a hu ri ka ni i iku ko to

 アフリカ・・・なんと魅力的な言葉なのでしょう。心の中では無理だろうととっくにあきらめていて、けれど、底の方でずっと私はアフリカに行きたかったのだと思います。アフリカに行くことを夢見ていたのだと思います。

 「あなたはどんなことをするのが一番楽しい?」 「一番好きなフルーツは何?」・・・ なかなかすぐには答えられない質問を大人はときどきするものだなと小さいときに感じていました。一番好きなフルーツはりんごだろうか、みかんだろうか、すいかも好きだし、なしも好きだし・・考えれば考えるほど、わからなくなってしまう私は、なかなかどの質問にも答えらず、下を向いて口を貝のように閉ざしてしまうのでした。適当に答えればよかったのにと大人になった私は思っても、そんな芸当はきっと小さい頃の不器用な私にはできなかったのです。そして、もし間違ったことを言ってしまったら最後、私の好きな果物はたとえば、一生「りんご」になってしまうのに違いないと思っていたのかもしれません。

 けれど、わたしは「何の動物が一番好き?」と小さい頃尋ねられると少しもためらわずに「ライオンが好き」と答えました。「え?」と大人の人はみんな不思議そうな顔をしました。「それから象とキリンが好き」・・どの質問にも答えられない無口な子どもが、勢いよく返事をして、二番目まで動物の名前を言ったことが不思議だったのでしょうか?それとも女の子というものはうさぎやりすが好きなものなんだけどなって思われたのかもしれません。

 その当時、私がライオンを見ることができる場所はただひとつでした。その当時おそらくは北陸にたったひとつの動物園が、金沢の山の中腹にある健康センターの中にありました。

 建物の中のコンクリートと檻(おり)で囲われたライオンの部屋は小さな子どもの目にもとても小さいものでした。ライオンはただただ歩いていました。2,3歩歩くとすぐにコンクリートの壁に突き当たり、身体を折り曲げるようにして折り返し、また逆方向に歩いていました。そしてまた2.3歩歩いては方向を変えて、ライオンは歩き続けていました。その姿は写真集やテレビで見た眠ってばかりいるライオンの姿とはあまりに違っていました。

 動物園の飼育係の方がどんなに動物を愛しておられても、やさしく接しておられても、その狭さはどうしようもできない狭さでした。象は太い大きなくさりを足につけ、そのくさりはまたコンクリートの床にくくりつけられ、歩くことさえかなわないのでした。

 それでも私はライオンや象に会えることが楽しみでした。もし、そこへ行って、小さい私にはそれがなぜだかわからないけれど、切なくてしかたのない思いにとらわれることがわかっていたとしても、私はやっぱりライオンや象や、キリンに会いたいのでした。ライオンや象や他の動物たちと目があったように思えた日はうれしくてたまらず、母のおむすびすらのどをとおらないほどでした。

 大きくなって電車に乗ることができるようになって、私はいろいろな動物園に出かけることができるようになりました。

 東京へ行っても、京都へ行っても、そして名古屋へ行っても、私はやっぱり動物園に行きたかったです。そしてライオンや象やキリンに会いたかったです。

 いつの日か、ライオンや象やキリンのいる国へ行くことができるだろうか?広い草原の中、もし動物たちに会えなくて、動物たちが生きている国の地面に足をおろすことができるだろうかと私は夢のようにそのことを考えていました。

 父は二つの雑誌をとっていました。私は文芸春秋と週間朝日を父が持って帰ってくるのがとても楽しみでした。週刊朝日には動物の赤ちゃんの写真の連載がありました。その姿はアフリカの野性の動物たちの生きる姿を捉えたものでした。父に頼んで、前の号のそのページを切り抜き、自分で本を作って、そしてその本を飽かずにながめていました。私はそれくらい、動物たちが好きでした。

 動物たちの住むアフリカに行きたい・・その思いがやがてかなおうとしています。

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