走る4輪駆動のバスの中でも私たちはだんだんと立っていられる方法を覚えてきました。
 こんなに薄暗くても、こんなに広くて同じように見える景色でも、こんなに道がいろいろ分かれていても、キュリさんはこの道を全部頭に入れて、ライオンがいそうなところ、キリンがいそうなところへ目星をつけてつれていってくれているのでしょうか?
 「キュリさん、こんなに広くてみんなおんなじようなのに、キュリさんには道がわかるの?」
「アハハハ、この辺は目をつぶっていて自由自在に行けるよ」
私たちは前の日の夕方、ずっと会いたくて会えた動物たちの草原へまたやってこれたのでした。
 そしてまた動物たちも森から帰ってきていました。深い森の向こうからお日様がゆっくりゆっくりあがってきました。お日様を背にヌーの黒い影がいくつもいくつも見えました。
 たくさんのカメラマンがシャッターを切りました。大砲のようなレンズを抱えたカメラマンを乗せたジープが前を走っていきました。
「写真家かしらね」
ケニアの草原も動物たちも、どんなに有名なカメラマンであろうと観光客であろうと平等にいい写真をとるチャンスを与えてくれるのでした。
 まだ外は冷たい風が吹いていました。けれどお日様が上がってきたとたん、こんなにも急に空気があたたかくなるのは驚くばかりでした。
「今日はまだライオンのやつ 狩をしないのかなあ」
ジュマさんの日本語はいったいどうやってジュマさんのものになったのでしょう。「しないのかと思います」「しないのですかね」そういう言い方ではなくて、「しないのかなあ」と遠くを見つめているジュマさんも、昨日アンボセリへ来る前に寄ってきたキンダーガーデンと同じようなところで最初に文字を覚えたのだそうです。ジュマさんのまっすぐな目はきっとそのときのままなのではないでしょうか?相手の感情や揺れにすぐに気がつくことができるジュマさんだからこそこんなふうにどこの学校でも教わらないのじゃないかと思う自然な日本語を自分のものにしているのではないかと思いました。
 とうとうライオンが現われました。無線が入ってキュリさんが急いでその場所に向ったとき、一度散った車がまたみんなそこへ集まってきていました。
「すごい数の車だね。やっぱりライオンの人気はすごいわ」振りかえると奥村さんが日差しを避けるために帽子にサングラスにチーフをつけていました。
「もう狩を終えて食事をとっているようですね」
 雄ライオンはあらかた食事を終えたようで、周りにいるハイエナを少し追い払うようなそぶりをしながらその場を離れました。
「雌のライオンと子供が2頭います」よく見ると長い茶色の草の中に三角の耳がいくつか見えました。雄ライオンと交代するように、雌ライオンがかわって肉の近くに行くちょっとの間に、ハイエナが一つ肉片をくわえて走り出しました。ハイエナにも仲間がいるなと思っていたけれど、肉をくわえたとたん何頭ものハイエナがなんとか肉を奪おうと争いを始めました。
「何が餌食になったのだと思いますか?」
「たぶんヌーですね」ジュマさんが言い、キュリさんもまた「ヌーです」とうなずいていました。
「ほとんどの場合父親のライオンは狩をしません。母親が子供たちのためにがんばって狩をするのです。父ライオンは獲物の肉が少ないと、子供にわけることすらしないですしね」
「ライオンはこのナショナルパークにいったい何頭くらいいてるの?」前日に横井さんがキュリさんに聞いていたことを思い出しました。
「30頭くらいです」
「個体識別はできてるの? 番号がついているとか名前があるとか」
「そうです、ライオンですから…」
キュリさんがどうしてライオンですからと言ったのかわかる気がしました。周り中を車に取り囲まれていても、まるで車など意識には入っていないのだというふうに、ライオンは振舞っていました。ただ道路を横断するときに、にらむようにして、私たちの車を一瞥しただけでした。その様子はやっぱり王様なのだと思いました。そしてライオンはゾウと同じくケニアの人にとっても特別なのだろうと感じました。
 それにしてもこんなに広いサファリパークに30頭というのはあまりにも少ない数字ではないのでしょうか?それとも食物連鎖の調和が保たれるのにはちょうどいい数字なのでしょうか?
 私はついに小さい頃から会いたかったライオンに会えているのに、日曜日に"野生の王国"と"兼高かおるの世界の旅"はふたつ続けて放送されていたんだよね…今,私はその両方を体験してるんだよねと妙な感慨に浸っていたのでした。
 父や母につれていってもらったヘルスセンターのライオンはどこで生まれたライオンだったのでしょう。もしこんなにも広く自由で、美しいサバンナに生まれていたのだったら、たとえ狩に失敗して8日も10日も一カケの肉も口にできない日がある生活だったとしても、ライオンは毎日動物園で肉をもらいながらも、サバンナのことを忘れられず考えていたのでしょうか?自分の身をなげいていたのでしょうか?
 「さあ行きましょうか?」ジュマさんの言葉で私はこれ以上ない夢から今さめたような気持ちがしました。サバンナを後にしなければならない…もっともっとここにいたかった、日がな一日ここにいて、ライオンがずっと眠っていたとしても、それを感じながらここにいたかったと思いました。
 ロッジに帰って荷物の整理をして、ナイバシャでひろったキリンに似た木を眺めていたら、ドアの前で荷物を運ぶために待っていてくれたポーターさんが
「ホワット ジス?」と言いました。
「アイ スインク イト ライク ア ジラフ」
「オー イエス」
 ポーターさんは木をくるくる回して眺め、キリンの鳴き声で一声鳴いてくれました。キリンは鳴くのだろうか?けれど私の頭の中には泣くはクライだけど鳴くは??何だろうと単語が思いつかなかったのです。
 アンボセリロッジでの最後の食事になりました。レストランに行くとマサイダンスのジャンプを一緒に飛んでくれたボーイさんが
「グッドモーニング」と声をかけてくれました。
「夕べのマサイダンスを見たのか?」
「イエス、イッツ ファイン。ディド ユウ ダンス イエスタデイ?」
「イエス」
彼の腕を見ると、その腕輪が昨日みたものと違っていました。「彼女が作った腕輪」はいくつもあるのかもしれません。
「昨日のと違うね」私が言うと,彼は
「この腕輪が欲しいのか?あげようか?」とじっと私を見て言ってくれました。
でも私はこんな大事なものはもらえないです。
「大丈夫、お店で買うから」
「私はあなたにあげようと思ったんだよ」
小林さんが「あげるって言ってるよ」って言いました。
「でも大事なものだから」
「山もっちゃんには誰もかなわないよ」
小林さんが言ってくださったのはたぶん、みんな親切にしてくれるよ、仲良くしてくれるよって言ってくださったのだと思います。
 その時、腕輪をもらわなかったけれど、私はあのときやっぱりありがとうってもらっておけばよかったかもしれないと今になって悔やんでいます。「あげようと思ったのに」って言ったとき彼はなんだか悲しそうだった…私が何か誤解をしたのだと思ったのかもしれない…たとえば彼がそれを売りつけようとしたと私が思ったのではないかと…
 時がたって、急に心配をして少し悲しくなっています。
 コーヒーや紅茶がおいてあるロビーへ行くと、一人の男の人に声をかけられました。
「これを見たか?」と言うのです。
それは毛皮でできたアフリカの大きな地図でした。
「僕らはここにいるんだよ」
毛皮の前にはするどい槍が二つ飾られていました。
「これは?」
「これはマサイの槍だよ。素晴らしいだろう?」
うなずくと彼もうれしそうでした。「アイム マサイ」
「アイ ライク ケニア。アイ ライク マサイ」
「オー アサンテ」
「アサンテ」
  こんなふう英語でお話をしあえるようになるなんて思ってもみませんでした。最初は通訳をしてもらうばかりでした。そのあとは「ハーワーユー」と言われてもなかなか言葉が出ないで相手がどこかへ行ってしまってから、もう口に出した「アイム ファイン サンキュウ」の言葉のやり場がなくて、そばにいた大谷さんの顔を見て言ってしまったら、「僕に返事をしてどうするんだよ、彼に返事しなくちゃ」って笑われていたのです。それからなぜだか愛美ちゃんやあいこさんにありがとうというときに「サンキュウ」って言ったり夜「シー ユー」ってあいさつで英語を使うから、「日本人にだけ英語しゃべってるよ」って自分でも気がついて,本当におかしかったのに、今こうしてわかりあえるなんてすごくうれしいです。もっともっといろんなことを話したい、話したくてしかたがないと私はその時に思いました。
 そう言えば、私たちはたくさんの人に出会えたし、触れ合えたけれど、でも私たちが振れることができたのは、きっとほんの一部で、しかも表面のところだけで、本当のケニアには少しも触れなかったのではないのかな?とそのときに急にそのことがほんの少しだけど残念に思えました。旅行者だけが泊まるホテルやロッジに泊まり、そこから一歩も外へ出ることがなくて、あとはずっとバスに乗っていて、やさしいキュリさんやジュマさんがずっと私たちが少しも嫌な思いや悲しい思いをすることがないように守ってくれていました。いいえ、どうぞ誤解しないでください。私はこんなに素敵なこれ以上はとても望めないというような素敵な旅行をしたと心から思っているのです。けれど私はこんなに知りたがりやなのです。みんなはどんな生活をしているのかしら?どんな風習があるのかしら?街へ行けば「いったいこれは何?何に使うもの?」と私が興味津々になる不思議なものがいっぱいころがってるに違いないのです。そんなたくさんのものや人々にもっと触れ合いたかったなあと勝手なことを思っただけなのです。
 今日はナイロビへ帰るだけ…もしかしたら明るいうちにナイロビへついて、自由な時間がいっぱいあるのかもしれない…ジュマさんかキュリさんが近くのコンビニにでも行くようなことがあったら、ちょっとだけ連れていってもらうことはできないかしら?私はそんなわがままなことを考えました。大谷さんに話すと「頼んでみたら?」と言ってくれました。けれどやっぱりわがまますぎる気がして、私はなかなかそのことを言い出しかねていました。大谷さんが何度も「頼んだの?」「聞いてみたの?」と尋ねてくれました。でも「まだなの」「無理かもしれないから…」「私のわがままだから…」と返事をしていたのでした。
 出発前に中庭でみんなで写真を撮っていたときでした。ヌーとコヤギを連れた人が通りかかりました。ヌーもコヤギもその人ととても仲良しで、他の人がそばへ行こうとするとぱっとどいてしまうのに、その人の手をなめたり、他の人が近づくと、その人の後ろに隠れたりしていました。
 私はまた子供のヤギと仲良くなりたくて、ヤギがこわくないくらいの距離に座って、(仲良くなりたいの。怖くないよ。ね、仲良くなろう)って心でお話をしていました。
 でもとてもヤギはとても怯えていました。みんなしてなでようとしたり、触ろうとしたりしていたから…
「山もっちゃん、疲れたなら椅子に座ったらいいよ」と碓井さんが声をかけてくれました。
「違うの、仲良くなりちゅうなの」
また座って、じっとお顔を見ていたら、ヤギもじっと私を見てくれました。顔をかたげて笑ったら、コヤギが少しずつ私のほうへ来て、手をなめてくれたのです。
「やったー!!」
でもそれで時間になってしまいました。「山もっちゃん行くよ!!」
ああ、残念。時間というものはときに残酷できびしいよ…ヤギにバイバイと挨拶をしてそこを離れました。
 「今日はナイロビへ行きますが、その前にマサイの集落へ行くことができますがどうしますか?行きたいですか?」みんなはせっかく来たのだから行きたいと言いました。
「それなら、マサイの集落へ寄って、ナイロビへ戻ります。途中に動物たちの肉を食べさせてくれるレストランで昼食をとります。そこはシマウマやキリンやワニなどの肉を食べさせてくれるのですが、可愛そうで食べられないという人は牛とかブタとかの肉もあります。そこは密猟でとった動物たちではなくて、どうしても数の制限をしなければならずに捕らえられた動物たち肉なのです。そのあとナイロビナショナルパークのダフニィさんに会いに行きます。ダフニィさんとは4時に約束をしました。それでナイロビのお土産やさんに寄ると後もどりになるので、違うお土産やさんに寄ります。それからホテルへ行って、食事の前にナイロビの人が日用品や何かを買い物するスーパーに寄って、そのままレストランへ行きます」小林さんの話しを聞いてびっくりしました。大谷さんがジュマさんか小林さんに話しをしてくれたに違いないのです。ほんのちょっとだけ…もし時間があったら…明るいうちだったらあまりナイロビもそれほど危険じゃないかもしれないから…そんなふうに簡単に思っていたのに、コースまで変えてもらって、私はなんてわがままなのでしょうか?
「ごめんなさい。スーパーのこと」
「いいよ。山もっちゃんのしたいことは何でもオールマィティだから…」
小林さんはなんということを言ってくださるのでしょうか?だめだめ…ごめんなさい。私は自分のわがままさが悲しくなりました。
「いや、みんなが買っているような所へ行くのもきっとおもしろいから…大丈夫」
でもその時はジュマさんやキュリさんがそこへ連れていってくださることで、どんなに大変な思いをされるかということに少しも気がつかずにいたのでした。
 ナイロビへ行くにはまた長い道のりを戻らなければなりません。私たちはアンボセリナショナルパークを出て、マサイ動物保護区へ入ってきました。マサイの部落はそれほどは遠くありませんでした。
「遠くに見えてきたのがマサイの集落です。ああ、少し離れたところにあるのが子供たちの学校です」
 マサイの集落は何軒もの家が円を描くように並んでできていました。バスを降りたとたん無数のハエが私たちを包みました。
 村長さんでしょうか?恰幅のいい男の人が英語で私たちを迎えてくれました。
「20ドルを払ったら、中へ入ることができます。マサイの人たちがまず歓迎のダンスを踊ってくれるそうです」ジュマさんの説明が終わるか終わらないうちに美しいビーズを幾重にも腕や首や足に飾った若い男の人が何人も一列にならびました。そして夕べロッジで見たマサイダンスを踊り始めました。夜のダンスも美しかったけれど、昼のダンスは表情や動きがよく見えてまたとても美しいのです。黒く光った腕にビーズがとてもよく映えていました。それにしてもなんと素晴らしい跳躍力でしょうか?まるでガゼルのジャンプのようです。夕べボーイさんが空高く飛ばしてくれたことをまた思い出しました。
 「ようこそ、みなさん。ではまず家の外から説明します。集落の周りにはアカシアの枝で作った垣根があります。これを作るのは男たちの仕事です。動物たちから集落を守るためのものです。さあ、中に入ってください」
 集落はアカシアの枝でつくった垣根にぐるりと囲まれていて、入り口はひとつだけでした。私たちはそこを通って中へ入りました。
 「家を作るのは女たちの仕事です。牛の糞と土をまぜて作ります」
不思議なことに、牛の糞で家が作ってあるということなのに、私にはにおいが鼻につくということがありませんでした。乾燥した空気が、においを空高くとばしてしいるのかもしれません。
 小さな子供たちがおそるおそる家から半分だけ顔を出してわたしたちを見ていました。
 「家の中の説明をしてくれるそうだから何人かずつ中へ入ってください」
家の中は4畳ほどの大きさだったでしょうか?とても小さいけれど、とても居心地がよさそうでした。土で作られたつくりつけのベッドというかソファには皮が敷いてありました。真ん中にはかまどがあり、火が入っていて部屋中をあたためていました。気がつけば家の中にハエがまったくいないのはその火のおかげなのかもしれません。
「ここでものを煮炊きします」部屋の外側には人がやっと通れるような小さな通路がありました。
「ここでやぎを飼っています」
 私たちは勧められて牛の皮のベッドやかまどの周りの切り株のようなものの上に腰をおろしました。
「山もっちゃん、何でも質問したらいいよ」小林さんが言ってくださって、この家のマサイの人がうなづいてくれたので、私はすぐに浮かんでいた不思議なことをいっぱい質問しました。
「昨日ろばでお引越ししておられるのを見かけたのですが、ろばの背中にはあまり荷物が乗ってなかったです。この家のどれを運ぶのですか?」
「スキン(牛の皮)だけを運びます」
人は本当はなんと少ない持ち物でこんなに心豊かに生きていくことができるものなのだと驚くばかりです。私たちはあまりにたくさんのものを持ちすぎていて、自由に動くことができなくなっているのだなあと思いました。
「でもウンチってすぐにそんなにないでしょう?どうするの?」
「ウンチはすぐにたまらないから、家は3週間ほどかけて作ります。ほらこの壁はまだウエッティ(湿ってるよ)」
「とても美しいビーズもマサイの人が作っておられるのですか?」
「これはタンザニアで作っているのです。私たちは牛とこのビーズを交換するのです」
まだまだ聞きたいことがいっぱいありました。
「頭がとてもきれいに刈られているでしょう?どうやって散髪するのですか?」
小林さんは「んー、山もっちゃんの聞きたいことを訳するのはすごくむつかしいね」と笑いながらも一生懸命聞いてくれました。
「はさみ?ノー。かみそりも使わない。ナイフを使うんだよ」腰に下げてあるナイフをと
ても鋭そうでした。
「農耕をしないそうだけれど、野菜はどうするのですか?」
「マサイは肉と血とミルクだけを食べます。」
それからこんなお話もお聞きしました。
「奥さんをもらうためにはライオンを一頭たおさなければいけない。二人目の奥さんと結婚するときにはもう一頭ライオンをたおさなければならない」
驚くことがたくさんありました。
「さあ、そろそろ外にでよう」私一人が質問の時間をとってしまうことになったので、申し訳がなかったです
「他の人の時間がなくなってしまったのではないでしょうか」
「みんなそんなに聞きたいことが自分でもわからないから大丈夫やよ」と横井さんが気にするなよと手を横に振ってくれました。
 「いやあ、山もっちゃんと一緒にいるにはもっと英語が上手にならないといけないなあ」小林さんが言うと
「どんな質問ですか?」と聞いてくれました?
「髪の毛は何で切るのかと思って…」
「そうだよね。爪だってどうやるんだろ」奥村さんがいいました。
ジュマさんは「爪もナイフでします。僕もちょっとだけできます」ジュマさんはマサイの人から腰のナイフを借りて、実際に爪をまるでりんごをむくときみたいな手つきで、切り取るのをみせてくれました。よく手入れされたナイフはさも切れそうに光っていました。そしてそのとおりにすーとすべるように爪が切り取られました。こんなときはいつもみんなそろって「ほー」とか「はー」とか言います。でもそれが本当の気持ちです。ジュマさんがとても上手なのとナイフでこんなことまでできるのかという驚きだったのだと思います。
 ナイフは髪をそり、爪を切り、調理をし、それから動物の皮をはぐのにも使うのでしょう。用途にあわせてたくさんの道具があるわけではないけれど、だからこそ、とても大切に手入れをしているのに違いありません。
 マサイの人たちは生きていくのに本当に大切なものだけを残して生活しているのです。なんともいさぎのよい、かっこうのよい生き方だと私は感じました。
 小さな真っ黒のひとみをもつ男の子が、お父さんの手をぎゅっと握り、にっこり笑っていました。幸せというものが何なのか、本当に大事なものはなんなのか、私たちは本当に大事なものを大切にすることを忘れてはいないか…マサイの集落で感じたことでした。

ahurika he