「ごろごろ」
                          ひーやん



 朝起きるとベッドの横には彼女がいて。
 それだけで「今日は何かいい日かも」って思えてしまう。



 雨音に気づいて目が覚めると部屋の中はまだ薄暗かった。梅雨明けまで秒読
み段階の今だけど、雨は陽気な夏の到来に最後の抵抗とばかりに、ここ数日に
渡って降り続いている。
 あたしは起きあがって時間を確かめようと体をひねる。と、左腕にほこほこ
とした柔らかい感触。とたんにまだぼんやりとしていた意識がはっきりとする。
 そういや…昨日は亜美ちゃんの家にお泊まりしたんだっけ。
 同じベッドの上で、あたしの隣に寝ているのは亜美ちゃん。
 寝ている間に毛布がずれて、あたしとお揃いのパジャマの肩口が少し見えて
いる。久しぶりに彼女のお母さんの夜勤と週末が重なったから、お泊まりを決
めた勢いで2人で買っちゃったんだよね。
「ん」
 亜美ちゃんはまるで同意するかのように短い呻き声をあげるとあたしから体
を離した。……ってことは今まではもっと寄り添ってたって事?
 …も、もったいないっっっ!
 そうと分かっていれば不用意に動かずに、もっと彼女の温もりを感じていた
かったのにぃ。
 そう嘆いてみても、もう後の祭り。それでなくても寝相のいい亜美ちゃんは、
無意識のうちにあたしに抱きつくなんてドキドキな事はまずしてくれない。
 まぁ、朝起きた時に隣に亜美ちゃんがいるってだけでも、十分幸せなんだけ
ど。
 そうだ、今度2人でお揃いのボディピローを買うってのはどうだろう? 普
段から抱き癖をつけておけば間違えて……はは、朝から何考えてんだろねあた
しは。
 それにしても……
 顔だけを左に向けて亜美ちゃんを眺める。
 全く「早起きは三文の得」とはよく言ったもの。こうやって亜美ちゃんの寝
顔を間近で見られるんだから。
 ……ところで三文て今で幾らぐらいなんだろう? 三百円くらいかな?
『亜美ちゃんの隣で寝れる権。さぁ、ハンマープライス』
 頭の中で唐突に美奈子ちゃんがそう叫ぶ。
 うーん、五千円くらいかな? もちろん対抗する奴がいればもっと頑張るけ
ど…と言うか絶対他人には譲らないぞ、うん。あ、いやいやいや、そんなのそ
もそもお金で換算できる事じゃないんだけど。 
 とにかく三文でも幾らでも、せっかく早起きしたんだからその分の得は十分
に満喫しないとねー。
 あたしは毛布をめくるとそうっとベッドから抜け出し、窓のカーテンを静か
に開いた。薄暗かった部屋の中に光が射し込む。夏の強い日差しではなく、雲
のフィルターのおかげで水底のように柔らかな光は、幸いなことに亜美ちゃん
の眠りを妨げはしなかった。
 それを確かめてあたしは再びベッドに戻り、亜美ちゃんの側で横になる。そ
して30センチと離れていない所から彼女の優しげな寝顔を眺める。
 可愛らしい耳。
 ふーん、意外と睫毛長いんだ。
 指でつつけばぷにぷにしそう。このほっぺ。
 小さい鼻。あ、今ぴくってした。
 柔らかそうな…もとい、柔らかい唇…って知ってるの、あたしだけだよね。
ふふっ。
 この距離で亜美ちゃんの横顔を眺めるなんてなかなかできないよなぁ。起き
てる時だったらお互いなんだか照れくさいし、そんな場面がある時は…その、
横顔でなくてきっと正面から見つめ合うことになる訳で…。
 でもほんとによく寝てる。こんな無防備な横顔を見せられたらなんだか抱き
しめたくなっちゃうぞ。ほらほら、こーやって。
 そう心の中で呟きながら、あたしは心持ち身体を左に傾けて亜美ちゃんに右
腕を回す。
 …まだ、起きないね。
 パジャマ越しに伝わる鼓動。思ったよりもずっと暖かく感じる体温。さっき
よりもさらに目の前にせまった亜美ちゃんの頬にそっと唇を寄せ……ふにっ。
こっちは思った通りの柔らかな感触。
 ピピッ。
 ふんっ!
 鳴りかけた目覚まし時計をとっさに左腕を伸ばして0.3秒で黙らせる。時
間は午前5時を示していた。
 5時ってまた随分と早起きなんだな。今鳴ったって事は当然この時間に起き
たいってことだよね。日曜日でもやっぱり朝から勉強してるのかな? 起こし
た方がいい? 
 うーん、あたしとしては亜美ちゃんが自然に目覚めるまで、このままこうし
ていたいんだけど。あ、でも7時くらいになっても起きないようだったら、朝
食を作っておくってのもいいかもしんないね。あたしの家じゃないからきっと
ご飯は炊いてないだろうけど…それならいっそ今からお米を研ごうかな。
「くぅ…ん」
 あぅ…やっぱりもうしばらくこうしていよう、うん。
 亜美ちゃんの寝顔の可愛らしさにあっさり前言撤回。すこし身体の位置をず
らして今度は彼女の首筋に口づけてみる。
 なんとなくバンパイアになった気分。亜美ちゃんのふんわりした匂いがあた
しの鼻孔をくすぐる。いっそこのまま吸っちゃってみようか。いくらなんでも
それはまずいかな。
「う……んん」
 亜美ちゃんがもぞもぞと動く。あたしはあわてて彼女の身体に回していた腕
を引っ込めた。
 そんなあたしの慌てぶりには一切気付かず、亜美ちゃんは右手で頬のあたり
をぽりぽりと掻く。きっとさっき顔を寄せた時にあたしの前髪がくすぐったの
だろう。さすがにさっきのあれは、ちょっと調子にのりすぎちゃったかも。
 そうしているうちに頬を掻き終えた亜美ちゃんは、満足そうに深く息をつく
と右手をぽてっとあたしの身体の上に置いた。と言うか、この場合は亜美ちゃ
んが手を戻そうとした位置にあたしの身体があったんだけど。
「ん……」
 あん……まったく、亜美ちゃんたら。
 手の位置に違和感を覚えたのか、無意識のうちに亜美ちゃんは横になったあ
たしの身体をさわさわとなでまわす。ふとももからお尻、腰のあたりへ。こ、
これはこれで結構ドキドキかも…あ、ちょっと待って、そこは駄目っっ!
「ふわっ」
 くすぐったさにあたしは思わず亜美ちゃんの二の腕あたりをつかんでいた。
 脇腹ってむちゃくちゃ弱いんだよねー。自分の手だとなんともないのだけど、
ほかの人にはちょっとつつかれただけでも飛び上がっちゃうくらい。
「ふに……まこちゃん?」
 あ、亜美ちゃん。目が覚めちゃったんだ。さすがにこの状況じゃ寝てられる
方がおかしいよね。
「お、おはよう亜美ちゃん」
 間近で見つめられるのが妙に気恥ずかしくて、あたしは放るように掴んでい
た亜美ちゃんの腕を放すとベッドの上に身体を起こした。
 解放された自分の手とあたしの顔を不思議そうに見比べながら、亜美ちゃん
もゆっくりと身体を起こす。わずかに身体にかかっていた毛布がぽすりと滑り
落ちた。
「……まこちゃん、どうしてここにいるの?」
「はい?」
 首をかしげそう訊ねる亜美ちゃんに、あたしはものすごく間の抜けた顔を見
せてしまったかもしれない。


「亜美ちゃんて、低血圧なんだっけ?」
「んー?」
 起きたままでぼーっとしている亜美ちゃんは、それでも一応あたしの声は聞
こえているらしく生返事をする。もっとも内容まで理解しているかは分からな
いけど。
「何か口に入れた方が頭がはっきりするよ。朝ご飯、用意しようか。それとも
パンとコーヒーの方がいい?」
「んー」
 亜美ちゃんの右手がのろのろと口元に運ばれる。こりゃ結論が出るまでには
しばらく時間がかかりそうだな。
 朝は誰よりも早く登校し、始業まで本を読んで過ごす。勿論遅刻なんてした
ことはない。
 普段の亜美ちゃんを見ていると朝にはめっぽう強そうだけど、実際にはまる
で逆なんじゃないかと思えてくる。思いつく限りの記憶をたぐってみても、寝
起きの彼女は夢と現実の区別がついてなかったり、結構ぼんやりしている事が
多い。
「…血圧はふつーだと思う」
 こんな具合に質問と答えの間が妙に開いてたりね。
「そもそもてー血圧と寝起きのいんがかんけいは、はっきりと証明されている
訳ではないのよ。だから朝おきられないのをてー血圧のせいにするのはろーか
と思ふわ」
 呂律がまわってないせいで、言ってることが今ひとつ信用に欠ける気がする
のは考えすぎかなぁ。
 あたしがそんな事を考えていると、亜美ちゃんは不意に何か思いついように
のろのろと立ち上がった。
「どうしたの亜美ちゃん?」
「…お風呂」
 見上げるあたしにぽつりと答えた後で、それだけでは意味が通じないと思っ
たのか亜美ちゃんはまた腰を下ろした。
「朝はいつも温めのお風呂に浸かりながら本を読む事にしているの。それから
朝食をとって学校へ行くのよ」
「そうなんだ」
 それってやっぱり低血圧なんじゃないの? そう突っ込もうと思ったけど今
の彼女に言っても始まらなさそうなのでやめにする。それよりも半分寝てる状
態の亜美ちゃんて、どことなくほえほえした雰囲気で可愛いかも。
「あたしの場合は朝は軽く運動する事にしてるんだよ。晴れてる時はジョギン
グで今日みたいな雨の日は部屋の中でストレッチ。その方が朝ご飯もおいしく
食べられる気がするしね。亜美ちゃんも試してみる?」
「……ん」
 まだどこかぼーったした感じのまま亜美ちゃんが頷く。
「最初は軽く前屈からね。はい足開いてー。いち、にー、さん、し」
 スキンシップ、スキンシップ。なんかいいなぁ、こういうの。
「じゃあ次はあたしね」
 向きを変えるとさっきあたしがそうしていたように、亜美ちゃんの手が両の
肩に添えられる。
「いち、にー、さん、し」
 サポートしてくれていると言うよりは、むしろウェイトになっているような
感じで亜美ちゃんが肩を押す。8回目を数える頃には完全にすがりついている
状態になっちゃって。こりゃ本当に朝は弱いんだな。
「くー」
「あ、亜美ちゃん寝ちゃってるー?」
 頬と頬が触れあう感触に思わず声が大きくなる。なんだか背中から抱きすく
められているような感覚。
「まこちゃん、あったかい」
 あたしはカイロか。でも背中全体に感じる包み込むような暖かさは確かに気
持ちいい。
「……今日はいい日かも」
 ぽつりと亜美ちゃんが呟く。
「どうして?」
「目が覚めた時からまこちゃんが側にいる」
 一日の始まりから亜美ちゃんと一緒。あたしもそれだけでとても幸せな気分
になれる。
「……うん、あたしもだよ。そうだ、今日はずっとこのままごろごろしていよ
うよ」
「ごろごろ?」
「そ、外に出ないで一日猫みたいに過ごしてみない?」
 ルナやアルテミスが聞いたら怒るかな。それよりごろごろなんて、考えてみ
れば亜美ちゃんからは縁遠い言葉かもしれない。
「猫みたいに……なんだか楽しそう」
「亜美ちゃん?」
 意外と言えば意外な反応に思わず問い返したあたしに、亜美ちゃんは眠そう
な目をしたままふわりと微笑んだ。



                              了

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