同時多発テロ攻撃 2001/9/11
World Trade Center attacks,WTC attacks

 2001年9月11日,ハイジャックされた旅客機が南北の World Trade Center ビルとペンタゴンに突入し3000人以上が死亡した。 また4機目は旅客の抵抗により墜落したが,ホワイトハウスへの突入を目指していたとも言われる。 衝撃を受けたアメリカは,テロリズムへの対決姿勢を強め,それを支援する国家との対決・戦闘による打倒を目指すようになった。 この同時多発テロは,インターネット時代になって初の重大事件で,その資料は大部分がオンラインに保存されている。 ただしペンタゴンへの攻撃については,セキュリティーの関係から,そこにいた人々から個人的体験やデジタル資料を収集することは難しくなっている。 この記録のアーカイブとしては,ザ・セプテンバー11・デジタル・アーカイブやザ・セプテンバー11・ウェブ・アーカイブがある。

 この事件により,全米の主要都市で電子犯罪タスクフォースの設立も進んだ。
 コンピューターとインターネットに与えた影響として,テクノロジーが監視のために利用されるようになった, また監視に対する市民の態度は劇的に寛容になり,ブッシュ政権は高い支持率を背景に監視体制の強化を進めている。 ウェブや電子メールの利用を含めた市民の行動パターンの監視や,国土の安全保障の名目で監視技術を導入する都市が増え, 全米の主要都市で電子犯罪タスクフォースの設立も進んだ。 米国交通管理協会(AAMVA)は,各州からの記録を結び付けるシステムの開発をしている。 2002年9月の調査では,電子メールの送信数が増え,オンライン・ニュース・サイトの利用が増加し,オンラインでの寄付が増えた。 またテロ攻撃が,いわゆる「手作りジャーナリズム」を盛り立てたことも示された。
 法律としては Patriot Act が成立。 また有事に対応するため,民間での回線とデーターの分散を含めたセキュリティへの関心が高まり。 個人識別にバイオメトリックスの導入が本格化した。 ウォール街では非常時対策の見直しとしてオフィスの分散化が進んでいる。 事件に関する多くのサイトが立ち上がり,それからニュースの自動要約のプロジェクトも立ち上がった。 テロの数週間後には,平和メッセージを装ったワームが発生した。 また2002年9月11日に合わせて作られたワームも出現した。

 19人のハイジャック犯のうち15人が,観光ビザで合法的に入国。 他の3人は商用ビザで,残りの1人は学生ビザで入国。 ただし,少なくとも3人のハイジャック犯のビザは期限が切れていた。
 2001年夏,数週の間をおいて2つの情報が FBI 本部にもたらされた。 1つ目はアリゾナ州フェニックスの捜査官からのもので,オサマ・ビンラディン氏のテロリストたちが米国内の学校で飛行機の操縦を学んでいる可能性があると警告した。 2つ目は,ミネソタ州で飛行訓練を受けているザカリアス・ムサウイという名の不審な人物に関するものだった。 ケネス・ウィリアムズ捜査官は,外国生まれのスンニ派イスラム教徒10名が航空について学んでいることを懸念し,2001年7月10日にフェニックス・メモとして報告した。 ミネソタ州の FBI 捜査官は2001年8月,民間ジェット機の操縦法を学びたいというムサウイの要望に疑念を抱いた航空学校教官から通報を受け,ムサウイを移民法違反容疑で逮捕した。 捜査官たちはムサウイのコンピューターを調べるための令状を申請したが,FBI 本部はこれを却下した。 ヒル氏によると,FBI 捜査官たちは,外国人テロリスト容疑者に対して必要とされる特別令状を得る条件について誤解していたという。 さらに,その後,テロ攻撃が迫っていることを示唆する報告が増加していた。
 前日の2001年9月10日に「決行が明日」であることを示す情報が傍受されたが,翻訳されたのは9月12日になってからだった。 ウィンストン・チャーチルの言葉をもじって『これほど多くの者がこれほど多くを知っていながら,これほど何もしなかったなどということはあってはならない。』といわれている。

 2002年9月11日が近づくにつれ大手メディアは関連記事を増やしたが,この特別な日を利用して物を売っていると誤解されたくない一部の企業は,ウェブ広告の全面または一部自粛した。 AOL がおそらく最も厳粛でサービスから全ての商用広告を外し追悼メッセージに置き換え,ヤフーはホームページをモノクロにするなどホームページの外観を変更したサイトが多い。
 2003年9月10日,カリフォルニア大学の科学者チームは,同時多発テロ以後,少なくとも6週間は,崩壊した世界貿易センタービルの焼け跡から有毒物質が空気中に放出されていたと発表。 建物と内部にあった,膨大な数のコンピューターなどがいっしょに焼けて,金属,酸,有機物などの有毒物質を含む気体が放出されていた。 当時,ホワイトハウスが米環境保護局に対し,現場の空気を呼吸しても安全だという早まった声明を出すよう圧力をかけていたことも明るみに出た。


9-11 Commission,9.11 委員会報告書
 2001年9月11日に起きた米同時多発テロを検証していた超党派議員による独立調査委員会。 2004年7月22日,最終報告書「The 9/11 Commission Report」の全文を同委員会や米国政府印刷局のサイトで公開。 585ページの最終報告書は,PDF ファイル形式(7.4MB)で公開されている。 ペーパーバック版も用意されており,22日に全米の書店に一斉に並び始め,Amazon.comでは22日時点でベストセラーチャートの2位となった。
 発表形式に不満を持った一部のインターネットユーザーが,報告書をもっと入手しやすく,読みやすくしようと,すぐさま文書に手を加えはじめ,報告書の発表から数時間のうちに,ウィンドウズの『メモ帳』,HTML,機能を付加した PDF などのフォーマットに変換されたものがオンラインで公開された。
サイト:http://www.9-11commission.gov


9.11委員会報告書
 同時多発テロに関する国家調査委員会の報告書を一字一句そのままで印刷し直した,516ページにもおよぶペーパーバック。 2004年7月22日の報告書のオンライン公開と同時に発売,60万人以上が購入し,ベストセラー・ランキングのノンフィクション部門で7週連続1位を占めた。



アメリカのテロ対策,テロリズムとの戦い

 2002年9月11日のテロ攻撃後まもなく実施された調査によると,アメリカ国民の79%がテロリズムとの戦いのためには個人の自由を犠牲にしても構わないと考えていた。 69%は,情報をテロリストの手に渡さないために,政府が情報をインターネットから削除してもかまわないとした。 情報の削除が実際にテロリストとの戦いに役立つと答えは,全体の49%だった。 しかし,政府には市民を電子メールとウェブ上で監視する権利があると答えたのは45%, 監視する権利はないとの答えは47%だった。
 2002年5月では,政府を信用しているという回答は40%にとどまった。 なお,2002年になって,ハッキングされたサイトにアルカイダのメッセージが書き込まれることが数件起こっている。
 2003年8月5日,アメリカ政府は,テロリストが CD プレーヤー,カメラ,ノートパソコンその他の電子機器に武器や爆弾を隠そうとする可能性があると警告,空港の警備の目が現在より厳しくなる。



The Internet Under Crisis: Learning From September 11

 National Academies の National Research Council(米国学術研究会議)が2002年11月に発表したレポート。 それによると,テロ当日は,電話は回線の混乱によりスムーズにつながらず,約 1/3 が通話を断念した。 一方,インターネットは概ね問題なく利用でき,IM や電子メールで必要な連絡を取り合うなど,非常時にも活用可能であることが実証された。 また,行方不明者のリスト,家族や友人に自分の無事を知らせることができるサイト,などが立ち上げられ,災害時のコミュニケーション手段としての役割は大きかった。 なを,各ニュースサイトとも事件後はアクセス数が急増したが,軽いページを用意する,バックボーンの強化を図る,など対策が速やかに講じられている。



Auction for America

 2001年9月11日のテロ事件の被害者家族を支援しようと,100日間で1億ドルの資金集めを目指したプログラム。



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