W で始まる人名
Jimmy Wales
ウィキペディアの設立者。
公開されている編集ログから,同氏がウィキペディアの自身の経歴を18回書き換え,以前ウィキペディアの運営に携わっていたラリー・サンガー氏がこのサイトを立ち上げた1人だとする記述を削除していたことがわかった。
Larry Wall
Perl の開発者。
サンフォード・ワレス Sanford Wallace
通称,スパムキング,あるいは Spamford(スパムフォード)。
1990年代のサイバースペースで最も嫌われた人物。
スパム企業,サイバー・プロモーションズの CEO。
スパムメールの送り主として,一般人,ISP,そして裁判所の怒りを買った。
いつも,人よりも優位に立つ駈け引きの才能があるらしい。
ポルノサイトやスパム送信用ソフトのメーカーなどから依頼を受け,1日当たり2500万通のジャンクメールを送信し,1996年,急激なスピードでスパム業界の頂点に上り詰めた。
その後数年で,ISP から10件を超える訴訟(数百万ドル規模)を経験。
4年間,ワレスはインターネット界屈指の悪名高き人物となっていたが,その後1998年に正式にスパムを放棄。
同年,スパムを受信することに同意したユーザーに安価なインターネット・サービスを提供する新会社を立ち上げようとしたが,帯域幅を提供してくれる大手ネットワーク企業がなく挫折。
同年,スマートボットという潜在顧客からの問い合わせ内容に応じた電子メールを自動的に作成できるサービスを立ち上げた。
これは成功したが,ドットコムバブルの崩壊で急激に失速。
現在は,ニューハンプシャー南部でプラム・クレイジーというクラブ(2002年1月に買収)を経営している。
常連客の中に,同氏の経歴を知る人はほとんどいない。
2006年5月,米連邦取引委員会が訴訟を起こしていた米ニューハンプシャー州の連邦地方裁判所は,Internet Explorer のセキュリティ上の脆弱性を突いて,ユーザーの同意を得ることなく,勝手にスパイウェアを導入,スパイウェア対策製品の購入を促していた手法で不当に利益を上げとして,US408万9,500ドルの罰金を科す判決を下した。
Cyber Promotion サイバー・プロモーションズ社
Sanford Wallace 氏が率いていたジャンクメール送信企業,フィラデルフィア。
1996年にインターネット上を行き来したスパムの80%を発信していたとする推計(複数)がある。
Joseph Wiezenbaum 1923〜
アメリカのコンピューター科学者。MIT 教授。
人間との自由対話システム ELIZA を開発したが,のちに人工知能研究批判に転じた。
ウィルクス Maurice Vincent Wilkes
1913年6月26日イギリス生まれ。
ケンブリッジ大卒後、1945年から同大コンピューター研究所主任、
1949年世界最初のプログラム内蔵式コンピューターとされる EDSAC を開発した。
その後継機 EDSACUの設計に際して1951年にマイクロプログラミングの概念を捷唱。
これらの業績により、1967年度チューリング賞を受賞。
1965〜1980年ケンブリッジ大教授、その後、デジタル・イクィップメント社(DEC)顧問などを務めた。
英国コンピューター学会の初代会長。
1992年度の京都賞を受賞。
Brian Wilson
Kendara で主任技術者を務めていた。
その後,MailFrontier を共同で設立。
Dave Winer
blog の創始者とされる人物。
当時,Wired の編集者をしていたが,通信品位法に対する反対運動 24 Hours of Democracy Project に関連して新しいサービスを Web 上で始めることを思い付いたもの。
1997年4月に Scripting News(http://www.scripting.com)として開設。
これは,2005年7月までに最も息の長い blog といわれている。
初めて blog という言葉を使ったのは,robot wisdom(http://www.robotwisdom.com/)と呼ばれる blog を運営する Jorn Barger 氏とされる。
Gary Winnick ギャリー・ウィニック 1948〜
父は外食事業の会社を経営するニューヨークの企業家(この会社は1960年代に破産)。
ロングアイランド大学を卒業後,債券取引を行なう Drexel Burnham Lambert(ドレクセル・バーナム・ランバート)に入社。
そこで,ジャンク債の帝王と呼ばれたミルケン氏の一番の側近になる。
ドレクセル社が倒産する前に退職,自分の投資会社を設立。
1997年にグローバル・クロッシング社を設立した。
ウィノグラード Terry A. Winograd 1946〜
アメリカの人工知能学者。
1946年2月24日アメリカ生まれ。MIT 卒、1970年同大で博士号取得。
大学院時(1970)代に開発した自然言語処理プログラム SHRDLU は、
その後の人工知能(AI)研究に大きな影響を与えた。
自然言語理解・知識表現・認知科学など、AT研究の第ー線で活躍、
またゼロックス社のボブロウらと知識表現言語 KPL を開発した。
1986 年以降,アメリカの主流の AI の基本的考え方である,記号主義的な AI 研究に批判的といわれる。
現在、スタンフォード大数授。
Niklaus Wirth
スイスの計算機科学者。
1934年、スイス生まれ。スイス運邦工大(ETH)を卒業ののち、
1963年カリフォルニア大パークレー校で学位を取得。
現在、ETH の教授。プログラミング方法論の開発に多くの業績を上げた。
またコンピューターの設計から、不必要な複雑さを取り除くことにも尽力。
Pascal や Modula など、ALGOL 系列のプログラミング言語を数多く設計したことは有名。
1983年度のチューリング賞受賞。
Steve Wozniak スティーブ・ウォズニアック 1950〜
1950年出生,6歳でアマチュア無線の免許を取得。
1972年,コロラド州立大学へ入学。
1976年にスティーブ・ジョブズとともにアップルの立ち上げに携わった。
1977年 Apple 2 を開発。
企業経営を嫌って,1985年にアップル社を退社。
その後,地元の小中学校で非常勤の教師として何年もボランティア活動を続けた。
夏には,ブラックベリー・ヒル屋敷のガレージを急ごしらえのコンピューター室に改造し,授業を行なったこともある。
1997年,アップル社に復帰。
2001年12月,デンジャー社の技術・事業開発の顧問として,取締役会のメンバーに就任。
2002年1月,Wheels of Zeu(wOz)というワイヤレス機器の設計企業を設立。
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