a n bo se ri he no mi ti
その日の配車で横井さんと奥泉さんと伊藤さんとご一緒できることになりました。
「今日のドライブはちょっとハードです」小林さんの言うとおり、その日は朝からお昼をすぎて2時近くにアンボセリのナショナルパークへつくまで悪路と言いきっていいような道の走り尽くめでした。
またまた旅行社のパンフレットによると、前の晩泊まったマウントケニアロッジはナイロビから北へ150キロ、その日の昼に着く事になっていたアンボセリの暗所なるパークはナイロビから南へ230キロの距離にあるのです。ほとんど400キロの距離を午前中かけて走るということはそれほどもしかしたらむつかしいことではないかもしれないけれど、でもアンボセリへ行く道の多くはあとでキュリさんが教えてくれた所によると、マサイの人たちが自分たちの暮らしのために、自分たちで作った道だということでした。舗装はもちろんされていなくて、草原の中をまるでサファリラリーの絵のように砂埃をあげて、のぼったり降りたり、穴をよけたりしながら進んだから、キュリさんや他の運転手さんはどんなに大変だったろうと思います。けれどキュリさんは「ここはしょっちゅう通う道だ」と笑っていました。おだやかな笑顔の奥に秘めた精神力を感じました。
その日は車の真ん中の席に座りました。走り出してまだ30分しないうちに、(ちょっと変だ)と感じていました。むかむかと気分が悪く、吐きそうなのです。あきらかに車酔いでした。毎日運転をしていて、酔うなんていうことはないのに、でも乗る場所によってずいぶん違うものなのですね。外の景色にもだんだん目をむけられなくなって、無口になった私に気がついた大谷さんが「どうしたの?」と尋ねてくれました。
「大丈夫」最初は強気だったのに、1時間ほどしてもういけないと思いました。ガソリンスタンドであいこさんや他の方に「酔い止め持っておられませんか?」と聞いてしまいました。また小林さんを心配させることになりました。愛美ちゃんが梅干をくれました。小林さんはみんなに酔い止めを持ってないか聞いてくださって、それからあいこさんに「風邪薬を飲ませて眠らせてしまおう」と言って、お薬を出してくださいました。前の場所に座っていた横井さんが「場所替わろう」とかわってくださいました。本当に人騒がせな私です。でもありがたいことに風邪薬が効いて眠くなって起きたときにはずっと楽になっていました。
いつのまにかバスの窓に雨があたっていました。ポツポツと小さい雨でした。
横井さんが
「まだノートやクレヨンが余ってるから誰かに渡したい」と言いました。その前の日にキンダーガーデンで横井さんにいただいたノートとクレヨンを渡せたことがとてもうれしかったと横井さんにお話していて、それなら今日もできることなら学校に寄ってもらったらどうだろうということになりました。
キュリさんにお願いするとキュリさんは今度は一台だけで停まるというのではなく、無線で連絡をとって、3台一緒に学校へ寄ってくださるということになったようでした。
いつも最初を走っているキュリさんがその時はめずらしく3台目だったので、2号車がそこへ着いたとき、他の人たちはもう子供たちの輪の中にいました。とても小さながっこうでした。レンガでできていて、中は赤い土で塗りこめられていました。教室は見たところ一つっきり。教室中にロープが張られ、そこから板やダンボールに英語やスワヒリ語で書かれた単語のカードがいくつも下がっていました。机や椅子は不揃いで壊れかけているものがいくつもありました。
子供たちは私たちがいる間もどんどん登校している途中でした。みんなスキーウェアーのような服を着て、毛糸の帽子かフードをかぶっています。日本では液体洗剤を入れるような形の容器にひもがついていて、それを下げていました。それは水筒なのだと思います。おそらく水道がひかれていないのでしょう。
横井さんが持っていたクレヨンとノートとボールペンをかばんごと渡していました。「写真を撮って送ってもらえるかと聞いています」ジュマさんが小林さんに言いました。「OK,一緒に写真を撮りましょう」私たちはたくさん子供たちの可愛い写真を撮りました。うまく撮れているといいなと一番思った写真です。
私は子供たちがかわいらしくてかわいらしくて仕方がありませんでした。仲良くなりたくて、子供たちがたっているそばで座りました。自分でもどうしてかわからないけれど、仲良しになりたいときは身体が低くなります。子供たちとも動物たちとも…きっとその方がお互いに怖くないのです。仲良し光線が行き交い易いのです。
座って首をかたげて笑うと、子供たちの緊張した顔が少しほぐれるのがわかりました。手をそっと途中までのバスと幾人かの子供たちがウフフフと声をたててくれました。ふうわり風が吹きました。私もうれしくて笑ったら、子供たちもまた声をたて笑ってました。
「もう仲良くなってる…」菊池さんが言ってくれたのでしょうか?杉本さんだったでしょうか?私もその瞬間がとてもうれしかったです。
私は仲良く慣れる瞬間がとてもとても好きなのです。たまらなく好き。時に子供たちや動物たちと一緒に仲良くなるときが好きです。(動物と子供たちを一緒にしたらいけないって叱られちゃうでしょうか?でも動物だろうと人だろうとみんな同じように大事だし、同じように仲良くなりたいし、気持ちを通わせたいから、一緒に並べてもかまわないですよね)
ナウシカの映画でナウシカがキツネリスと仲良しになる場面があります。おびえているキツネリスがナウシカの腕を噛むけれど、ナウシカが大丈夫。怖くないよ。ただおびえていただけなんだよねとキツネリスを見つめるのです。キツネリスはそんなナウシカの気持ちがわかって、ナウシカに心を許します。私はナウシカが好きだけれど,特にその場面が一番好きです。
仲良くなれる瞬間って魔法につつまれているのだと思うのです。どんなふうにしたら仲良くなれるかなんて、そんなことは言葉にもできないし、誰にもわからない。ただ願うだけ、ただそうありたいと思うだけ。
学校で言葉のない子供たちとそんなふうにして仲良くなる瞬間が大好きな私を大谷さんはよく知っています。だから時々からかうのです。「あの子も自分のものにしたいの?」って。自分のものなんて言い方は変だけど、なかなか気持ちを通じ合わせることをしない子供さんだと、もし誰かと仲良くなれたら、その人ばかり見ていてくれることもあるから、そういう冗談を言うのだと思います。
「ズルで禁じ手なんだよ、それ」以前同僚が半分怒って言いました。禁じ手?ズル?
「だって普通の大人の人は山元さんみたいな方法では仲良くなれないんだよ。順番に手順を踏んで仲良くなるの。みんな苦労してるの。誰だってみんな瞬間で仲良くなりたいじゃん。卑怯だよ」卑怯と言われてとても困りました。
「だって仲良しになりたいんだもん。みんなもなればいいんだもん」
「私のクラスの生徒なんだからね」「だって可愛いんだもん。見てただけだもん」
なんだか変な会話です。でも私、やっぱりその瞬間がとても好きです。
一人の女の子は少し怯えた目をしていました。
(どうしたの?怖くない、大丈夫よ、私たち、ただ仲良くなりたいだけなの)
横に座って見つめると、突然私の手をぎゅっとにぎってくれました。
小さな細い指でした。
女の子はなかなか笑わないのです。ただ手を握っているだけ…
ずっと握っているだけ…
なぜか胸がキュウンとなって私ももう一度女の子を見つめました。私はその時女の子と同じ目をしていたかもしれません。心がうつってきたようでせつない気持ちがしたのです。そのとき女の子の口の端っこがほんの少しだけあがりました。
笑ってくれた…ほんのちょっとだけ笑ってくれた…きっとそれがその少女の優しさだったのだと思います。
全体の写真を撮ることになりました。
「みんなカメラを真ん中に置いて!」私もカメラを持って行きたかった。でも女の子の手をほどくのが嫌でした。少しづつゆっくりと女の子の目を見ながら真ん中へ移動し、そしてカメラを置きました。また女の子が少し緊張し、私の手を握る手に力が入ったのを感じました。
先生が子供たちの前で手拍子をして、歌を歌いながら、みんなに歌うようにうながしました。リズミカルな楽しい歌声でした。
奥泉さんが思いついたようにバスにもどっていって、そして携帯のカセットを持ってこられて歌声を録音していました。
歌にあわせて私たちも拍子を打ちました。
「心がこもったお礼の歌だね」
「ビューティフル、ビューティフル」ジュマさんは何度もビューティフルを繰り返しながら首を横に振っていました。ノーと言ってるんじゃなくて、こりゃまいったねとそういう首の振り方でした。
「先は長い、昼食の時間をすぎてしまうからいそぎましょう」ジュマさんにうながされて私たちは出発することになりました。
「トイレを貸してもらえる?」どなたかの声で学校の片隅にあるトイレに行きました。
「これは使えないわ」トイレの四角い穴の周りがウンチでいっぱいだったのです。私はそれほどトイレに行きたいと思っていたわけではないのに、そこを使いたいとなぜか切実に思いました。
「私使う…」
「え?ここを?ガソリンスタンドに停めてもらおうよ」
「でもここのトイレ使いたいの」
「リボンを腰にはさんであげる」
私の心の中に、そのトイレがとても汚かったというイメージは残っていないので、ただ例によってその時もとった写真をあとで眺めると、やっぱりそのトイレはちょっと言えないほど汚れていました。
「先生が掃除してやればいいのにね」「すごいね」
いろんな感想もあったけれど、私は前の日に森で見たたくさんのウンチや、道端に落ちているウンチを思いました。森で見たウンチは様々で、今したばかりのウンチから、半分土になっているもの、そしてもうすっかり中まで土に変わってしまっているものもありました。あの豊かな森はその動物たちのウンチにはぐくまれているのです。私たちが思っているよりもっと身近にケニアの人はウンチを考えているのかもしれない…汚くて、生活の中でいらないものと考えている私たちとは違うのではないか…漠然とそう思いました。
私たちは学校を後にしました。雨はいつのまにか上がっていました。どういう話しがきっかけだったでしょうか?
「ケニアにはキクユとかルオー族とかいろいろな民族がいると教えてもらったし、それから顔立ちも違うと教えてもらったけど、それじゃあ違う民族は結婚もできないの?」とキュリさんに尋ねました。
「昔はそうだったけれど、今はまだむつかしいけれど、昔ほどではない。私はアカンバ族だけれど、妻はキクユ族だよ」キュリさんは家族の話しをするときはいっそう優しい顔になります。
「キュリさんはどちらの街に住んでいるの?(今まで,キクユの街、マサイの街というふうに住んでいるところも別々のようだったから)」
「僕はナイロビに住んでる。明日、ナイロビに帰れる。奥さんが待ってるし、子供たちも二人いて僕を待ってる」
「キュリさんうれしそう」
「もちろん、すごくうれしいよ。僕は毎日家族に電話してる」
キュリさんは運転しながら、いつもキュリさんのすぐわきに置いてある手帳の間に何かはさんであるものを探していました。そして見せてくれたのは家族の写真でした。
「これは少し前だから、私の可愛い子供たちはもう少し大きくなってるよ」
私たちはキュリさんのお話を聞いて、心が温かくなりました。
大谷さんは何を思ったか、キュリさんに「今晩写真を貸してくれませんか?」と頼んでいました。私はそんな大事なものを貸してくださるのかしら?と少し心配になったけれど、大谷さんにはある思いがあったのでした。
「どうするの?」
「こちらではスケッチが珍しいようだから、二人の子供さんの絵を今晩かけて描いてキュリさんに渡そうと思う。喜んでくれると思うから…」
キュリさんは何も聞かないで、OKとその写真を大谷さんに渡していました。
急に道路が広くなり、わきに大きな建物が増えてきました。
「ここはもうナイロビです」
「キュリさんの街?」
「そうです。今日は通りすぎるだけだけど、明日には帰れるから…」キュリさんの家族を思う気持ちに今日通りすぎてしまうのが、なんだか申し訳なく思いました。
車はナイロビの中心街にさしかかってきました。ナイロビは大都市でした。車がつぎつぎと行き交い、高層ビルが建ち並んでいました。三菱や小松製作所やスズキなど日本の企業のビルもいくつも見えました。おしゃれな人たちがいそがしそうに行き交い、公園や教会が見えました。
「あれはインドの教会です」突然現れた大きなヒンズー教の教会は思いがけなかったけれど、でもナイロビの街にとけこんでいるように見えました。
「インドの人がたくさん住んでいます」そう言えばケニアの空港でインドのサリーに身を包んだ女の人、ターバンを巻いた男の人を何人も見かけました。
「インドの人は商人が多いです」ケニアで大きな力を持っているのはまだイギリスの人だったりインドの人だったりするのかもしれません。
太い拳銃を持ったおまわりさんが街の中を歩いていきました。大きな建物の前にもものものしい様子の警備員の姿を目にしました。
私はアフリカへ来る前に読んだ船尾修さんの「アフリカ赤道編」(山と渓谷社)を思い出していました。船尾さんは白昼、通行人が何百人もいるナイロビのダウンタウンで突然強盗に襲われるのです。「喉がものすごい力で締めつけられている。黒い鋼のような太い腕が,ニシキヘビのように首に巻きついていた」「ナイロビの治安が悪くなった」…
けれど船尾さんはまたこうも書いていました。「誤解のないようにいっておくが、一般のケニアの人というのはその外見に似合わず、むしろ小心者で涙もろい人たちである。カネなんかなくたって、なんとかなってしまう楽天家ぞろいである。カネやモノを堂々と「くれ」と言うことはあっても、力ずくで強盗しようとは考えない人たちなのだ。ダウンタウンにはまだまだ,毎日を懸命に生きる人たちの姿がそこかしこにある」
きっとどちらもナイロビの本当の姿なのだと思いました。
ナイロビをすぎると向こうの方に海が見えました。いえ、海だと思ったのです。
「大西洋?」
キュリさんはあれは海ではないといいました。このあたりに海はないと…底は広い広い乾いた大地でした。その大地にさしかかると向こうの方に今度こそ湖のようなものが見えてきました。でもキュリさんは
「あれは蜃気楼です」と言いました。
「でもあんなにはっきりと見えるし、湖面に木が映っているよ」
「強い日差しが蜃気楼をみせています」
砂漠を歩いていてオアシスの蜃気楼を見たという旅人の話しを小さい頃からよく見聞きしていました。あんなにはっきりと見えたら、だまされてしまうよね…不思議なことがいっぱい世界は広いです。
さらに何十キロか走ると、赤い布をまとったマサイの人々が牛や羊を連れている姿によく出会いました。
マサイ族がたくさん住んでいる地区に入ってきたのです。
「この道はマサイがつけました。放牧をするためにマサイが作った道です」けっしてりっぱな道ではなかったけれど、そしてアップダウンが激しく悪路と呼ばざるを得ない道だったけれど、それにしても大きな機械もおそらくは鍬やしゃべるさえも持たないのではないかと思うマサイの人はなんと大きな力を持っていることでしょう。
「アフリカの土はどうしてこんなに赤いのですか?」ケニアについてから土の色がとても赤いことに気がついていました。けれど、マサイの保護区に来て、ますます赤いような気がしました。
「マサイの土より、キクユの土の方が赤いです。赤い土はとても肥沃な土地。農耕に適しているから」
「日本では赤土は農耕に適さないのです。肥沃な土地は黒い色をしているの」
「不思議だ。黒い土は砂がまざった土地だから、とても物を作ることはできないのだけど」
道の途中には一人で遊ぶ子供たちの姿がときどきありました。(どうして一人で遊んでるのだろう?家もひとつだけ建ってるというわけじゃないのに…)キュリさんは「ただ一人で遊んでいるのだ」というだけでした。キュリさんは道路でそうした子供たちに出会うたびに手を振って笑顔をかわしていました。
「キュリさんはお友達がいっぱい」
「いや。手を振ると子供たちが喜ぶから…バスの運転手に手を振ってもらったと言って喜ぶから…僕は喜ぶ顔が見たいから…」キュリさんといると私たちの心はとても喜ぶと私はその時思いました。
「シマウマです」柵を越えたわけでもなんでもないのに、動物が道のすぐそこにいました。
「ここはマサイの動物保護区なのです」マサイ族が動物たちと共存している地区なのでした。今までほとんど目にしなかったものが増えてきました。その一つがシロアリの巣です。小さい塚のようなものがたくさんあってところどころにボスボスと穴が開いていました。「ホワッツ ザット?」
「あれはアリの巣だよ」それはたくさんのアリが土を掘り起こして作ったアリ塚でした。
よく見ると、塚のように見えたものだけでなく、木の形をしているシロアリの巣もたくさんありました。シロアリが巣くったから枯れたのか、もともと枯れかけていた木にシロアリが巣くったのか、あちこちのアカシアの木がシロアリの巣になっていました。
「木が枯れてしまう?」
「いや、アリやシロアリはたくさんいるけれど、マングースやブタなどの小さな動物がシロアリを食べて生きているから」
それから目を引いたのは最初のナショナルパークの入り口で目にした鳥の巣をたくさんぶらさげたアカシアの木でした。ケニアを立つ時に買った「アフリカン ワイドライフ」というアフリカの本格的な動物辞典によるとその鳥はハタオリドリという名前の黄色い美しい鳥で、草であんなに上手な丸い巣を作るということでした。一本の木には時には何十個もの巣をぶらぶらと下げていました。
車の行く手に大きな荷物をつんだロバが3頭と、親子連れのマサイが歩いていました。
「マサイが引越しをしているのです。牛や羊の食べる草がなくなるとマサイは引越しをするのです。マサイは家をコンパクトにたたんでロバに乗せて引っ越すのです」
大きな荷物とはいえ、引越しの荷物にしてはなんとも少ない荷物でした。
「でも牛もヒツジもいないよ。お引越しの前に売ってしまうの?」
「大丈夫,安心して。一緒に歩いていないだけで、どこかに牛や羊はいるから…」人とロバは道を歩き、羊や牛たちは草原を歩いてお引越しをしていたのでした。
道の脇にキリンが二頭いました。
「マサイキリンです」キュリさんはわきに置いてあるいい感じに使いこまれた黒い辞典を取り出しました。使いこまれたものは何でもとても素敵です。時計だって万年筆だって、机だって、辞書だって、愛されて使われたという感じに私はとてもあこがれます。それは「アフリカン ワイルドライフ」というケニアの動物たちの(前述)の辞典でした。(それにしてもキュリさんは悪路を80キロのスピードで走りながら、穴ぼこをよけながら、辞書を取り出し、キリンのページを出すのですからすごい神業です)
辞典を見るとマサイのキリンとそうでないキリンは模様の点ではっきりと違っていました。マサイのキリンは黄色地に黒い模様を貼りつけてあって、マサイキリンでないキリンは黒い地に黄色で線をひいて模様をつけたように見えるのです。
それにしてもキリンやシマウマはどういうふうにして、こんなに素晴らしい模様の洋服を手に入れたのでしょう。自然というものはときにこんなふうに茶目っ気を起こしたり、「今度はどんなきれいな動物を作ろうかな」なんて考えながら動物たちを作る作業をしていったのではないかなどと考えてしまいます。
アンボセリナショナルパークはマサイの動物保護区につながってありました。ahurika he