fu ra mi n go

  いつのまにか雨は細かい霧に変わっていました。
 バスは広場のようなところに停まりました。そこには何軒かの木やバナナの葉っぱで作られた小さな家が建っていてそれはお土産やさんなのでした。何人かの人が真っ白い歯を見せてにこやかに私たちを向えてくれました。ジュマさんが一号車から降りてきました。「ここはとても見晴らしがよくて、ずうっと隣の国まで見渡せるほどなのだけど、今日残念ですね」本当にすっかり霧に覆われて、深い木々の緑が少し見えるだけなのでした。
 ケニアはエジプトと違って、長袖のブラウスをはおっても少し涼しく感じれられるくらいでした。それは雨が降っているせいばかりではなく、旅行社が旅行前に送ってくれたパンフレットによると、ケニアはほとんどが海抜1700メートルの高原サバンナ地帯で、赤道直下にもかかわらず、平均気温は20度くらいということでした。行く前は赤道より南だからだと思い込んでいたのに、それも間違いで、実は高度が高いからだとわかったのでした。
 たぶんお土産やさんのお店の人だと思われる男の人が「ほらほら」と言って(本当は「ほらほら」とは言ってはいないけど、多分スワヒリ語で「ほらほら」って言ったのです)霧の中を指差しました。目をこらすとすぐそこに、しっぽの長いサルがいました。お土産やさんが餌付けしてそこにいたのか、それともケニアということで、こんなふうに、人々の暮らしているところから少し車を走らせたところにサルだけでなく、もしかしたらシカや象やライオンまでもがそこらを歩いていたりもするのだろうかとこれから会えるだろう動物に思いをはせるのでした。
 もっともこんなことを言いながら、私の通っている学校のそばにはサルも来るし、年に何度かは熊も出るし、この間はカモシカもやってきました。
 霧で何も見えなかったのと、身体が外にいると濡れてしまうのと、まだついたばかりだったから、誰もトイレに行かずお土産も買わなかったので、早々にまたバスに乗り込みました。
 マイクロバスの中から見える景色は初めてのものばかりだから、私はおもしろくてたまりませんでした。キュリさんは運転しながらいろいろな説明をしてくれました。
 大きな街には大きな、小さな町には小さな、そして何軒かしか家がない小さな集落にも必ずと言っていいほど、屋根のてっぺんや窓に十字架をつけた教会がありました。教会があるたびにキュリさんは「教会です」「あれも教会」と教えてくれました。教会は他の建物とは明らかに違っていて、赤いペンキを塗ってあったり、お花がたくさん植えてあったり、時にはステンドガラスが窓に埋め込まれていたりしました。「たくさんのケニアの人が教会に通うのです」大谷さんは「彼女があの教会はとても可愛いと言っています」と伝えてくれると「教会はみんなにとって、とても大切だからとキュリさんは言いました。「みんんあカソリックなのですか?」「そうです。僕建ちはカソリックです」キュリさんは振り向きながら胸の前で十字を切ってみせました。
 朝、ずいぶん早い時間の出発だったから、もう時間がたくさんたったように思ったのに、まだ10時になったばかりでした。テレビや写真で見るアフリカの風景には必ず出てくる木が道沿いに生えていました。その下ではオレンジやレモンの袋詰が置いてあり、そこで売っていて、お金を置いておくのだろうということでした。木は背が高く、すずしげな葉っぱをつけていました。「あれはアカシアの木です。草原のあちこちに生えていて、キリンがあれを喜んで食べます」キュリさんの説明を聞いてびっくりしました。ああ、アカシアの木ってこんなだったんだと思ったのです。金沢の内灘砂丘には防風林の役目のために「ニセアカシア」という木がたくさん植えられています。私たちは海水浴に行くたびにこの木を目にしてきました。"アカシアの偽者"なんていう名前は木にとってあんまりうれしくないだろうなあと子供心に思っていました。ホンモノアカシアはどんな木なのだろう、この木はニセモノアカシアだけど、ホンモノアカシアの仲間なんだろうか、そんなにそっくりなんだろうかといろいろなことを考えていたのです。でも今ホンモノアカシア(そういう名前はありません。子供のときに私が勝手にそう呼んでいただけです)を目の前にしたら、これはニセアカシアとはまったく違うものみたいだと思いました。アカシアの木を見ていると、小さいときに家にあった父の写真集を思い出しました。写真集にはオレンジ色の夕焼けの前に、この木と首をすっくり上げたキリンのシルエットがうかびあがっている美しい写真が載せられていたのです。実際のアカシアの木もきれい…かっこいい…それは私の印象でした。
 ケニアの道はあまり整備されていないものが多いかもしれません。キュリさんはまっすぐな道では100キロも120キロもスピードを出すけれど、悪路ではできるだけ私たちが心地よくドライブができるように気をつけてくれていました。道に大きなあなぼこがあったり、波打っていたりするとキュリさんは咄嗟に判断して車を右や左に動かしたり、ときにはわざと道路からはずれたりしながら、車を運転していきました。あとで横井さんが一緒に車に乗ってくれたときに、「すごい運転技術やから、大丈夫なんやね。後ろ向いたり横向いたりしながら、道の一番いいとこ通ってはるわ」と大阪弁でとても驚いておられました。
 真っ直ぐな道なのにところどころにわざと凸凹をつけて道路が一直線に道を横断するように、高く持ちあがっているところが何箇所かありました。そこを通るときはどの車もスピードを落としてゆっくりそこを通るのです。いったい何かなと思ったら「横断歩道です」とキュリさんが教えてくれました。なるほどこんなふうに盛り上がっていると、車はスピードを必ず落とすから、安全だなあと思いました。日本の道も場所によってはこんなふうになっていたらいいかもしれないと思いました。そう言えば、金沢の工業大学では大学の中の道で人が渡るtころは同じように盛り上がっていたし、学内の道路も右に左にくねくねと簡単なクランクを通っていくみたいにできていたけれど、作った人がケニアに来たことのある人だったのかな?
 行く手にライフルを持ったものものしいかっこうをした男と女の警察官が立っていました。それから道の右側からと左側から、道の上に太い竹を割ったような半円の筒に、するどいとげがいっぱいつくつくに出ているものが渡してあって、右と左のとげとげを渡したものの間は車がやっと一台通れるくらいなのでした。「何かあったのかな?検問かな?」とても大きなライフルを持った人の前を通るというだけで、悪いことをしたわけでもないのに緊張してしまう…私はきっと権力とか武器とかに弱くてすぐにびくびくしてしまうのだと思いました。でもそれは誰でもそうだと大谷さんが言いました。だから権力や武器で人を動かしてはいけないんだなと短い間にそんなことを考えました。警察官は私たちが乗った車をちらっと見ただけで、「行け!行け!行っていいよと手で合図をくれました。キュリさんは警察官は車の左の隅に貼ってあるシールをみているのだと言いました。それは通行許可書だそうで、警察でもらってくるものだそうです。悪いことをした人はそれをもらえないから通れないということなのでしょうか?「ときどき突破しようとする人がいるからとげとげの棒が渡してあるのです。この車はちゃんと貼ってあるから通してくれるのです」それにしても本当にすごいとげとげなのでした。
 しばらくしてナクル湖ナショナルパークに到着しました。雨はちょうどいい具合に上がっていました。パークの入り口の管理小屋の前にはバッファローの頭の骨が置かれていました。バッファローは生きているときもそうだけど、骸骨になってもバッハみたいな素敵なかつらをとってもかっこよくかぶっているみたいに私には見えました。
 バッファローの近くにはアカシアの木が二本ありました。その木には奇妙なものがたくさんついていました。小さな小枝たわらなどでできているこぶし大のボールのようなものが、枝の先からたくさんぶらさがっているのです。丸いボールにはそれぞれ真ん中に穴があいていました。そこへ黄色い美しい鳥が飛んできました。鳥はボールの真ん中の穴にくちばしを突っ込んで、懸命に羽をばたつかせて空中に浮かびながら、たぶんひなに餌をあげていたのだと思います。いつのまにか横にこられた横井さんが「テレビでよく見る鳥やね。目の前に見れてうれしいな」と言いました。鳥の巣一個一個もどうやって作ったのだろう、中はどうなっているのだろうと知りたくてたまらないことがいっぱいだけど、私は一つの木にいくつもいくつもの巣がぶらさがっている姿にびっくりしました。マサイの部落の近くに行ったとき、みかけたアカシアには67個もの巣がぶらさがっていたのです。
「あの巣ひとつほしいな…」とつぶやくと大谷さんにすかさず叱られました。「ダメ。鳥が中にいるかもしれないから…」「もう使っていないのでいいんだもん」「石も木もためもどんなものも国外へ勝手に持ち出したり、持ちこんだりしちゃダメなの。細菌を持ちこんでしまうこともあるし、その国特有の種がそのせいで絶えてしまうようなこともあるからね」「はぁーい」と言いながらもいつまでも巣を見上げていたら「まだ本当はほしいと思ってるんでしょ」ギクッ!!私の心は見透かされていたのでした。
 「トイレはいいの?」小林さんが聞いてくれました。ナショナルパークへ入る前に済ませておこうと思ったのも本当だけど、ケニアのトイレはどんなだろう、絵を描きたいし、写真も撮りたいと思ってトイレに行きました。
 ナショナルパークで見たトイレはカイロで見たエジプト式トイレ(これも私が勝手につけた名前です)とだいたい形が同じでした。そのあとで見たケニアのトイレもやっぱり同じだったけど、今見たばかりのトイレは他と少し違っていた点がありました。それは謎を解き明かしてくれるかぎを持っていました。これらのトイレはどれも床に置くが狭くて入り口が広がっている形の台形の穴があいていました。でもここでは扉に近いほうに穴から台形の線に沿った形に床が低くなっているのです。(言葉で上手に言えないので絵を見てくださいね)それで私、考えたのです。エジプトで感じたみたいに、ケニアの人も扉を前にしてすわるんじゃないかな?和式のように前立てみたいなものがないから、もし前のほうにおしっこが飛んでしまったら、溝にそって、おしっこがトイレに流れ込むようにできているんじゃないかなと思いました。きっとそうに違いない、考えられてるトイレだなあって感心したのでした。
 ナショナルパークはとても広いのですけど、その広いところが全部柵でおおわれているようでした。あとでキュリさんやジュマさんにお話していただいたことをまとめると、サファリパークには、ナショナルパーク(国立公園)とゲームリザーブ(動物保護区)とナショナルリザーブ(国立保護区)の3種類があって、ナショナルパークは周りを柵でかこんであって、人は中に住んでいなくて国が管理していて、動物保護区は動物とたとえばマサイなどの部族が一緒に住んでいて、部族や地方自治体が管理したり、保護したりしているということで、これは柵で他のところと区切られてはいないということでした。
 ナクル湖のナショナルパークはそういうわけで、柵がありました。柵をこえるとすぐにライオンキングに出てくるイボイノシシがすぐ近くに見えました。イボイノシシはとても愛嬌のあって可愛いです。おしりとしっぽを振りながら一匹だけで歩いていました。「トムソンガゼルがいます」キュリさんは見つけるのがとても早いのです。美しい模様をおしりにつけたトムソンガゼルがその少し向こうに見えました。あいこさんが「山もっちゃん,動物が好きでも車から降りないでね」と何度も心配してくれていたけれど、私もできることならすぐにでも車から降りて、動物と仲良くなりたかったです。
 私は旅行にミノルタの4倍ズームになる小さなカメラと、ニコンから出ているプロネア(別名ウーマンズニコン)という軽いけれど一眼レフというカメラを持ってきていました。今まで300ミリのレンズはほとんど使ったことがなかったのです。これはプロネアに付属していたものではなくて、あとから違う会社のを買い足したものなのです。ところがこのレンズを取り付けると何かの加減で時々シャッターがおりなくなってしまうのです。壊れたの?とあちこちさわっているといつのまにかまたシャッターがおりるようになって、いったいどこがおかしいのか、どこを触ったからなおったのか、そんなときにはどうしたらいいのかちっともわからないままなのです。
 さあいよいよ300ミリで撮るぞー。絵葉書みたいにかっこいい写真が撮れるといいなあと思って、シャッターを切ったら、こんな肝心のときにシャッターがおりません。もともと何のスイッチか、ボタンかわからないけれど、いろいろ回したり切ったり、押したりはずしたり、電池まではずしてもちっともなおりません。そんや様子を見てあいこさんや愛美ちゃんも「壊れちゃったの?」と心配してくれました。大谷さんも見てくれて、でもその時はなおらなかったので、「もう小さいので撮ることにしたら?4倍ズームでもけっこう撮れるものもあるよ」「うん」と返事をして小さいカメラで撮っていても、一度覗いた300ミリの大きさが忘れられず、撮れなくてもいいから、これ覗いていよう…双眼鏡よりよく見えるから…覗いてためしにシャッターを押したらあんなに何をしても切れなかったのに、シャッターがカシャっとおりました。本当に不思議。せっかくアフリカまで来たんだから、私のこと使ってよとプロネアが思ったのかな?
 草原から林の中へはいったとたんキュリさんは車のスピードを落としてそして車を停めました。ささやくように「ピューマがいます」と英語で教えてくれました。そして無線で他の車にもピューマがいることを伝えていました。キュリさんの指差しているところを見ても誰にもピューマガいるということが最初わかりませんでした。けれど一生懸命見ていたら、木の間にぶらんとまっすぐに下がった周りと少し違う色のものを見つけました。それは木から下がったピューマのしっぽでした。
 いました、いました、木の上にはピューマが長くなってそこにいました。一度見るとさっきいまでどうして見つけられなかったのだろうと不思議に思うほどピューマは輝くような存在感を持ってそこにいました。ピューマの模様はなんとも美しく光っていました。「ヒイ イズ ビューティフル」キュリさんは車内を見渡してみんなが写真を撮り終えたかとたずね、「OK?」と先に進んでいいかをたずねてくれました。
 湖は林の向こうにありました。おどろいたことに湖は一面ピンク色をしていました。それは湖に無数のフラミンゴがいるからなのでした。一緒に車に乗っていたあいこさんも愛美ちゃんも小林さんもただただ「わー」「すごい!」「これほどとは思わなかった」と驚きの声をあげるばかりでした。
 湖のほとりに3台のマイクロバスが停まりました。ドアを開けてキュリさんが降りて、そして私たちのところのドアも開けてくれました。「え?おりても大丈夫なの?」小林さんご家族は昨年もケニアにきていて、サファリではきっと一度も降りるということがなかったので、びっくりしておられたようでした。「どこからかライオンが見ていて、おそいに来るかもしれません」とジュマさんが笑って言いました。キュリさんはドアの上の部分が低いので、私たちが頭をぶつけないように、ひとり降りるごとに、「頭に気をつけて」といいながら、ドアの所を手で押さえて、私たちの頭を守ってくれていました。それは降りるたびに、そして乗りこむたびにいつもいつもそうなのでした。岸辺は細かい細かいつぶの白い砂でできていて水際まではその砂はずいぶんと続いていました。近づいて見るとやはりあの美しいピンク色はまぎれもなくフラミンゴだったのです。「100万羽かその倍のフラミンゴがいます」キュリさんが説明してくれました。たくさんのフラミンゴを目の前にして、いったいそれが幾羽いるのだろうと数える手段などまるでないように思えます。本当にすさまじく多いから…
 浜辺にたくさんのわらか枝のようなものが打ち寄せられて浜辺を覆っていました。よく見るとそれはわらくずではありませんでした。それはフラミンゴの羽の芯のところが残ったものでした。中には今抜け手打ち寄せられたばかりと思われるような羽もありました。それはそれはやわらかいピンク色をしていました。
 私たちが少しずつ水際に近づくと、フラミンゴもまた少しずつ歩きながら私たちから遠ざかりました。みんな夢中でシャッターを切っていました。横井さんは浜辺にすっかり寝そべってフラミンゴを撮っていました。「ああ涙が出そうになったわ。もうフラミンゴの姿を見れて胸がいっぱいや」と言って「大谷くん、僕のこの姿を写真にとってくれない?」と頼んでいました。浜辺にねそべった横井さんの向こうにピンクの美しい縞模様がきっと映し出されたと思います。みんなみんなうれしくてニコニコニコニコしていました。
 たくさんのフラミンゴは人の動きに合わせて、全体がまるでひとつの生き物でもあるように同じ方向へ波のように動いていました。その美しくやさしいピンクの波はまるでストップーモーションのように見えました。ひとつひとつのフラミンゴの足は順にバレエを踊りながらそして遠のいていきました。アフリカは大きな所だと私も胸をつきあげてくる感動の中にいました。こんなにもたくさんの生命がここにはある、美しい大地と生命の真っ只中に、今私がいられるということはまるで夢かそうでなければ奇跡のような気がしました。その時の気持ちを幸せがいっぱいとか、うれしかったとか、感激でいっぱいとかそういうふうに言葉で表すことが今の私にはむずかしいです。
 「記念写真をとりましょう」小林さんの掛け声でフラミンゴをバックに写真を撮ってもらいました。青い空、フラミンゴのピンク。岸と羽の白、そして私たちの笑顔がおさめられたでしょうか?
 
 

ahurika he