『夏の蜃気楼(ミラージュ)』



「お待たせ」
「あ、意外と早かっ……」
 聞き間違いようのない声に振り向いたまことは、目の前の光景に思わず息を
飲み込んだ。
 どこまでも澄み渡る、抜けるような青い空。
 遠くかなたにわき上がる、雪のように白い雲。
 さんさんと降りそそぐ夏の陽射し。
 心地よく吹き抜ける潮風。
 走り回る子供とはじける歓声。
 ……などには目もくれず、まことの視線は目の前に立つ少女の水着姿に注が
れていた。
(そりゃ確かにあたしは亜美ちゃんのビキニ姿が見たいって言ったけど)
(亜美ちゃんになら似合うだろうって分かってはいたけど)
(服の上からだけど、一応試着した姿は見ていたのに)
(外で見るとこんなに……)
(こんなに可愛いだなんてーーーーーっ!)
ざっぶーーーーーーーん。
 打ち寄せる波(心理表現)。
「まこちゃんどうかしたの? あら、亜美ちゃん」
 喋りかけたまま突然動きが止まってしまったまことの姿に、訝しげに声をか
けたレイだったが、その視線の先に亜美の姿を見つけると全てを察したかのよ
うに口元に微笑を浮かべた。
 ここはTOKYOからほど近い海水浴場。今日は五人揃って今年初の海水浴。
到着直前のジャンケンで勝ったまこととレイが、一足先に海の家の更衣室で着
替えをすませ、残る三人が出てくるのを待っていた訳だが……。
「なるほど、着替えが早かったのはそーいう訳ね。亜美ちゃん今年はビキニな
んだ。似合ってるじゃない。ねぇ、まこちゃんもそう思わない?」
 何となく気恥ずかしげな様子の亜美を眺めやったレイは、少しからかうよう
な口調でまことの顔を伺う。
「そ、そうだね」
 まことは心の叫びをなんとか現実のそれにならないように押さえつけ、こく
こくと頷いた。
 その様子に「ふむ」と小さく頷いたレイは、遅れて出てきた美奈子とうさぎ
の姿を見つけると大きく手招きした。
「遅いわよー二人とも。今まで何やってたの? 亜美ちゃんなんかとっくに着
替え終わってるわよ」
「えー、遅くなんかないよー。ねー亜美ちゃん……あ!」
「そうよレイちゃん、焦らなくったって海は逃げな……お?」
 レイの一言にぶーぶー文句を言いかけた二人はしかし、次の瞬間には驚いた
ような声をあげた。
「「亜美ちゃんビキニなんだー!!」」
「え、ええ」
「「きゃー」」
 照れたように頷く亜美に、うさぎと美奈子は目を輝かせた。
「意外と言っちゃ何だけど、結構似合ってるでしょう」
「「うんうん」」
 自慢げなレイの声に二人ともぶんぶん頷く。
(そりゃそうと、どうしてそこでレイちゃんが自慢気なんだ?)
 亜美ちゃんにビキニを推したのはあたしなのにー、と内心不満に思わないで
もないまことだったが、亜美が褒められて勿論悪い気はしない。気がつかない
ままに自然と頬がゆるんでいたりする。
「まこちゃんみたいに出るとこ出てますってのもいいけど、均整がとれてる体
にビキニってのもいいわねー。メリハリがあるって言うの? こうキュッと締
まるとこ締まってるって感じで」
(出るとこ出てるって美奈子ちゃん……まぁ亜美ちゃんが均整がとれてるって
のには同意だな、うんうん)
 自分への評価はさておき内心頷くまこと。
「やっぱり水泳? 水泳がいーんだよねー。うーん、あたしもこの夏は頑張っ
てプール通いしようかなぁ」
 亜美の体型と自分を見比べて唸るうさぎ。それを見てレイがこれ見よがしに
せせり笑う。
「ははん。プール通いもいいけど、その前にうさぎは泳げるようになりなさい」
「言っとくけどレイちゃん、あたしはちゃんと泳げますー!」
「息継ぎできなくて10メートルなんて、泳げるうちには入らないの」
「15メートルは泳げるもん!」
「まぁまぁ二人とも。それよりさぁ、亜美ちゃん今年はどうしてビキニなの?」
 言い争いを始めそうになるうさぎとレイの間を割って、美奈子が興味津々と
いった感じで亜美ににじり寄る。
「あ、それはあたしも知りたい」
 とたんに話題に飛びつくうさぎ。美奈子は元よりうさぎもにしても、これま
で亜美のビキニ姿など見た事はなかったし、そもそも清楚で控えめなイメージ
の亜美がビキニとくれば、これは何らかの心境の変化があったと考えるのはむ
しろ当然。
「そ…それは」
 口ごもる亜美、視線がちらりとまことの方に流れる。と、うさぎがぽつりと
言葉を漏らした。
「誰か見せたい人ができたとか」
「「!」」
 ぎくっとする亜美とまこと。妙な所で鋭い月野うさぎ(彼氏持ち)
「なに言ってるの、そんなの決まってるじゃない」
「「!!」」
 自信満々に胸を張るレイに、さらにぎくぎくっとする二人。
「これから見せに行くのよ。この浜辺に転がる男どもにねっ!」
「おぉー! 気合い入ってるぅ」「よーし、そうと決まればみんな行くわよー」
「ちょっと待ってよー」
 待ってろ男共、とばかりの勢いでレイと美奈子が浜辺に向かって歩き出す。
一瞬遅れてうさぎもその後に続く。
「……えーと、あたし達も行こうか?」
 まことはしばらく呆然としたまま三人を見送ったが、ようやく気を取り直すと
亜美の方を振り返った。
「ええ」
 と、ふいに亜美はまことの腕を取るとおもむろに自分の腕を絡めた。その行動は時と場所を考えればあまりに大胆で。
「だ、ダメだよ亜美ちゃん! みんなに見られちゃうヨ!!」
 亜美の突然の行動に、まことはどぎまぎしながらも腕を離そうとした。
「……ダメ?」
(うううー、そんなふうに上目遣いで見られても)
 ひたむきに見つめてくる瞳に胸がどきどきする。
 自分と亜美のこと、レイ達にはまだ内緒だった。実のところとっくに気付いているだろうとは思っているし、まこと自身は別にばれても構わなかったけれど、亜美がそのことを気にかけている以上、彼女が自分自身で解決するまで気長に待つつもりだったのだが、これではまるで立場が逆だった。
(落ち着けー、落ち着けー)
「うさぎちゃん、大正解だったね」
「え?」
 一瞬何の事か分からずまことは首を傾げる。
「この水着ね、他の誰でもない、私はまこちゃんに見てもらいたかったの」
(あ!)
 亜美の一言は、まことに水着を買いに行った時の気持ちを思い起こさせた。と同時に、彼女がとった大胆な行動の意味にも察しがつく。
「亜美ちゃん、ひょっとしてあたしがレイちゃん達と一緒に、男探しに行くと思った?」
「あ…その」
 とまどいがちに伏せられた瞳に、まことはくすっと笑う。
「信用ないなぁ。ほら、あたしを見て」
 まことは自分の水着姿がよく分かるように、亜美から少し距離をとった。
「ちなみにコレは自作ね」
 そう言いながら、水着のワンポインだった花飾りを取り外す。
「あ」
 亜美が小さく息をのんだ。
「あたしも亜美ちゃんに見てほしくってこれにしたんだよ」
 まことが選んだ水着。色違いではあったがデザインは亜美の水着とお揃いだ
った。
「亜美ちゃんがビキニを着るって言ってくれたから、あたしも絶対亜美ちゃん
と同じものにしたかったんだ。ただ、あからさまに同じだと、レイちゃん達に
また何か言われそうだろ。だからちょっとアレンジしてみたんだけど、どう?
あたしには似合わないかな?」
「ううん、とっても…………可愛い」
(はうっ!)
 はにかんだ表情で発せられた言葉に、まことの心は激しく揺さぶられた。
(可愛いって言った? 可愛いって言ってくれたよね。ああぅーダメだぁ、亜
美ちゃんに「可愛い」って言われちゃったよぅ。どうしよう、めちゃくちゃ嬉
しいよー)
「あ……、亜美ちゃんも凄く可愛いよ」
「ふふっ、ありがとう」
「はは……」
 どうにも照れくさくて、まことは頬をぽりぽり掻く。ここが海水浴場でなか
ったら、思わず抱きしめていたかもしれない。
(いや、この際周りの事なんか気にしないで――――)
「なるほどねー、やっぱり亜美ちゃんにビキニを着させたのはまこちゃんか」
「でしょでしょ」「うーん、みんな正解じゃ賭けになんないわねぇ」
「亜…どぅわぁぁっ! なっ、みっ、みんな浜へ行ったんじゃ……」
 亜美の方へさらなる一歩を踏み出しかけたまことは、突然背後からした声に
思わず飛び上がると、そこにいるはずのない三人に震える指先を突きつけた。
「あら、私は「みんなで」行こうって言ったのよ。この場合、ちゃんとついて
来ない方が悪いんじゃない?」「そうだよー、わざわざ迎えに来てあげたのに」
 まことに指を向けられたレイは悠然と胸を張り、うさぎはにへらと笑った。
「はぁー、それにしても亜美ちゃんのビキニの原因が、まさかまこちゃんだっ
たなんて。亜美ちゃんも災難だったわねぇ」
 美奈子が大げさにため息をついて、両のこめかみに指をあてる仕草をする。
「いや、それは……災難?」
 自分と亜美の秘密もここまでかと、思わず弁解しかけたまことだったが、続
く美奈子の言葉に訝しげに首をひねる。
「美奈子ちゃん、私は――――」
「いいの亜美ちゃんは何も言わなくても。こういう事、なかなか人には言えな
いものね。まこちゃんも水くさいじゃない、あたし達に黙ってるなんて」
「美奈子ちゃん……」
「でも大丈夫、あたし達、まこちゃんの趣味くらいちゃーーーーんと分かって
いるんだから」
 そう言いきると、美奈子は「うふふふふ」と邪悪な笑みを浮かべた。
「へ? ちょ、ちょっと待て。なんなんだその、あたしの趣味ってのは!」
 話の展開が分からず、まことは美奈子に詰め寄った。
「いいのよー、あたし達、ひとの趣味には理解がある方だから」
 詰め寄られた美奈子はひらりと身をかわし、レイの背後に隠れる。
「私も美奈子ちゃんに聞くまでは知らなかったわ。でもまさか、まこちゃんが
ビキニフェチだったなんてねぇ」
 口元は笑ったまま、レイは器用に眉をひそめてみせた。
「なにぃーーーーーー」
「でも自分で着るには飽きたらず、亜美ちゃんにまで着せるだなんて。いくら
亜美ちゃんが優しいからってそれはやりすぎよ」
「そ、そうだったのまこちゃん?」
「ちがーーーーーーーーーーーーう!」
 驚いた顔の亜美にまことは大慌てで否定した。
「あたしは、純粋に――――」
(亜美ちゃんのビキニ姿が見たくって……って、言えねーっ、言えるわけない
よーーーーーっ!!)
「純粋に、なぁに? ああ、純粋にビキニが好きなのねぇ。でも気をつけた方
がいいわよぉ、ピュアな心は狙われやすいんだから」
 美奈子はそう言うとケケケと笑った。 
「あーん、亜美ちゃーーーん」
 まことはすがるような視線で亜美を見つめる。
 亜美はその視線を受けとめると、ぽつりと呟いた。
「水でもかぶって反省しなさい」
「そんなぁー」
ざっぶーーーーーーーん。
 押し寄せる波(心理表現)。
「亜美ちゃん、泳ぎに行こう」「ええ」「あー、あたしも」
 うさぎと亜美が連れ立って浜辺に駆けていく。後を追う美奈子を見送りつつ、
レイはその場にへたり込んで屍と化しているまことを見下ろした。
「まこちゃんも大変ねー…って言うか、いい加減ハッキリさせたら?」
「分かっててやるんだもんなー」
 へたり込んだまま、まことは恨みがましそうにレイを見上げる。
「あそこまで見せつけといて、分かってない方がおかしいでしょう。それより
いいの? 早く誤解を解いておかないと、本当にビキニフェチって事になっち
ゃうわよ」
「だぁぁ!!」
 レイの言葉にまことはがばっと跳ね起きると、そのまま一目散に亜美の後を
追いかけていった。

                              End.


 亜美ちゃんの誤解を解くのに丸一日かかりました。 ― 木野まこと ―


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