LOVE IS HERE    MAKOTO VERSION.



 ドサッという音をたてて、最後のダンボール箱が床の上に置かれた。
「まことちゃん、荷物、これで全部かい?」
「うん。ありがとう、おじさん」
まことの返事に、叔父さんは屈託のない笑顔で応える。
「困ったことがあったらいつでも言いな」
「うん」
まことは、ポトスをコンビニの袋から取り出すと、まだカーテンもつけていない窓際
に置いた。開け放たれた窓から、爽やかという言葉の似合う風が入り込んでくる。
「学校は十番中学だったっけ?」
ズボンのポケットから取り出した煙草に火をつけながら、呟やかれた叔父さんの言葉
に、まことは頷く。
「明後日から、十番中学の生徒だよ」
「……いい、友達ができるといいな」
「……うん、そうだね」
ダンボール箱の重なった、まだ生活の匂いのしない部屋を、風が通り抜けてゆく。ま
ことは前髪をそっとかきあげた。
「今日はこれからどうするんだ? 部屋の片付け、始めるか?」
「……うん、少しだけやって……。……夕方、お墓参りに行こうと思ってるんだ」
「墓参りか」
叔父さんは煙草の煙をゆっくりと吐くと、空になったジュースの缶で、煙草の火をも
み消した。
「俺も行こうかな。今年はまだ、行ってないし」
「叔父さん、行ってなかったの?薄情だなぁ」
「盆に仕事が入ってたんだよ。それに、おまえには言われたくないな」
「それはそうだね」
二人は顔を見合わせて、笑った。
 七才まで住んでいたこの街とこの部屋は、妙な懐かしさと寂しさが入り交じってい
た。



「もう、七年か……」
叔父さんが、独り言のようにそう呟いた。
 叔父さんの姉にあたるまことの母親が、まことの父親と一緒に、飛行機事故で逝っ
てから、七年。その事故の日から、まことは祖父母の家に預けられた。年が随分離れ
ているとはいえ、叔父さんとはまるで兄弟のように育てられてきた。そして、叔父さ
んの結婚を機に、まことは、七年の月日を経て、家族三人で暮らしていた家へと、戻
ってきた。


 ーそうして、新しい生活が始まる。


 紺色のスニーカーの紐を締めて立ち上がり、軽く、かかとを叩いた。マンションの
玄関でまことは大きく伸びをする。雲を薄く塗ったような九月の空が頭上に広がって
いた。真夏程ではないとはいえ、太陽は相変わらず眩しい。
 部屋のカーテンは取りつけた。ベットも整えた。部屋の三分の一を占拠するダンボ
ール箱はまだ半分程しか開けていなかったが、十分、許容範囲内だと思える。
 荷物を運んできたワゴンに乗り、青山霊園へと向かった。
 六年ぶりに見た、両親のお墓は、何も変わっていなかった。しゃがみ込んで、墓石
に刻まれた文字を、そっと見上げる。
(案外、覚えているものだな)
苦笑混じりに、そう思う。
六年前、ここに来た時は、もっと押しつぶされそうな気がした。このお墓の前に立っ
て、どうやって帰ったのかは覚えていない。気がついたら、家のベットの上で、御祖
母ちゃんが心配そうな顔をして、見ていた。それから、ここへは、来ていなかった。
 そっと手を合わせ、目を閉じる。
 先程から、叔父さんが妙に気を使っているのが分かる。
 辛くないわけじゃないけれど、もう大丈夫、そう思えた。
 まことは小さくため息をつくと、立ち上がった。
「今年からは、毎年、来るよ」
まことの独り言のような呟きに、叔父さんは「そうか」と、ただ一言だけ言って、微
笑んだ。



 帰りは、歩いて帰ることにした。少々長い道のりではあったが、散歩がてら、この
街を見ておきたかった。車でそのまま家に帰る叔父さんに、別れと御礼を告げて、歩
き出した。


 東京の麻布十番。
 長いアスファルトの道。
 影を落とす街路樹。
 時々、懐かしさが顔を出す。とはいえ、殆どが知らないものに感じられて、自分の
記憶の曖昧さと、七年の月日の長さを思い知らされた。
 静かに、目を閉じると、ザワザワと葉ずれの音が耳に響く。風の言葉が聞こえそう
な気がした。
 ゆっくりと、目を開けた途端、視界に飛び込んできた、光。その光は、優しくて、
どこか切なかった。
 どこからか、はしゃいだ子供達の声がする。まことは、ふと、石段の前で足を止め
た。石段を見上げると、そこには神社の鳥居があった。「火川神社」という文字が見
える。まことはゆっくりと、その階段をのぼり始めた。
「一、二、三、四、……」
自分にしか聞こえないような小さな声で、石段の数を数えていく。トントン、と、鈍
いスニーカーの足音が声に重なる。
「九、十、十一、十二……」
ザワザワと、風が葉を揺らす音は消えない。その中に、カシャンという小さな音が耳
に届いた。まことはその音に、足を止めた。その音は何度か続き、まことの足元で止
まった。
「……シャーペン……?」
まことは音の主を拾い上げる。シンプルな、メタリックブルーのシャーペンは、光に
当たって反射を繰り返す。まことが、落とし主を求めて、石段の上を見上げると、上
から駆け降りてくる少女の姿があった。
「あの子か」
と、ポツリと呟くと、合図を送るように、シャーペンを軽く掲げた。その合図に気付
いて、少女もまっすぐに、まことの方へと向かってきた。軽やかな靴音をたてて、彼
女はまことの前に降り立った。
「はい。あなたのでしょう?」
そう言ってまことは、シャーペンを差し出す。彼女はシャーペンを受け取り、握り締
めると、まことを見上げた。戸惑いがちの瞳に、まことは違和感を覚える。腕っ節や
外見から、怖がられることは多かったが、彼女の持つ瞳からは、恐れられているとも
疎まれているとも感じられなかった。けれど、どこか困ったような戸惑いがはっきり
と映る。
「あの……、ありがとうございました」
ゆっくりと紡ぎだされた、どこかぎこちない言葉と笑顔に、まことは自然に顔がほこ
ろんだ。戸惑いの原因は、その一言を紡ぎだすためのものだったのかと気付いて、安
堵を覚えた。
 まことの笑顔につられるように、彼女も笑顔を見せた。
 青い、ショートの髪。髪と同じ、青い瞳。淡い、白に近いブルーのシャツがよく似
合っている。
 ペコリと一礼した彼女に、まことは思わず話しかけた。
「あのさ、ここの神社に来たんだよね?」
顔を上げた彼女の、警戒を解いた微笑みに、嬉しくなる。
「ええ。あなたもでしょう?」
「『来た』って言うより、通りがかったんだけどね」
彼女は一度、石段の上の火川神社の方を見上げ、まことに視線を戻した。訪れた沈黙
の気まずさに、戸惑いを感じつつ、このまま別れるのがもったいないような気がして、
まことは思いきって口を開く。
「良かったら、……御参りに、付き合ってくれないかな?」
彼女は一瞬きょとんとした顔を見せたが、次の瞬間、そっと微笑んだ。
「ええ」
どこかぎこちなく、けれどまっすぐな笑顔に、まことは胸の奥が暖かくなるのを感じ
た。照れくさいようなくすぐったさに、支配されていく。
(天使の微笑みって、こんな感じなのかな)
そんなことを思いながら、石段をのぼり始めた。


 「五円玉でいいかなぁ」
ポケットの財布から五円玉を取り出して、さい銭箱に投げ入れる。チャリンと、小さ
な音がした。
 鈴を鳴らして、二回手を叩く。目を閉じて、何を願おうか考えた時、ふと思い立っ
て、隣に立っている彼女の方を向いた。
「ねえ。ここの神社って、何のご利益があるの?」
「え?」
「学業とか、縁結びとか。神社って、そういう謂れってあるじゃない?」
何気なく聞いたつもりだったが、彼女は口元に手をあてて、困った表情を見せた。
「……ごめんなさい。私も知らないんです」
その答に思わず吹き出す。
「そっか。そうだよね。あまりそういうことって知らないものだよね」
まことは「ま、いっか」と呟くと、手を合わせた。
 目を閉じて、心の中で願いを呟く。
 チャリンと、小さな音がした。自分が投げ入れた時よりも、目を閉じているぶん、
大きく聞こえた。
 目を開けると、彼女が隣で手を合わせていた。俯き加減の前髪を、風が揺らせてい
く。いつの間にか、みとれていた自分に気付き、思わず目をそらせた。もう一度目を
閉じて、心の中で願いを呟く。
 次に目を開けた時、彼女は上向き加減で前を向いていた。すぐに、まことが目を開
けたことに気付いて、まことの方に顔を向けた。目が合ったあと、なんとなく二人し
て、笑いあった。
「この辺、初めてなんですか?」
「うん、初めて」
まことがそう答えると、彼女は口元に手をあてて、視線を泳がせた。どうやら、口元
に手をあてるしぐさは、彼女の癖らしい。
「何?」
何か言いたそうだね、と、言いながら、少しかがんで顔をのぞき込んだ。彼女の顔が
赤くなっているのが分かる。
「えっと……、たいした話じゃないんですけど」
「うん?」
「この神社にある木に、おまじないがあるんです」
「おまじない?」
おもしろそうに、まことは目を輝かせた。
「何?どんなやつ?」
彼女は、柔らかな笑顔を見せたまま、一本の木を指さした。大きな木だった。二人で
その木の下まで歩いていく。まことはそっと手を伸ばして、木の幹に触れた。硬い、
優しさと落ち着きを含んだ幹の感触が、ストレートに伝わってくる。
「この木の葉を手と手の間にはさんで、この木に向かって祈ると願い事が叶う……っ
ていう話なんです。子供だましみたいなものですけど」
そう言って彼女はそっと手を合わせて、微笑んだ。
「この、木の葉?」
まことは木を見あげた。大きな幹が支える枝は、まるで屋根のように頭上に広がって
いる。空の青が、緑の葉で覆われていた。
「やったこと、あるの?」
彼女は首を横に振った。
「……やってみる?」
「え?」
「葉っぱ取るなら、登らないとだめなのかなぁ」



見た限り、たくましく茂った葉は届きそうになかった。
「あっ…危ないですよ」
あせって腕をつかんできた彼女に、まことは、幹に触れていた手を下ろした。
「……秋になったら、やろうね」
「落ち葉でも、効力あるよね?」と、小さく舌を出して笑って見せると、彼女も笑っ
た。
 ピピッと小さな電子音が聞こえた。彼女が「あっ」と小さく叫んで自分の腕時計に
触れる。電子音は腕時計のアラームだった。
「もう行かなきゃ」
時計は三時四十分を指していた。
「何か用事あったの?……ごめん、付き合わせちゃって……」
「そんな……謝らないで下さい。用事って言うか……ただ、塾があるんです」
「塾?」
「ええ。それじゃ、私、行きますね」
彼女の苦笑いに頷きながら、胸の奥が少しうずいた。
「頑張ってね」
月並みな言葉に、彼女は「はい」と答えて走っていった。
 彼女の姿が見えなくなってから、木をもう一度見上げた。
「『ありがとう』……って、言い忘れてたなぁ……」
風が一段と強くなって、葉をザワザワと揺らせていた。


窓を開けると、冷たくなりかけた夕暮れの風が流れ込んできた。まことの髪と、ポト
スの葉が揺れる。オレンジに染まった空と街を見ていると、胸が締めつけられた。無
意識のうちに、高台の火川神社を捜す。
「あそこかな」とは思えたが、良く分からなかった。
 積み重なったダンボール箱にもたれ、大きく伸びをした。
先程から消えない、まるで胸の中に空洞ができたような、この気分の原因は見当がつ
いていた。
 ……あの子だ。
「名前ぐらい、聞いておけば良かった」
かすれるような独り言は、大気の中へと飲み込まれてゆく。
「幾つぐらいなんだろう」
塾があると言っていた。受験生なんだろうか。同じ中学生だったら、そうしたら、同
じ中学かもしれない。
「もっと、ちゃんと聞いておけば良かった」
同じ中学生だったとしても、東京には本当に山ほど学校なんてある。
「やっぱり、バカだなぁ、私……」
あの瞳が、頭から離れない。
 もう、二度と、逢えないかもしれない。
そう思うと、また胸が痛んだ。まことは、あの火川神社で、心の中で呟いた願い事を、
心の中で繰り返す。
(大切な人を、失わずにすみますように)
漠然とした、願いの言葉。
「……どこにいるのかもわからないのに」
まことは大きくため息をついた。そうして、思い出す。
 大きな、青い瞳。
 柔らかそうに、風になびいていた、青い髪。
 戸惑いがちに紡ぎ出される、透き通った声。
 あの子の笑顔が、頭から離れない。
 まことに向かって走ってきた姿と、見送った後ろ姿。
「もう、二度と……逢えないかもしれない」
小さく呟いて、もう一度ため息をつく。
「やーめたっ!」
まことはいきなり、勢いづけて立ち上がった。
「こんなとこで考えていても仕方ないや。どうせ、同じ街に住んでるんだから」
まるで自分自身に言い聞かせるように、まことは大きな声を出した。
「逢いたかったら捜せばいいんだし。とりあえず、明日学校に行ったら、いるかもし
れないんだから」
窓際に立ち、そっと窓に手をあてる。窓ガラスの冷たさが、手のひらに伝わってきた。
「……大丈夫。きっと、また逢える」
 静かに、けれど力強い声で、呟いた。
 もし、逢えなかったら。
 もし、秋が来ても、見つからなかったら。
「……神様に、頼んでみるか」
 自分の言葉に笑いたくなった。
 あの、神社の木の下で、祈ってみよう。
 あの子にもう一度、逢えますように。
 もう一度逢えたら、今度は……。
「……とりあえず、名前をきこうかな」
 あの子の名前を呼びたかった。
 あの子に向かって、あの子の名前を呼びたかった。
 そして、振り向いてほしかった。
 振り向いて、笑ってほしかった。
 ただ、それだけだった。


 ーそうして、新しい生活が始まった。


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