ka ba no su mu mi zu u mi


 キュリさんの2号車はいつもたいてい一番前を走っていました。そして真っ先に点のように見える動物を見つけ「シマウマが見える、キリンが見える」と私たちに教えてくれて、その後、無線で他のバスにも連絡して私たちをそこへ連れていってくれるのでした。
 サファリを走る道をはさんで、片側に3等、反対側に2頭のキリンがアカシアの木を食べていました。近くに寄って見ると、キリンは思ったよりももっともっと大きかったです。そして背が高かったです。そのうちの一頭のキリンはアカシアの木よりももっとずっと高く空に近いところに頭がありました。アカシアの木を頭を曲げて食べていたかと思うと、ゆっくりと車の前を横断して行きました。その動きがとても優雅で美しくて、胸がどきどきしました。キュリさんがキリンのそばにまわってくださったからキリンがこんなに近くで見れたんだと思ったら、私はキュリさんに本当はお礼が言いたかったです。それからそのとき胸の中で湧き上がっていた私の気持ち、「キリンになりたい。空がとても近いから」ということをお話したかったです。でも英語に自信がなくて言えませんでした。「アイ ウッド ライク トゥ ビィ ジラフ。ビコーズ ジラフ イズ ニア ザ スカイ」頭の中で組み立ててみた英語はそれだったのだけど、それであっていたのかな?
 ナショナルパークをあとにして、その日の晩泊まることになっていたナイバシャロッジへ向いました。
 私は少しだけどまだ咳をしていて、あいこさんが「山もっちゃんの咳、とってもあやしい音」と心配してくれるのでした。あいこさんは、昔看護婦さんだったのです。「山もっちゃんは肺炎とか大丈夫?」「うん、肺炎にはなりやすいけど、でも2週間ほど点滴してもらうとすぐになおるんです。学校も休まないですんじゃうの。いつも。それにとても元気です。大丈夫」「でもとってもあやしい咳」旅行の間じゅう心配をかけてばかりで、本当に申し訳なかったです。でも私は本当に元気でした。愛美ちゃんも心配をしてのど飴をくれました。
 バスの窓からナイロビの空港のお土産やさんで売られていた小さな小屋と同じ形の家が見えました。「キクユ族の家です」ケニアにはいくつもの部族の人が住んでいるのだとキュリさんは教えてくれました。
 「三匹の子豚のおにいちゃんのおうちみたい…」思ったことをすぐに口にする私に大谷さんはちょっとたしなめるように「これ!」と言いました。考えたらいくら絵本に出てくるお話のことだとしても、豚のおうちみたいというのは気がついたら本当に失礼な言い方だったかもしれません。キュリさんが「彼女はなんて言ったの?」って聞かないといいな、そして大谷さんがキュリさんに私の言葉を訳さないでいてほしいと思いました。
 街が見えてくるとキュリさんが「ガソリンを入れたいので、ツー ミニッツお願いします。ソーリー」と言いました。「ここはキクユ族の街です」どうやらアフリカは部族ごとに分かれて街や村を作って住んでいるみたいだなあと思ったので、あとで聞いてみようと(正確にはこんなむつかしいことはとても聞けないので、聞いてもらおうと思ったのでした)
 ケニアの町の所々ですごくすごく大きなコカコーラのビンが立っていました。それはコーラが本当に入っているわけではなくて、コーラやさんの建物のようでした。こんな建物だと、ここはコーラやさんだとすぐにわかるから、いい看板の役目もはたしているんだなとわかりました。やっぱりひとつひとつのことがとても珍しくうれしくて、いちいち声をあげてしまうのでした。
 「あと30分でナイバシャにつきます。みんな身体は大丈夫ですか?」ジュマさんがバスの中を覗きこんできいてくれました。「大丈夫です」「じゃあもうちょっとだからがんばって」…「ジュマさんとお話しているとあんまりお話上手だから日本の人とお話してるみたいだよね」というあいこさんの言葉どおり、ジュマさんは決しておしゃべりではないけれど、こうして話しかけてくださる言葉は本当に自然で私たちの話しことばとほとんど変わらないのでした。
 30分後たくさんの美しい花々が植えられている所に到着しました。そこがその日の宿であるナイバショロッジでした。ロッジに入っていくと入り口からずっと柵が張り巡らされているのに気がつきました。きっと動物が入ってこないための柵なのだと思います。敷地内には5つか6つの木で作られた建物が建てられていました。最初の建物はフロントでした。片隅にはおみやげが少しおいてあったり、電話があったりしました。小林さんはそこで部屋割りを発表し、その日の予定を教えてくれました。「電気は11時に消えて、6時までつかないので、ろうそくを使ってください。荷物を置いたらすぐに昼食になりますから、4つ目の建物のレストランへ来てください。そのあと、カバやワニが見れるボートサファリに出かけることになっています」
 もらった部屋の鍵は鉄くりの大きな涙の形をした板につけられていました。私は1号室でした。1号室だけが他のかたまりの部屋から偶然少し離れていたので、私はそれだけで心細い感じがしていました。部屋の鍵を鍵穴にさしこむと、小さな板が鍵穴にかかるようについていました。そしてその部分がクランクのようにしっかりと鍵にひっかかってじゃまをして鍵穴が回らないのです。左手でその板を持って、右手で鍵を回すけど、今度は回るけれど、でもやっぱり取ってを引っ張ってもドアは開きません。遠くの方でお友達と楽しくおしゃべりをしておられたここで働いている人がそばに来て、私から鍵を受け取って,開けてくれました。でもすぐにまた閉めてしまって、「もう一度やってごらん」というふうに私に鍵を返すのです。それでまた挑戦するけれどできないのから「こうだよ」「アサンテ」とまた微笑んでやってくださってまた閉めて…それで繰り返してもどうしてもできないのです。根気よく5回くらい付き合ってくださって、もう私は申し訳なくて、どうしてできないのだろうと悲しくなりました。その人も困ったなあというふうに、今度は手を添えてあけてくれました。そしてもう一回やってみたら開いたのです。よかった…だけど本当はまた開けられるなんていう自信はありませんでした。お礼を何度も言ったら「アクナマタタ」と私の肩をポンポンとやさしくたたいてくれました。部屋に入ると,今度は中からドアがカチッとしまらずにギーっと開いたままになってしまうのです。とりあえずスーツケースをそこに置いてドアを押さえました。部屋にはベッドが二つと鏡台が置かれていました。ベッドの上からは白いレースでできた布でできたスカートのようなものがひと結びされてぶらさがっています。(ああ、これがあいこさんが前に話してくれたお姫さまのベッドみたになる蚊帳なんだな)ケニアの蚊帳は日本で昔使われていた蚊帳みたいに、部屋の隅のくぎに蚊帳の四方の角の部分についたひもをひっかけて下げるようにはできていません。天井のたったひとつの釘から下がっていて、いらないときはしばったり、カバーをかけておいたりして、夜になったら、ベッドをその長いスカートで覆うようにできているのです。(これも言葉で説明がむつかしいから図をみてくださいね)ケニアのは個人用なのです。日本はたたみにお布団で、ケニアはベッドだからそれでこんなふうな違いができてくるのだと思います。昔、小さいときに、立方体に近い形の蚊帳を、朝になって片付けるのが小さい私には(そしてきっと大人にも)とても大変だったのを思い出すと、本当に出すのもしまうのもケニアのは簡単でいいなあと思いました。
 部屋の奥には小さい通路があって、トイレとシャワーと洗面台がある部屋につながっていました。手を洗いたくて洗面台の前まで行った時に思い出したことがありました。エジプトのホテルではお水を出そうとしたら青い蛇口をひねったらお湯が出てきてびっくりして、赤い方をひねったら見ずが出てきたのです。青い方がお湯、赤をひねればいい…そしたらお水が出るから…そう思って赤をひねったらお水がだんだん熱くなってきました。あれ?ケニアは赤い方がお湯、日本と同じなんだ。本当に場所によってこんなふうにいろいろと違うのもまたとても興味深いです。
 部屋へ戻って見渡すと,窓が半分開いたままでした。縦にちょうつがいがついていて、押したり引いたりして開け閉めするその窓はどうも壊れているようでした。
 鍵を開けるのにとても手間取ってしまったからレストランでみんなが待ってるかもしれない…大変、こんなことしている場合じゃないわと思い出して、スーツケースをどかして部屋を出て、そして部屋のドアの鍵をかけようと思ったら、ああ今度は部屋のドアがかからないのです。ガチャガチャしているとさっきの男の人がまた来てくださいました。男の人がすると魔法のようにカシャっと鍵がかかるのです。でもさっきと同じようにまた鍵を開けて「さあ、もう一回してごらん」といわれてもやっぱりなかなかできません。2度失敗したら、部屋の窓も開いたままだったし、鍵も中から締まらなかったし、この部屋は一つ離れて立っているんだと思うと、夜になったらきっと怖いだろうなあと急に思って悲しくなりました。半分泣きそうになりながら鍵をかけていたら、その人は「オーベービィ、アクナマタタ」とまた鍵を閉めて、大きなやわらかい手で頭をなぜてくれました。お顔をじっと見つめたら「ドント クライ アクナマタタ。OK?」と覗きこむように優しくまた頭に手をおいてくれました。そこへ大谷さんが呼びにきてくれました。「みんな行ってるよ。どうかしたの?」「鍵が開いたり締まったりしないの」「こわれてるの?」「違うの下手なの」「それで今は?」「締まってる」「じゃあ行こう」そうしてレストランへ行きました。小林さんが心配して「どうかしたの?」と聞いてくださったので「鍵が開いたり締まったりができないのです。下手だから」と言うと「後で見てみよう」ともうみんな優しい方ばかりです。他にも菊地さんのお部屋はお湯が出ないということで、小林さんが「あとで聞いてみますね」と言っていました。
 食事はお魚のフライとじゃがいもと豆でした。まず飲み物を注文することになっていたのです。でも私は日ごろからそんなにお水やジュースを飲まないほうかもしれません。暑くてもあんまり汗をかかないから、身体が必要としていないのかもしれません。それで何も注文しませんでした。それから他の食べ物を取りに行きました。パンがとてもおいしかったです。
 「食事が終わったらしばらくお部屋で自由にして、それからボートサファリに出かけます。帰ってきたら7時から夕食です。そのあとミーティングを少ししたいのです。自己紹介などをしようと思います。それからお腹の調子が悪い人はいませんか?僕はプロポリスを持っているのだけど、それはうがいをすれば風邪の予防になるし、うがいをしたあと吐き出さないでそれを飲んだらそれで下痢などの予防になるから、希望者がおられたら、飲んでみたらいいから」と小林さんから説明がありました。
 お部屋にいたら小林さんがプロポリスを持ってきてくださいました。それは蜂が作ったお薬で、どろりとした黄色いものでした。専用のコップに入れてあって、独特のにおいが少ししました。口に入れてうがいをして、いざ飲み込もうと思ったら、なかなか喉に入っていかないのです。平気だと思うのに飲もうとすると、喉がどうしてか拒否して、入っていきません。初めてのものに意外と臆病なのでしょうか?「どうしても飲めなかったら、いいよいいよ、無理しないで。お花にあげて…」それで結局はお花のところに吐き出してしまいました。せっかく持ってきてくださった大事なものなのに、なんということでしょう。でもどうしてもどうしてものどにいかなかったのです。愛美ちゃんも私がまだ咳をしているのをみて、「山もっちゃんのど飴あげるね」と渡してくれました。これだって愛美ちゃんがわざわざ荷物にいれて持ってきた大切なもの、「大事がなくなってしまうから」と言うのに、「いいの、いっぱいあるから」と愛美ちゃんもにっこりわらってくれるのでした。
 フロントの前には、男の人が2人とジュマさんが私たちを待っていてくれました。ボートサファリに出かけるのです。「さあ出発します」と言うジュマさんの跡にみんな続きました。ロッジの敷地を横断して、林の方へ行くので、どうやらサファリへは歩いていくんだなとわかりました。私は横長のかばんにカメラを2つ、レンズと双眼鏡、おまけに大切なぴょんすけも顔だけ出すようにしてかばんに入れてあるので、かばんは膨れ上がっていっぱいだったけれど、奥泉さんは両方の手に大きなかばんをさげておられました。小林さんに「奥泉さんはすごい荷物だね。どうしたの?」と声をかけられていました。「バスで行くと思ったものだからバスに置いておけばいいわと思ったのでね、このままボートに持っていったら濡れちゃわないかしら?」と心配そうでした。
 林をの向こうは湿地のようなところでした。私たちは湿地の中をパピルスや何かの熱帯の植物の枝が敷き詰めて作ってある道の上を歩いていきました。パピルスの茎は、茎といってもとても太く木のようになっていて、葉っぱがとれたところが交互の模様になっていました。そのひとつひとつの木切れが私にはキリンやシマウマの顔や体に見えました。「作る」ということが大好きで、いつも何かおもしろいものないかなと思ってるから、その木がでキリンを作りたいなあと思ったけど、拾ったらだめだろうなあとがまんをしながら歩いていました。あ、あれもいいキリンになりそう…あれはいいピューマになりそう…って何度も思ったけれど、そして日本だったらとっくに拾ってるけど、その時は拾いませんでした。
 作られた道は湖に突き出すようにのびていて、そこの先端に船着場が作ってありました。つないであった船は2艘でその船は日本の手こぎボートのとても大きなものにエンジンがとりつけてあるような感じの船でした。
 私たちが船に乗りこむと、すでに乗っていたジュマさんが「救命具を付けてください」と一人ずつに救命ベストを分けてくれました。
 ジュマさんはへさきに座って、遠くの方を見つめていました。
「こんなふうにくくった言い方しちゃだめだけど、こっちの人って本当にかっこいいよね。何着ていても様になるし、ジュマさん本当にかっこいいよね」大谷さんの言葉に私もうなずきました。
 「カバがいます。たくさんいますよ」船が進む方向の水面に何か黒いものが水面からたくさん出ていました。目をこらして見るとそれはかばの耳と目のようでした。家族でいるらしく、身体のとても大きそうなもの、小さなもの、いろいろの大きさのカバが幾頭もかたまっていました。近くに寄っていったときに、水がざんぶりとあがってカバの姿が見えました。カバは思ったよりずっと大きな動物でした。
 気がつくとカバの向こうに、男の人が何人か湖の中を歩いているのが見えました。湖は案外浅いらしく、場所によっては腰までだったりひざまでだったりするのですが、それくらいの深さのところで歩いているのです。「ジュマさん、お魚を捕っているのでしょうか?」「そうです。あの人たちは魚を捕って生活をしています」男たちの向こうには部落が見え、子供たちが遊んでいる姿が見えました。
 湖の真ん中には細長い葉の草がはえている場所がありました。たいらな湿地帯のようだったので、島というより水が引いて浅く出ている場所と言ったほうがいいと思います。そこには幾種類かの鳥が羽を休めていました。ペリカンやサギの向こうに、前の日に見たフラミンゴが何十羽かかたまっていました。私たちは二つの船に分かれて乗っていたのですが、もう一つの船を運転していた人がフラミンゴのそばに船を寄せてから上着を脱いで立ちあがって頭の上で上着をまわしました。驚いたフラミンゴが大きな羽をひろげて飛び上がり、ゆっくりと同じ方向へ旋回していきました。一緒に飛び立った一羽一羽のくちばしの先と羽の裏の黒い線が一斉にそろうとそれがまたとても美しく、見ていて鳥肌が立つようでした。フラミンゴは遠くへ行ってしまうわけではなく、もといたところから少し離れたところにそろって降りました。そこへ向って、また二艘の船が動きました。そしてさっきと同じように、もう一つの船の人が再び服を脱いで頭の上で回しました。また美しく飛び立ったフラミンゴを見ながらジュマさんは苦笑いをして「また追わなくても…せっかく降りたところなのに…」とぽつりとつぶやきました。飛んでいるフラミンゴを見て、なんて美しいのだろうと思ったことも忘れたみたいに、(本当…フラミンゴもビクビクしちゃう)なんて思ったのでした。船を降りたあとに、「ここでこんなにすごかったのだから、ナクル湖のフラミンゴを飛ばしたらどんなに素晴らしかっただろうね。洋服回したらよかったね」という感想の方もおられて、その方はそのときふと感じた率直な感想を言っただけだったり、ただフラミンゴの飛んだ姿がどれほど素晴らしかったかを言いたかったりしただけだと思うのです。けれどジュマさんは、きっと自然の中に生きている鳥たちや動物たちを、できれば人間の力で無理に飛ばしたり動かしたり、何か影響を与えたりすることはしたくないなと思われたのかなと感じました。森があり、川があり、動物がいて、その中でいったい人はどういうふうに森や川や動物とかかわっていたらいいのかをふと考えた最初でした。
 フラミンゴを見たあと、船は船着場へ向っているように見えたけれど一度近づいてまた船着場を離れ、その向こうへ向っていきました。「キリンがいます」岸から少し離れた奥のほうにキリンがいたのです。キリンにそれほど近くにいったわけではないけれど、遠くからみても、一頭のキリンが不自然に見えるほどとてもとても大きかったです。そのキリンは背がアカシアの木の2倍ほどもありました。私たちと同じ哺乳類で骨の数もほとんど同じで、それなのにあんなに大きいんだなあと思うと、なんだか不思議な気持ちがしました。
 帰り道、私はやっぱり木を拾いました。日本に持ちかえられないし、ちょっとの間よく見たいし、キリンの形に似せて、ナイフで削ってみたから…だから拾いました。藤尾さんが「どうしはるんですか?」と聞いてくれました。「キリンを作りたいんです」「あ、本当にキリンに見える。山元さんらしいわ」と声をかけてくれました。
 歩いているとジュマさんとちょうど一緒になりました。私はジュマさんに聞いてみたいことがあったのです。「ジュマさんはどの動物が一番好きですか?」ジュマさんは迷わず「ピューマです」と答えました。「とても賢くてスマートだから…」
 私は午前中に見たピューマ思い出しました。その精悍な、けれど静かで落ち着いた様子を見せていたピューマが頭に浮かんだとき、いつもまっすぐに目を見て話しをしてくださるジュマさんとピューマはよく似ていると思いました。

ahurika he