「森に降る雨」                ファッティ



「ねえねえ、まこちゃん、今度の土曜日はまこちゃんのお誕生日だよね」
 唐突に教室の窓の外から声を掛けられたまことは、持っていたペンを思わず
落としそうになった。
「う、うさぎちゃん…あぶないよ!ここ三階だよ!」
 慌てて外にいるうさぎに注意したが、うさぎは平然と笑っている。
「へ、えっへへー大丈夫大丈夫!あたしはこう見えてもシュッシンキバツなん
だからーそれよりさ今度の土曜日にまこちゃんのお誕生パーティーをしようよ
ー学校が終ったらレイちゃん所でさーねっねっいいよねーよーし決っまりー、
じゃあみんなに声掛けて来なくっちゃ、じゃーねー」
「あ、うさぎちゃん、うさ…」
 うさぎは最初にまことに声を掛けた時と同様に、あっと言う間に視界から消
え去っていた。
「まったく…人に返事もさせないで…ま、うさぎちゃんらしいか…」
 苦笑しながらまことは先程まで読んでいたノートに再び目を落とした。その
ノートは亜美が皆の為にそれぞれの苦手な所を分析し、勉強しやすいようにと
要点と解説を書いたもので、まこともその恩恵に浴していた。
「ふうっ」
 ため息がまことの口からこぼれた。
 ペンを机に転がすと両手を頭の後ろに組んで椅子の背にもたれ掛かり、教室
の天井を見上げる。
 この所なにをやっても集中することが出来なかった。
 得意とする料理も楽しくは無かった。
 些細な事でクラスメイト達と衝突したりもした。
 苛立ちの原因は孤独感だった。
 うさぎ達と知り合う前はずっと一人でやって来た。孤独には慣れているはず
だった。
 それどころか今は大切な友が仲間がまことには有る。
 自分は今、一人では無い。
 そのはずなのに。
 亜美が自分の事を避けている。
 この事がまことの孤独感を以前よりも強いものにしていた。
 確信が有る訳では無い、理由も解らない、だがそう感じるのだ。
 そして最近の亜美は確かに様子がおかしかった。
 なにやら酷く疲れている様子で、夜も眠っていないようであった。
 まことがその事を心配すると、
「有り難う、でも大丈夫だから…」
 と言って笑っていたが、その消え入りそうな微笑みと決してまことを見よう
としない亜美の瞳がまことを苛立たせるのだった。

      ・       ・       ・

 ピッ…机の上のコンピュータが正時を知らせた。
 コンピュータの画面には幾つかのデータが乱雑に表示され、時刻のカウント
も午前2時を表わしている。
 要求された計算結果は既に二時間以上も前に表示されたままだった。
 だがコンピュータの主人は次の指示を出すどころか結果を見ようともしない。
 身動ぎもせず机の上に肘をついて、祈るように組んだ手に額をあて何かを考
え込んでいるように見えた。
「…まこちゃん…」
 口から出た呟きは本人にも意識したモノではなかった。
 やがて組んでいた手を解くと、ゆっくりと顔を上げコンピュータの画面をぼ
んやりと見入る。が、その瞳には何も写ってはいなかった。
 だが突然何かを振り払うように固く目を閉じ頭を数回振る。
「…ない……いけない……おかしいわ!」
 このところ毎晩、亜美を悩ませている戦いだった。
 自分の中で、心の中で、日々大きく強くなってくる想い。
 それを消し去ろうとする理性。そして最後は必ず理性がその想いを押し戻す。
 だが押し戻す事は出来ても消滅させる事は出来ないでいた。
 いつの頃からだったろうか、最初は自分の体の脆弱さからか、まことの力強
さを羨ましく思う程度だった。
 だがある時、まことが好きになった人の事を照れながら話していた時に、理
由もなく苛立った自分に気が付いた。
 生れて初めて経験した「嫉妬」と言う感情…。
「…もう寝ないと」
 つぶやいて、コンピュータを停止させ、自分のベッドへ腰掛ける。
 眠れないのは解っていた。
 締め付けられるような胸の苦しさで二時間、ひどい時には一時間毎に目が醒
めてしまう。
 そのため母親に頼んで手に入れた睡眠導入剤を飲むようにもなっていた。
 こんなやり方は良くないのは知っている。
 だが今はただ眠りたかった。
 夢の無い眠りが欲しかった。
 亜美は人の手により作られた睡魔を掌で数回転がすと口に含んでコップの水
と共に飲み込んだ。

          ・     ・     ・

「お誕生日おめでとー!」
 まことがケーキの上に立つ十五本のローソクを吹き消すとパンパンとクラッ
カーが鳴り、ささやかだが心の篭った拍手が上がった。
 最初はレイの家でパーティーを開く予定ではあったが、やはり手狭でありキ
ッチンの設備が整っている事をまことが希望した為、はるかの手配した都内の
小さなレストランを利用する事になった。
「ありがとう、みんな」
 普段はぶっきらぼうで、戦いの場では剥き出しの闘志を燃やすまことではあ
るが、彼女の実際を知る仲間の中に在る時は何処にでもいる普通の女の子に戻
る。
 部屋の明かりが灯され、参加者は各々プレゼントを持ってまことの前に並ぶ。
 ちびうさは一抱えも有りそうな大きな図鑑を差し出した。
「まこちゃん、あたし達からのプレゼント。高山植物の図鑑だよ」
「わあ、有り難う、ちびうさちゃん、うさぎちゃん、衛さん、大事にするよ」
 続いてレイがまことに大きな紙袋を渡した。
「私達はこれ、エプロンとなべ掴み、私と美奈子ちゃんの手作りなんだから、
心して使うのよ。亜美ちゃんからは日記帳よ」
「あ…ありがとう、みんな…」
 両親を事故で無くしてから転校する事の多かったまことにとって、このよう
に誕生日を祝ってくれる仲間が居るのは心からうれしかった。
「僕達も忘れないでほしいな。僕からはワイン。カルフォルニアワインだから
アルコールは低いから安心さ。それからみちるは花束と後でお祝いに一曲演奏
するってさ」
「ありがとうございます。はるかさん、みちるさん」
 まことが二人に礼を言うと、はるかはまことの耳元に顔を寄せ囁いた。
「実はさパーティーの後でデート、なんてプレゼントも考えたんだけど、どう?」
「は、はるかさん…」
 みちるから花束を受け取って既に両手一杯にプレゼントを抱えたまことは思
わず顔を真っ赤にしてしまう。
「はるか、からかっちゃだめよ。まことが困ってるじゃない」
「からかうなんてとんでもない。今夜の主役はまことなんだから、少しは目を
つむっほしいね」
「はるかったら…しようのない人ね」
 二人の会話を聞いていたまことは、たまらず笑いだしていた。
「ごめんなさい、でも遠慮しておきます。みちるさんに睨まれるのは恐いです
から」
 まことはそう言ってプレゼントを脇においた。
 はるかはまことの笑顔を見ると優しく微笑む。
「やれやれ、どうやら振られたらしいな。でもそうやって笑っている方がまこ
とには似合ってるよ」
「はい、ありがとうございます」
「ねーみんなーお料理冷めちゃうよー食べよー食べよー」
 ちびうさの声にまことは思い出したように顔を上げる。
「今日のお礼に腕を振るったんだ、沢山食べてくれよ」
 はるかの持ってきたワインも早速開けられ皆に振舞われた。何時もならこう
いう事に対して小言を言う亜美も、今は注がれたワインを皆と一緒に飲んでい
る。
『よかった、元気になったみたいだ』
 そんな亜美の様子を見て、心の中でホッとため息をついたまことは皆の話し
の和の中に入っていった。

          ・   ・   ・

「亜美、大丈夫?」
 みちるの肩に寄り掛かるように車の後部座席に座っている亜美にみちるが声
をかけた。
「はい、大丈夫です。すみません御迷惑をかけて……」
 パーティーも終る頃になって亜美は気分が悪くなり、一足先にはるかの車で
送ってもらうことになった。
「すまない、僕がワインなんか持ってきたら…」
「いいえ、少し風邪ぎみだったのに無理をしたのがいけなかったんだと思いま
す」
 うっすらと汗をかいた亜美の顔はみちるの目にも辛そうに映った。
「辛かったらお眠りなさい。家に着いたら起してあげるわ、はるかあまり揺ら
さないで」
「わかってるさ、うん?降ってきたか…」
 しかし亜美は眠ろうとせず、みちるの顔をじっと見ている。何度か口を開き
かけたが結局なにも話さずやがて目を閉じた。
 そんな亜美の様子を見ていたみちるは、何かを思ったようにはるかに声を掛
けた。
「はるか、ちょっと止めて…そう、喉が乾いたわ、何か飲み物を買ってきてく
ださらない?」
「なにを言ってるんだこんな時に」
「お願い!」
 みちるの口調に何かを感じたのかルームミラーで後ろの二人の様子を確認す
ると、わかったと短く答えて車を寄せ雨の降る車外に出ていく。
 みちるは、はるかの姿が雨の中に消えるのを見届けると亜美に向かって優し
く微笑みかけ、まるで姉のような口調で話し掛けた。
「気分はいかが?」
「あ…はい、大丈夫です」
「よかった…ねえ亜美…貴女は私と何かお話したい事が有るんじゃなくて?は
るかなら暫く戻ってこないはずよ」
 亜美は最初戸惑った様な表情をしたが、みちるの促した表情を見るとおずお
ずと話しだした。
「どうして…はるかさんが戻らないと思うんですか?」
「はるかなら解ってくれるわ」
 事もなげに言うみちるの返答に亜美は怒りにも似た苛立ったような表情にな
った。
「何故…どうしてなんです!まるで…まるで恋人同士みたいに」
 亜美の様子に少しだけ驚いたみちるではあったが、彼女の苛立ちの原因が自
分達二人に在るよう感じる。
 だがその理由が解らない。
「そうかしら?仲の良いお友達ならこのくらいの事は察してくれるわ」
「でも、お二人は…その…仲が良いだけじゃなくて…その…」
「ふふふっそうね、私ははるかを愛しているわ。普通の恋人のように」
 はるかとみちる、二人の間の事は亜美も知ってはいた、だがそんな二人の関
係を理性が否定しようとする。
「お二人は女の人同士なんですよ…そんなの変です!異常です。私は…私には
理解できません!」
「…!」
「おかしい事だとは思わないのですか?」
 不躾な質問であることは亜美も十分に解っている。
 だがこの時は、まるで感情が堰を切ったように溢れだし、口をついて出てく
る言葉を止めることが出来なかった。
「思わないわ。確かに私ははるかを愛しているし愛されてる…そうね、他の人
から見ると変に映るかもしれないわね」
「そんなのって、ただの擬似恋愛です。恋人同士の真似事をしているに過ぎな
いんです。お二人になら、少なくともみちるさんならこのくらいの事が解らな
いはず無いですよね。それとも私達をからかうためにこんな事をなさっている
のですか?だったらもう結構です、もうたくさんです、止めてください!」
 亜美がここまで攻撃的になるのはめずらしかった。
 亜美と知り合ってから日の浅いみちるにとって今日の亜美はいつもとは別人
のように映った。
 だがみちるには亜美がまるで何かに追い詰められているようにも見える。
「亜美はだれかを好きになった事ある?」
 みちるは亜美とは対象的に静かな口調で質問した。しかしそれは暴走ぎみに
なっていた亜美の感情を僅かだが制する事に成功した。
「その人は男の人?」
「あ、当たり前です」
 再び亜美の心が暴走しようとした直前にみちるは次の質問をした。
「何故その人が好きになったの?その人が男の人だから?」
「人を好きになるのには色々な要素が在るでしょう?個性、容姿、行動、性別、
etc…」
「全てのカードが揃わないと人を好きになってはいけないの?」
「そ、それは…」
「一番大切なのは自分自身の気持ちではなくて?」
 みちるは自分の腕をつかんでいる亜美の手が僅かだが震えているのに気が付
いた。
「そう、人を愛するのに性別なんてただの1要素に過ぎないわ。大切なのは自
分の気持ちに正直である事」
「自分の気持ち…」
 みちるは亜美の様子を見て、何故彼女がこんな話しをしたかをおぼろげなが
らも感じ取っていた。
 もしかしたら亜美も、かつての自分と同じ悩みを持ってしまったのかもしれ
ないと。
 みちるは軽く目を閉じ、自分の胸に手を充てて思い出すように話しだす。
「最初は戸惑ったわ、あなたが思っている様に、でもね私の心がはるかを求め
たの、はるかに出会った瞬間から…もしかしたらその以前から…」
『ズットマエカラ…』
 亜美はみちるの言葉が自分の心の一番深い所に隠した感情と共鳴しはじめる
のを感じていた。
 何度も何度も心の奥へ封じたはずの秘めた想いが、否定していたはずの、醜
いとしか思えなかった感情が
「はるかに出会う以前は私も何度か恋をしたわ…いいえ、していると思ったわ。
でもね、なにかこう…心に満たされないものを感じていたの。だから私は人並
みの恋愛は出来ないのか、なんて思っていたわ」
『マッテイタ…』
「はるかと出会った時も逡巡したわ、だってはるかは女なんですもの、でもね
自分の気持ちを否定する事はできなかった」
『アイシテイル…』
「それは自分自身を否定する事だって気付いたから…許されない事だというの
は解っているわ。罪だと言う事も…だからその事に関して他人に理解して貰い
たいとは思わない。」
「でも…私は…」
「あなたの心にも誰かが住み始めたのね」
「あ……」
「亜美、あなたは賢い子よ。でもね人を愛する気持ちを頭で考えてはいけない
わ。恐れていてはいけないの、もっと自分の気持ちを、自分の心を正面から見
つめてみなさい。そうすれば答えはきっと見つかるわ」
「どうして…みちるさん…私…」
「もういいのよ、何も言わないで、解ってるわ」
 亜美はみちるの腕に取りすがるように顔を埋め、やがて小さく肩を震わせな
がら鳴咽を漏らし始めた。
 みちるは優しく亜美の肩に手を置いて心の中でこう呟いた。
『私とあなたは似ているわ、とてもね…秘めた力も想いの深さも…』
 何処まで行っていたのか、暫くして戻ってきたはるかは二人の様子を横目で
見ると黙って車を走らせた。

         ・        ・        ・

「じゃあ僕達はこれで帰るけど、あまり無理しないで今夜は早く休むんだよ」
「はい、わざわざ送って頂いて有り難うございました」
 はるかが車の中から声を掛けると軽く会釈して亜美が答えた。
 そしてみちるへ視線を移して
「本当に有り難うございました」
 と言った。
 顔色は未だに良くなってはいなかったが、声には僅かだが明るさが戻ったよ
うである。
 みちるは、またねと答えて優しく微笑んだだけであったが亜美にはそれで十
分であった。
 やがて走り出した車の中ではるかがみちるに問いかけた。
「さっきは何の話しをしてたんだい?」
 ずっと外の景色を見ているみちるは視線を戻さずに静かに答える。
「内緒よ」
「僕にも言えないことかい?」
「女同士の大切なお話し」
「おいおい、僕だって女だけどね」
「あら、そうだったかしら?ところでお願いした飲み物はどうしたの?」
「姫様の御要望をお伺いしておりませんでしたので……申し訳有りません」
 クスクスと笑ったみちるは、はるかを見る。
「それではしかたありませんわね、あなたのお部屋でなにか頂くわ」
「仰せのままに」
 みちるは、目を伏せるとはるかの肩に頭を預けた、はるかも軽く苦笑すると
それ以上はなにも聞こうとはしなかった。

         ・      ・      ・

 亜美の乗ったはるかの車を見送ったまことはプレゼントを抱えて帰路に就い
ていた。
 本来ならパーティーの後は皆と街へ繰り出す予定で有ったのだが皆も亜美の
様子が気に懸かっているようでそれぞれ家路に就いている。
 最初は衛が車で送ろうかと申し出ていたが亜美に対する心配顔を誰にも見ら
れたく無かったので適当な理由を付けて断っていた。
 帰りの電車にゆられながら流れる街の様子を見ているうちに不安と苛立ちが
まことの心を支配しはじめる。
『やっぱり、はるかさんの車で一緒に行けばよかった…』
 パーティーも終りかけた頃に急に顔色の悪くなった亜美を見た時のうろたえ
ようは自分でも驚くほどであった。
 いつもそうであった、亜美の笑顔を見ると心が弾んだ。
 亜美の涙を見ると心が沈んだ。
 そして亜美が傷つくのを見た時の狂おしい程の怒り。
 自分にとって亜美の存在は一体…かけがえの無い友…一緒に戦う仲間…
『そうさ、あたしの大切な友達さ』
 だが亜美以外のうさぎやレイ達は亜美ほどまことの感情を揺り動かしたりは
しない、いつも亜美の事を一番に考えてしまう。
『恋人みたいに…馬鹿だなぁあたしは、何を考えてるんだ』
 だが、現に今もこうして心を閉めているのは亜美の事だった。
 大丈夫だろうか?
 苦しいのではないか?
 考えれば考えるほどいてもたってもいられない。
『そうだ、明日はお見舞いに行こう。なにか美味しいものでも作って持ってい
ってあげよう』
 もともと想い悩む事の苦手なまことは行動の方針が決まるとそれ以上は考え
ず、明日持っていく料理のレシピと材料を頭の中で整理し始めた。

 一度帰宅したまことは不足している材料を仕入れるため雨の中を再び出かけ、
近所の深夜まで開いている食料品店を2軒ほど回って戻ってきた。
 そして自分の部屋の前で鍵を取り出そうした時、ふいに人の気配を感じて振
り向いた。
「だれだい!そこにいるのは」
 荷物を手にしてはいても普段から体に叩きこんでいる格闘技が反射的に身構
える事を行う。
「まこちゃん…私よ」
 一番まことの耳に心地好く響くその声を間違えようもなかった。
「あ、亜美ちゃん一体どうして…」
 廊下の暗がりから動いたシルエットは確かに亜美であった。
「まこちゃん…私ねどうしてもまこちゃんにお話したい事が有るの」
 常夜燈の明かりの中に浮かんだ亜美の顔は今にも消えてしまいそうなほど弱
々しい。
「亜美ちゃん体は?具合は大丈夫なの?」
「私なら大丈夫だ…か……ら………」
 そこまで言って亜美はまことの腕の中に倒れこんできた。
「亜美ちゃん!亜美ちゃん!しっかりして!びしょ濡れ?・・どうして?」
 まことは訳が解らなかった。先に帰ったはずの亜美が何故ここに、しかもさ
っきより明らかに悪くなっている。
「医者に…病院へ連れていってあげるからね」
「待って…大丈夫だから…少し…休めば平気…」
「でもここじゃ何にも…」
「お願い…まこちゃん…私…私ね…」
「わ、解ったから、とにかく中へ」
 まことは亜美を抱き上げると自分の部屋へ運び、亜美をベッドに寝かせると
部屋の暖房を入れた。
「こんなに濡れて、一体何が…だめ着ているものを替えないと」
 亜美の着ているコートを取り、フリルの付いたシャツ、スカートと脱がして
いった。
 ブラジャーとショーツを取る瞬間は躊躇したが今はそんな事を気にしている
場合ではなかった。
 すっかり着ているものを脱がしおえると、今度はありったけのバスタオルを
持ってきて亜美の身体を拭き、マッサージを始めた。
 身体は弱々しく冷たかった。
「こんなに冷えて…どうして…」
必死に介抱するまことの目に涙が浮かんできた。
「亜美ちゃん!亜美ちゃん!!眼を開けて!」
 だが亜美は、まことの呼び掛けに応えない。
『このまま体温が戻らなかったら…』
 まことの脳裏に浮かんだ言葉は、まことにとって最大級の恐怖を運んできた。
『なにが出来る?これ以上はもう…!』
 まことは自分の着ている服を脱ぎ始めた。
 なにかの本で読んだように自分の身体を使うことを思い付いたのだ。
 そして未だ誰の目にも触れさせた事の無い裸身を亜美の眠るベッドへ滑り込
ませ、同じ様に裸身の亜美を抱きしめた。
『亜美ちゃん!眼を開けて…お願い…』
 まことは裸の亜美を抱いて、はじめて気が付いた。
 亜美の腕はこんなに細かっただろうか。
 亜美の身体はこんなに小さかっただろうか。
 それなのに、未知の敵に向かう時の、あの強さは何処から来るのか。
 まことの知っていた亜美は自らの危険も顧みない強い戦士ではなかったのか。
 だがその亜美は今、まことの腕の中で弱々しくその小さな身体を横たえてい
る。
 トクン…
『感じる…』
 トクン…
『感じる、亜美ちゃんの鼓動を』
『どうしてもっと早く気付かなかったんだ、あたしは』
 まことは今まで自分の亜美に対する想いに気付かなかった、いや気付こうと
はしなかった。
 亜美が自分と同性であったから。
 だがこうして亜美を抱きしめ、亜美の鼓動を自分の身体で直接感じたとき、
湧き上がってる想いを強く感じていた。
『守りたい…やっと解った、あたしは…』
 どのくらいの時間が経ったのか、まことは亜美の頬に赤みが戻っているのに
気がついた。
 よかった、安堵のため息がまことの口から漏れ、涙がまことの頬を伝って亜
美の頬に落ちる。
 その滴に呼び覚まされたように亜美がゆっくりと瞼を開いた。
「よかった、気が付いた、よかった…ほんとに…よかった」
 まことは思わず亜美を抱きしめた。すると亜美の両腕がそれに応えるように
まことの背中に回り抱きしめた。
「まこちゃん」
「はっ、ご、ごめん、苦しかった?」
 あわててまことは腕の力を緩めた。
「ううん、大丈夫」
 まことは急に顔を赤らめた。自分達の状態を思い出したのだ。
「い、今着るものを持ってきてあげるからね」
 そう言って、まことは起き上がろうとしたが、亜美がまことを離そうとしな
かった。
「待って、もう少し…もう少しこのままでいさせて」
「亜美ちゃん…?」
 亜美はまことの瞳を見ながら言葉を続けた。
「まこちゃん、私ね……私まこちゃんの事が好き……」
 亜美はまことの背中に回した腕に力を入れた。
 まるでまことが、どこかへ行ってしまうのを恐れるかのように。
「ずっと…ずっと前から……でも、女の子が女の子を好きになるなんて、おか
しいと思ってた、いけない事だと思ってた…だからそれが言えなくて…苦しか
った…悲しかった…」
 亜美の目から涙が溢れだしてくる
「でもね、今日みちるさんに教えてもらったの、自分の気持ちに正直にしなさ
いって、だから…だから…まこちゃんにそれが言いたくて……私……」
「もういいんだ、泣かないで亜美ちゃん」
 まことはそう言うと、そっと亜美の涙を指で拭った。
「あたしもね、今解ったんだ、亜美ちゃんが好きだって。だからもう泣かない
で」
 そして、まことは亜美の髪を優しく撫でると諭すようにささやく。
「亜美ちゃん、疲れてるんだろう。もう寝なくっちゃ」
 亜美の表情に何かを言いたそうなものを感じたまことは言葉を続ける。
「解ってる、朝までこのまま抱いていてあげるから、安心して、ね」
 亜美がこの一瞬を手放したくないように、まことも大事にしたかった。
 まことの言葉を聞いた亜美は安心したのか、少し頬を赤らめながら瞼を閉じ
ると、やがて小さく寝息を立て始めた。
『守ってあげる……何が有っても……』
 まことは自らの心に誓った。誰も聞いている訳ではないが、それは神聖な誓
いであった。
 そして亜美の頬にそっとキスするとゆっくりと眠りの門を開いた。

          ・     ・     ・

「んっ…」
 翌朝、亜美は目を覚まし、まどろみの中でぼんやりと思った。
 チッ…チッ…チッ…
 時計が時を刻む音だけが聞こえてくる。
『ここは…』
 今の時期は日が登るのも遅く、厚いカーテンを締め切っているので部屋の中
はまだ暗かった。
 ふと横を見ると、目の前にまことの寝顔があった。
『まこちゃんの部屋…まこちゃんのベッド…まこちゃんの香いがする…』
 こんなにも安らかな目覚めは久しぶりだった。
 昨日までは、朝目覚めるのが辛かった。
 学校へ行けばまことに会う事になる。
 それ自体は嬉しい事ではあったが、逆に辛い事でもあった。
 この矛盾した気持ちが亜美を憂鬱にしていた。
 出会わなければ良かったと考え、泣いた朝も有った。
 だが今は、今日からは違う。
 まるで生まれ変わったかの様に。
 亜美はこの世の全てのものに感謝したい気持ちで一杯になっていた。
 まことは、自分のすぐ隣で静かに寝息を立てている。
 昨日までの自分には想像も出来なかった事だった。
『まこちゃん…』
 まことが目を覚ますまで、まどろんでいようと思ったとき不意に亜美は気付
いた。
 まことの右手が亜美の決して大きくはないが形の良い乳房の上に置かれ、ま
ことの足は亜美の足に絡み付いていた。
 ドクン
 亜美の鼓動は急に強く早くなりはじめ、その顔は真っ赤になってしまった。
 自分の鼓動の音でまことが起きてしまうのではと、錯覚するぐらいに胸が高
鳴っていた。
 だがそんな恥ずかしさも長くは続かなかった。
 昨夜は自分の想いをまことに伝える事だけで精一杯だった。
 他の事に考えを巡らせる余裕はなかった。
 もしかしたらまことに拒絶される事もあったかもしれない。
 だがまことは、そんな自分の一方的な告白を受け止めてくれた。
 優しく包みこんでくれた。
 それどころか、まこともまた自分を好きだと言ってくれた。
 うさぎ達と出会って初めて友達が出来た。
 そして今は愛してくれる人が出来た。
 その愛する人の手が自分の体に触れている。
 そう思うと恥じらいはスッと消えうれしさが込上げてくる。
『好きよ、まこちゃん…』
 もう一度まことの顔を見ようと自分の頭を動かした瞬間、まことの手がピク
ッと動いて亜美の乳房から離れようとする。
『もう少し』
 亜美は自分の手でまことの手を抑え、自分の乳房に軽く押し付けた。
『このままでいさせてあげる。まこちゃん』
 そう思った時、ふいにまことが目を開いた。
「ふぁ、おはよう亜美ちゃ……うわっ」
 慌ててまことは手を引っ込めようとするが、亜美の手がそれを許さない。
 寝ぼけた思考では亜美がじっと自分を見ている事を非難と受け取ったまこと
は慌てた。
「こ、これは……ふ、不可抗力だよ」
 まことは真っ赤になって弁解している。
 そんなまことの様子を見た亜美は少しだけ意地悪が言ってみたくなった。
「いいの、まこちゃんが望むのなら…しても、それとも私とじゃ嫌?」
 突然の展開に頭の中がパニックになったまことは、しどろもどになって応え
る。
「い、嫌な訳ないだろ……そ、そりゃ興味が無いと言ったら、う、嘘になるし、
してみたいなって思う…じゃなくって、えっと、えっと」
「クスクスクス」
 まことが本気で困っているのを見た亜美は堪らず笑いだしてしまった。
「あ……んもー朝っぱらから人をからかうんじないよっ」
 そう言うと、まことは少し強引に唇を重ねた。
「くすくす…あ……ふ…んっ……」
 腕を亜美の身体に回して抱きしめる。そして亜美の唇を押し割るようにゆっ
くりと舌を刺し入れた。
 最初、互いの舌が触れた時、亜美の舌は驚いたように引っ込んでしまったが、
やがておずおずとまことの舌に重ねて来た。
 ゆっくりと、ゆっくりと、まことは亜美の舌を愛撫する。
 時折、ピクンと亜美の体が震える。
 十分に亜美の舌の感触を味わったまことはスッと唇を離した。
 二人の唇の間には細い銀の糸が輝いている。
 亜美は頬を上気させボーッとまことを見ているがその視点は定まっていない。
「もっと続けようか?」
「……え?」
「亜美ちゃん……亜美のしたいようにしてあげる」
 今度は亜美が困ってしまった。
 顔を真っ赤にして返答に窮していると、まことが追い撃ちを掛けるように問
いかけた。
「黙ってたら解らないよ、さぁどうして欲しい?」
「えっ…私…私は……」
 どう応えてよいのか解らず、亜美の瞳はきょろきょろと回りを見ている。
 まことは、とうとう堪え切れずにまことは笑いだした。
「さっきのお返しだよ、くくくくっ」
「もう、まこちゃんの意地悪」
「それはお互い様だろ」
 結局二人とも笑いだしてしまい、そのまま起きることになった。
「具合はどう?大丈夫?なんならもう少し寝ててもいいよ」
 まことはベッドから体を起こすと亜美に問いかけた。
「うん、大丈夫、気分は凄くいいの」
 亜美はそう応えたが、まことは亜美の額に手を当てて、少し考え込むような
表情をする。
「うーん、熱は無いみたいだけど、無理しない方が良いかもね」
 そう言って起きようとする亜美を制すると「うんっ」と一つ伸びをして言葉
を続ける。
「なにか飲む?コーヒー?それとも紅茶が良いかな……とと、それよりもこの
格好を何とかしないとね」
 まことはそう言ってベッドから出るとタンスの中からパジャマを出してきた。
「取り敢えずこれを着なよ、あたしのだからサイズは大きいけど我慢してね」
「うん、有り難う」
 まことは亜美にパジャマを渡すと、昨日の夜に脱ぎ散らかした二人の服を片
付けはじめた。
「あっちゃー!」
 亜美がベッドから体を起し、手渡されたパジャマに袖を通していると、まこ
とがおかしな声を上げた。
「どうしたの?」
「亜美ちゃんの服、濡れたまんまで置いといたから、ほら」
 そう言ってまことは亜美の服を差し上げた。服は皺だらけで、おまけに紺の
スカートは雨が乾いて白い縞模様が付いている。
 だが亜美はチラッとまことの方を見ただけでうつむいたまま黙ってしまった。
「あれ?どうかしたの?」
 不審に思ったまことは声を掛けた。
 亜美の具合が悪くなったのかと思ったのだ。
「ううん、なんでもないの…ただ…」
「ただ?」
「まこちゃんも……その…なにか着たほうが」
「あ…あはははは、そだね」
 だがまことは手近に有ったバスタオルを体に巻くと俯いた亜美に向かって弁
解するように
「ちょ、丁度いいからシャワー浴びてくるね」
 と、言ってそそくさと浴室に消えてしまった。
 まことの後ろ姿を見送った亜美はクスッと笑うとベッドの枕に寄り掛かり瞼
を閉じる。
『昨日から全然お勉強してないわ。今夜中に予定を取り戻さないと、そう言え
ばまこちゃんの部屋、机が無いのね。何処でお勉強するのかしら……あ、服ど
うしょう、このままでは帰れない、どうしよう……』
 取り留めの無いことを考えているうちに再び眠ってしまったが、なにかの物
音で亜美は目を覚ました。
「あ、起きたね、食欲有る?朝ご飯すぐに出来るから」
 いつの間にかベッドの脇に小さなガラステーブルが置かれ、その上にはトー
ストの入った篭と目玉焼きが出ている。
「今、野菜スープも持ってくるからね。あ、そのままでいいから」
 まことはパジャマの上からエプロンを掛けた姿で台所へと入り、そこから亜
美に声を掛けた。
「亜美ちゃん。ホットミルクでいいよね。砂糖は入れる?」
「うん、少しだけ入れて」
「オッケー」
 やがてまことが大振りのマグカップと皿を持って戻って来た。
「ごめんなさい。まこちゃんばっかりにさせちゃって」
 亜美がすまなそうに言うと、まことは快活に応える。
「いいんだよ病人は気にしなくても。それにあたしがこう言うの好きだって知
ってるだろ。それよりさ、冷めないうちに食べなよ」
「うん」
 亜美はスプーンを手に取り野菜のたっぷり入ったスープをすくって口に運ん
だ。
「美味しい?」
 少し不安げな顔をしたまことは亜美の様子を伺いながらたずねる。
「うん、とっても美味しい。やっぱりまこちゃんは、お料理が上手ね」
 亜美の賞賛の言葉を聞くとまことは心から嬉しそうな表情になった。
「よかった。少し時間が短かったから心配だったんだ」
 そしてまこともトーストに手を延ばした。

         ・     ・     ・

「なんか久しぶりだなー、一人じゃない朝食も」
 食後の紅茶を入れながらまことはそんな事を口にした。
 私もねずっと一人だったの、と亜美も答える。
 まことは亜美の答に、出来るだけさりげなく一つの提案をした。
「あ、あのさ、亜美ちゃんさえ良かったら時々でいいからさ…あたしの所に朝
ご飯食べに来てくれないかな?」
 チラチラッと亜美の様子を伺いながら、まことは返事を待つ。
「え、でも迷惑じゃない?」
「迷惑なんてとんでもない、一人分作るのも二人分作るのも手間は同じだし…
やっぱり一人だと寂しいし…」
 そう言うとティーカップを亜美の近くに置きベッドに腰掛けた。
 亜美はベッドから体を起こすと少し考え込む様な表情をして答える。
「でも…朝はそんなに余裕は無いから…」
 亜美の返事にまことは僅かに肩を落とした。
「そ、そうだよね…朝はちょっと辛いよね、あははあたしって何言ってんだろ」
「だから泊まりに来ちゃだめ…かしら…」
 亜美は頬を少し赤くするとすっとまことの視線を外す。
「え…あ、でもベッド一つしか無いし…」
「…一つの方が…いい…」
 一瞬まことは亜美がポツリとこぼした言葉の意味を理解しかねた。
 あらためて亜美を見ると顔を真っ赤にして俯いている。
「それって…」
 今度はまことが頬を赤くする番だった。そして答える変わりにそっと亜美の
手を握った。
「…そうだね、二つはいらないよね…」
 まことの呟きに亜美はふっと顔を上げた。二人はお互いの指を絡ませるとゆ
っくりと顔を近づけ、二度目のキスをした。
 ティーカップのローズティーからは、ほのかなバラの香りが広がる。
 カーテンの隙間から朝日が差し込んで二人を優しく包んだ。
 雨は森に抱かれて命を育む美しい水となり、森は水によって精気を取り戻す。
 どちらが欠けても二つは本来の姿を保つ事はかなわない。
 ちょうど今の二人のように。


                            −終−


「森に降る雨」 後書きにかえて

 皆さん初めまして。本日はお買い上げ有り難うございます。
 いかがでしたでしょうか。皆さんに楽しんで頂けたら嬉しいので
すが、罵倒の嵐だったら…
 え、えーと今回の作品は私が生まれて初めてまともに書いた小説
になります。実際には遙か18年以上も前に何作か書いた事は有り
ましたが、このように世間様の目に公開した事は有りませんでした。
 だから今回のこの作品が初めてと言って差し支えないでしょう。
 実はこの作品を書く前の私はセーラームーンに関してSしか知り
ませんでした。一応原作は友人から借りて目を通していたのですが、
アニメもSの中盤から見はじめた程度のど素人で、まさか此処まで
この世界にのめり込むとは思ってもいませんでしたね。無論、同人
の世界からも離れて久しいなんて状況でした。そんな時友人に見せ
られた数冊のセラムン小説とパソ通で見つけたセラムン小説。その
世界観に完全に虜になり、気が付いたら無謀にもパソコンに向かっ
て小説を打ちはじめている自分がいた、と言うところです。
 まだまだ稚拙で表現力も乏しい私ですが、走り出してしまった以
上行ける所まで行ってみようと思います。
                     作者 拝


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