出会いの前に

           泉華 育


 さっきまで名残惜しく空を夕焼け色に染めていた太陽もあっという間に沈ん
でしまい、後には墨絵のような星空が残された。時の流れに取り残された風鈴
が、秋の風にちりんと一つ鳴る。
 亜美は皿に盛られたクッキーを一つ口に入れ、目を閉じた。
「…どう?」
 まことが聞く。
「ええ、とってもおいしいわ。でも、いくつも食べるとちょっとくどく感じる
人がいるかもしれないわね」
「そうかい。ありがとう、亜美ちゃん」
 まことは礼を言いつつ、レシピのバターをショートニングと書きなおす。
 そんな彼女を見て、亜美は微笑んだ。
「まこちゃんってよっぽどお菓子作りが好きなのね」
「そうだね。でも、あたしはお菓子作りが好きっていうより、あたしの作った
お菓子を食べた人が喜んでくれるのが好きなんだ。それと…」
 そこまで言って、少しの間迷うように手の中のシャープペンシルを弄び、や
がて決心して続けた。
「今まで誰にも話したこと無いんだけど、亜美ちゃんにならいいかな。実はね、
もう一つ理由があるんだ。…子供っぽい話だけど、笑わないって約束してくれ
るかい?」
「いいわ。笑わない」
「それから、誰にも話さないでね」
「ええ。ここだけの秘密ね。指切りするわ」
 亜美が小指を差し出すと、まことは少し照れながら小指を絡めた。

 ボウルやオーブンペーパーを簡単に片づけ、長くなるから、と、紅茶を入れ
てから、まことは椅子に着いた。
「あたし達が3つのころ、飛行機事故があったのは知ってるかい?」
「えーと、3歳っていうと昭和57年よね。羽田沖の日航機墜落かしら」
「多分それだよ。その飛行機にあたし、乗ってたんだ。父さんや母さんと一緒
に。父さん、いつも忙しかったから、それが生まれて初めての家族旅行だった。
楽しい思い出になるはずだったんだ。あたしははしゃいでて…、突然がくんと
来てね。どっかに頭ぶつけちゃって…さすがのあたしもまだまだ甘えん坊だっ
たから、痛くて泣きながら母さんの手を握ったんだ。でも、そういう時に必ず
やってくれていた『痛いの痛いの飛んでいけ』は、いつまでたってもしてくれ
なかった。何だかおかしいと思って、今度は父さんの腕を引っ張ったら、人形
みたいに首ががくがくしてさ。まだまだ幼かったあたしは、それがどういうこ
とだかわからずに、二人を起こそうと必死に揺すってた。
 やっとそのこと…もう二人とも天国に行っちゃってて、一生会えないんだっ
てことがわかったのは、二人のお葬式の時。そのころのあたしでも、抱えれば
もてるくらいに小さくなっちゃった二人を見たとたん、ダムが決壊するように
泣きだした。泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、それで涙が涸れ果たして、あ
たしは言葉を無くした。そんな厄介な娘、誰も引き取りたくなかったらしくて
さ、親戚中をたらい回しにされて…あたしは自分の心の扉をますます固く閉ざ
していったんだ」
「…」
「そんなあたしが立ち直ったきっかけが、お菓子作りだったんだ。いや、ある
女の子との出会いって言った方がいいかな。そう、桜が咲いてたから事故から
二ヶ月くらいたったころだった。白い服のおばさん…ごめん。ずいぶん昔のこ
とだからそういう風にしか思い出せないんだよ。その人に連れられて行った家
に、彼女がいたんだ。歳は、多分あたしと同じくらい。ちょっとどこか変わっ
た子だったなあ。ほら、そのくらいの子供って結構シビアでさ、事情も同情も
なく、つまんない相手なんか放っておくだろ? ところがその子ね、黙ってる
あたしを勝手にお父さん役にしておままごと始めたんだよ。
 それでね…普通さ、おままごとのごはんって、プラスチックかなんかででき
たダミーとか、なければ砂や泥水を使ったりするだろ。ところが驚いたことに、
その子がごはんですよって渡してきたものは、本物のヨーグルトみたいなお菓
子だった。それもあたしの目の前で作ったんだ。今考えてみればレトルトパウ
チの中身を牛乳と混ぜるだけのものだったんだけど、そのころのあたしはびっ
くりしたよ。同じくらいの歳の女の子が、なんてすごいことするんだろうって。
 彼女にあこがれたのか、それとも対抗したかったのか、よく覚えてないけど、
その時からあたしはお菓子を作りはじめたんだ。いつか、おいしいお菓子を作
って、その子にお返しをするんだ…ってさ。結局そんな思いだけが残って、名
前も顔も忘れちゃったんだけどね」
 語り終わると、まことは物思いげにため息をつき、少し冷めた紅茶に口をつ
けた。
「ふうん。ちょっとすてきな思い出ね」
 亜美は平静な顔で他人事のようにさらりと流したが、実は心の中ではひどく
驚いていた。
 なんてことなの。わたしも同じような記憶を持っている。ただ、わたしの役
柄は両親を失ったかわいそうな女の子じゃなくて、子供のくせにお菓子を作っ
た少女の方だけれど。
 あれは幼稚園にあがったばかりのころだから、確かに3歳。お母さんが病院
からわたしと同じくらいの歳の女の子を連れてきたことがあった。
 その子はあたしが何を話しかけても、ただぼんやりとうずくまっているだけ
で何の反応も返してくれなかった。だから、彼女のこと、つくりのいいお人形
さんかと思っちゃった覚えがある。
 お母さんがなぜ彼女を家に連れてきたのかは知らない。でも、きっと大人達
に開かなかった心の扉を、子供になら開くかもしれないと思ったんだろう。そ
して、わたしが選ばれたってこと。
 その子、女の子にしてはちょっと背が高くて、なんとなく凛々しげだったか
ら、勝手にお父さん役に据えておままごとを始めたのもさっきのお話と同じ展
開。それにそのころ、三時のおやつを使っておままごとをして、テディベアの
口のあたりをべとべとにして怒られた記憶もあったりする。だからあの時も本
物のお菓子を使ったかどうかは覚えてないけど、ありえない話じゃない。
 その時まこちゃんにお菓子をあげたのはわたしである確率は、どう少なく見
積もっても75%はあるだろう。とすれば、初対面(といっていいのかわからな
いけれど)のゲームセンターで感じた不思議な既視感も説明がつくじゃない。
それにしても。
 亜美は顔に出さずに冷静に分析できたことに安心し、王国と北極にもう一つ、
3度も別離が訪れたのに、再び出会ってしまうのは運命なの? それともこう
いうのを赤い糸で結ばれてるって言うのかしら?
 ついそういう考えが頭に浮かんで、顔を真っ赤にして、いままでの努力を無
駄にした。
「どうしたんだい?」
「ううん、なんでもない。なんでもないのよ」
「そうかい」
 まことは幸運にもあまり気にとめなかった。
「ねえ、亜美ちゃん。あたし、いつかその子に会えると思う?」
 亜美はちょっと考えて、答えた。
「そうね。いつか、時がきたらきっと」
 わたしがあなたのクッキーにふさわしい人になれたら。

END


せらむん処に戻る

トップページに戻る まこ亜美連合のページに戻る