a n bo se ri no do u bu tu ta ti


 アンボセリのナショナルパークの入り口に着きました。ジュマさんやキュリさんが手続きをしていると窓をとんとんたたくマサイの人がいました。お盆に木彫りの動物やきれいなビーズで作られた腕輪を持っていました。年配の女の人の耳には大きな穴があいていました。それは大きな穴というより、耳たぶの部分がつながっているという具合でした。腕には幾つもの美しいビーズをつけていました。
 私が小さい時に外国と触れ合えたり情報を得られたりしたのは大阪で行われた万国博覧会の頃、とってもらっていた学研の科学と学習などに書かれた記事や、毎週日曜日朝の兼高かおる世界の旅という番組でした。私は兼高かおるさんのこの番組が好きでした。世界にはなんと様々な人々がいて、様々な暮らしをしているのだろうと目を見張ったのです。兼高さんはいろいろな人とお友達になっていました。私もいつか国の外へ出て、いろいろな人と出会えることがあるのだろうか、いやそんなことはきっと難しいことなのだろうなあと思っていました。
 そんな小さい時の気持ちを色とりどりのビーズをつけたおばあさんを見たときはっきりと思い出したのです。
「夢じゃないんだよね」本当はそう言いたかったのに私より幾つも年下の大谷さんに
「兼高かおる世界の旅見た?」と聞きました。
「あったのだけ知ってる」兼高かおるさんは仲良しになる名人だったのかな、アフリカに来れるって本当は夢のようなことだったんだよねって話したかったので、ちょっとがっかりしました。
でも「ねえ、兼高かおる世界の旅みたいだよね。私たち」(そうだね、旅行してるわけだから…ね)って大谷さんは思ったでしょうか。少し首をかたげていました。
 昔、簡単には飛行機に乗れなかった頃、ひとつの旅行に百万円か、それ以上のお金がかかったころ、兼高さんは私たちに夢を運んでくれていたのだと思いました。
 アンボセリナショナルパークの中はどこを向いていも地平線が見えるようなとても広い草原でした。
「このあたりは今草原だけど、雨期になるとあたり一面が湖のようになります」
「ほー」こんなに広くどちらかというと乾いて感じられるところが湖になる…
いったいどれほどの雨が降り続き、どんなドラマが繰り広げられるのか…
「ここは3000平方キロメートルの広さがあるのです」
また私たちはどんなことを聞いても「ほー」とか「はー」とか「おー」とかただ感心してしまうばかりなのでした。
「ゾウ、ゾウ、ゾウ」少しづつ遠くの陰が何の動物か見分けられるようになってきて("アフリカの目になってきた"と誰からともなく言っていました)遠くに動物を見つけるたびに、喜びの声をあげ、「どこ?どこ?」「本当」とため息をつくのです。
「着いて食事をとったら、夕方のゲームサファリに出かけますから、今は行きます」すぐ目の前をたくさんのシマウマやヌーが悠然と歩いているのを見て、興奮気味の私たちに少し時間をくれて、車のスピードを遅くしていたキュリさんが言いました。
 サファリを進むと動物たちとロッジを隔てる塀があり、それには動物たちが入って来れないように電流が流れていました。そして私たちが中へ入るときに通る道には太い針金が何本ものれんのように下がっていました。
「ゾウが中へ入らないようにするためです」車が傷ついてしまうだろうと思ったけれど、こうでもしないと大きくて頑強はゾウを中へ入れないことはむつかしいのでしょう。車はバリバリと音を立てながらその針金をくぐっていきました。
 ロッジに近づくと、何頭もの親子連れのヒヒが私たちを出迎えてくれました。ロッジはとても大きな敷地内にありました。レストランやフロントなどがあるメインの建物の前に車が止まりました。
 ロッジの前にはパピルスとハスの池があり、ロッジまで橋がかけられていました。パピルスとハスの花を見て、カイロ博物館のことを思い出しました。つい何日か前のことなのに、もうずっと昔のことのように感じるのはどうしてなのでしょう。私にとってこの何日間かはとても密度が濃く、普段の時の流れとは違う日々を送ったのだろうと思いました。
 もう2時を回っていました。
「すぐに荷物を置いてきてね。それからすぐ食事にしましょう。夕方のサファリは4時からだから…」小林さんの声で、荷物を荷物を鍵をもらったり荷物をおいてくることにも慣れてきて、私たちはすぐに行動を始めました。
 「ハーイ」髪をのばして幾つにもわけて三つ編にした女の人が私の荷物を運んでくれました。「イッツ ヘービー」
「ソーリ」一緒に運ぼうとかばんに手をかけると「アクナマタタ。アイ アム ストロング」女の人はどこまでも明るく大きな声で笑いました。
「プリティ ラビット カム フロム ジャパン トゥゲザー?」
「イエス シー イズ マイ インポータント ラビット」
だんだんずうずうしくなって、めちゃくちゃな英語を平気で使うようになってきました。それでもなんとか通じているみたいで、女の人はまた大きな声で笑いました。
 敷地の中は幾つもの棟にわかれていました。いくつもの棟や中庭を通り過ぎて、一人では迷子になりそうだなあと思いながらお部屋に着きました。大草原の小さな家によく似てるなあと思いました。中にはナイバシャロッジでみかけた蚊帳がカバーをかけられて下がっていました。
「6時からでないと電気はつかないそうだから」少し薄暗い室内を明るくしようとスイッチに手をかけてから小林さんに言われていたこを思い出しました。夜帰って部屋が静かでさびしいとすぐにテレビをつけてしまう、朝時計の変わりにテレビをつけてしまう、少し暗いともう明かりを灯してしまう、そんなふうに日本での生活をおくってしまっているのだということをケニアに来て初めて思いました。
 あいこさんや愛美ちゃん大谷さんと同じ棟の人たちで誘い合うようにしてレストランに来てみると、もうみんな集まって順にバイキングになっているところに並んでいました。
一人の背の高いボーイさんが飲み物を聞いてくれていました。ボーイさんは素敵なビーズの腕輪をつけていました。
私がその腕輪をじっと見ているのに気がついて彼は
「これはきれいだと思うか?」と私に尋ねました。
「イエス、イッツ ビューティフル、アンド イッツ ナイス。」
「アイム マサイ。僕の彼女が心をこめてつくってくれたんだ。彼女は僕をとても愛しているから…」
「イト イズ インポータント」
彼はうれしそうにうなずきました。
 大きな背の高いコック帽をかぶったかっぷくのいいコックさんがふたりスープをすすめていました。とてもかっこよくて、写真を一緒にとってもらいたかったのです。さすがに少し緊張して「なんてお願いしたらいい?」と聞くと横井さんが
「一緒にとってもいいですか?」って聞くといいよと教えてくれました。英語だとどうなるのかな?
「メイ アイ テイク ア ピクチャー トゥゲザー」なんか違うけどまあいいやと思ってその人に言いました。
「OK」
 にっこり笑いながら写真をとってもらっていたら、小林さんが
「旅行に来て、山もっちゃんの英語力があがった」と笑って誉めてくれました。でも残念ながらけっしてあがってるわけではないのです。私の英語を聞いて大谷さんが
「どうして通じるんだろう?発音も単語の使い方もめちゃくちゃなのに…」って言うのですもの。
「なんだか悔しいぐらいだよね。あんな英語で通じちゃうと」そんなことまで言うのですもの。
 もしかしたら、私がずうずうしくなっただけかもしれません。それからたとえ通じなくてもお話するのが楽しくなったのだと思います。でも何より、みんなが、私が下手な英語を使うから、なおさらわかろうとして心を一生懸命こちらに傾けてくれるからなのだと思います。みんなが私にわかるように一つ一つ言葉を選んでゆっくりと話してくれました。キュリさんも女の三つ編みのポーターさんも、コックさんも、ボーイさんも…
 そのことに気がついたときに私、涙が出るくらいうれしかったです。みんななんて優しいんだろう。なんていい人たちなのだろう。人間っていいよねって。
 サファリは今までみんなが乗ってきたマイクロバスで出かけるのです。キュリさんたちのバスは私たちが降りるたびに中も外もとてもきれいになっていました。子供たちの学校へ行った時に靴に赤い土がたくさんついてしまってバスが汚れてしまうと思ったときもキュリさんは「アクナマタタ」と言いました。ズックにこびりついた土はこすってもなかなかとれなかったのに、バスの中はもうすっかりきれいになっていました。どんなに大変だっただろうと思うのに、キュリさんたちはそんなことを少しも感じさせないで私たちと一緒にいてくださるのでした。
 このバスはニッサンのバスで、屋根が持ちあがるようになっていました。だから私たちは屋根と壁の隙間から動物を見たり写真を写したりすることができるのです。
 たくさんのサファリカーが同じ時刻にロッジを出発しました。動物たちが活動するのは夕方と早朝なので、一番いい時間にみんなが出発するからなのでした。
 広いサファリで、土ぼこりをあげてサファリーカーが走る様子はまるでイボイノシシが大急ぎで走っていく姿のようで,少しこっけいです。
 「ここからはケニアの中でも一番キリマンジャロが美しく見えるところです。ちょうど目の前あたりにキリマンジャロがあるのだけれど、今は時期が悪くて見えません。よく見えるのは一月頃」
 本当はキリマンジャロが見たかったです。でも見たいという気持ちはまた来たいという思いにつながるものです。きっとまたきっとまたここへ来れるために今日は見れない…そう思うと見えないこともうれしいです。
 広いあちこちに本当にたくさんの動物がいました。キュリさんはとても物知りで、動物がいるたびに車をとめて、動物の食べ物や妊娠期間やその他いろいろなことを話してくれました。
 シマウマがお尻を並べて何頭もいました。私たちが近づくと振りかえって私たちを見て、またもと通り草をはんでいました。
「また人間が来たわっていうてるんやわ」横井さんが言いました。
私はその時、私たちは動物を見に来ているのだけれど、でも実は私たちこそが動物たちに見られているのではないか…そんな奇妙な考えが頭をかすめて離れませんでした。
 ヌーが車のすぐ前を横切っていきました。ゆっくりした動きは怖いものなどないように見えたけれど、
「ライオンやピューマは狩をする。ヌーやガゼルを食べるのです」
 群れをつくっているシカにもいろいろな種類がいることがキュリさんの説明でだんだんとわかってきました。日本のシカにも似たインパラ、美しい体つきをしているトムソンガゼル、グランドガゼル、大きなまっすぐの角を持ったベイサオリックス、小さな頭をしたゲレヌク。見分けがつくようになると、あれはトムソンガゼル、あれは大きいからグランドガゼルと見ていて飽きることがありません。
 ゾウの親子を見ました。
「アフリカゾウとインドゾウの違いがわかりますか?」
「身体の大きさと耳の大きさが違うと思う」私が答えると、キュリさんが私のノートにゾウの頭の絵を書いてくれました。インドゾウは頭が丸く、アフリカゾウは頭が平らなのです。それから鼻の形も違うのだそうです。アフリカゾウは鼻のさきがたとえていうなら上唇と下唇のようにふたつに分かれていて、インドゾウは上唇だけなのです。
「キュリさんも絵が上手」
キュリさんは恥ずかしそうにアハハハと笑いました。昔私の持っていた本にはインドゾウはおとなしくて,アフリカゾウは気が荒いと書いてあったのを思い出しました。でも目の前のゾウはとてもやさしい顔をしていました。
「イズ アフリカエレファント カインドネス?」
「???」キュリさんは不思議そうな顔をしました。横井さんが
「急にゾウは親切かと聞かれても、キュリさん困ってはるわ」と言いました。
「ゼー アー ジェントル」キュリさんは私が聞きたいことをわかってくれて言いなおしてくれたのでした。
「こんなにたくさんいつも食べていたら、草がなくなってしまう?ゾウはたくさんいると困る?」
答えは「ノー」でした。
「ゾウはたくさん食べるけれど、よく消化しないで糞をするから、種をよく運びます。種からアカシアの木が生えてきて、森ができる。森の木を食べて、そこに草原ができます。ゾウのたおした木はシロアリの塚になります。シロアリは小さい肉食動物のえさになります」
 2頭の子供のゾウはたえず2頭の大人の象の真ん中に守られるようにして歩いていました。
「大人のゾウが子供を守ってるの?」
「ゾウより強いものはいないのです。ライオンもゾウを食べたりしないから。けれどゾウは赤ちゃんゾウを可愛がるから」

「ライオンがいました」無線を聞いていたキュリさんがいいました。バスはスピードを上げてたくさんサファリカーが集まっているところへと急ぎました。
「ライオンはたくさんいないから人気があるのです」
サファリカーにはいろいろな国からきた人が乗っていました。世界中の人がここへ動物たちに会いたくてやって来るのです。そのことはまた動物たちを世界中の人が大切に思うべきだということの裏返しだと思いました。
 ライオンはメスライオンが一頭だけでした。「おなかがいっぱいで眠いのでしょう。ライオンはたいていは群れをつくっています」
 すぐ近くにはヌーがいました。キリンが足をおるようにして、大変そうな体勢で水を飲んでいました。サファリでは動物たちが眠り、子供を育て、食事をし、糞をしていました。
 サファリにやがて夕日がおちてこようとしていました。
 「ヌーが森に帰っていきます」
「なんのために帰るの?」
「草原は危険だから、夜になると安全な森へ帰っていきます。そして朝、またやってくるのです」
 シマウマもヌーもみんな一つの方向をめざして歩いていました。
「どの群れにもリーダーがいて、帰る時刻と場所を記憶して、群れを動かしているのです」
 夕日に動物たちの身体が輝いています。なんと美しい景色なのでしょうか?
 夕日をあびるサファリを見ながら、私は考えていました。キュリさんの話しを聞き、実際にサファリにいると食物連鎖という言葉がしみじみ実感されるのです。
 前の日にもし私たちが森を歩くことがなかったら、私はあんなにもたくさんのウンチを見ることができなかったから、ウンチは森や草原を作っているのだということをこれほどまでに迫って感じることができなかったかもしれません。森ではたくさんのウンチがあっという間に土に変わっていっていました。そしてまだウンチの形にもりあがった土から新しい芽が噴出していました。その草をカモシカやガゼルやヌーが食べるのです。それから土を掘り起こして住んでいるアリたちやゾウがたおした木に巣くるシロアリを小さな肉食動物が食べていました。ライオンやひょうやチーターが、動物たちを食べている…本によると草原の草さえ、広い葉の部分、茎の部分、根の部分と食べわけがなされているそうです。すべての動物たちが鎖のように結びつきながら生きている…それが本当の自然のありかたなのだ…そう思ったときに、いったい人はどんなふうに動物といたらいいのだろうかという思いがしました。私たちヒトという種はいったいなぜ地球にいることができるのか、いったいどうあるべきなのか?
 動物たちを見に来たヒトを動物たちは「キミたちはどうするの?」と不安とそして期待の入り混じった目でみつめていたのかもしれません。
 人はまったくその連鎖の外にいるのかというと、私はそんなことはないはずだと思うのです。もしかしたら私、まったく見当外れなことを言おうとしているのかもしれません。でも思うのです。ヒトという種が地球にいるということは、きっと地球に必要だからいるのだと…たくさんの大切な種が絶滅してしまう前に、私たちはきっとなすべきことに気がついてその役割を果たそうとするのだと、私は信じようと美しい夕日の中で思いました。ひとごとではなく、遠い地で繰り広げられていることだと思うことをせずに、遠い地でしていることもみな関わりを持って営まれているのだと知っていこうと思いました。
 どんなことにも理由があるのだと私は思います。前の日にネイチャーウォークできたことも、こうしてそれぞれがいろいろな理由でアフリカへ来れたということも、今、夕日をあびて、ヌーが帰っていくのをみつめていられるということも、私たちがヒトという一つの種であるということも、みんな何か理由があって起こっているに違いないのだとなんだかしみじみそう思ったのです。
 2時間ほどのゲームサファリでロッジに帰ってきました。突然小林さんが走りだしました。「夕日が沈むのが見れるかもしれない」小林さんが走るなら,私たちも走ります。だって小林さんはこのツアーの親分なのですもの。ロッジの端っこまできたけれど、夕日の方が足が速かったか、ロッジのロケーションが悪かったか、夕日が沈むのを見ることはできなかったけれど、親分がうれしそうで、私たちもやっぱりうれしいのでした。
 「7時から夕飯、そのあとマサイダンスを見ます」小林さんが言いました。
「僕は食事をしたら、ダンスは見ずに部屋にもどるよ。今晩は必死で絵を描く」大谷さんはキュリさんの子供たちの絵を今晩一晩かけて描くのだと言いました。
「鉛筆持ってる?消しゴムもある?」鉛筆は持っていたけれど、消しゴムはありませんでした。スケッチブックと鉛筆と足しになるかどうかわからないけれどシャープペンの後ろについている小さいのを渡しました。
「みんなに聞いてみたらどうかしら?ロッジのお土産やさんとかフロントにないかな?」
でも残念なことに誰も持っていなくて、そしてお店にも売っていませんでした。ジュマさんは子供さんの絵を描くために大谷さんが消しゴムを探していると知って一緒に探してくださいました。そして何度も「ビューティフル」と言っていました。結局大谷さんはシャープペンシルのうしろの小さい消しゴムを使って描いてみると言いました。
 消しゴムを買いにいったお土産やさんで私はケニアの音楽のテープを買いました。
「ジャンボの歌とアクナマタタの歌と他にもたくさん歌が入っているよ」とお店の人がカセットデッキを出してきて聞かせてくれました。踊りたくなるような音楽でした。学校の子供たちに聞いてもらいたいと思ってそのテープを買ったのですが、そのテープにはドリフターズのひげダンスの伴奏にそっくりな音楽が入っていました。私のクラスのひとりがひげダンスが好きだからよかった…と思いました。
 お買い物をして一人で中庭にいると、お昼ご飯のときに彼女に腕輪を作ってもらったのだと話してくれた人がそばにきてくれてピョーンと高く飛んで見せてくれました。すごい!!すごく高い!!私もジュマさんの真似をして
「ビューティフル!」と言って、私もジャンプしました。でも私は体力測定の時だって、クラスで一番少ししか飛べなかったのです。大人になった今はもっと飛べていないかもしれません。彼は笑って「マサイダンス」と言いながら私の手をとってくれました。
「ジャンプ」掛け声と一緒に飛びあがったら、彼がひっぱってくれたおかげで空を少し飛んだのではないかと思うくらいに高く飛べました。うれしくて声をたてて笑ったら、彼も声をたてて笑ってくれて、もう一度一緒に飛んでくれました。幸せな気持ちでいっぱいになりました。
 「アイ マスト ゴー」と言って、彼は食堂の方へ走っていってしまいました。小林さんが「山もっちゃん何してたの?」と聞いてくれたので、「飛んでいたの」と言ったのだけど小林さんはわかったかな?
 それから小林さんは
「山もっちゃん、ちょっとおいで」とお店から少し離れた中庭の真ん中へつれていってくれました。小林さんの指差すところに見えたのは南十字星でした。
「ここでしか見えないんだよね。北半球では見えない星だよね。去年はもっとたくさん星が見えたんだけど。山もっちゃんに見せたかったからなあ」
 南十字星は本当に十字の形をしていました。小林さん、私は南十字星ばかりでなくて、とてもとてもたくさんのものを見せてもらいました。たくさんの子供たちやたくさんの動物たちの風を感じたし、たくさんの友達もできました。たくさんのことにも気がつけたように思います。本当にありがとうございます。お星様を見ながら涙が出そうになりました。
 レストランに行くと、さっき飛んでくれた彼がもうそこでボーイさんをしていました。
「飲み物は何にしますか?」「何か困っていませんか?」本当にやさしい人でした。
夕飯のあと、大谷さんは絵を描きにかえって、私たちはロビーに行きました。外にむけて椅子が並べられていて、そこでマサイダンスが始まるようでした。
 鮮やかなビーズをたくさん身につけた男の人たちが10人くらい列をつくって、私たちの前に現れました。やりを手にしていました。太鼓にあわせて、一人の人が高い声で歌を歌っていました。そのまた一人が真ん中にきて、とても高くジャンプをしました。さっきボーイさんの彼がジャンプをしてみせてくれて「マサイダンス」と言ったのはこのことだったのです。ダンスとジャンプを見て歌を聴いていると、うっとりして酔ってきそうになりました。
「脳内モルヒネが出るのかな?」また笑われそうな気がして、誰にも言わずにその言葉を飲み込みました。
 かわるがわるいろいろな人がジャンプをしました。ひととおりダンスが終わると籠が回ってきました。そこへお金をいくらか入れるようでした。小林さんがまたその籠にお金を入れて「まとめていれたからいいよ」と言ってくださいました。
 「山もっちゃん?迷子にならないように一緒に帰ろうね」冷たい風が心地よく感じられました。幾つ目かの棟を越えたところで、男の人が私たちに話しかけてくれました。
「マサイダンスを見たか?」
「イエス、ベリーベリーナイス」
すると彼はうれしそうに「アイム マサイ」と言いました。
「ユー アー マサイ?」
「イエス」彼は自分の両側の頬についている丸い形の傷を指差しました。私は何人かの人がどうして頬に同じような傷があるのだろうとずっと不思議だったのです。アフリカで流行っているのだろうかと思いながら、傷だということもあって、なかなか聞けずにいたのです。
「これは 僕が マサイだという証拠です。これは僕の母が、小さい時に針金と火でつけてくれたものです。痛くなかったかって?もちろん痛かったから、泣きました。でもこれがあるから、もし僕たちがナイロビに住んだとしても、僕たちがマサイだということがわかるし、忘れないでいられるのです。これは僕たちの誇りです」
 頬の傷はマサイだという証だったのです。彼はビンセントさんやジュマさんと同じように「アイム マサイ」と胸を張って言いました。「頬の傷は、誇りです」と言いました。彼は自分がマサイだということがとてもうれしく誇らしいことだと思っていました。腕輪を見せてくれた彼もやっぱり同じように「アイム マサイ」と誇らしげでした。私はどうなのでしょう。「アイム ジャパニーズ」と言って胸をはるでしょうか?私は私なのだ、「アイム かつこ」と誇れるでしょうか?
アフリカにはたくさんの部族がいると知りました。そして誰もが自分を誇りに思っているように感じました。どこどこの部族だから、そのことは隠しておきたいなどというような差別がここにはあるのでしょうか?私にはそんなふうなことはないように感じました。みんながお互いに尊重しあっているように思えたのです。
 部屋へ行って、かばんからカセットデッキを取り出しました。アフリカへ旅立つ前に友人の一人がアフリカで聞けるようにと一本のテープを送ってくれたのです。彼は数理物理学者で、それから哲学者でもあるかもしれません。哲学的な面からも科学の不思議を解き明かそうとしているように私には思えます。そんな彼が選んでくれた音楽はアフリカの音楽だったりクラシックだったりしたのですが、大地に私たちはいるんだということを感じさせてくれる音楽でした。私は毎晩そのテープを聞いていました。明日はナイロビのホテルに泊まるけれど、その次の日にはケニアを去らなければいけない。8日前にこの日がくるということは百も承知してたいことなのに、私はさびしくてなりませんでした。虫の鳴き声にまざって遠くの方でまた動物の叫び声がしました。ヒヒの鳴き声でしょうか?それともライオンが吠えたのでしょうか?今の声はきっとゾウだ…
 いつのまにかその日も動物たちの声を聞きながら眠っていたのでした。

ahurika he