Rainy Day



 昨日の夜から雨が降り続いていた。かなり強い雨だ。閉め切った窓ガラス越しに、激
しい雨の音が聞こえた。風も随分ひどくなってきたように感じる。
「けっこう、派手に降ってるみたいだね」
まことがビデオをセットしながら、やれやれ、という顔で、そう呟いた。亜美が、それ
に反応して苦笑いをする。
「梅雨の時期だもの。どの天気予報でも、週末は雨だって言っていたじゃない。だから、
昨日のうちに、ビデオ、レンタルしにいったんでしょう?」
「ま、ね」
まことは少し舌を出して笑って見せた。まことにしてみても、降り続けている雨が嫌な
訳じゃなかった。学校に向かわなければならない平日や、外に出る用事があるならとも
かく、こうして、特にすることのない休日の第二土曜日には、家に閉じこめられるのも
悪くない。しかも、ひとりじゃない。
「まこちゃん、ビデオ、止めておいてね」
台所から聞こえる、いつもより大きめの声に、まことも大きめの声で答える。
「わかってるよ。最初に観るの、『トリコロール』でいい?」
「うん」
まことは、テレビを真正面にして、ソファーにもたれかかった。最初に入っている宣伝
の終わりで早送りしていたビデオを止め、亜美が来るのを待った。
「やっぱり、大きな画面っていいよなぁ」
独り言として、まことはぽつりとそう呟く。
 テーブルの上には、二つのグラスと、ペットボトルのアップルジュース。
「おまたせ」
数分もたたないうちに、亜美が、クッキーを持って、台所から戻ってきた。テーブルの
上に皿に並べられたクッキーを置いて、亜美はまことの隣に腰かけた。
「これ、亜美ちゃんの手作り?」
まことが出されたクッキーを一枚、口に運びながら、亜美に訊いた。亜美は首を振って、
自分もクッキーを手にする。
「『勇気百倍パワー百倍のスペシャルクッキー』・・・の、本家」
「え?」
「昨日、母が作ってくれたらしいの。久しぶりの休みだったからって。昨日、教えてく
れたんだけど」
そう言って、亜美は微笑んだ。その微笑みにつられるようにまことも微笑んだ。
 今朝早くに、亜美の母は、仕事に出かけていった。まことは昨日から泊まりに来てい
たが、ベットの中で眠ったまま、その時間を過ごした。母を見送った亜美がベットに戻
ってきた記憶はあるが、その後もそのまま二人そろって眠りについてしまったので、き
ちんと目を覚ましたのは、十時を過ぎた頃だった。それから、ブランチと呼ばれる食事
を取り、今、こうしてパジャマのままで、二人並んでテレビの前のソファーにもたれて
いる。
「大変だよね、いつも、さ。そのまま明日の夜まで、仕事なんだろ?」
「ええ」
「帰って来る頃には、雨、止んでるといいんだけれど」
「どうかしら。・・・止んでると、いいけど」
まことは「うん」と頷いた。ゆっくりとした動作でグラスにジュースを注ぐ。
「・・・美味しい」
まことはクッキーを食べ終えると、満足そうにそう呟いた。
 亜美が、ビデオのリモコンを手にして、再生ボタンを押した。今まで画面を支配して
いた青い音のない映像が消え、ちょっとしたノイズの後に『トリコロール・白の愛』の
宣伝が流れ出した。
「あ、これも宣伝だったんだ」
落ち着いたアルトの日本語で、ナレーションが入る。

  私が、あなたのことを想えば、あなたも私のことを、想ってくれるの?
  私が、あなたのことを求めれば、あなたも私のことを、求めてくれるの?

宣伝が終わったとき、亜美がまことに訊いてきた。
「これ、『青の愛』?」
「うん。たしか、『青』が三部作の最初だったよね?」
「うん」
まことの問いに、今度は亜美が頷く。
 擦りあわされた雑音のように車の走る音で始まった映画は、現実の雨の音に混じって、
物語を続けた。





 ビデオが一本終わろうとした時も、雨は激しく降り続けていた。
 青い画面に、白い文字でテロップが映し出されていく。まことはその終わりを待って、
ビデオの再生を止めた。間を空けずに、巻き戻しのボタンを押す。ジ、という機械音を
たて、テープはあわただしく巻き戻しを始めた。
 まことが深く息をついたとき、亜美も息をついた。ビデオを見ている間、二人は殆ど
口をきかなかった。静かで、激しくて、痛いほど切ない映画だった。
「続けて、『白の愛』も観る?」
「そのために、借りてきたんでしょう?」
「そりゃあ、ね」
笑ってそう言った亜美に、まことも笑った。テープが巻き終わり、ビデオが停止する。
そうして、『白の愛』のビデオが、デッキに収まった。ビデオの交換に、一度立ち上が
ったまことが、テレビを背に、元の場所へ戻って来る。何気ない動作で、ソファーにも
たれかかり、亜美の方に身を寄せた。ビデオはお決まりの宣伝を始めている。
「まこちゃん、寒いの?」
いきなりの台詞に、まことがきょとんとする。二人とも薄手のパジャマだったが、寒い
と思えるような季節は、もう過ぎ去っている。雨のせいで、確かに涼しさを感じる気温
ではあったが。
「どうして?」
「・・・まこちゃんが、もたれて、きたから」
「・・・亜美ちゃん、暑い?」
「そうじゃ、ないけど」
戸惑いがちの瞳が、まことを見つめる。
「嫌?」
「そうじゃなくて」
少しだけ口調が強くなったのを、まことはほんの少し意地悪な微笑みで受け止める。
「キスしても、いい?」
「え?」
まことの突然の言葉に、亜美は顔を赤く染めた。
「まこちゃん、いきなり・・・」
「嫌?」
そう言いながら、まことはどこか楽しそうだ。
「そうじゃなくて」
「・・・うん。知ってる」
まことの囁きに重なるように、『トリコロール・赤の愛』の宣伝が流れ始めた。唇が、
戯れのように重ねられた。
「まこちゃん、映画、始まっちゃう・・・」
亜美が心許なく呟く。まことは「うん」と曖昧な返事を返しながら、もう一度キスをす
ると、ゆっくりとした動作で亜美から離れ、ソファーにもたれかかった。手をテーブル
に伸ばし、室温に近づいたグラスを手にする。皿の上のクッキーは、もうなくなってい
た。何気に触れていた肩に、今度は亜美がそっと身を寄せた。





 二本目のビデオを見終わった時も、雨は降り続いていた。亜美が『赤の愛』を手にし
ようとしたとき、まことが大きく伸びをした。
「ちょっと疲れた・・・」
まるでソファーを枕にするように、もたれかかり、まことは目を閉じた。それを見て、
亜美の手が止まる。
「まこちゃん。そんな寝方したら、首が痛くなるわよ?」
亜美の言葉にまことは、ずり落ちるように床に頭をつけた。それを見て亜美がソファー
の上からクッションを取り、まことの頭の下に潜り込ませようとした。まことは素直に
頭を持ち上げたように見えたが、クッションの存在を無視して、亜美の太股に額をつけ
た。
「まこちゃん?」
「クッションより、亜美ちゃんの膝枕のほうがいい」
なんでもないことのように呟かれた言葉に、亜美は固まった表情を緩めた。目を閉じた
まま動こうとしないまことの髪に、そっと手を近づける。まことの髪のふわりとした感
触が掌を支配した。
 長めの睫が、白い頬に影を落としている。こうして黙っていると、どことなく冷たそ
うな、雪の持つ痛さに似たような印象を持つまことの顔立ちに気付かされる。不意に、
まことの優しく柔らかい瞳を、覗き込みたくなる。
 窓ガラス越しの雨の音にかき消されそうな、静かな吐息。いつのまにか部屋が暗さを
帯びていることに、亜美はようやく気付いた。
「・・・まこちゃん、眠っちゃったの・・・?」
亜美の小さな囁きに、まことは眼を開けた。そうして現れたまことの優しい緑の瞳に、
亜美はくすぐったいような、不思議な気持ちに囚われる。
「眠っちゃって、いいの?」
まことが身体を回転させ、亜美の膝の上で仰向けになった。まっすぐ向けられた瞳に、
何故か気恥ずかしさを感じる。
「風邪、引いちゃわない?」
「大丈夫だよ。それより先に、亜美ちゃんの足が痺れると思うけど?」
まことは、亜美の頬に手を寄せた。
「・・・何かの本で、好きな娘を真下から見上げると女神みたいに見えるって、書いて
あったけど。・・・本当だね」
照れくさそうな微笑みと一緒に向けられた言葉に、亜美は頬を赤く染める。導かれるよ
うに引き寄せられながら、自分の心臓の音が大きくなるのを感じていた。
 何故か、初めに観た宣伝のナレーションが思い出された。『白の愛』も、どこか痛い
ような、大人びた切ない物語だった。
「・・・『私が、あなたのことを想えば、あなたも私のことを、想ってくれるの?』」
感情の見えない声で、亜美は呟いた。
「・・・さっきの、ナレーション?」
まことの囁きに、亜美は頷く。
「ごめんなさい、こんなこと・・・」
「どうして、謝るの?」
まことは亜美の髪を撫でながら、小さなため息をついた。
「『私が、あなたのことを求めれば、あなたも私のことを、求めてくれるの?』・・・
だっけ?」
何も言わない亜美の頬を両手で包み込み、まことはそっと引き寄せた。息の届くような
距離で、言葉を紡ぐ。
「よく、わからないけれど。・・・でも、答えは『No』だと思うよ」
「・・・・・」
「私は、亜美ちゃんが私のことを想ってくれたから、亜美ちゃんのことを想っているわ
けじゃないもの」
「・・・うん」
優しく触れた唇から、熱さが伝わってきた。雨の音も、ビデオから流れる一定の機械音
も、耳に届きながらも、遠い音楽に聞こえた。
「『赤の愛』・・・、観ようか?」
亜美は小さく首を振った。
「・・・明日にしない?」
まことは、くす、と笑うと、もう一度亜美にキスをした。
 雨は当分止みそうになかった。どこか湿った、まとわりつくような空気が、二人の周
りを取り囲んでいた。
 雨は当分止みそうにない。

                                END.


せらむん処に戻る

トップページに戻る まこ亜美連合のページに戻る