Silicon valley シリコンバレー

 コンピューターの聖地または元エレクトロニクス帝国の中心地。 カリフォルニア州サンフランシスコの南40マイルにあるサンタクララ・ヴァレー, そこの北はパロ・アルト市から南はサンノゼに至る一帯の呼び名。 パロ・アルトのスタンフォード大学の敷地の一部が工業団地として開放され, ここから現在のシリコンバレーが誕生した。
 ここの企業全体の売り上げにしめる軍需の割合は1970年代は18%だったが,2000年前後は5%である。 技術者約20万人の約 1/3 は中国人である。


BIRTHPLACE OF SILICON VALLEY(シリコンバレー発祥の地)
 パロアルト市の住宅街の一角。 通りに面したガレージ付きの家の前に記念碑が立っている。 Hewlett-Packard 創業の地で,2007年米国立公園局から史跡としての登録を受けた。 1938年,ビル・ヒューレット氏とデイブ・パッカード氏が拠点とした。 1940年に HP を起業し,1941年に市内の別の場所に移るまで使っていた。 家は2階建てで壁はれんが作り,緑色の屋根,家の周りには,背の高い木がたくさん植えられている。 HP が2000年に家とガレージを買い取り,保護している。 買い取った当時,建物が荒れ果てていたため,2005年に修復し,創業当時の状態を復元した。


パロアルト・ユニバーシティー・アベニュー165番地
 スタンフォード大学からさほど遠くない賑やかなショッピング街に面し,目立たないベージュで塗られた地味なビル。 ここから,グーグル,ペイパル,ロジテック,デンジャーなどが巣立ったことから,このビルには,なにか偉大なカリスマ性があるとまで言われている。 周囲にはたくさんのレストランが並び,それはプログラマーにとって作業(生活,生存?)条件の利点との指摘がされている。


シリコンバレーエクスプレス
 シリコンバレーのITニュースを配信するメールマガジン。 1997年より開始し,2003年3月での休止を発表していたが,継続要望が強いため,リニューアルして継続。
サイト:http://www2.nihon.net/sve


シリコンバレーの本質
 リサーチ企業米コラボレーティブ・エコノミクス社(カリフォルニア州マウンテンビュー)のレポート『インデックス・オブ・シリコンバレー2002』によると,シリコンバレーは今でも他の地域にとって手本である。 そこで挙げられる6地域の企業群,イギリスのケンブリッジ,フィンランドのヘルシンキ,イスラエルのテルアビブ,インドのバンガロール,シンガポール,台湾の新竹(Hsinchu)〜台北地域には,地域性に影響を受けた文化的な問題がある。 イギリスには,伝統的に起業家を蔑視する風潮があり,企業は市場の支配より新技術の開発に関心を持っているようだ。 フィンランド人はネットワークを築くことが不得意で,完成にはほど遠い製品をひけらかすような厚かましさを不快に感じる。 イスラエル人は逆に,往々にして厚かましすぎることがある。従業員や株主に対する軍隊仕込みの忠誠心で,死を宣告されるべき企業を存続させようとする。 インド人は起業家精神を称えるが,有能な人材は,シリコンバレーにスカウトされなければ,自分で起業するより大企業で働く傾向がある。 シンガポールと台湾では,素晴らしい発想よりも,規則や学問的に優れた理論に従うことに重点がおかれる。
 本物のシリコンバレーでは,ネットワーク,信頼,協力体制,人材育成,支援体制,弾力性,革新と起業家精神のためのリソースと機会に富む環境がある。 そして,起業家が失敗しても再度の挑戦を支援することが非常に重要で,コミュニティーが失敗を受け入れることが,シリコンバレーと他のシリコンバレー候補を大きく隔てていることとされる。


シリコンバレーの雇用
 2000年ごろまで続いた好景気の間は仕事がいくらでもあったにもかかわらず,要件を満たす人材が非常に不足していた。 2003年では,シリコンバレーのハイテク企業は調査研究費を少しずつ増やしはじめており,これは一般的に見て労働市場が回復する兆しだとされる。 しかし,多数の優秀なコンピューター科学者たちが失業中で,ストックオプションや契約時のボーナスなどの特典を提示して必死に人材集めをする企業も姿を消した。 雇用主側は大学での実績と複数年にわたる経験の両方を備えた人材を求めており,仕事で必要になるのと全く同じプログラムを扱った経験があれば,なお有利となる。 つまり,長時間のトレーニングが必要なく即戦力になれる人材が求められている。 また,人材斡旋市場の上向き傾向に加えて,ここ3年間ほどで多くの人材斡旋会社が廃業したため,ヘッドハンターたちの競争も減っている。 10月には,サンフランシスコのベイエリアにおける技術系の求人が2002年前の倍,半年前の1.5倍に増加。 特に,ソフトウェア開発,コールセンター業務,技術職といった技術系の職種が大きく伸びている。


シリコンバレーの広域停電,カリフォルニア州の電力危機
 カリフォルニア州の一部で電力不足により2001年1月17日に約2時間の広域停電が実施され, シリコンバレイの一部を直撃した。 カリフォルニア州の電力備蓄量が 1.5%を下回ったためだが,その原因は同州が1990年代後半から電力市場を自由化し,電力サービス会社は自由に電力を調達できるようになったのが原因。 その後,発電所が増えないのに電力需要は急激に増加。結果として,電力自由化は電力価格の高騰を招き,競争による価格抑制を狙った規制緩和は完全に裏目となった。
 Cisco のように自家発電装置が稼動し平常通り運営した企業は信頼感があると株価が上昇した。 Intel は節電プランを立て,その実施を条件に電力サービス会社と交渉し,事前に停電地域の対象外となった。 対称的に実際に停電が行われるまで緊急事態を知らなかった企業も少なくない。
 カリフォルニア州は2001年の電力危機を教訓に,2002年7月までに,13ヵ所の発電所を新設し,水力発電を強化し,非常用節電措置を講じた。 また,節電のため 23,300台以上のリアルタイム使用電力計測メーターを設置し,大口顧客の使用量は2001年より約500MW 減少した。 しかし,それでも不足しそうである。


California Independent System Operator(カリフォルニアISO)
 カリフォルニア州の電力網を管理している非営利の独立機関。



ビットバレー Bit Valley Tokyo

 1990年代後半にインターネット関連のベンチャー企業が集中した地域としての東京・渋谷を指す造語。 元は bitter(苦い)に渋いと valley(谷)と,米国のシリコンバレーをかけて名付けられたが,いつのまにか『Bit』に置き換わった。 ネットエイジ社長の西川潔氏やネットイヤー社長(当時)の小池聡氏らが呼びかけ,このビットバレーを中心に多くの若い IT 起業家が集結。 多くの人たちが群がるファッション化した場となり,そこに米国初のネットバブル崩壊が直撃。 志と行き場を失ったビットバレーは,次第に収束していった。
 2006年7月1日,東京商工会議所は広域渋谷圏における地域特性を活かし,クリエイティブ産業と IT 産業の融合を柱としたユーザー参加型のマッチング事業を開始。 ポータルサイト『XSHIBUYA』(クロスシブヤ)を構築し,広域渋谷圏のクリエイターに自らのアピールができる場を提供。異なる分野のクリエイティブや IT 系企業のマッチングを促し,ビジネス機会の創出を図る。



札幌バレー

 JR 札幌駅北口周辺にベンチャー企業が集まっていることからきた呼び名。 北海道大学工学部教授,青木由直氏が作った『マイコン研究会』の OB 達が就職先を作ろうと始めたことが花開いた結果。



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